9 「初訪問・其の壱」
今回、無意味に「落描き」を末尾に置いています。(しかも暫く出演しない人物…)
読んで下さっている方への感謝を込めて…のはずが、ホントにただの落描きになってしまいました。
気持ちだけは、文字で伝わると、信じて・・・。
9 「初訪問・其の壱」
昨年十月十一日金曜日 晴れ
転がり始めたら動きは速い。
しかも、ここは坂の島・天堂島。 転がり出したら加速はすれど、何かにぶつかるまで止まりはしない。
「それじゃあ、行ってらっしゃい」
学外奉仕活動を統括する生徒会執行部、一年担当の先輩に見送られ、放課した教室を後に、訪問先へと向かう。
初訪問日。
決定を告げられた翌日が訪問日になるとは、なんとも忙しいこと。 お陰で、大した予習ができなかった。
しかも、事前に入手できた情報は、なんともミステリーに満ちた、真偽が定かでないものばかり。
「あー、おまえ、あそこ、に行くことになったんだ。 そりゃゴシューショーさま」
初等科以前からの幼馴染・公孫秀が、にやにや笑いながら言った。 何故「ご愁傷」なのか問うと、「ま、ユニークっていうの?」と、もったいぶって笑った後、「行きゃわかるさ、すぐに」と、僕の肩を叩いた。 生徒会の先輩と同じ。
他の友人五・六人に同じことを尋ねたが、僕と同じに知らないか、秀と同じに僕を励まし慰めるかのどちらか。
「うーん。 まあ、確かに行けば嫌でもわかることだけど……」
壁が高ければ高いほど、乗り越えたいという思いは強くなる。 邪魔が入れば、それを排除か回避することに力を注ぐ。 その邪魔が、自然現象のように不可避、且つ防ぎようのないものでない限り、何かしらの手立てはある。 はずだったのに。
「若。 何事かございましたか」
リビングのソファーでため息をついていた僕に、大井が緑茶を運ぶ。 花形に押された和三盆の茶菓子付き。
抑えた赤の、紅葉が描かれた白磁碗に揺れる鮮緑をみて、ふと、最後の頼みの綱があったことを思い出す。
「大井は、僕の曾爺さんの時から天涯に住んでいるんだったよな?」
「左様でございます。 若、いまさら何の確認でございます?」
大井は僕のことを「若」と呼び、父のことを「殿」と呼ぶ。 いったい、どんな時代の呼称だと言いたいところだけれど、大井が口にすると、非常にしっくりとくる表現なので、敢えて修正を求めはしない。
総白の短髪を後方へ綺麗に撫でつけ、濃い銀鼠の上に渋い鉄紺の袴という和の装いで、家事一般から広大な敷地の管理、来客の接遇他一切を一人でこなす大井は、天涯の住人の中でも、上から何番目かに入る古老。 しかも、情報収集のベテラン。
彼なら、件の老婦人について何かしら知っているに違いない。
「それは、いま、必要な情報ですかな?」
大井は、その年齢を感じさせない張りのある声で、静かに問う。
「情報は重要だって、いつも大井が言っていたんじゃないか?」
ちょっとむっとした口調で言い返すと、桃色の和三盆を口に放り込む。 季節外れの、牡丹の形をしたその砂糖菓子は、口に入るや、さあと、滑らかに溶けてなくなる。
「情報収集は、確かに重要。 正確に、過不足なく集める事が出来れば、見通せることは多くなりましょう。 しかし、ことによっては、収集時期、というものがある場合もございます」
「時期? なんだよ、それは。 明日必要な情報を今知りたい、と思うのは、時期が間違っているか?」
大井は何も答えず僕の顔をただ見ている。
少し厳つい、無骨に見える大井の無言注視は、僕が一番苦手とする攻撃。
「自分で考えろ」と、暗に言っているのだ。
結局、大井からも情報は得られなかった。
そんなこんなで、昨日の会話を反芻している内に、目的地――通称、西海岸通りの独橋路四番に到着する。 学校からここまで徒歩三十分。 雨風の日には少し遠い。
学校を出てしばらくは、大きな邸宅がまばらに路の両脇にあったが、最後の十分間、人家を見た記憶はない。
「独橋路」という地名を教えるかのように、人家が途絶える十分前、一本の小橋を渡った。
その先にあった初めての人家が、目的地だったというわけだ。
西の海が眼下に広がり、眺めはなかなか気持ち良い。
けれど、なんとも寂しい場所。 風だけはよく通る。
「――これ。 廃墟……じゃ、ないんだ」
そう言わずにはいられない、寂れた家屋。
入り口となる門扉は錆くれて、蝶番が壊れ、傾いたままで半開き。 門脇に植えられた庭木の、茂りきった枝葉や伸び放題の雑草に、その先に見えるはずの玄関は隠れて見えず、遠目に、辛うじて目に出来る家の壁や屋根は、あちらこちらがボロボロに崩れ、剥がれ落ちている箇所多数。 敷地はかなり広い。
「――なるほどね。 来たんだ、阿秀のやつ」
外観だけで、「幽霊屋敷」として売り出せる趣十分。 これで、怪しげな声や影でも確認できれば、怪奇現象愛好者向けの、立派な遊興施設になると思われる。 声や影は演出できるから、現時点でも施設活用は可能かも。
ただ、その手の遊興施設は、オープン当初はそこそこの人気を得られても、長続きはしないもの。 短期的にならば、試みとして所有するのは話題性もあるし、面白いとは思うけれど、所有が長期間となれば、採算割れが必至。 半端には手を出さないに限る。
