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「シュガー」
甘ったるい声がする。
その単語が自分を指しているとは思いたくない。思いたくないが、楠はうっかり振り返ってしまった。
「シュガー。……いや、シュガーポット」
「うわっ」
そこには案の定この数日で見慣れてしまった奴がいる。黄金色の髪をくるくると指に巻き付け、何故だか照れくさそうに頬を染めた、あいつが。
「いや、もっといける。もっと甘くなれるよ。。シュガー……スウィートシュガー……シュガーチョコレート……シュガーキャンディ……」
「なになになにこわいこわいこわい」
その口から飛び出てくる摩訶不思議な表現に楠は後退った。だが、そこで違和感に気が付く。
背後に下がったはずなのに、奴との距離が開かない。
それどころか奴は近付いてくる。楠は再び下がろうとして、身体が上手く動かせないことに気が付いた。
見れば楠の足元は砂状の何かで覆われている。
それが大量の砂糖だと気が付いた時には、既に奴の姿が目の前に迫っていた。
「やっぱり」
「……なにが?」
「やっぱりきみは……シュガーだったんだ!」
違うって!
叫ぼうとして、目が覚めた。
楠の身を覆うのは砂糖ではなく布団で、目の前に話の通じない奴の姿は当然ない。そこにあるのはまだ見慣れない天井だった。
少しの間、楠は呆然とその天井を見上げていた。まだ瞳の奥に奴の煌めく黄金色が残っている気がする。
楠は寝転がったまま手を伸ばし、ゆらゆらと彷徨わせる。そして、指先が探し当てた紐を引っ張った。
音を立て日除けが巻きあがる。日に照らされ、ようやく少しずつ、意識がハッキリしてきた。
起き上がる。視線を窓にやれば一面の青空。それもそうだ。ここは空の上なのだから。
楠は欠伸混じりに目をこすった。
「……いやな夢見たなー……」
ギルド北支部、その飛行艇。
魔獣ある所にギルドあり。いつ何時でも魔獣の脅威に立ち向かえるよう、ギルドはその飛行艇の中に居住区を構えている。らしい。楠も初めて知った。
ということで、現在ギルド臨時メンバーである楠も例に漏れず、飛行艇の中で寝泊まりをしていた。臨時だというのに一人部屋だ。
実際のところ、楠に割り当てられた部屋は居住区の隅、物置のようになっていた小さな部屋に簡易ベッドを置いた程度のものだ。だが楠にとっては、どんな部屋であろうと一人部屋であることが有難い限りだった。
本日も飛行バイクの訓練である。嫌な夢を見てはしまったが、奴と顔を合わせないわけにもいかない。楠は支度を済ませガレージに向かっていた。
飛行艇内部はなんとも複雑なつくりをしている。はじめの頃はそれはもう迷いに迷ったが、数日も経てば流石に慣れてきた。自室からガレージ、もしくは陽動飛行隊部屋までなら迷わず行ける。それ以外はまだ全く分からない。
とはいえ楠は臨時の隊員なのだ。ならば、自分の行動範囲だけ把握していれば問題ないだろう。そういうことにしているので、貰った飛行艇内マップは自室から持ち出されたことが無かった。
だが今だけは、あの新品同然のマップを持って来ればよかったと後悔している。
「どこだここ……」
楠はすっかり迷子になっていた。
事の次第は単純だ。隊服を着て飛行艇内を歩いていた所、大荷物を抱えた隊員に手伝いを求められ、求められたものを拒否するのもなと荷物を分け合いどこかの部屋まで運び、感謝され、の、今。
ようは楠の行動範囲外に来てしまった。道のりが分からない。すっかり困り果ててしまった。
このまま闇雲に歩くのは良くない。変に機密情報でもしまわれている所に入ってしまえば大変だ。楠は臨時隊員なのだから。
しかしこのまま突っ立っているのもそれは良くない。集合時間に遅れてしまう。
どこかにマップが貼りだされでもしていないだろうか。そう思い見渡せる限りの壁を見てみるが、まぁ何もない。あるのはどこに繋がっているのか分からない扉と青空の見える窓。そこに途方に暮れた楠の顔が映っている。見ていられなくなって、楠は一瞬キュッ、と目を閉じた。
仕方がない。意地を張らず、リュカに連絡するしかないだろう。そのためにも現在地の把握が必要だ。
なにか目印になりそうなものがないか、視線を上げていく。扉、壁、天井、天井……ライト……あ、あそこのライト切れそうだな……。
