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けしもの屋日誌  作者:
4/23

3 「初・現場見学 其の弐」

   3 「初・現場見学 其の弐」


   同・六月十五日土曜日 満月夜



 〈けしもの〉の仕事とは何か、と問われると、回答に困ってしまう。

 実は僕もまだ、ちゃんとした仕事内容を把握してはいない。

 何と言っても、奉公を始めてまだ一ヶ月。

 おまけに学生と兼業なもので、なかなか思うように奉公出来ていないのが実情。 早く夏期休暇に入って欲しいと、指折り数えている日々だ。


 そんな不自由な新米の僕に、お師匠は〈百彩堂〉の店番の仕事に加え、過去の〈けしもの〉仕事の業務日誌整理を割り当ててくれている。 古い日誌が劣化して読めなくなる前に、複写して予備保管するための作業だ。

 過去の日誌を遡って読んでいけば、この仕事について、僕が早く理解が出来るだろうというお師匠の優しい配慮だ。


 そこから見えてくる業務内容を簡潔に言えば、〈依頼者の依頼したものを消す〉こと。

 店のあだ名そのまんま。

 〈消す〉ことが仕事。

 世の中、遺失物や尋ね人を「探し出す」ことを業務内容とする企業や個人は多々あれど、〈消す〉ことを主要業務とする店ってのは、ありそうであまりない気がする。


 何を消すのかというと、それは僕もまだ日誌の一部しか読んでいないので言いきれない。

 何と言っても〈百彩堂(けしもの屋)〉は、五百年近い歴史を誇る老舗。 歴史が長ければ日誌も分厚い。 一言で説明しきるには、扱う内容が広すぎる。

 今まで読んだ日誌にあった〈けしもの〉の仕事内容を挙げると――


 書き損じた書類の文字削除、水周りの湯垢の除去にカビ取り、庭木に湧いた害虫駆除、公園の除草、壁の落書き消し、表に出てはまずい裏帳簿の完全廃棄、過去の忌まわしい記憶の消去、怨念の昇華、呪詛の解除、妖怪退治に悪霊退散――

 ちなみに、今日の依頼は悪夢の消去。


 と、この通り。 何がなんだか内容不明のものも多く、町の便利屋並みの雑多さだ。

 おまけに、過去の日誌の中には、あまりに雑に書かれたがゆえ判読できない(ページ)多数。(お師匠は、この読解不能の頁の解読を、僕に期待しているのかもしれない。)

 完璧に読み解くには時間がかかる。

 日誌を読んで勉強することは必要だと思う。 けれど、やはり現場に出て、自分の目で見て耳で聞かない事には完全な理解はあり得ないと、日誌を読み進むほどに僕は思った。

 百聞は一見に如かず、なのだから。


 そこで僕はお師匠に、現場にも連れて行って下さいと懇願した。

 お師匠はふたつ返事で了承してくれた。

 そして、今夜の現場見学が実現したというわけだ。

 激しく嫌がり抵抗する白獏(しろばく)を、お師匠がなだめ(すか)(おど)して、同道の同意を取り付けてくれたのだから、僕もしっかり学ばなくては、白獏に本当に喰われかねない。



「――うぅううぅ――うあぁあうあぁ――」


 依頼者の口から、悲鳴とも呻きともつかない声が突然漏れ出す。 考え事に気を取られていた所為(せい)もあり、びくっと身体が反応、心拍数も上昇。 心臓の音が大きく聞こえるって、こういうことなのかと実感。


「来たんだ――」


 白獏の集中を乱さないよう、僕は声を潜める。 ほんの微細な変化も見逃すまいと、目を皿にして白獏と依頼者の変化を見つめる。

 記録用のノートも用意していたけれど、書き取るには手元が暗すぎる。 しっかり見て記憶するしかない、ということだ。


「ああぁああ――うぅぅううわぁああ――」


 依頼者の形相はいよいよ険しい。 身体を震わせ、時々大きな痙攣(けいれん)を起こす。 白獏のかけた呪いのためか、依頼者の身体はベッドに縛り付けられたように真っ直ぐな姿勢を保っているが、その真っ直ぐな姿勢のまま引きつけを起こし、身体を逆エビに反らせたりして呻く様が、まるで、心霊現象の特番を見ているみたい。 「ただいま憑依中」と、テロップをいれて茶化したくなる。 茶化さないと、はっきり言ってただひたすら肝が縮む怖いだけの光景。


