2 「初・現場見学 其の壱」
2 「初・現場見学 其の壱」
六月十六日土曜日 予報・晴れ
天堂島の夏はとにかく暑い。
雨期と乾期のどちらかしかないきっぱりした気候帯のせいもあるが、島中石畳がびっしり敷かれていて、陽射しの照り返しやなんやで、雨後の地表近くはプチサウナ状態だ。
それでも夜になると気温はグンと下がり過ごし易くなる。 多少湿度が高いものの、六月半ばの湿度などまだまだ軽く、からっとしているものだ。 これがあと半月もしたら、夜でもじっとりと汗が流れる熱帯の夜が続く。
考えただけでも憂鬱な季節の到来は間近だ。
「おい猫っ。 丁稚っっ。 ボーっと突っ立てないでさっさとここ来て確認しやがれ」
おっと、いけない。 今は仕事中だった。
雑念払って集中しなくては。
なんといったって、僕はまだ見習い、丁稚の身。 しかも今夜は、白獏大先輩のアシスタント。〈けしもの〉仕事の初現場見学。
気を抜いていたりしたら、このヤクザな先輩に、どんな暴言を吐かれるか知れたもんじゃない。
「おら、さっさとしねぇかチビ猫。 俺はチャチャっと終わらせて帰って飯喰って眠りてぇんだ。 いいか。 四十五分で終了だ。 予定より一分でも終わるのが遅れたら、てめえの耳から脳髄啜り出して晩飯代わりに喰うからな」
肌も髪も古装劇のような衣服も、全て真っ白の白獏。 僕を睨みつける切れ長の瞳も白に近い銀色。 なのに性格は真反対にドス黒い。 と、僕は思っている。
ちなみに、僕が知り得ている白獏のデータはというと――
・人外生命体(納得!)。 正体は調査中。
・男性人型。 外見年齢十八歳〜二十歳。
・容姿(憎らしいことに)端麗。 性格陰険嫌味且つ短気。
・〈百彩堂〉の店番としては、寝ているか、来たお客に眼飛ばして脅すしかしない、完全な役立たず。
・〈けしもの師〉としての得意分野は〈夢喰い〉。 こちらはお師匠の話しぶりから優秀らしい、と推測。
「はいはい先輩様っ。 だけど、僕は"猫"じゃないぞ」
「そうやってすぐ毛逆立ててるあたり猫だろうが。 しかも綿毛みてぇなチビ猫だ。 半人前以下のちま仕事しかできねぇくせに、いっちょ前に反論なんぞしてんじゃねえぞ。 おら、お前に与えてやったちまい仕事、さっさとやりやがれ」
白獏先輩のやさぐれた鋭い睨みに、これ以上反論するのは危険と察知。
それに、そう。 腹が立とうがいけ好かなかろうが、先輩の指示には従わなくちゃいけない。
今宵はまん丸盆の月。 時刻はまもなく丑三つ時。 白い月明かりに照らされる、本日の仕事先は、なかなか瀟洒な洋館だ。
そして今、僕達が居るのは依頼者の寝室。
豪華な天蓋付きのベッドの上には、依頼主の紳士が、高いびきをかいて寝ている。
耳を塞ぎ、依頼者の顔を覗き込む。
「あんまり、悪夢にうなされ悩んでるみたいには見えないんだ――……けど、確かに、苦しんでるみたいだね」
血色の良い、つるっとした丸顔が、時々苦悶するかのように歪む。 いびきをかきながらでも、人間苦悶できるものなんだ。 これは新発見。
苦悶の回数は次第に多くなり、観察を始めて五分もしないうち、紳士は玉のような脂汗を浮かべ、呻くような声をタラコのような口から漏らし始めた。
眉間に深い皺が寄り、こめかみの血管が浮き出している。 首を絞められ窒息でもしているみたいに、顔を赤らめ苦悶する紳士の形相は、現場初心者の僕には、ちょっと不気味でかなり怖い。 と言いつつ、怖いもの見たさでついつい見てしまう。
「猫。 俺の言った事、覚えているよなぁ?」
白獏のドスの聞いた低い声が、前方から飛ばされる。
顔を上げるとベッドの反対側で、据わった銀眼が僕を刺し貫くように睨んでいる。 学校の体育教師の睨みなんて、白獏のに比べたら、赤ちゃんをあやす笑顔みたいなものだ。
慌てて僕は苦悶する紳士に視線を戻す。
そっと胸ポケットから写真と書類を出し、小さな懐中電灯で、写真の顔と寝ている顔、書類に書かれているあざや黒子などの特徴を比較確認する。 人違いがあっては店の信頼に関わるから、照合作業は慎重に行うが肝心。
「間違いないよ。 依頼者のコウ・エン氏 五十四歳、独身。 不動産会社社長。 六月十三日午後九時五分、単身にて〈百彩堂〉へ来店。 依頼内容・悪夢の完全消去。 詳細・一ヶ月前から夢に繰り返し女の姿をした化物が現れ、氏をしつこく追い掛け回し、捕まえ喰おうとする――以上」
白獏は眉間にシワを寄せ、露骨に嫌悪の表情をした。
おもむろに、懐から穂の大きな筆を取り出すと、白獏は乱暴に依頼主の毛布を剥ぎ、両手足と胸に文字を書く。 筆には墨汁がついていないので、何と書いたのかは不明。
これは白獏の本作業前の下準備で、作業中に依頼者の身体が動いて作業の妨げにならないよう、金縛りの呪いをかけるのだと、ここへ来る前に紅鳥が教えてくれた。
「ロクでもねぇ依頼受けてんじゃねぇぜ、あのボンクラ倒錯爺ィ。 その消す女が死人だったら、紅鳥も必要なんじゃねぇのか? ったく。 おい、猫彩。 このオヤジが目覚ましそうになったら、ぶん殴ってまた寝かせろよ」
白獏の言う「ボンクラ倒錯爺ィ」とは、僕達のボスである老板・玄青師匠のこと。 白獏にかかれば、一国の首相でも神様でもボンクラ扱いだ。
そして今更だけど、「彩」は僕の名前だ。
フルネームは結城彩。 一般人類・男。
十三歳二ヵ月・中等科一年。
髪も眼も黒の黄色人種。 容姿は上の中。
両親は海外のどこかで営業活動中。
天涯にある自宅で、大井という守り役の爺やと二人暮し。 兄弟姉妹なし。
「オーライ。 自信はないけど、待機しとくよ」
お師匠から貸し頂いた巨大扇子を握りしめ、僕は依頼者の足下に立つ。 巨大ベッドは、依頼者の他あと三人は寝ることができそうなほど、無駄にスペースが空いている。
「ケッ。 どこまでも不味そうだな。 消化不良起こしそうだぜ。 給料二割増だな」
悪態を吐きながら、白獏はベッドに飛び乗り枕元にしゃがみ込むと、依頼者の頭を左右から挟むように手を添え、深く息を吐いた。
銀の眼が、ゆるやかに閉じられる。
六月十六日 土曜日 午前二時十五分。
〈けしもの〉仕事の始まりだ。