桜の下で誰を待つ?
八坂高校の校舎の入り口脇には、桜の木が植えられている。
開校時に地元の名士から贈られたもので、八坂高校の歴史と共に歳を重ねてきた。
今では見上げるほど大きくなったその桜の木について、いつからか八坂高校には一つの伝説が生まれた。
『桜の花の咲く季節、桜の木の下で告白すれば意中の相手と結ばれる……』
「で、今あの桜の木の下に神無月 玲奈がいるわけだが」
「そうだな」
「もう20分以上待ってるわけだが」
「そうなのか」
「そうなんだよ!」
ぐりん、と音を立てて前の席に座っていた佐々木が振り向いた。
「なあなあ、誰だと思う? 誰があの神無月を待たせてるんだと思う!?」
「寄るなクソうぜえ」
「だって気になるじゃん! あの神無月玲奈だぜ! 八坂一の美少女にして文武両道、おまけに近づく男は残らず撃沈!」
「最後の重要か?」
「重要だろうが!」
「だから寄るなクソうぜえ」
俺がそう言うと佐々木は一瞬だけおとなしく自分の席に戻ったが、再びそわそわと桜の木を、正確にはその下で佇む神無月玲奈を見つめ始めた。
俺も一つ欠伸をして彼女を眺める。
「なあ、気にならないのかよ」
「何が」
「神無月玲奈が告白する相手だよ!」
「気にならないと言えば嘘だけど、待ってりゃ誰が来るかなんてのは分かるだろうが」
「待ちきれないだろ! 今すげー気になるだろ!」
「やめろ寄るなクソうぜえ」
「むしろお前落ち着きすぎじゃね? ほら周りだってめっちゃそわそわしてるだろ」
今日は新年度初日で同日に入学式もあるため、授業はホームルームしかない。
ホームルームはとっくに終わっているのだが、帰る生徒はほとんどおらず、おしゃべりをしながらもちらちらと彼女を見るグループやベランダから身を乗り出して桜の木の周囲を見回す奴などがあちこちにいた。
「な、皆気になるんだよ」
「俺も気にならないとは言ってないんだが」
「それでなんでそんなに落ち着いてるんだよ!」
「だから待ってりゃいいじゃん」
「待ちきれないんだよ!」
「騒ぐなクソうぜえ」
俺がそう言うと、佐々木は妙な目で俺を見つめた。
「お前さては、知ってるな?」
「は?」
「お前、神無月玲奈が告白する相手が誰か知ってるんだろ!」
「アホか、知ってたらとっくに帰ってるわ」
「あ、そうか」
すとんと席に戻った佐々木だったが、すぐにまたそわそわし始めた。
「ああ落ち着かない。お前、なんか時間潰せる話とかない?」
「なぜ俺に言う」
「お前が落ち着いてるからだよ」
佐々木の言葉に、俺は視線を宙にさまよわせた。
視界の端に、入学式を終えた新入生が体育館から教室へ帰っていくのが見える。
「そうだな……それじゃ、神無月玲奈の待ち合わせ相手を推理する、ってのはどうだ?」
俺がそう言うと、佐々木は固まった。
「神無月玲奈が告白する相手を、推理、する?」
「待ち合わせ相手な」
「お前、神無月玲奈の相手が分かるのか!」
「分からねえよ。『推理する』って言っただろうが」
「お、おう。それで、誰が来るんだ?」
俺はもう一度桜の木の下を見た。神無月玲奈は相変わらず校舎を見つめている。
それを眺めながら、俺は話し始めた。
「じゃあ、推理を始めるぞ。第一の条件。相手は校内の人間である」
「当たり前じゃねえか」
「校外の人間を呼んでる可能性もゼロじゃないぞ」
「……そう言われるとそんな気がしてきた」
俺の言葉に佐々木は校門の向こうを眺め始めた。
「ただ、校外の人間を呼んでるとしたら、彼女は校門の方を向いてるはずだ。だが彼女は校舎の方を向いてる。これは校内の人間を待っているという意味だ」
「……なるほど」
佐々木はすとんと席に戻り、俺の方に身を乗り出してくる。
「で? 校内の誰よ? 誰よ?」
「近いぞクソうぜえ」
「すまん」
佐々木が席に戻るのを見て、俺は話を再開した。
「第二の条件。相手は在校生ではない」
「え、なんで?」
「今日は新年度初日でどのクラスもホームルームしかない。当然、終わる時間にそんなに差があるわけがない。神無月玲奈を先に行かせて20分以上も待たせる意味なんかどこにもない。注目を集めるだけだ」
「確かにな。神無月玲奈より少し先に来るとか少し後に来るとかはあり得るけど、無駄に時間潰す意味はないな」
「そういうことだ」
佐々木の言葉に頷き、先を続ける。
「第三の条件。相手は新入生ではない」
「はっ?」
「なんだよ」
