第一話 始まりの鐘が鳴る
「好きです。付き合ってください」
浅はかな、なんて愚かな私の愚行。
中学三年間ずっと片思いをしていた、学年一モテる同級生の男子にその日告白をした。
「ごめん。俺、彼女いるんだ」
嗚呼、桜が綺麗に散っている。
ありきたりな返答でフラれた私は。卒業式、桜の木の下でハンカチで顔を隠して一人泣いた。
これは紛れもない黒歴史というやつだ。
少し時を戻そう。
私は三日前に近所の商店街の一角にあった、いかにも怪しげな占い師の出店を通りかかった。
「アラ、そこのお嬢さん」
「えっわ、私のこと?」
黒いベールを被り、黒いドレスを身に纏う老女は水晶玉を両手で抱えて丸いテーブルの椅子に座っていた。
「そうそう。貴方、中学生の可愛らしいお嬢さん。ひとつ、占ってさしあげましょう」
いかにも、いかにも怪しい老女の言葉に私、籏梨朱里亜は無視をして通り過ぎようかと最初思っていた。
「フフ。心配しなくても占いはタダ、無料ですよ。ただし、一回だけ。どうですか、お嬢さん」
タダ。無料。タダより高いものは無い、そんな言葉をどこかで聞いた気がする。だが、しかし。
「一回だけなら」
言ってしまった。くっ女子は無料に弱いのよ。私は学生鞄を膝の上に置いて、占い師の向かいの席に座る。
「貴方の名前は【ジュリア】ですね?」
「えっ!?なんで分かったの、アンタ!」
黒いベールのせいで顔の上半分が隠れている老女は、私の名前をいとも簡単に当ててきた。
水晶玉は透明で、私の驚いた顔を映している。
「フフ。そんなコト、簡単に分かりますよ。本題はこれからです」
どこからどう見ても胡散臭い老女は水晶玉に念じるようになにかを唱え出す。
「出ました。これから三日後の卒業式に、最愛の異性に告白してください」
「はぁっ?!卒業式に告白ぅっ?!しかも、最愛って!」
思わず叫び、立ち上がった私は、我に返って周囲を見回す。
不思議なことにいつもはそれなりに人がいる商店街は閑散としていて、周りは老女と私の二人きりになっていた。
「必ず、実行してください。そうすれば、貴方の恋は絶対実ります」
老女からどこか有無を言わさない気迫を感じ、私は何故か頷いてしまう。
「フフ。いいですか、絶対ですよ?」
「分かった、分かったわよ!だから、もうかえ・・」
もう帰っていいか、と言いかけて目の前を見ると、そこには老女ではなく幼い少年がボールを手に立っていた。
「なに、お姉ちゃんどうしたの?」
「えっどうしたって、」
ガヤガヤガヤ。少年に声を掛けられてから急に周囲が騒がしくなる。
魚屋のおじさん、八百屋のおじさん、ティッシュ配りのお兄さんと並んで歩くおばさん達の笑い声。
まるで白昼夢でも見ていたかのように、占い師の老女とテーブルセットは消えており、ただ鞄を地面に落として立っている私がそこにいた。
その日、どうやって家まで帰ってきたのかよく覚えていない。
「あ、んの!くそ占い師っ!!」
ピンク色のキャリーケースを蹴飛ばして私は叫ぶ。
インチキ占い師の言う通りに告白をした私の恋は実らず、桜の花弁の様に儚く散っていったのだ。
その日から私は絶望し、世界の全てを呪った。
生きている意味が無いと本気で思ってしまう程に。
「え~次は氷穴~。氷穴です~お降りの際は~」
そんなこんなで私は高校生活が始まる前に家を飛び出し、富士の樹海を目指してバスに乗っていた。
目的は勿論、この世との決別・・所謂、自殺というやつだ。
そろそろ目的地近くの停留所である。私は降りるボタンを押そうと右手を伸ばした。その時。
ドンッガガッガッシャーンッ
いきなり車体が揺れ、一瞬で全身が横に移動するのと同時に大きな衝突音と回る視界。
「・・・かッ・・は・・・」
何かに100メートル飛ばされたかのような衝撃と全身の激しい痛みで目を開く。
バスの中は地獄絵図と化していた。他の乗客達は私と同じく全身を強打しているのか、血を流しているのか、臓物を曝け出しているのか、視界は赤く茶色くグチャグチャだった。
これは事故だろうか。ツイていない。誰か生きているのか、死んでいるのか、濁る視界では分からなかった。
「・・ふっ・・・ぅ゛・・・」
ただ、一つ分かるのは、私の首に大きなガラス片がぶっ刺さっていることだった。
恐らく、割れた窓ガラスによるものだろう。本当にツイていない。これでは私は死んでしまうだろう。
何故、今更死んでしまう、等と思うのだろうか。私は死にに逝くためにこのバスに乗ったのではないか。
全身が痛くて指一本も動かせそうにない。果たして今、私の四肢はちゃんと繋がっているのかも怪しい。
【死】とはこんなにも苦しいことなのだろうか?いや、これは【死】の一歩手前である。私はまだかろうじて息をしている。
だが、それももう持たないだろうことは嫌でも分かる。
不思議と涙が零れた。遂に視界はこれで崩壊した。
匂いは血の匂いとこげ臭い匂いがする。舌からは血の味がする。冷たく固い金属とガラスに触れている感触はある。耳は頭に繋がっているか分からない。
これで、このバスの中か外かも分からぬ場所で私は死ぬのだろうか。富士の樹海ではなく。
「・・っ・・・!」
何かを言おうとして声は出せないことが分かった。耳も風のような音を聴かせるだけで機能しているのかは定かではない。
これで全て終わり。すべて終わりだ、ジ・エンドというやつだ。
私はとうとう【死ぬ】覚悟を決めた。実のところ、今まで半分冗談で家出したようなものだったのだ。
だが、もうこの状況で私が生き残る希望は残されてはいない。さぁ、後は死神が迎えに来てくれるのを待つだけだ。
ふ、と最期に笑ってしまいそうになる。
もし、このバスに乗っていなかったら、私は明日もその先も平然と生きていられたのだ。
それが『幸せ』でなければ、何が『幸せ』と呼べるのだろうか?
