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「私、店の天井の電球より高く飛んだことないんです」
先程切り出しかねていた心配要素の1つがこれだった。
楠はこれまで飛行魔法を日常的な動作でしか使ってこなかった。目の前の男を助けた時こそ、人の波を手っ取り早くかいくぐるために少し高く飛んでみたが、あれだって電球を変える時より断然低い。ましてや建物より高い空の上なんて飛んだことがなかった。
リュカは驚いたように瞬きをした。そして少し考える。
「うーん、そうですね。高所が苦手?」
「そういうわけではないです」
「じゃあ一度訓練で見てみましょう。魔法をどの程度出力させられるか、自身の限界を知ることは大切ですからね」
その提案に頷く。するとリュカは腕を組み、すっ、と目を眇めた。
「でもそうですねぇ。もしその訓練で、きみの飛行魔法が空からの脱出に耐えられないとなれば……まぁ、諦めてもらうことになるかもしれないですね」
「は?」
急に何を言い出すのか。思わず「は?」なんて失礼な言葉が出てしまった。
だがリュカはそれ自体気にした様子はなく、ただ言葉を続けていく。
「そうでしょう? うちとしても隊員に無茶なことはさせられませんから。十分に任務を遂行できる能力を持つと確認できる人にしか、この仕事は任せられませんよ」
リュカの言葉は筋が通っていると思う。
場合によっては多くの被害が出かねない、危険で、それだけ重要な仕事だ。「は?」などと言ってはしまったが、リュカの立場上厳しくなるのも仕方のないことかもしれない。
楠はじっとリュカを見た。未だによく分からない人だが、彼が陽動飛行隊の隊長であることは事実だ。つまり、これまで任務を遂行してきた人物でもある。
「あなたはその能力を持つ人なんですね」
隊長というからには恐らく誰よりも飛行に長けているのだろう。より高く、持続的な飛行ができるのかもしれない。
楠はこれまで自分以外の飛行魔法を見たことがない。テレビや動画越しなら見たことがあるが、実際に目にしたことはなかった。そう考えると、この変人とのバディにも少し前向きでいられる気がした。
そんなことを考えていると、リュカは曖昧に笑って自らの飛行バイクを撫でた。
「まぁ飛行バイクとは長い付き合いですし」
「ハニーとか言ってましたしね」
「それに俺はすごく運がいいので」
「運?」
突然理屈も何もない単語が出てきた。意図がハッキリしない、よく分からない単語だ。少なくともこんな時に出てくる単語ではない気がする。
困惑する楠に、リュカは笑みを深める。
「はい。運がいいんです。それも俺の命が懸かってる時なんて本当に運がいい」
「……運がいいから、魔獣に襲われないってことですか?」
「いや。寧ろ陽動飛行としては、魔獣にターゲットにされないと仕事になりませんよ」
「じゃあ致命傷にならないとか。あなたにとっても、バイクにとっても」
「きみを不安にはさせたくないけど、実は俺のハニーは襲名制なんだ」
「本当に聞きたくなかった……」
嫌なことを聞いてしまった。そんな呼び名をしておきながら何台もの飛行バイクに同じように愛を囁いているらしい。
顔を顰める楠にリュカは穏やかに微笑むばかりだ。
「じゃあなんですか? 運がいいことと、あなたが陽動飛行隊の隊長をやってること、関係あるとは思えないんですけど」
楠には知る権利があるはずだ。期間限定とはいえ、楠とリュカはバディなのだから。
詰め寄ると、リュカは苦笑して視線を逸らした。
「なんというか、俺は中々死なないんですよ」
「……どういうこと?」
「さっきの、致命傷にならないってやつがある意味近いですかね。俺は運がいいので、命に係わるようなことは避けられるんです」
「避けられ……?」
あまり想像ができない。致命傷は避けられると言いつつ愛用バイクは何台目かのようだし、リュカの言葉だけでは楠の理解は追いつかなかった。頭にハテナが浮かんでしまう。
リュカは咳払いをした。そして自身の左胸を人差し指で指差す。
「例えばですけど」
「急に?」
「今ここで、きみが突然ナイフを構えて俺に突っ込んでくるとするじゃないですか。胸の、心臓の辺りを明確に狙って」
「例えで目の前にいる人間に傷害させようとします?」
本当に急に何を言い出すのだろうか。先程からリュカの言葉の意味が半分も分からない。分からないし、突然リュカに殺意を持っていることにされているし、楠の脳内は大混乱だ。
「まぁまぁ。で、そうしたら、俺は急に転ぶんです」
こいつは何を言っている?
