6 「海角へ」
6 「海角へ」
再び六月二十二日金曜日・いまは晴れ
天涯の天頂中央駅のケーブル列車乗り場は、人もまばらだった。
三時二分。 結局走ったので、最初の予定通り、発車三分前にホームへ到着。
運賃は一律。 乗る時に車掌に渡すから切符は要らない。
古ぼけた赤い列車は、疲れてうたたねでもするかのように、明るい象牙色のホームに横たわっている。 なんでも、百年以上働いているという車両らしいから、それは疲れもするだろう。 そんなお年寄りが毎日八回、山を上り下りさせられたら。
夕刻の方が近いこの時間、天涯から海角へ向かう便に乗る客は少ない。
どちらかというと、天涯へ、煌く夜景を見に来る海角のカップルの方が多い。 水平線に沈む夕陽や眼下に広がる海角の街灯りを眺め、肩を寄せ合いいちゃついている姿を、たまにバルコニーから目撃する。
観察者の僕にいわせれば、眼前の景色が本当に目に入っているのかは、甚だ怪しいと思う。 特に、男は微妙と思うこと多数回。
まあ、それ以外にも、純粋に夜景や星空を見に来る愛好家もいる。
天涯は島一番高い場所にあるし、建物はどれも低めなので、住宅街からちょっと外れたら、どこからでも海が奇麗に見える。 空も広々としていて街灯も少なめなので、星座観測にももってこいだと思う。
海角は逆に、建物が密集しすぎていて、近くに見えるはずの海は、方形に切り取られた僅かな幅しか見えず、空も四角い箱の底だ。 天涯とは実に対照的。
この対照的なふたつの町をつなぐ列車内は、天涯でも海角でもない。
だけど、天涯から乗る僕には、ほんの少しだけ、海角の臭いが乗り込んでいる気がして、くすんだ緑のシートに座ったとたん、始めて郊外遠足に行った時のように、どうしようもなくワクワクしてしまう。 これが、何回乗っても全く変わらずに感じるのだから、僕は、海角へ行くことが真実嬉しいのだと実感する。
いつものシートに大きめの鞄を置くと、かちん、と硬い音がたつ。 慌てて鞄を開いて、さっき入れた大切な物が割れたり、ひびがいったりしていないかを確認。 大丈夫だ。
僕が座って少しすると、女生徒が三人乗り込んできた。 僕の斜向かいのシートに席を定めた様子。 腰を下ろすか下ろさないかの内に、賑やかに、というよりは騒がしく、自分達の話に夢中になる。
「ねぇ、聞いた? B班のあの子。 何か変な化物に憑かれて、眠ると悪夢にうなされて、半狂乱になって手に負えなかった、って話」
「ああ、聞いたわ。 それあの半年近く休んでるとかいう、地味眼鏡っ子でしょ? すっごく大人しくて静かで、いるかいないかわかんないの。 想像できないよね? あの子が、すごい奇声を上げたり泣き叫んだり、なんてさ。 でもホントだったって、あの子の家の前まで行ってみたって子が言ってた。 中から聞こえてくる声がさ、まるで怪獣かなんかみたいで、すっごい気味悪くて怖かったって」
「そうなんだ。 でもさ、なんかあるツテ?っての? それで、その筋で有名な祈祷師に昨日診てもらったら、すっかり治ったって。 ウソみたいにすっきり、元通りの大人しい静かな子に戻ったって。 今朝担任の先生が様子を見に行って、すごく安心したって、帰りのホームルームで班の皆に話したって。 来週から学校にも出て来るんだってさ」
「なにそれぇ、本当? すごいウソっぽくない? だいたい祈祷師なんてのが、むっちゃ怪しいし、それ実は、もぐりの詐欺師とかってオチじゃない?」
「知らないけど、そこの祈祷師は本物だって。前に他でも聞いたことあるよ、あたし。 海角にいる、結構昔から有名な人なんだって。 でもね、ぜったい姿は人に見せないんだって。 そのB班の子の時も、その祈祷師は、家族の知らない夜の内に来て、憑き物を祓って、知らないうちに帰って行ったんだって。 でもね、なんか噂では、すっごいイイ男なんだってよ。 でね、その祈祷師は他にも、恋愛相談とか、色んな悩みも一発で叶えてくれるって。 そこに依頼すれば、なんでもすっごくスッキリ解決するんだって!」