なんて未練タラタラの状態で最期を終えるのだろう、私は。
もし、もしも―
「もしも、別の何かに生まれ変わったら」
風のような音は止んでいて、聞き覚えのある声が私の脳に響く。
「きっと人生変わっていたかもしれない」
それは、その声はあのインチキ占い師の声に間違いなく。
「ならば、生まれ変わりましょう。別の世界で」
何を言っているのだろう、というか何故声が聞こえるのだろう。別の世界?生まれ変わる?
「さぁ、ジュリア。始めましょう、この『ラウンドバード』で」
❝ラウンドバード❞?
ビュオオオオォー
耳が強風の音を拾う。あれ?私は、まだ生きていたのか。
「なんか、下に向かって落ちてるような・・ってアレ?声が」
驚いて首に両手で触れると、ガラス片は刺さっていなかった。それより両手が動く。
目を開き、見えたのは青い青い空と眩しい太陽と、一羽の青い鳥が飛んでいるところだった。
「って!!!やっぱり、空から下へ向かって落ちてるぅうううう?!」
雲を通り抜けて斜め下を向くと、海と大地らしき地形が窺える。
「どっどどどどうする?!このままだと・・」
どんどんと海と大地に近づいていく。海に落ちれば生き残る可能性もあるが、高さが高さだ。ショック死という可能性もある。まず、岸まで泳げるだろうか。
「また?また私は死ぬの?!」
かろうじて見える下界は建築物のようなものがそこかしこに建っている。
「マジか。私、❝また❞死ぬの?」
『ラウンドバード』のワルキューレ王国首都【オーレル】の大聖堂の前で一人の青年が立っていた。
「なんだ、あれは?」
青年は大聖堂前の噴水広場から空を仰ぎ見ると、まるで流れ星のように空から落ちていく白い点を発見する。
その白い点は光り輝いており、隕石のように地上へ向かって、いや、この大聖堂へ向かって落下していた。
「これは、まずいぞ!」
金髪の青年は落下する白い点の最終的な落下地点を予測する。
噴水からやや右の5メートル。位置を予測すると、青年はすぐさま落下地点へと移動する。
そして、両手を輝く白い点へ向けて掲げると詠唱を開始する。
「大地よ、天よ、我が声に呼応せよっ!【グラビティ・フロート】!!!!!」
青年の両手から黒紫色の球体が現れ、青年の身の丈以上に肥大していく。
光り輝く白い点が流星の如く、凄まじいスピードで青年へ向かっていき、激突する。
ドゴオオオオォンッ
青年を中心に周囲の地面が地震のように揺れ、砂埃と強風を巻き起こす。
「キャー!」
「なっなんだ!?」
噴水広場と大聖堂の入り口付近にいた者達は皆、一様に騒ぎ出す。
砂埃と風が治まると、青年は己の両腕が不思議と重い事に気づく。
「うっそ。私、生きてるの?」
青年が両腕に抱えていた何かは言葉を喋った。それもその筈、青年の瞳にウルフカットの跳ねた黒髪が映る。
「キミは・・誰だ?」
私は地面に激突して死ぬ寸前、よく分からない何かのおかげで金髪の青年の両腕にキャッチされ、ことなきを得る。
リンゴーン、リンゴーン
2人の頭上で正午を知らせる大聖堂の鐘が祝福するかのように高らかに鳴っている。
こうして私、籏梨朱里亜はこの時、後に夫となる勇者ロラン・イーリアスとの初めての邂逅を果たすことになる。