「あ……光――」


 白獏の額に光が灯り、その光は次第に白獏の身体全体に広がっていく。

 五分もしないうちに、白獏は全身が蛍のように淡く光り暗闇に浮かび上がる。 更に数分、白獏の発する光は依頼主の身体をも包むように広がっていった。

 白獏の光に包まれ始めると、苦しんでいた依頼主の呻きは小さくなり、痙攣も次第に小さくなっていく。


 白獏の顔が一瞬歪む。

 眉間に皺を寄せ、非常に集中している様子。

 依頼主の頭の左右に添えていた手を、白獏はゆっくりと額の上に移動させた。 それから、何かを引きずり出そうとするかのように、額の上で右手をゆっくり上下させた。

 数回目の動作の時、ずるりと、灰色の煙のようなモヤモヤが、引き抜かれる芋のように依頼主の額から出てきた。 抜かれたモヤモヤは、額の上で渦を巻き始める。

 禍々しい。 という表現を使うにぴったりな、おどろおどろしい黒と灰色のマーブル模様の渦は、次第に雨雲の様な塊となり、天井に伸び上がるように成長していく。

 伸びると共に、雲の中心から、ぞっとする、不気味な女性(?)の呻き声か恨み言かがぶつりぶつりと、途切れ途切れに聞こえてきた。 これまた心霊番組の「こんな声が――」みたいな、低い、ビブラートのかかったおどろ声。 言っている言葉は意味不明だけれど、良い内容ではないだろう。 どう聞いても、恨み辛みたっぷり、といった響きだから。


 白獏の右手の動きが止まり、額から出るモヤモヤも品切れしたのか、ぷつっと出なくなった。 依頼主の上にはいま、縦長の雨雲がとぐろを巻いている。


「――う……んん」


 依頼者が突然もぞと動いて瞼を擦り始めた。 更に「うぅん」と間抜けた寝ぼけ声を出すと、瞼がぴくぴくと痙攣するように動き――半開きに――。


(さい)っ」

「はいっ」


 パンっ、と、乾いた音が室内に響く。

 先輩の鋭い指令に、僕の身体は本人の思考とは無関係に従った。 僕の非力でも威力増幅できる〈巨大扇子〉が依頼主の額に吸い込まれた結果、見事、依頼主は再び眠りに落ちた。

 〈けしもの〉作業は外部の人には見せないのが鉄則。 例え依頼者でも、だ。 依頼主のおでこ。 明日アザになっていないと良いけれど、ま、少なくとも何があったかは覚えていないだろう。

 しばらくすると、依頼主は穏やかな寝息を立て始め、それは瞬く間に巨大いびきに変化した。 命に別状はない。 一安心だ。


 僕が依頼主の再入眠を確認している間、白獏は依頼主の額から出したマーブルな雨雲の裾を掴み、切れ長の銀眼で睨みつけていた。


「それが、依頼主の言っていた夢の〝化物〟? 正体は何? 死人――幽霊なの?」


 恐る恐る聞く僕に、白獏は不機嫌な険しい視線だけを投げ返す。


「あんの爺ィ。 こんな下らん依頼受けやがって。 こんな無節操下衆野郎が眠れなかろうが、女に祟り殺されようが、なんの問題があるってんだ。 二十、いや、三十人近くいるか。 色魔か、こいつは」


 意味不明の台詞(せりふ)を吐きながら、白獏は嫌悪感丸出しに依頼者の頭を殴った。 それでも依頼者は目覚めない。 熟睡ってすごい。


「何が、二十や三十人?」


「この野郎がこの寝台に連れ込んだ女の数」 


 さらりと大人な世界の話をされたようだが、反応の返しようがないので要点のみ聞く。


「――で、その女の人達と、その雨雲の関係は?」


 ベッドから飛び降りると、白獏はぐにゃぐにゃ動く雨雲お化けの裾を放した。 意外にも雨雲は、白獏の傍からは離れない。


「連れ込まれた女のどいつかが、術師でも雇って低級夢魔を送り込んだんだろうさ。 その低級が、この寝台に残っていた女共の思念を喰って成長した姿がこれだ。 毎晩この男の夢に現れる化物の正体さ。 おい、猫。 開放して見せてやるから、お望みの体験学習でもしな」