「ウソっ、それホントなら、ちょっとかなり興味ない? しかも、イイ男ってのがホントなら、かなりポイント高くない?」
「高いたかいっ!」
「そうでしょう! でも、その人の店が何処にあるのか、わかんないのよね。 なんか、その祈祷とは別に、裏の仕事をしてるんだって。 それがさ――」
「きゃ―、それマジでやばそうな話じゃない? すっごい怪しぃ。 でも、ホンとその人んところ、行ってみたいよね。 どんな強面な人だろ? マフィアの幹部っていったら、やっぱり年は結構いってて、渋くてダンディで――」
嫌でも耳に入るあまりの話に、思わず失笑。 瞬間、彼女達の視線が僕へと集まる。 まさに地獄耳。
が、そこはそれ、咳を数回して、周囲の人に申し訳ない、という顔をして頭を軽く下げる。 と、彼女達は自分達の話しに再び没頭。 まるで火が点けられた花火。 筒から飛び出し、自分達の話の花を咲かせることにしか意識は向いていない。 導火線をちょん切るには、並みのハサミでは無理だろう。 いや、花火に例えると花火が可哀相だから、例えるならダイナマイト? そのお気楽勝手なお喋りで、周囲の静寂を吹き飛ばし、第三者の感情に欠片が突き刺さる可能性など、微塵も想像しない。 もし想像していたとしても、頓着はしないんだろう。
「――にしても、噂は怖いね」
音に出ない程度に呟いてみる。
彼女達の話題の「その祈祷師」のいる「その店」は、間違いなく、これから僕が向かう〈けしもの屋〉こと〈百彩堂〉のこと。
しかし、世の一般の人々には、〈けしもの屋〉は、「消しゴムだ修正液だの〝消しもの〟だけを扱っている、冴えない潰れかけの文具屋」としか認識されておらず、その『実際』の仕事は知られていない。 〈けしもの〉仕事を依頼してきた客だって、後金(料金は前金と後金に分けて請求をしている)を回収した後に、〈けしもの屋〉の所在と依頼時に対面した人間の記憶は消させていただく決まりになっているので、正しく知られていないのは当然のこと。
とは言っても、噂の種は常に存在し、かつ、逞しく育つ。 彼女達の噂話はその証明。
ただ、この種は決して正しくは育たず、適当な枝葉を伸ばした都市伝説と化す。
真実の〈けしもの屋〉の〈けしもの〉仕事は、極限られた人だけが知っている。 知らない人は一生知ることはない、裏の裏の裏の裏の世界の稼業。――と、言いつつ、過去の日誌を読み見進めば進むほど、妙に普通な雑用仕事も、かなり請けているということが判明。 ……まあ、きっと何かしらの理由あってのことだろう。 表稼業(になっているか?)の文房具の販売が伸びない(というより、まったく売れない)のだから、資金稼ぎの為に請けた、と言う可能性もある。 〈百彩堂〉の建物は玄青老板の所有だけれど、光熱費住民税その他諸々、を払わなければいけないのだから、最低限の収入は確保しなくてはならない。 いくら世間から大きくずれているお師匠やあの従業員達でも、それくらいは考えているのだろう。 多分……。
嫌でも入ってくる彼女達の話に、心中大爆笑を連発していたら、発車のベルが鳴った。
三時五分、定刻。 海角へ向け出発だ。
大きく息を吸い込むと、僕は首を締め付けていたネクタイをするりと外す。
これで、もっと楽に空気を吸い込める。
車窓に広がる豊かな緑の間に、時々程度に見え隠れしていた建物が、進むに従い緑よりその数を増していく。 風景の変化を見ながら、ゴトンゴトトンと揺れる列車と椅子のきしむ音を楽しんでいる内に、海角中環駅に到着。 天頂中央駅から十分弱。
島のちょうど二合目程に位置する中環駅から、目的の天橋路までは、徒歩でこれまた十分くらい。
