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「ねぇ先輩?」
これからギルドに帰るのだと告げ、リュカは飛行バイクを取りに向かった。その場には楠と河合が残される。
リュカの背を見送っていると、河合が楠を呼んだ。
「なに河合」
「わたし、納得はしてませんからね」
「はいはい」
「先輩」
「なぁに」
「せんぱぁい」
「もー、なにって」
楠は河合の方に顔を向ける。
可愛い後輩は、むっ、としたように眉根を寄せていた。一方で唇はもにょもにょと不思議な動きをしている。上がってしまいそうになる口角を必死に抑えようとしているような、不思議な動きだ。
河合は大きく息を吐いた。そして楠と繋いだままの手に、自身のもう片手を添える。
「先輩のそういうところが好きです……」
「分かった分かった」
「待ってるから。ね?」
「うん」
いつもの流れだ。
いつもの流れだが、河合に拗ねた様子はなかった。
河合は小さく笑う。
「それに、シモンさんも。良い人ですね」
「えぇ……?」
思わず楠の顔が歪む。眉間に皺の寄った楠の表情に、河合は楽しそうに目を細めた。
「うふふ! 可愛い人ですよぉ。だって、ほら。わたしを安心させるだけなら、わざわざ危険って言わなくてもよかったんだもん」
河合は、楠がどんな仕事をするかなんてことは知らない。ギルドの仕事ともなれば危険なものだ、とは思うかもしれないが、その仕事にも色んな部隊がある。必ずしも現場に出て命の危険がある部隊に所属しているとは限らないのだ。
そこをリュカは決して隠さず、正直に伝えた。正直に伝えたうえで河合を安心させようとしたのだ。
「素直な、まっすぐな人です。わたしそういう人好きですよぉ。先輩とそっくりで!」
「……そうかなぁ……」
「そうですよぉ! わたし、先輩好きですもん!」
「複雑だ……」
河合は楽しそうだが、楠は納得がいかない。あの思い込んだら突っ走るような頑固者と一緒にされるのはどうも心外だ。
ただ、そうか。
素直な、まっすぐな人、か。
「お待たせ……え、なに、その顔は」
飛行バイクと共に戻ってきたリュカは、楠の表情を見てギョッと肩をはねさせた。怯えたような視線が腹立たしい。誰のせいだと思っているのか。
いや、正確には先程の河合の発言のせいではある。ただ根本の原因はこいつだ。そういうことにしておこう。
河合はそんな楠をにこにこと見つめ、最後にぎゅっ、と抱き着いた。
「じゃあ先輩、またね」
「……うん」
「終わったらパフェ行きましょうねぇ! 先輩の運転で!」
ばいばーい、と胸の前で手を振る河合に、楠はひらり、と軽く手を振り返す。
「河合」
「ん? なぁに先輩」
「私、免許取らないことになったから、まだ暫くはあんたのこと乗せられないよ」
「そんなぁ!」
拗ねたふりをして見せながらも、河合は笑って去っていった。
その後ろ姿に会釈をし、リュカはちらりと楠を見る。
「……シュガー、苦虫でも噛んだ?」
「似たようなものは噛んだかも」
「噛んだんだ……なんだろう、受け入れがたいものとかかな」
ターミナルの角を曲がり、河合の姿が見えなくなる。そこまで見届けて、楠は視線をリュカに移した。
リュカはそんな楠と、河合の消えた角を交互に見て、呟く。
「仲がいいんだね」
「そう」
「あ、肯定するんだ」
「事実に対して否定する必要はないでしょ」
「そういうの濁すタイプかなと思ってた」
意外だと言外に告げるリュカに、楠は腕を組みながら息を吐いた。
「どう思われてるのか知らないけど、別に冷血漢ってわけじゃないから」
「自分で言うものじゃないとは思うけど、それに関しては伝わってるよ」
リュカは肩をすくめる。
「だから、やっぱりきみを俺と飛ばせるわけにはいかないな」
「はぁ〜?」
まだ言うかこいつ。その話題は一旦保留で終わったものなのに。
この話の流れでそれを蒸し返される謂れもない。なんだ、親密な仲の相手が居るのが悪いのか。そいつに心を許してるのが悪いのか。
「魔獣を相手にするには心を殺せとか、そういうこと言いたいの?」
「かっこいいねそれ。そういうことにしようかなぁ」
「冗談だし、そう言うなら違うし……」
適当に言ったことに適当に返され、楠は再び大きくため息を吐いた。
こいつと行動を共にするようになって、ため息を吐く頻度が増えた。大昔から「ため息で幸せが逃げる」とかなんとか言われているが、それがもし科学的に証明された事実なら今頃楠の幸せはゼロを超えてマイナスになっているだろう。つまり不幸ってことだ。
だがそれはあくまでそう言われているだけである。
この世に人の英知で証明できないことはほぼない。
オカルトや人の縁などといったよく分からないものもないとは言えないが、それでも世に起こる殆どの事象には説明がつく。らしい。
まぁ感覚派の楠には難しいことだ。
「……シュガー」
見下ろすと、リュカが咎めるように楠を見上げていた。
楠の鼻くらいの位置にリュカのつむじが見える。
「特別な許可がない限り、公共の場で一定高度以上の飛行魔法の使用は禁止だよ。それ以上行かないように」
「よく知ってるね」
「流石に一般常識でしょ」
楠はふわり、と爪先から地上に降りる。こうして地に足を付けてしまうと中々リュカを見下ろすことはない。こいつがしゃがむか座るかしない限りは、圧倒的な身長差で逆に楠が見下ろされるのだ。
リュカは首を傾げて楠を見下ろす。
「なんで急に飛んだの? 飛ぶなって言った俺への意趣返し?」
「そういうことにしておく」
「本音じゃない?」
リュカは怪訝な表情で反対方向に首を傾げた。
この世に人の英知で証明できないことはほぼない。
魔法もそうだ。魔法の仕組みは先人によって解明され、魔法の使い方は詳しく教科書に載っている。
だが楠にとっては、自分の使う魔法を詳しく説明するのは難しい。
そもそも楠は魔法を専門とする学校や学科に所属していたわけでもない。魔法に関しては義務教育レベルの知識しかないのだ。
楠には自分が経験したことが全てだ。実際に自分が見て、聞いて、おこなったことが全て。何度も言うが、楠は感覚派なのだ。
だから楠はどれだけため息を吐いても自分から幸せが逃げて行っているとは思わないし、幸運とはなんたるかを体験するまでは何も分からない。
リュカがどんな人物なのかは、楠自身が見極めないと分からないということだ。
「ねぇ、早く乗せて」
「え? ちょっとシュガー」
「もう。免許取らないことにしたとはいえ、あんたに頼らないと飛行艇戻れないのだけは不便だなぁ」
「シュガー? ちょっと、あまりに話題の飛び方がアクロバティックすぎるよ。ギルドに帰りたかったから飛んだってこと?」
「もうその話題終わったよ」
「終わってないよ?」
楠は勝手知ったる仕草でサイドカーに乗り込んだ。
一定高度以上の飛行魔法は禁止されている。だから楠達がギルド飛行艇と地上を行き来するには、飛行乗り物が必要不可欠だ。
だからこれからも、もうしばらくはこれに乗らなければならない。この、とんでもなく丁寧に運転される飛行バイク付属のサイドカーに。