「いたっ」
ぼんやりとそんなことを考えながら後退りしたところで、何かに身体がぶつかった。
こんなところでぶつかるのなんて恐らく人だ。謝らなければ、と振り返る。
「すみません、あの」
「ここでなにをしているんですか?」
そこに居たのは1人の女性だった。
彼女は固い声音でそう尋ねる。
「あ、えーっ、と……」
「あなた、楠さんですね」
「そう、です。名前は」
「ゆかりさん。知っています。陽動飛行隊の新入隊員」
どうやら彼女は楠を知っているらしい。だが楠は彼女を知らない。リュカやアレサンドロのように一度会っているけれど記憶から飛んでいるのだろうか。それにしては、記憶の縁に引っかかるものもない。
そうして楠が記憶を探っていると、彼女は得意気に「ふふん」と鼻を鳴らした。
「リーダー自らスカウトなさった人材ですし、なにより我が支部の新人ですからね。私が把握しておかないわけにはいきません」
「はぁ」
「はぁ、ですって?」
楠の生返事に、女性は一瞬声を荒げた。だが、直後に口を閉じ、深呼吸。
一拍置いて女性はキリリと眉を吊り上げた。それは意識してあげられたような鋭い角度だった。
キッ、と彼女は楠を視線で射抜く。目が合って、その瞳の中に花が咲いていることに気が付いた。
「いえ、自己紹介が遅れました。私はギルド北支部魔法陣隊隊長。名をオルテンシアといいます。姓はコンティ」
魔法陣隊。その存在は聞いたことがあった。
魔獣を無力化させる方法として、この支部では魔法陣を採用している。巨大な魔獣に対し魔法陣を描き発動させる、その専門の部隊、それが魔法陣隊だ。
いわばギルド北支部の花形部隊。誰にそう言われたわけではないが、説明を聞いた楠はそう感じていた。
その部隊の隊長だと自己紹介した女性、オルテンシアは、楠を見定めるようにジッと見つめている。
「あなたもギルドの一員なんですから、各隊の隊長の名くらいは覚えてくださいね」
「あ、一員って言っても期限付きで」
「期限付き、期間限定、それでもその間はギルドの一員ですよね?」
楠が補足しようとすると、オルテンシアはそれを有無を言わさぬ速度で遮った。これ見よがしにため息を吐かれる。
「あなた、ギルドの一員である自覚を持っていただかないと困ります」
「自覚」
「ましてやあなたはリーダーがお選びになった方ですよ。すごく名誉なことなんですから」
そう言うと、オルテンシアは胸の前で片手を握り締めた。
「リーダーの行動には全て意味があるの。無駄なものなんてない。だから、あなたの入隊を許可したことにだって意味があるんです」
「自分に言い聞かせてませんか?」
言葉を重ねるにつれて、どんどんオルテンシアの声量が小さくなっていく。思わず尋ねると、オルテンシアは一瞬で顔を赤く染めた。誤魔化すような咳払い。
オルテンシアは腰に片手を当て、もう片手を胸に当てた。威厳を出そうとしているのかもしれない。だが未だに赤いその顔が、彼女が出そうとしている雰囲気を緩めてしまっていた。
「とにかく。言っておきますが、私は魔法陣隊の隊長です。そしてあなたは臨時とはいえ隊員。いざというときは私の指示にだって従ってもらいますからね」
「いざという時」
「えぇ」
「それって多分、陽動飛行隊が壊滅した時じゃないですか?」
「そっ、そんな縁起でもないこと言わないでよ!」
楠の発言にオルテンシアは焦ったように目を見開いた。
「でもそうじゃないですか」
「ちがっ、いや、ちがくは……いえ、それ以外にもあります!」
「例えば」
「例えば、あ、ほら! 今この瞬間魔獣が現れたら! いざという時ですよね?」
それははじめに言った「いざという時」とは別の意味な気がする、が、オルテンシアの得意気な表情を見た楠は何も言わなかった。
楠の反応に気が付いたのか、オルテンシアは気恥ずかし気に視線を逸らした。
「それに、そもそも陽動飛行隊は壊滅させません」
「させません?」
しません、じゃなくて?
「私たち魔法陣隊が素早く、かつ正確に魔法陣を描き上げますから。陽動飛行隊に過度な負担はかけませんよ」
一転した真面目な眼差しでオルテンシアは言った。
新人の楠を安心させるためとはいえ、これだけハッキリ自信を語ることができるのだ。彼女はよほど自らの部隊、そして自らの役割に誇りを持っているのだろう。