しかし、そういう謎めいた、怪しげな事象に強い興味を抱く人は少なくない。
腐れ縁的友人の公孫秀などは、身近なその代表。
真実虚構の別なく、怪奇現象が「大好物」である。 「探険」と称した、ミステリースポット巡りは、秀の趣味その一。 初等科一・二年の頃は、僕も何度か無理矢理付き合わされたが、ここ数年は無視で通している。
そんなわけで、秀や、彼に引っ張られた友人達が、ここを訪れたであろうことは容易に察しが付く。 来たことがない、という方が変だ。
そんな秀と長年友人をやっていても、生憎、僕はその手の現象に興味はない。
そも、幽霊だ妖怪だといった、空想や想像の産物を信じていない。 何事にしろ、現代科学や心理学等を以ってすれば、その謎の大半は、説明ができると思っている。
人間が認知できる現象には、それを起こす原因因子が必ず、何かしら、何処かしらに在るものだ。 現在、究明しきれていないものでも、将来には解明されると信じている。
などと、不満渦巻く頭でごちゃごちゃ考えていたら、無駄に五分が過ぎてしまった。
ネクタイを少し緩め、壊れた門扉の先を睨むと、深く息を吸う。
「ごめんください。 天涯中央第一学院から参りました、奉仕活動の者です。 どなたか、いらっしゃいますか?」
大声で呼びかけること七回。
聞こえるは、風が草葉を揺する音だけ。 人的な反応は一切なし。
「――間違ったっけ?」
昨日渡された、住所の記された紙をポケットから取り出す。 門扉横に、ひび割れ欠けてはいるが、辛うじて判読可能な陶器製番地プレートの数字を確認。 間違いはない。
訪問の曜日と時間は、事前に生徒会から各訪問先に伝えられている。 前日(要は昨日)には、確認の電話もされているはず。
「それなのに、不在って。 訪問拒否されてるってことなんじゃないの?」
更に一回、先と同じ呼びかけをした後、変わらず応えがないことを確認。
こうなったら、無断進入もあり、だ。
中で、件の老婦人が倒れていたりしたらいけない。 ――「心配だったから勝手に入ったんです」という理由が成り立つ。
腰近くまで伸びた草の下には、玄関と、その奥に在るであろう院子へ誘うように、二本の石敷きの小路があった。 生い茂る草で、足元がよく見えず歩み辛い。 しかも、ほとんど天堂島の慣習かと思えてくる歪な敷石は、デコボコと縁が擦れて所々窪みがあるので、足を引っ掛けて転びそうになること複数回。
並列していた二本の小路の分岐点に着くと、一旦立ち止まり、左右を見る。
玄関に先に行くのが良いかとも思ったが、もし居留守を使っているのならば、玄関からまともに呼びかけたところで、無視をされる可能性が高い。 それならば、少々違反行為だとは思うが、院子にまわる方が、確実性が高いと踏む。
分岐点から院子まではすぐだった。
小路と院子との境には、とりあえず壊れていない、小さな白い木戸があり、その先にはやはり、緑けぶる院子が広がっていた。
雑草も生えてはいるが、ここまでの、ぼうぼうと荒れ果てた小路から想像したとはかけ離れた眺め。
自然を活かしつつ、美しく整えられた院子。
濃淡ある緑の中に、鮮やかな赤や黄、紫の花が咲き乱れている。
思わぬ眺めに少し見惚れたが、すぐに妙だと感じる。
ここに咲いている花々は、いずれも今が花期ではない。
梅、水仙、蘭、牡丹、芍薬、芙蓉、杜若、薔薇――どれもが、自宅や近所の庭先で見るものよりも大きく、己の美しさを知り、それを誇示するように咲き競っているよう。
手入れの行き届いた植物園でも、これほど見事に咲かないのでは、と思う。
けれど、何よりも目を惹いたのは、その中心に立つ婦人の姿。
後頭部で丸く結われた雪のように白い髷を、金の笄で留めている。 笄には、真珠と紅珊瑚と思われる宝石が埋め込まれている。
顔には細かな皺が見て取れる。 手には杖が握られており、それに凭れるように立っている。 複合的に見て、それなりに高齢。
けれど、その外見から推測する年齢とは結び付けられないような装いを、その老婦人はしていた。
鮮やかな大紅の裙子に金糸銀糸で刺繍の施された緋の衫子。 肩には淡い黄色の囲巾を羽織っている。 年齢を問わず、派手、の一言に尽きる格好。
だけど、それは婦人にとても似合っていた。
咲き誇る緋牡丹のような姿で、老婦人は見ていた。
眼下に広がる海を、その上に広がる秋晴れの青空と、高く浮かぶ白い雲を。
ただ、静かに見つめている。
その姿を、僕もただ見つめ続けた。
風だけが、止まることなく流れ続ける。
「――鬱陶しい餓鬼だね」
突然の人声。 合わせるように、草木が風に鳴る。 そして再びの静寂。
「――は?」
誰が発した言葉か判らず、僕は思わず周囲を見回した。
「いつまでそこに突っ立っているつもりだい? 人様の家に、許しもなく勝手に押し入るような教育を、第一学院はしているのか?」
第二声でようやく、出所が目の前の老婦人だと知る。
同時に、明らかな居留守を使われていたことも判明。
これが、ムータン婦人との記念すべき出会い。