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けしもの屋日誌  作者:
6/23

5 「天堂島のこと」


   5 「天堂島のこと」


   日時前同・天気同様


 大雑把に言えば、背の高い巨大な台形型の天堂島は、いわゆる富裕層の暮らす高級な居住地区と、標準所得から下の人達が暮らす下町に、きっぱりと分かれている。


 『天堂』っていうのは『天国』という意味だと聞いたことがあるけれど、それでいくと、この島は『天国の島』、ということになる。

 そんな大層な名を誰が付けたのか、《天堂島史》を見る限り定かではない。 ただ、誰も変名しようとしなかったのだから、その名に相応しい魅力がある、と、ある一定以上の人間が認めたのだろう。 もしくは、名前なんてどうでもよかったか、のどちらか。

 僕はおそらく、後者だと思っている。


 穏やかな紺碧の海に四方を囲まれ、四季を通して鳥がさえずり、花が彩る、生命に溢れた海上の楽園。

 まるで、旅行会社の広告文句のようだ。 確かに、魅力は十分ある島だと思う。


 しかし、実際にこの島に暮らしてみれば解る。

 夏季の半端ない蒸し暑さに加え、衣服の上からでも貪欲に血を吸う凶暴な蚊、太古からほぼ変わらぬ姿で生き続けているという、人間を恐れずそこかしこを這い回る巨大ゴキブリ、買って来たばかりの麺包(パン)や月餅の包みを喰い破り、中身の一部のみを盗み喰う鼠等々に、辟易(へきえき)する人は少なくないと思う。

 もちろん、それらいわゆる「害虫」「害獣」に、僕が自宅で遭遇することはない。

 僕のただ一人の同居者であり、結城家に仕える執事の大井は、結城家邸内への無断侵入を、何者に対してであれ赦すことはない。

 (よわい)八十を遥か超えても、一流は一流なのだ。


 話はやや逸れたけれど、《天堂島史》によると、島の生い立ちは以下のようなものだ。


 昔、世界のあちこちで悲惨な戦争が勃発していた時代。 「絶望」という最悪の病が世の人々の間に流行ってしまっていたらしい。

 そんな闇の時代、はるか東南の小さな島に、人々の眼は向けられた。

 『天国の島』という、たまたまな名前に、人々は心の拠り所を求めたのだろう、と、記憶に定かでない僕の曽祖父が言っていた気がする。

 東南の海上にある『天国の島』に、この世の楽園を求め、島の外から入ってきた人々は、自分達の理想とする居住の場所を、天国の島の上へ上へと求めていった。 山の裾から這い上がるように、より高く、より天に近い眺めの良い場所を求め、山を切り拓いていった。


〈天に近いほど、神へ近い地。 近ければ近いほど、より、願いも届き易い〉


 なんて、どう考えても、安易安直に過ぎると思う話を、当時の人々は真剣に信じていたらしく、金に糸目もつけず、高台の――現在僕も住んでいる『天涯』の土地を拓き、競うように自分のものにしていったのだとか。

 その結果天涯は、非現実的な程に、整然と美しい、当時の人々の理想を詰め込んだ高級住宅街として、島の頂きに誕生した。

 瀟洒(しょうしゃ)な洋館の白い壁と、それを取り囲む木々の緑に鮮やかな赤や黄の花が、人の手で整えられ絢爛(けんらん)に咲き誇る様は、一枚の風景画のようだと思う。 その絵が好みか好みでないか、は別の話だけれど。


 天涯を造る段階で、外地からの荷材積み入れ港となった小さな入り江は、建設作業に従事する為島にやってきた各地の出稼ぎ労働者達が、いつの間にか、雑然としつつも気楽で活気のある町『海角』を造っていた。

 生まれたばかりの海角は、天堂島の裾に付いた小さな染み程だったけれど、(つる)性の植物が蔓を伸ばすように、まず島の沿岸をぐるりと取り巻き、更には天涯へと続く山の中腹付近まで、生命力豊かに成長をしていった。

 天涯の人々に言わせると「海角が天涯を侵食している」のだそうだけれど、何を言われても海角の住人達は全く気にしない。 「とったもん勝ち」だと、海角の威勢のいい兄さん達は言う。 実際、文句があっても、天涯の上品でひょろひょろの小父さん達と、海角の、大声で喧嘩ッ早い人達とでは、話し合いにならないことに、一年分の小遣いをかけてもいい。


 もっとも、天涯と海角が出来たのは、僕が生まれる遥かずっと以前のこと、歴史の教科書に掲載される程古い話だから、その本当の経緯なんて分かりはしない。 けれど、天堂島が『天涯』と『海角』のふたつに別れていることは明々白々の事実であり、ずっと、変っていないことだ。

 憎しみ合った末、などという理由で分かれているのではないから、別にいいんだけど。

 現在、往き来は自由、無制限なのだから。


 ちなみに、僕の家は天涯の天涯路(一番通り)の一番地の一角を丸々占めている。

 三階のバルコニーから見える水平線の眺めは、ちょっと自慢に思えるけれど、その他は、別に部屋数が二・三十あろうと、裏の庭園に厩舎があって、屋敷裏の馬場では、毛並みの良い四頭がゆったり駆けていようと、僕にはどうでもよいことだ。


 いまの僕の頭の八割は、天橋路九段にあるあの店のことに占められている。

 奉公先であり、修行の場であり、あらゆる楽しみの詰まった、僕の楽地。


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