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けしもの屋日誌  作者:
13/23

12 「自己理解から始めてみる」

   12 「自己理解から始めてみる」


   十月二十六日土曜日 薄曇り


 自分で言うのも何だけれど、僕は衣食住他、あらゆる面で恵まれ過ぎている上、右を向いても左を向いても、各業界で成功を収めた大人達に囲まれ、かつ、チヤホヤと一族のアイドルの様に可愛がられ(両親と大井除く)育ったため、他人の心情を推し量ることがいま一歩下手で、上から目線になっていることが多々ある。 らしい。

 それを、大井から(たしな)められたことが幾度かある。

 自分はそんなつもりはなくても、無意識の優越感を持って他人を見ていると、幾度か指摘された。

 そういう「自分」がいることを知り、向き合えと、かなり厳しく(さと)されたこともある。

 言われた時は、何となくしか理解していなかった大井の言葉が、ここ最近やたらと甦る。



「ひと息つきな」


 ぶっきらぼうにかけられた声に、僕は脚立を降りて埃を払う。 マスクを外すと、新鮮な空気を思い切り吸い込む。


 訪問七回目。

 お茶を()れ終えた婆さんは、先週と同じく窓際に置かせた椅子に腰かけ、院子(にわ)の花を愛でている。 花々は相変わらず絢爛(けんらん)だ。

 花を眺めている時の婆さんは、何も言わない。 瞬きもせず、ただ花だけを見ている。

 初めて、院子先で目にした横顔と同じ。

 こういった時、僕はここにいてよいのかと、一瞬、戸惑いを感じる。 何かの、邪魔をしているのではないか、と。


 先週土曜のプチ怪我騒ぎ以来、婆さんの言葉は多少丸くなった。

 嫌味がなくなったわけではもちろんない。 乱暴で手厳しい言葉は健在だ。 しかし時々、僕を気遣う素振りを見せる。

 その証拠に、今こうして、茶を僕の分まで淹れてくれている。 今日は緑茶。 しかも茶菓子まで付いている。 考えられないほどの待遇改善。 少し、怖いかも。

 シンプルなグラスに入れられた茶葉が、ゆっくりと底に沈み、ふんわりと広がり始める。 低温で淹れられる緑茶は、控え目ではあるが、それでもふくいくたる香りを立ち上らせる。

 桌子(つくえ)の向かいに置かれたもう一脚に腰を下ろし、礼を述べてグラスに手を伸ばす。


「――すごく甘い」


「味が気に喰わなきゃ飲まなくていいんだよ。 茶も、嫌われた奴に飲まれるなぞ哀れだ」


 素直な賞賛だってのに、どうしてこうも捻くれた返答がくるのか。 さすがに多少は慣れたけど、婆さんの中には賛辞を素直に受け取ってはならない、という家訓でもあるのか、と毒づきたくなる。


「すごく美味しいって言っているんです。 昨日も言いましたが、もう少し、僕の言葉を素直に聞いてくださいよ」


 これくらいの反論は許されるだろう。

 婆さんは僕の顔をちらと見ると、「はん」と短く鼻を鳴らし、院子の花に視線を戻した。

 視線の先に咲くのは、天堂島で降ることはない雪のように白い牡丹。 幾重にも重なる花弁の、ふわりと軟らかいことが遠目からでも感じられる。

 小さなため息とともに菓子を手に取る。

 茶色い薄皮の中にたっぷり入った白餡は、うっすらと柑橘(かんきつ)の風味で、その中に入った蓮の実の触感が心地よい。 これまたすごく美味なのだけど、もう敢えて口には出さない。

 黙々と菓子を味わいつつ、室内を見渡す。

 今日の作業で、二面目の半分ほどは終わる予定。 作業にも慣れてきたことだし、このまま行けば、予定通り今月中に壁半分の下準備は終わる。

 この房間(へや)には、今僕たちが腰かけている椅子と桌子以外何も置かれていない。

 院子の華やかさと反比例して、あまりにも殺風景に感じる。 これで壁面すべてを真白に塗ったら、もっと寒々しく感じやしないだろうか……。

 自宅の居間の壁も、限りなく白に近い象牙色で、無駄な調度品は置いていない。 ゴテゴテと飾り立てるのは、僕を始め、両親も基本、好まない。(ただし、二人の〝趣味の房間〟については……黙秘。) 大井は言うまでもない。

