22 「墓参り」
22 「墓参り」
今年に戻り・
六月二十二日金曜日 気持ちよい晴れ
白い裙子に青の衫子に着替えた紅鳥とケーブル列車に乗ったのは四時二五分。
初めて列車に乗って天涯へ行く(らしい)紅鳥ははしゃぎっぱなしで、車内には鈴のような清音が響き続けた。 そんなわけで、車中では乗り合わせた客の注目の的となった。
もっとも、音がしなくても、紅鳥の服装は時代を超越しているので人目を惹く。
だけど、それが紅鳥には似合っているし、コスプレして歩く若者は昨今珍しくもないので、せいぜい「古装劇の扮装をしている女の子」と見られる程度で済むだろう。
ちなみに、奉公し始めてから知ったことなのだけど、紅鳥と白獏の装束は全てお師匠が選んで「無理矢理着させている」(白獏談)らしい。 髪を結うのもお師匠の愛好事。
白獏がお師匠を「倒錯爺」と呼ぶのは、この辺りに所以があるように思う。
六月も後半になると、この時間でも陽の光はまぶしくて、ムータン婦人宅の西海岸通り、独橋路四番地の院子は、溢れるほどの光で緑が輝いて見える。
婆さんがこの院子で息を引き取ったのは、先月四日のこと。
遺言に従い、婆さんの墓は院子の中に造った。 そう。 素娘さんと「あの人」の隣。
茂った草の間の細道を抜けて墓前へいくと、紙で作られた紅と白の牡丹の花が、無造作に置かれているのが目に入った。
「誰が来たんだろ。 ――あ……」
夜行性の彼が、昼間行動していた理由がようやく分かった。
彼が覚えていて、自分が忘れかけていたことを恥じ入りつつも、なんだか嬉しい。
墓石などない土を盛っただけの墓に、持ってきた花や菓子を供えると、僕と紅鳥は並んで手を合わせた。
*
昨年十一月二十日の夜。
お師匠――玄青老板は、ムータンさんを消さなかった。
消したのは、ムータンさんの花仙としての力と、天籍――簡単に言えば、人間にして、天界追放の刑、に処したのだ。
花仙としての力を失ったムータンさんは、元の老婦人の姿に戻っていた。
いや。 もしかしたら、あの晩以前の姿より老けていたかもしれない。
老板は、「余生は墓守でもして過ごせばいい」と言って、ムータンさんを解放した。
実を言えば、この夜の出来事を、僕はあまり詳しくは覚えていない。
それは何故かって?
答えは簡単。
お師匠が僕の記憶を消したから。
先にも語ったように、〈けしもの〉仕事は外部の人には見せないのが鉄則。 依頼主でも例外はない。
当然、僕もその対象だった。
全てが終わった後、紅鳥から渡された茶碗には、薔薇の香りのする金色のお茶が入っていた。(これが〈忘却茶〉だったということは、最近になって知った。)
それを飲むようにとお師匠に命じられた。(自分で飲まないなら、お師匠がクチウツシで飲ませる――というような脅しがあったことを、おぼろげに覚えている)
しかし、温情はあった。
お師匠は、消すのは〈けしもの屋〉に関わる記憶だけに止めてくれていた。
〈けしもの屋〉に関わることを消せば、ムータン婦人の正体についても忘れてしまいそうなのだけど、そこはどう記憶操作をされたのか、婦人と僕が交わした会話などは、全て覚えていた。
時々、自分の記憶が曖昧で、何か〝足りない〟と感じることがあっても、それが〝何か〟を考えようとした次の瞬間には、何を考えようとしていたかを忘れた。
そんなことの繰り返しだった。
けれど、僕はそのような状態に特別疑問を抱くことはなかった。
ただ時々、遠くを見てぼんやりすることは多かった。 何を見たかったのか、自分では分らなかった。
とにかく、そういった理由で、僕の記憶からは玄青老板も白獏も紅鳥も、〈けしもの屋〉に関することは消えて無くなっていた。
婦人が死の間際に話をしてくれるまで――。
「ムータンさん――婆さん。 僕、元気にやっているよ。 婆さんのおかげで、今じゃ〈けしもの屋〉の一員に……まだ見習いだけど、なったんだよ。 どう? 意外だろ?」
ムータンさんが人間、になって過ごした半年。
僕はムータンさんを「婆さん」と呼ぶようになった。 婆さんは僕のことを「小彩」と呼んだ。
祖父母のいない僕にとって、婆さんは本当の婆さんのようだった。 嫌味ったらしい憎まれ口に応戦するうちに、言葉づかいも「ですます」調から砕けた言葉に変っていった。
学校の決めた訪問日以外も、しょっちゅう顔を出しては、あの晩枯れた花木の代わりに、素娘さんと「あの人」の墓を囲むように、色々な花の苗を植えていった。
時間が止まっていた院子のように華やかな花はなかったけれど、緑の戻った院子に立った婆さんは、すっきりと晴れたような顔をして、一本一本の緑に言葉をかけていた。
訪問後半は、公孫秀の粘りに負け、とうとう秀も一緒に訪れるようになった。
婆さんの淹れるお茶とお菓子はいつも美味しかった。
何度か、大井と光哥まで加わって、賑やかな午後を過ごした。
