後編
視線を追うように、ぎぎぎと音がしそうな振り返り方で、
私を見たミカ様の目が、完全に『もしや、おまえか!…殺す。』になってて怖い。
ちがうちがうちがうちがう!!!!
首をちぎれんばかりに、必死に横に振りながら、
私はいっそこのまま頭が飛んでいってくれないかなと、
その方が楽だわと思う。
「皆に酔わされたミケーレ様を王太子宮に送り届けてくれましたよね?アシュクロフト卿?」
ん?
…そんな事があっただろうか?
あまりにも、嫌な記憶を振り払いたくて、会場にいたエカテリーナ様とのお喋りを癒やしにしていたと…。
いや、確かあの日は帰還式のはじめには領地にいらして間に合わなかったエカテリーナ様がいらっしゃらなくて、誰かに遅れてから来ると教えていただいたのだ…。
あ!!!
そうだ!!!
「…確かに、あの日、酔っておられたミケーレ殿下を王太子宮に送り届け…、侍従を呼ぼうとしていたらメル様が通りかかられて、『夫婦の寝室に寝かせてくれたら、侍従が来るまで私がミケーレ様をみています。』とおっしゃられたのでそのとおりに…。私にはエカテリーナ嬢が遅れてくるから、会いに行ってあげてほしいと…。」
エカテリーナ様が待っているからと…。
その場に王太子妃殿下直属の女性近衛騎士で、王太子の従姉妹エレクトラ・エル・ケルビナー卿や他にも護衛がいたために、すぐに、会場に戻った…。
すっかり、エカテリーナ様に会えた喜びで、悪夢のような記憶も王太子宮での記憶も消え去っていたようだ…。
あ、ある意味やらかして…いた…?
ミカ様の視線がメル様と私とを行ったり来たりして、メル様には『それで?それで?』と先を促す視線を、私には『やっぱり、殺す』の視線を送ってくる。
ごめん。ミカ様。メル様、助けて…。
すべてを察してくださったように、ニコリと笑みを浮かべたメル様に思わず安堵してしまう。
「アシュクロフト卿も日程の過酷さに、目の下に隈が出来るほどお疲れのようでしたし、忘れていてもしかたありませんわ。アシュクロフト卿と別れて、寝室で護衛を外に待たせ、私はミケーレ様のお側に寄り添っておりましたら…、突然、ミケーレ様が起き上がったと思うと、覆いかぶさって来られて…『私のメルたんだ!本物だ!ハスハス。』とおっしゃって…。」
そう、おっしゃって頬を染めておられるメル様を見て確信した。
え?ミカ様、貴方もやらかしてるでしょ?
私より酷いやらかし方で…。
『メルたん』?『ハスハス』?
変態だったのか、ミカ様。
乳兄弟の私ですら、そんな姿知らないし、知りたくない!
見やれば、アントニアもその更に後ろで、気配を消していた従姉妹のケルビナー卿も、
ドン引きですよ!
平民の男なら酔って女性を孕ませるなんて吊し上げられて当たり前の所業…。
「ですから、お腹の子の父親は私のお慕い申し上げるミケーレ様のお子です。私と大切に育んでくださいませね。」
「なんと!」
ミカ様は自分の所業については、わかっているのか、いないのかだが、
愛する妻は未だ自分のもので、我が子を宿している事実に感涙している。
「そうだったのか!メル、疑って済まなかった!そうか…、そうなのか…。」
ミカ様は嬉しさを噛みしめるように、勢いよく立ち上がりメル様のもとへ跪いて、手の甲に口づける。
以前はそんな事、できなかったのに…。
まあ、何とかなってよかった、よかっ…た?
そういえば、帰還式の日は、メタトローナ大公と他三大公が、やたらとミカ様にお酒を勧めていたし、王太子宮には、すぐ出迎えるはずの侍従たちもいなかったのだよな…。
遅い時間と帰還式に人員を割いているのだろうと思っていた。
会場に戻ったときも、やはり護衛としてミカ様の事が気がかりで、王太子宮に戻ろうとする度に、エカテリーナ様が『家を継いで女大公になる。』だとか、『大公家以外からの婿がほしい。』とか大事な話を打ち明けておいでになるので、
他に取られるのではと、離れがたくなってしまって…。
…なんて、思っていると不意に違和感を感じた。
あの過密スケジュールの草案…ミカ様の執務机に置かれていて、『メルと離れるのが嫌すぎて、気がつけばこんなもの作っていたらしい。』などと、
言ってはいたが、似てはいたものの幼い頃より、乳兄弟として見てきた筆跡と少し違うような気がしていた。
ミカ様が多忙な時には、代わりを頼まれる補佐官が似せて代筆することもあるが…。
点と点を繋いで線になるとその先は早い。
つまり、誰かが何かを企てたとして、比較的諸外国と友好な関係を築いていて、内乱に発展するような火種がみえていないだけで、反逆や暗殺ならば、ミカ様を守れていなかったし、近衛騎士としては失格なのでは…?
命拾いしたのは今回の事を仕組んだお方は、恐らく、目の前の聡明なるメタトローナの”女神”…。
ミカ様が嬉しそうにお腹を眺めて、下を向いている間に私の方へ、イタズラが成功した少女のような笑みを浮かべているメル様だろう。
きっと、あの日、本当に狼になるのはメル様のはずで、ミカ様が狼になったのは、嬉しい誤算だったのではなかろうか…。
「ああ、そうだわ。もう一つお祝い事がありそうですよ。」
メル様の機嫌が悪くならなかったことで、悪びれていないミカ様は嬉しそうにメル様を見上げている。
「何だい?メル。」
本当にメル様のことになるとミカ様はポンコツだ…。
──メル様が敵にならないことを祈るほかないか…。
あの日のお茶会で、ミカ様を見るメル様の瞳も、わかりやすいほどで、淑女らし笑みを浮かべるようになってもそれだけは変わっておられない…。
今の所、メル様のお気持ちもミカ様に向いていることだけは、確信が持てるのだが…。
「近々、メタトローナ大公家より、アシュクロフト伯爵家にエカテリーナお姉さまとアシュクロフト卿の婚姻の打診があるはずですわ。」
……メル様、それって口止め料とかそういったものでしょうか?
fin.