 壁色が例え同じだとしても、占める面積によって印象は変わるし、同じく装飾が少ないといっても、実際に置かれている物が違うのだから、自宅と印象が違うのは当然だ。

 それでも何かが足りない。 そう感じる。 昨日からそれが気になって仕方がない。

 具に見たところで気付けないような気がして、目を眇めてみる。 僕の家に限らず、どこの家庭でも割とあるもの。 友人の家に行っても、ほぼ確実にある――……。


「――あ……わかった」


「何だい? 何がわかったってんだい?」


 婆さんはあからさまに怪訝な目で僕を見る。

 僕は慌てて「昨日の数学で解けなかった問題がわかったんです」ということにして、茶を少し飲む。 ああスッキリした。


 照片(しゃしん)だ。


 絵でもいいけど、家族や友人との思い出を感じさせるもの。 それが一切ないんだ。

 天堂島(てんどうとう)の人々は、家族の照片を居間や寝室に飾るのが好きだ。 同居している息子夫婦、離れて暮らす孫や曾孫(ひまご)、既にこの世を離れた先祖の照片でも、とにかく、家族を何より大切に想う。 外から天堂島に移り住んだ人々でもそれは同じで、リーズ夫人の居間にも、見るからに仲の良さそうな家族や、孫の笑顔が零れる照片が数枚、綺麗な額やスタンドに入り飾られていた。

 だけどこの房間にはない。 根拠はないが、僕の立ち入ってない他の房間にも、それらは置かれてはいない気がする。

 何故だろう?

 照片ではなくても、何かしら思い出の品を身近に置くことは、極めて普通のことだろうに。 殊に女性はそういったことが好きではないだろうか。 母は僕の幼少時の照片はもちろん、父と出会った頃の照片から子供の頃の思い出の品まで、大切に飾っている。(幸いなことに、居間は家族照片と、一族が揃った時の集合照片の二枚だけ。)

 淡い疑問が生まれる。

 例えば、婆さんが結婚をしていなくて、夫君(ごしゅじん)孩子(こども)がいなくても、親や兄弟姉妹、友人の一人二人はいたはず。 しかもそれなりに大きな房子(いえ)だ。 ここにずっと一人で住んでいたわけでもないだろうに。


 婆さん――ムータン婦人のことを、もう少しちゃんと知りたいと思った。 観察で得られる情報以上の婆さんを知りたい、と思った。

 (恐らくは)漆黒だった髪が、雪のように白くなるまでの歳月を、ムータン婦人はどんな風に生きてきたのだろう。 その中で、どんな人達と出会い、どんな出来事があり、どんな感情を抱き、どんな風に乗り越えて来たのだろう――。

 大井よりは若いかもしれないが、それに近い歳月を生きてきたのだから、様々な出会いや別れがあったに違いない。


 家族は、どうしたんだろう――?

 

 一番初めに抱いてもよかった疑問に思い至った途端、好奇心が疼く。

 院子(にわ)に視線を戻した婆さんの横顔を見る。 僕が見ていることに気が付いても、婆さんは黙って見ている。

 照片(しゃしん)の代わりに、院子(にわ)があるようだと思った。 何故か、それがとても寂しく思えた。

 これも、僕が恵まれているが故の、上から目線の思いだろうか?

 すっかり冷めた緑茶を一口飲むと、僕は婆さんと同じ方向へ視線を向ける。


「僕、兄弟はいないんです」


 いきなり家族構成を尋ねるのは(はばか)られる気がして、まず、自分の事を話すことにした。

 婆さんは少し驚いた顔をしたようだったが、言葉を挿まなかった。

 胸襟(きょうきん)を開いて貰いたいならば、まず自分が先に開くことだと、いつか大井が言っていた。 

 残りの少なくなった淡い緑湯の中で、すっかり広がった茶葉がゆらゆらする。

 父のこと、母のこと、大井のこと、幼馴染のこと、学院のこと。

 全部を開け広げに話すわけではないが、僕がいる毎日を、ほんの少し、婆さんに話してみたいと思った。


 自分のことを語るのは、少しくすぐったい不思議な感覚。

 文章に書く以上に、語り出すことは難しいように感じる。

 自分にとっては普通で、「当たり前」と思っていることを言葉に出して、しかも他人に聞かせようとすると、意外と自分のことを自分で知らないことに気付く。

 巧く話す必要は、ないのだと思う。

 というより、上手くまとめて話すことは出来ない。 散文のように、ぽつりぽつりと、バラバラに言葉が浮かんで来る。 それをボツボツと口に出す。

 聞いている婆さんには、何のことか分からないかも知れない。 僕自身、何を話そうとしていたのか分からなくなってきて、ふっと言葉を切る。


 沈黙が続いた。 それは、ほんの僅かの間だったかもしれない。

 風が二回、頬に触れた。 さらりと心地よい風。

 言葉のない時間はさらに続いた。

 けれど、初対面の時のように重苦しくは感じない。

 茶湯の少なくなったグラスに、婆さんが湯を足してくれた。


「それで終いかい? 十三年、生きてきたんだ。 もう少しは、色々なことがあっただろう? 結城彩」



 婆さんが、初めて僕の名を口にした。


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