「いや、在校生じゃなかったら新入生しかいなくね?」
「それはありえない。新入生は入学式があって、その後に各クラスで高校生活についての説明もあって時間がかかる。実際、入学式が終わったのはついさっきだ。このことは当然、神無月玲奈も知っている。だから早くから桜の木の下で待つ理由がない」
「……言われてみればその通りだな」
佐々木はしばらく変な顔をしながら頭を傾げていた。
やがて元に戻ると、難しい顔をして口を開いた。
「じゃあ、神無月玲奈は一体誰を待ってるんだ?」
その声を聞き流して推理を続ける。
「第四の条件。相手は教員ではない」
「そうか先生か! って違うのか?」
「教員なら校内のことを良く知っている。どちらが呼び出したにしても、こんな目立つところじゃなくて二人きりになれるところが他にあるし、何かの用事があるなら現地集合でいいだろう。わざわざ桜の木の下で待ち合わせをする必要はない」
俺の言葉に佐々木は頷きかけて、次の瞬間首を激しく横に振った。
「いやいやいや! わからん、わからんぞ! 神無月玲奈が先生の誰かに片思いをしていて、ついにその想いを告げるために桜の木の下に」
「アホか告白したら犯罪だろ。大観衆の前でやるかい」
「……そっか」
なぜ残念そうな顔をするのか理解できん。
「つまりだ。校内の人間で、在校生でも新入生でもなく、また教員でもない」
「そんな人間いなくね?」
お手上げとばかりに両手を上げた佐々木に、俺は答えを告げた。
「編入生」
「え?」
「編入生だよ。編入生なら今日のホームルームに出席した後、担任か誰かからこの学校についての説明や注意なんかがあるはずだ。それにどれくらい時間がかかるか分からない。だから神無月玲奈は先に桜の木の下で待つことにした」
佐々木はポカンとした顔で俺の説明を聞いていたが、突然身を乗り出してきた。
「つまりそいつに告白するっていうことか!」
「離れろクソうぜえ」
「すまん」
佐々木が席に戻ったのを見て、俺は説明を再開する。
「待ち合わせ場所を桜の木の下にしたのは、単純に目立つからだ。今日初めてここに来た人でも、正門をくぐれば『校舎の入り口脇の桜の木』がどれかは一発で分かるからな。それに編入生への説明は校舎の職員室でやるだろう。だから校舎を出てすぐの場所を待ち合わせ場所にしたんだと考えると納得がいく」
佐々木はうんうんと頷いていたが、しばらくして首を傾げた。
「あれ? それじゃ告白と何にも関係なくね?」
「別に告白の時しかあの桜の木を使わないってわけじゃないだろ」
「え、ちょっと待って。それじゃ、神無月玲奈があそこにいるのは告白のためじゃないってことか?」
その言葉に、俺はため息をついた。
「最初に言ったよな。俺が推理するのは『神無月玲奈の待ち合わせ相手』だって」
俺がそう言った瞬間、わっと歓声が沸き起こり、それがすぐにため息に変わった。
俺と佐々木も皆と同じく桜の木に目をやる。
神無月玲奈の元に駆けてきたのは、八坂高校の制服を着た、見覚えのない女子。
彼女は神無月玲奈と二言三言交わすと抱きつき、その後二人はどこかへと立ち去っていた。
それを見て、教室に残っていたクラスメイト達も三々五々立ち去っていく。
「……告白じゃなかったのか」
「そういうことだな」
「つまんねえ!」
「世の中そんなもんだ」
俺がそう言うと、佐々木はもう一度「つまんねえ」と言いながら、学生鞄を掴んだ。
「待ち合わせ相手も分かったし、帰るか」
「ああ、とっとと帰ろうぜ」
そう会話しながら、俺達も教室を出た。
******
「れーなー」
振り向くと、美希が満面の笑みを浮かべていた。
「久しぶりね、美希」
「これからよろしくねー」
変わらない天真爛漫な様子に、胸が温かくなる。
「よろしく。それで、今日はこれからどうする? 予定はないからいつまででもいいわよ」
「やったー。玲奈大好き!」
「はいはい、私も大好きよ」
抱きつく美希を受け止めながら、私は自分の言葉にそっと想いを込めた。
だって、桜の花の咲く季節、桜の木の下で告白すれば……
「ね、早く行こうよ」
「ちょっと待って」
急かす美希にそう答え、私は桜の木を見上げて願いを込める。
この想いが届きますように……と。
「じゃあ、どこに行く?」
私が問いかけると、美希は満面の笑みを浮かべて口を開く。
「えっとねー……」
彼女の言葉に相槌を打ちながら、私達は新しい年の一歩目を踏み出した。