「え? え、え、えぇー―」


 不機嫌な白獏の声が終わらぬうちに、雨雲の中からぬるりとした物体が現れた。 髪の長い女性のような姿をしたそれには、身体中に目があり、身体中に口があった。

 全身に油を塗ったつるつる光る黒ゴム人間が、ぬらぬらと軟体動物のようにくねりながら、呻き声や悲鳴、愚痴悪態を口々に吐き出している。

 はっきり言って気持ちが悪い、の一言に尽きる。 かなりグロテスク。


「そ、そ、そそ、それ、むまって、黒ゴム人間――うわ、わわっ」


 たくさんの目玉が一斉に僕を見た。

 よくよく見ると、ある目は涙を流し、ある目は血走り、ある目は怒りにつり上がり、と微妙に表情?があった。 口はそれぞれに、叫んだり笑ったり泣いたりと、騒々しい事この上なしだけれど、言葉としては全く成り立っていない。 ただ、物凄い怨念というか、執念を感じるのは気のせいだろうか……。

 思わず凝視する僕と、たくさんの目玉の視線が交差してしまった。 案の定ゴム人間は、僕の方へ向かいゆらりと手を突き出した。


 ゴム人間から僕の立つ位置までは三メートルちょっと。 普通なら届くはずない距離なのに、そこはさすがゴム人間。 腕をぐぅん、と伸ばし始め、届くはずない僕の鼻先にまで、ぬらりと光る手を伸ばしてきた。

 伸ばされてくる掌にまで目玉と口があることを発見。 またまた怖いもの見たさで見てしまう、哀しい自分の性を実感。

 お陰で逃げ遅れて、手はすぐ目の前に来てしまった。


「――……っ――っ――……」


 どういう叫び声を上げてよいか分からず、無意味に手をばたつかせた後、とっさにしゃがみ込む。 寸でで、ゴム人間の魔手をかわした。

 しかし考えてみれば、後ろに逃げた方が良かったのかもしれない。 と、思い至ったところで、しゃがんだまま後方へ移動をしようと思ったら、膝が震え、よろけてべたりと床に座り込む。 しかも悪い事に、完全に腰が抜けて動けない。 我ながら醜態だ。

 ゴム手は僕を掴み損ねたのを知ると、今度は下に向かい、ゆるゆると伸び始める。


「……うっ、わ――……」


 目を閉じて、頭を抱え丸まった。 まるで団子虫かアルマジロのような防御方法。

 これで逃げられる訳がない、とは思ってもどうしようもなかったので、後は固く目を(つむ)るしか出来ない。

 そろそろ手が僕に触れる。

 覚悟した瞬間、頭上で引きつれた笑い声が上がる。 ゴム人間の声だろうか。 胸が悪くなる嫌な笑いだ。

 逃げられないなら、もう、観念するしかない。 このぬるぬるの黒い手に触れられたら、僕も悪夢に苦しむのだろうか――。


 と、諦めて数十秒。 笑いは未だに響けども、ゴム手が僕に触れる感触はいっこうにしない。

 笑い声は、どことなく低く変化したような――。

 恐る恐る眼を開けてみると、白獏がゴム人間をクルクルと手元に巻き戻していた。


「お前それ、ヨケたの? コケたの?」


 白獏は、回収したゴム人間を振り回しながら腹を抱えて笑った。


「か、かわしたんだよっ」


 せいぜいの強がりを言ってはみたけれど、鏡を見るまでもなく、僕の顔は引きつり蒼ざめているに違いなかった。

 そんな僕を、白獏は皮肉たっぷり見下した眼で眺めると、ふっとせせら笑った。


「この程度でビビるなんざ、やっぱチビ猫だな。 全身総毛だって縮こまってる子猫ちゃん、ってか? そんなんで、この先続けていけるのかねえ?」


 腹は立つが、とても言い返す気になれない。 本当に腰が抜けているのだから。

 これはかなりの不覚。 しかも屈辱。

 膝がまだ笑っているけれど、ベッドに掴まり、意地と根性で直立姿勢に戻る。 ここは、屈辱感が力となった。

 立ってもよろける僕を見て、白獏はにやにやと愉快そうに笑っている。


「夢魔について詳しく知りたきゃ、倒錯爺か紅鳥(ことり)から講釈受けな。 種を蒔いときゃ、夢魔はまた発芽するとか、紅鳥なら懇切丁寧に教えてくれるだろうさ。 ――ちっ。 大いびきで寝やがって。 腹立たしい限りだな」


