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ページを捲る。
文章を頭の中に入れて、反復。あれ、さっき似たようなこと、書いてあったような。思い当たる所まで一気にまとめてページを遡った。
室内には旧言語の楽曲が流れている。歌詞の内容はあまり理解できないが、リズムがついた人の声が聞こえる環境そのものに意味があった。静かすぎて落ち着かないということもなく、意識を持っていかれ過ぎるということもない。
目当ての文字列を読み直しながら、楠はストローを咥えた。アイスコーヒー。
「せぇんぱぁい」
甘えた声に顔をあげる。案の定、不満を隠そうともしない膨れっ面の河合が楠を見下ろしていた。
「仕事中でしょ」
「今新しいお客様いないからいいの!」
「良くはないな」
河合は唇を尖らせた。ツッコミを入れながら店内を見渡す。確かにちらほらと客の姿はあれど、注文に並ぶ人は居ないようだった。窓から差し込む西日が眩しい。きゅっ、と目を細めた。
ついでに固まった身体をほぐすべく、ぐっと伸びをする。楠が座るカウンター席の椅子には背凭れが付いていない。倒れないギリギリの角度まで背筋を反った。
そんな楠の頭の上から、声とも言えないような唸り声がする。
「うぅ~」
「唸ってる……」
「なんで……なんで急にお休みとっちゃったんですかぁ!」
わっ、と河合が嘆く。その頭の上をあやすように撫でた。実際に髪を触ることはせず、その上の空気を混ぜる。
「短期バイト的な感じだって。この間も言ったでしょ」
「うちより良い職場なんですかぁ!? うちなら、ほら、わたしがいるし、制服は可愛いし、お給料だって悪くないのに」
「最初に自分を出すのが河合の良いところだよ」
「えへへ、でしょぉ」
褒めると、河合はころっとはにかんだ。つい楠の口元が綻ぶ。
河合の言うことは正しい。
楠はこの店が好きだ。河合がいるし、制服はなんでも良いけど、給料も悪くない。パンもコーヒーも美味しい。店長が選ぶ店内BGMのプレイリストはほど良く楠の好みのリズムだ。
対して、ギルドがここより良い職場かというと……。コーヒーと共に言葉を飲み込む。
「それ、教本ですかぁ?」
河合は小首を傾げながら楠の前、カウンターに広げられた本を覗き込んだ。
「あぁ、うん」
「免許取るんですか! えーいいないいな!」
「あんたバスの座席が好きなんじゃないの」
「そりゃ可愛いですもん!」
さり気なく教本を引き寄せ、閉じる。河合はきらきらと瞳を輝かせ、胸の前で手を組んだ。
「でも、それとこれとは別! ねぇせんぱい、免許取ったら乗せてくださいよぉ。だめ?」
一番可愛らしい角度で楠を見つめてくる。そんな河合に楠は口ごもった。
「駄目、っていうか……」
「んん?」
場所は変わり。
「うー、ん……」
楠は唸りながら地上を見下ろす。だだっ広いコンクリートにラインが引かれている。彷徨わせた視界の端に、日光に照らされる金の髪が映った。
リュカが楠を見上げ、片腕を大きく伸ばす。そして前方を指した。遥か下の彼の表情は見えないが、想像することはできる。叱責の声が飛んでくる前に顔をあげた。
青空だ。今日も天気が良い。だがその景色に見惚れている暇はなかった。
楠の目の前には、ドローンが規則的に浮かんでいる。
「これを、回して……」
そして楠はバイクに乗っていた。その足は空中にぷらりと浮いている。
空高く舞い上がった飛行バイク。それに跨った楠はドローンを睨み、アクセルを回した。
飛行を終え、楠はゆっ、くりと地上に降りてくる。ブレーキをかけ、指定の停止位置に確実にバイクを止めた。ようやく足が地面につく。
教習所の景色も見慣れたものだ。まさか自分が免許を取ることになるとは想像もしていなかったけれど、そんな違和感も今ではすっかり薄れていた。
息を吐く楠の元に、リュカが困った表情をしながら近寄ってきた。