もちろん、秀達には婦人の過去は話していない。 必要はないし、必要もなかった。
「紅鳥、耳栓準備オッケーだよ」
婆さんの墓の前に座ってそう告げると、紅鳥は嬉しそうに微笑み、僕には聴こえない歌を歌い始める。
海風が、紅鳥の髪や裾をふわりと揺らす。
白の裙子は白牡丹の花片ように、風をはらんで柔らかに揺れる。
今日は、婆さん――丹娘と素娘さんが、ここで初めて「あの人」と逢った記念の日だと言っていた。
二人とは、もう色々話をしただろうか。
僕と話す時みたいに、憎まれ口ばかり言ってはいないだろうか。
「でも、その方が婆さんらしいのかな?」
思い出し笑いをしてしまう。
晴れた日には、院子に卓子と椅子を出して、お茶と一緒にたくさんの話をした。
やっぱり、僕が話すことが多かったけれど、せがむと、「まったく、しつこいね」と言いながら、
婆さんも自分の話をしてくれた。
時には、天界の話も聞かせてくれた。
色彩にあふれた、百花咲き誇る花園の話。
人界では考えられないような個性豊かな獣の話、人間と何処が違うのか?と思える、
生臭い神仙達の話――。
想像の産物と思っていた世界の話を、僕は小さな子供みたいに楽しんだ。
話して聞かせる婆さんも、楽しそうだった。
もしかすると、僕に話しながら、婆さんは天界の景色を見ていたのかもしれない。
「婆さんの話聞くの、僕、とても好きだったよ。 ――それに」
僕には見えない、僕の知らない世界。
そんなものについて、考えることも、知りたいと思うことも、以前の僕ならなかった。
そんな僕がいま、〝摩訶不思議専門店〟の如き店、〈けしもの屋〉に入り浸っている。
しかも、その店で働き、ゆくゆくは正社員になりたいとまで思っている。
自分の将来なんてほとんど決まったものだと、考えることすら放棄していた僕が、だ。
すべては、あの日、婆さん――ムータン婦人と逢ったことが始まり。
ほんのたまたま。 偶然の巡り合わせ。
でもこれが、〝縁〟というものなのかもしれない。
「それにさ、正直に言うのは僕だって〝癪〟だけど、僕も、楽しかった。 婆さんと一緒にいられて――会えて、嬉しかった」
一寸先に何があるかなんて分らない。
「人生」なんてものを語るには、僕はまだまだ早過ぎるし、知識も経験も不十分。
だけど、これからの長い時間の中で、あり得ない、起こり得ない、と思っていたことに、いくらだって出会う可能性はあるし、それらの経験から、様々な衝撃や感銘を受けることはあると思う。
見えているつもり、知っているつもりでいたことだって、まるで何もわかっていなかったことに、気付かされることもきっと多いに違いない。
僕は、僕の知らないことをもっと知りたい。
この世界のこと、僕の知らない世界のこと。
知りたいことに果てはない。
知るきっかけは、普段の生活の中にもあると思うし、自分が少し行動を起こせば、さらに多くに巡り合うチャンスを得るだろう。
それが、〈けしもの屋〉にいればきっともっと確実に、思いも付かない体験が出来るだろうし、普通では気付けないことに気付かされる。(婆さんの件ひとつで、目から鱗が五・六枚落ちたのだから――。)
こんな経験、通常生活を送るだけでは、そう簡単に出来るものじゃないし、巡り合えたせっかくの縁を、活かさない手はない。
縁=チャンスを最大限に活かすなら、〈けしもの〉の世界に飛び込んで、この仕事に、自分も真剣に向き合ってみるべきだと僕は思った。
僕は玄青師匠や白獏、紅鳥みたいな特殊な力があるわけでもない、普通の人間だ。
だけれどそんな僕にだって、僕だからこそ、何かしら出来ることがあるかもしれない。
普通の人間代表として、人界で暗躍(?)する〈けしもの師〉を目指すことは、通常の職種を志すのとは違う面白い目標だと、今の僕は思っている。
何より初めて、自分から望んで飛び込んだ世界。
どんな困難が待ち受けているかなんて想像は付かないし、時々、命にかかわる危険も(主に店内で)あるけれど、決めたからには簡単に諦めない。
もちろん、学校や天涯の家での生活だって大切だし、手を抜く気はさらさらない。
「僕が目標達成できるか、婆さんも見ていてよ。 いつもの、野次を飛ばしながらでいいからさ――」
柔らかな風を感じて顔を上げると、紅鳥が横にふわりと立っていた。
にっこりと花の笑顔を見せると、僕の手を取り軽く引いた。
耳栓を外し、僕は立ち上がる。
しゃらんと鈴の清音が響き、周りの緑は音に応えるように揺れた。
「ありがとう紅鳥。 花達に水をあげたら帰ろうか、〈けしもの屋〉へ」
え?
僕が何故、〈けしもの師〉を目指すのかがいまいち理解できない?
それは当の僕も上手く説明ができないので、また日を改めて、おいおいと。
この話で《けしもの屋日誌》はいったん終了いたします。
ここまでお読み下さった皆様には
心から感謝の言葉を申し上げます。