 忌々しげに依頼者の頭をまた叩くと、白獏はゴム人間を元の雨雲スタイルに戻し、手でくしゃくしゃと丸めだした。

 飴玉サイズまで丸めこむと、おもむろにポイっと口の中に放り込み、それを歯で砕くと、小さな欠片をひとつ吐き捨て、残りをごくりと飲み込んだ。

 吐き出された欠片は部屋の隅の闇へ、自主的に転がっていったような気がする……。


「――不味(まず)い」


 舌を出し顔をしかめる白獏に、僕は気を取り直し携帯してきた水筒のお茶を注ぎ渡す。 不気味なゴム人間がいなくなれば、恐怖もあっさり去ってしまう。 気持ちの切り替えは得意な方だ。


「お?」


 白獏が眉をあげ、コップを受け取る。


「紅鳥がこれを持っていけって言ってた。 白獏が不味そうな顔をしたら、飲ませてあげて、ってさ」


 水筒の中身は、〈けしもの屋〉特製〈忘却茶〉。 甘い薔薇の香りのする特級茶なのだけれど、これを飲むと、嫌な事も良い事も全てすっかり忘れられるから、〈忘却茶〉なんて妙な名前が付いているらしい。

良いも悪いもすっかり忘れるなんて、よくよく考えると微妙に危険な代物という気もするけれど、飲む量を適宜調整すれば大きな問題はない、とお師匠が言っていたので問題はないのだろう。 きっと。


「猫じゃなく紅鳥ね。 納得」


「猫じゃないっていってるだろっ。 提案したのは紅鳥だけど、準備したのは僕なんだからな。 ケチつけるんなら飲むなよな」


 僕の言葉など丸無視して、白獏はお茶を一気に飲み干した。 すると、白獏の身体が再び淡く光った。

 人の身体が発光するなんて、なんと不思議な光景だろう。

 発光している白獏の姿は闇に浮かび上がり、ちょっと幻想的で綺麗だと思った。

 もっとも、口が裂けても裂かれても、白獏にそんなことは言わないけれど。


「ねぇ。 さっきの吐き捨てた欠片――どうなるの?」


 白獏はにやり、と笑っただけで無言。


「――何となく、分かった気がする」


 思うに、あの欠片が成長すると、あのゴム人間、になるのではなかろうか――。

 当て推量だけど、ほぼ確信。


「――消化終了。 おい、時間」


 白獏の問いに、僕は慌てて懐中電灯を腕時計に向け時間を確認。


「午前三時ジャスト」


 白獏はフンと鼻を鳴らすと、「帰るぞ」とすたすた寝室を出て行った。

 依頼主の紳士は、白獏が悪夢を喰ってすっきりしたのか、ありえないほどの大いびきをかいて眠りを愉しんでいる様子。

 いつまでこの幸せな眠りが続くのかは、謎、だけれど。


(ご依頼の「悪夢」は完全消去いたしました。 どうぞ、幸せな眠り愉しまれて下さい。

※ただし、新たな悪夢が現れた場合には、新たな対処が必要となります。 今回作業のご請求は以下の通りです。 後日集金に伺った者に、現金にてお渡し下さい。 六月十五日午前三時 百彩堂(けしもの屋)スタッフ)


 メモを付けて請求書を枕元の目立つ場所に置いておく。 報酬は書面できっちり請求しないと、忘れられては困る。


 これにて今回の〈けしもの〉仕事は無事終了。 現場退出。


 白獏は海角の店へ帰るけれど、僕は時間が遅いので、天涯の自宅へ直帰だ。

 帰ったら今晩の記録を忘れない様メモにまとめて、出勤後、日誌に記入しなくては。

 本来は、作業担当の白獏が書くべきところなのだけれど、白獏が書くと、読解不能な頁が増えるだけなので、僕が代理記入する事になっている。 これ、今晩の見学条件。


「おら、猫っ。 あと五秒で来ねぇと置いてくぞ」


 下の階から白獏の声。 急いで行かなきゃ本当に置いて行きかねない。 ここから家まで軽く四十キロ。 間に険しい峠三つ。 先輩に「空間移動」で送ってもらわないと、帰り着くのは太陽が天頂の昼になってしまう。


 今日は土曜。 出勤は午後からだ。

 出勤したら、お師匠に今回の仕事の講釈を受けよう。 そして、また次の現場見学を頼み込まなくては。

 一回や二回や三回見学したくらいで、解った気になるのは阿呆な勘違いだ。 理解のためには場数が必要と実感。 白獏に馬鹿にされないようになるためにも、現場百回、だ。


 時間は午前三時十分。


 流石に、眠い。

 メモ作成は目が覚めてからになりそうだ。


 そういえば数学と現国の宿題も出ていたような。

 これは明日以降に、なりそうな気がする――。


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