列車を下りた途端、熱気を帯びた臭いと音に包まれる。
臭い、というより空気自体の体臭ならぬ空気臭? ムゥッと蒸れていて、とにかく空気自体が重い。 その重みに似合った、様々が溶け込んだ臭い。 生活感がある、と言えばよいのかもしれない。
真逆に、天涯は臭いや音が殆どない。
季節の花の香りや、時々、どこかの御婦人が焚いている雅なお香の匂いなんかはあるけれど、他にこれといった癖のある臭いはない。
聞こえる音も、風に揺れる常緑樹の葉擦れかピアノの音、あとはお上品な笑い声がほんの時々、広い庭先の何処からか微かに聞こえるくらいで、とにかく、とても無味乾燥な印象。 静寂を求める人にはお勧めだ。
中環駅の改札を抜け、駅前大路へ一歩。
途端、視界がぎゅうぎゅうと狭く、暑苦しいものになる。
どこから湧いてくるのか、物凄い人・人・人の波。 その人達が、みんな好き勝手に、声を落とすことなく喋る音量たるや、解体工事現場の音にも負けないんじゃないかと思う。
天橋路までの路は、十四・五階建ての古いビルに囲まれた、緩やかな下り坂が延々と続く。 その坂道沿いには、色々な店が軒を並べている。 揚げ物を売る店、モツの煮込みを売る屋台、切花や果物を切り売りしている店。 その横には、派手な色の安っぽい服や雑貨が、軒先に吊るし売られている。
そんな臭いや色彩より何より、店の人と客との駆け引きの声の大きさに、始めて来た時には驚いた。 だって、何も知らなかったら、喧嘩をしているようにしか聞こえないのだから。
人また人で賑わう大路を抜け、目的地へ向け下っていく。 下るにつれ、路は車道と歩道の区別がなくなり狭くなる。 狭くなるにつれ、人口密度も低くなる。
細い路地を幾度か曲がり、海角では珍しく太陽と海が同時に拝める路を抜けると、最後の角を曲がる。 ここまでくると人影はまばらもまばら、人が住んでいるのかも怪しく感じる静けさと肌寒さ。
すっと、背中に殺気。
ここ一ヶ月で身に付けた条件反射。 振り向きざまに鞄を前方へ突き出し、頭を少し右後方へ反らせる。
カッ、と、鞄のど真ん中に銀の小刀が突き立つ。 こういう場合に備え、鞄は硬質の皮革製。 飛んで来る凶器を、一定で受け止める強度と柔軟性。 弾き飛ばして、凶器を凶手に返すなんて親切をしてはならない。
パンパンと、間の開く拍手が路地に響く。
「――へえ? 丁稚も、なかなかやるようになったじゃねえか?」
出たな、歩く凶器。 しかし何故店の外?
理由詮索はさておき、鞄に突き立つ銀の小刀を抜きながら、僕は笑顔でこの憎――もとい、ソリの合わない先輩へ視線を向ける。
「白獏大先輩。 こういうモノ。 投げて寄越すの、止めてくれませんか?」
全身白ずくめの白獏は、その涼やか無表情のまま、ボールを投げるように右手を軽く、素早く振る。
銀光が顔の真横を走る。 間髪入れず、背後の壁に硬い何か、が突き立つ音が聞こえる。
白獏の、白に近い銀眼が細められる。
手には、更に数本の小刀が光る。
「俺に、何か、言ったか――?」
「――いえ、何も言ってません」
これ以上口ごたえなどした日には、命が五十あっても足りない。 店の目前で、無駄な命のやり取りなどしたくはない。 話題転換。
「そ、それにしても、白獏が昼間から外に出ているなんて珍しいね? 昨日の夜、〈仕事〉だったんだろう? 店番は誰が?」
〈仕事〉後の昼間、白獏は必ず寝ている。 いや、正確に言えば、〈仕事〉後であろうとなかろうと、昼間は寝ている。 それが例え店番中だとしても、寝る。 店番、という名の昼寝タイム。 夜行性なのか何なのか知らないけれど、人員削減検討中の一般的事業所ならば確実、第一候補になれる。
そんな夜行性白獏の、鋭利な視線が僕を貫く。 「考えれば判るだろうがド阿呆」と、無言の批判と威圧。
お師匠が店番をするのは、嵐の最中くらい。
今日は晴れ、だ。