「そこにたまたまあった石に躓いたのかもしれないし、足がもつれたのかもしれない。なんにせよ俺は転ぶ」
リュカはわざとらしく上半身を折った。そして、自身の耳の上辺りにヒュッ、と人差し指を通過させる。
「で、きみのナイフは空を切る。もしくは俺が転んだ時に翻ったマントに穴をあける」
腰を曲げた姿勢のまま、リュカはマントの端を持ち広げた。その布を人差し指で、突く。
楠は無言でそれを見守っていた。
寸劇が終わったのか、リュカは姿勢を正し、パッ、と両手を緩く広げた。
「ほら、運がいい。運よく転んだおかげで、俺は死なずに済んだ」
リュカは、にこやかにそう話をしめた。
なんとなく、なんとなくだが、言っていることは分かった。そこにどんな理屈があるのかはさておき、彼はその運の良さに助けられてきたと言いたいのだろう。
だが一連の彼の説明を聞いて、楠にはどうしても聞きたいことがあった。
「……あの、それ、もしあなたの後ろに人がいたらどうなるんですか?」
もし楠がナイフを持ってリュカに突撃したとして、リュカに避けられた楠は相手も勢いも殺せず、そのまま勢い余ってナイフを突き出す。
その場所に居るのが2人ならまだ良い。では、そこが人混みの中だとしたら? そうじゃなくても他に1人でも人が居たとしたら?
尋ねられたリュカは、たっぷり間を置いて答えた。
「さぁ」
「さぁ、って……それは……」
「俺の運の良さは俺のものですから。自分がくじに当たったからといって、自分の後ろに並んでいた人にもくじが当たるとは限りませんよね」
リュカは飛行バイクを熱心に撫でながら、片手間にそんな話をした。話慣れているとも、興味が薄いとも取れる仕草だった。
楠は遠慮もせずに大きなため息を吐く。そして絞り出すように呟いた。
「最悪だ……」
「あは、気付きました?」
なにが「あは」だ、笑いやがって。楠は、じと、と目の前の奴を見やる。
リュカのマント。やけにほつれが目立つと思ったのだ。よく見れば途中で生地を繋ぎ合わせたような跡もある。きっと、恐らく、8割くらいの確立で正しいが、それらは全てリュカの運とやらによって身代わりになってきたことの証なのだろう。
そしてそのマント、もしくはそれ以外のなにか……例えば髪だとか、服そのものなんてこともあるかもしれないが、それらと同じように、リュカの周囲に存在するものが彼の身代わりになる場合も、多分ある。
楠の視線に気が付いたのか、リュカはわざとらしく首を振った。
「別に、俺の不運を誰かが肩代わりするってわけじゃないですよ。俺の運が、俺の命が無事であることに全力なだけです」
ますます楠の瞼が下がる。半眼の更に半眼だ。そんな目で見られても、リュカは笑うだけだった。
「まぁ俺から言えることはこのくらいですかね。あとは実際やってみないことには分かりません」
どうやら一通りの説明が終わったらしい。
改めて思い返してみても中々の情報量だった。
任務内容だけでも大変だというのに、バディになった奴の事情も大変だ。目の前にその相手が居なければ頭を抱えている。
「さ、どうします? なにか言っておきたいこととか、ありますか?」
リュカは促すように片手をこちらに向けてきた。
言っておきたいこと、言っておきたいことか。
楠は少し考え、ちらとリュカの傍らに佇む飛行バイクを見た。
「あの」
「はい」
「あ、能力云々は今後よく調べてもらって、なんなら訓練もするんですけど」
「え、あ、あー……はい、まぁ……」
「言わなきゃいけないこと、私ももう1つあるんです」
「……はい」
何故だか、リュカはなんともいえない表情をしていた。それに内心首を傾げつつ、楠は飛行バイクを指差す。
「私、免許持ってないです」
「……あー」
なるほど、思い至らなかった。そう言いたげに、リュカは気の抜けた声を出した。