「お疲れ様。あー……」
「待って。言いたいことは分かる」
「あぁ、本当? じゃあ話は早いね」
肩をすくめ、リュカが空を見上げる。楠もその視線の先を追った。
先程まで楠が走っていた、教習用の空中コース。地上コースならばパイロンが置かれている所だが、生憎そいつには飛行性能が無い。よってここでは代わりに、ドローンがその役割を果たしている。……いや、果たしていた。
あれだけ規則正しく浮いていたドローンは、今やすっかりとっ散らかっていた。あちらこちらと不規則に散らばったドローン。その一つがバチッ、と火花を上げた気がして、楠はそっと視線を逸らした。隣のリュカの視線が突き刺さる。
「いくつ目か、覚えてる? あのかわいそうなドローン」
「……いや、でも、これまでは一回につき一つじゃ済まなかったから。もっとたくさん壊れてた」
「なるほどね。壊した、じゃなくて壊れた、って言うところは引っかかるけど、ひとまず褒めて伸ばそうか」
教習所に通うようになった。だが進展という進展はまったく無い。
楠による飛行バイクの免許取得は大変難航していた。
座学については問題ない。
ただ、肝心の飛行が問題だった。
「座学は優秀。地上を走るのも問題なし。あとは上手く飛ぶだけか。うんうん、頑張ってる。すごい! 天才! 流石だぁ」
「そういうのは要らないな……」
「そう? 難しいな」
順調に思えた免許取得までの道は、肝心の飛行訓練に至ってから暗雲が立ち込めていた。
バイクの二輪が地上を離れた瞬間、楠は何故だか上手く飛行バイクを扱えなくなるのだ。
地上ではあれだけ恐れずに出せた速度も。確実に曲がれたカーブも。なんなら真っ直ぐ走るためのバランスすらも。
何故か空中ではどれも出来ない。
楠はもたついたスピードで空を走り、曲がるべき所で盛大に障害物に突っ込み、時には今にも空中に投げ出されそうな角度にまで傾きながら飛行バイクに乗っていた。なんならブレーキをかけるタイミングすらワンテンポ遅いありさまだ。
通常ならば教習官が顔を真っ青にして飛行を禁止するような、とんでもなく悲惨な飛行っぷりだった。事実、楠が初めて空中で身体を傾かせた時、リュカは大声で叫んでいた。それはもう悲痛な叫び。当の楠はというと、その悲鳴をBGMに飛行魔法で自らの身を浮かべ、空中で改めて飛行バイクに乗り直していた。
そんなことを繰り返した結果、リュカもただ楠が暴走飛行をしても叫ばなくなってしまった。それどころか皮肉まで言ってくる。……もしかしたら皮肉ではなく、本気で「すごい」「天才だ」と思っている可能性もあるが。
「因みになんだけど、なんで上手く飛べないかとか、自分で分かってたりする?」
「分かってたらもう飛べてると思う」
「確かにね。うーんそうかぁ」
リュカは腕を組み考え込む。それを横目に楠はもう一度ため息を吐き、飛行バイクを見下ろした。
なんとなく、自分では飛行バイクを乗りこなせないと分かっていた気がする。
根拠があるわけではない。が、これは自分が飛行バスを利用しないのと同じ理屈な気がしていた。言葉で上手く説明できないのだけれど、なんとなく乗りこなせないし、乗りたくない。
とはいえ今のままで良いわけもない。乗りこなせないし乗りたくないこの飛行バイクを、なんとかして早く使えるようにならなければならない。だから分からないことは有識者に聞くしかない。
「……シモンさんは」
「リュカでいいよ。なにせ相方なんだから。ね、シュガー」
話しかけながら見上げた先で、流れるようにウインクを決めるリュカと目が合ってしまった。楠の顔という顔、いたるところに皺が寄る。
そんな失礼な楠の態度にもリュカはカラッと笑った。
「わぁ苦い顔」
「何度も言うんだけど、それやめられないの」
「んー?」
「……」
笑顔のまま肩をすくめるリュカに、楠の皺は増すばかりだ。
このやり取り、初めてではない。




