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箱庭  作者: 弥生うづき
雪深い街 ヴェントゥール
4/5

4. 契約

◆報告書◆

人間のコギト化現象を確認

経緯不明 既存コギトの核を取り込んだものと推察

発生直後に暴走 近隣地帯に甚大な影響アリ 被害範囲については現在調査中

対象者はバルダギ共和国の奴隷とみられる エルウードと呼ばれていたとの情報アリ

被検体として対象の捕獲を試みるも調査員13名全滅

遺体を回収したが頭部と胸部の損傷が著しく、対象によって捕食された模様

捕獲を断念 以降は王家直下の討伐隊に移譲する


***


「もう呼ぶ者もいなくなって久しい。名前など、すっかり忘れていたが・・・。

いいだろう、人間の子よ。今はとても気分が良い、話だけは聞いてやろう。何のために契約を望む?」

牙を隠しもせず、獰猛な笑みを浮かべる狼、エルウードは確かに機嫌が良いらしい。

資料に載っていた特徴と一致していたとはいえ、名前を呼ぶことは一か八かの賭けではあったが、どうやら興味を引くことには成功したらしい。

本当の駆け引きはここからだが。


「望むものは1つ、私の旅に同行すること。旅の目的を手伝う必要はないわ。ただ同行してもらいたいだけ。」

「・・・たったそれだけか?世界でも滅ぼさないのか?」

拍子抜け、という表情をエルウードは浮かべた。

確かに炎の厄災と呼ばれたコギトに対する要求としては低いのかもしれない。だが。


「生憎世界には興味がなくてね。自分の事だけで精一杯よ。」

「はは、つくづくおかしな奴だな。それで?対価は?」

「人間に戻る方法を教えてあげる。あなたが探していたものでしょう?」


“人間に戻る方法”その言葉を聞いて、ぴくりと反応したのを見逃さなかった。


「私はとある研究施設からその情報を得た。コギトから人間に戻った実例も知っている。

同行してくれるなら、私の旅が終わる時にその方法を教えてあげれるわ。

もし私が約束を違えるような事があれば、その時は私の命と体を差し出す。

こんなところで閉じこもっていても退屈なだけでしょう。暇つぶしにでもどう?」


「人間に戻る方法、か。」

エルウードは何かを探っているようだった。それはリーファの言葉の真偽なのか、それとも自らの心の内か。なんとなく視線が外せなくなり、無言のまま見つめ合う。

しばしの逡巡のあと、意外なほどあっさりとエルウードは契約を受け入れた。

「ふむ、まぁいいだろう。ただし契約には1つ条件がある。なに、大して難しいことではない。」


そうして提示された条件は、契約の証として、エルウードの力をリーファに流すことだった。

それにより契約は確かなものとなり、簡単に反故にすることはできなくなるのだという。

しかし本来、精霊の力は人の身に余る。結晶化していない、力そのものを人の身に取り入れると、大体の人間はその力が体内で暴走して、内から爆ぜて死ぬ。

そうした人間を、これまでに()()()()()()()


「そんなに難しい顔をするな。

ちょっと力を流すだけだ。受け入れさえすればすぐに終わる。容易いことだろう?」


(簡単に言ってくれる。どうせできないと思ってるのね。)

この条件を受けるはずがないと、見下した表情を浮かべるエルウードを睨みつける。

立場が不利とはいえ、このまま舐められているのも癪だと感じ、語気を強めて言い返す。


「ええ本当に。そんな簡単な事でいいのね。」


「口だけは達者な奴だな。そう言うならここまで来い。」

名前を呼んだ時とは違う笑みで待ち構えるエルウードの元へ足を向ける。


「あぁそうだ、ちなみにこの体の炎は、恐怖や怯えを感じるものは容赦なく焼き尽くすぞ。お前が少しでも俺に対して恐怖や怯えを感じたら、その時お前は我が炎の餌食となるだろう。」


出会った時からすでに熱気を感じとっているリーファに対して、追い打ちの言葉をかける。

一歩近づく度に肌を焼く熱気は温度を増していき、とてもではないがこれ以上近づくことができない。

しかし身を焼かれそうな程の熱気を感じてふと思う。つまり自分は、今この狼に対して恐怖を感じているということなのだろうか。


(恐怖、恐怖か・・・。)

熱に浮かされた頭でぼんやりと考える。

すると、血だまりに沈むエインの姿が脳裏に浮かんだ。


この世で一番大切だった弟の躰に剣を突き立てた時の

掌に伝わる、鋼が肉と骨に当たる感触。

生暖かい血の温度。

足にしがみ付く、死にゆく者の意外な力強さ。

そして、それに止めを指すべく、ぐっと腕に力を入れて剣をさらに押し込んだ。

苦悶に歪む表情。

あの時の情景がありありと思い起こされて、腹の底から悪寒が走る。

あれこそが恐怖なのだろう。そうであれば、今のこの状況は大したことではないように思えた。

目の前で見下したように笑みを浮かべる狼も、恐れるには値しない。


(地獄なら、とうに見た。)


網膜に映る映像を過去から現実に戻すと、それまで感じていた熱気がすっと引いた。

一歩、また一歩とエルウードに近づいていく。気が付けば炎の毛並みは既に目前だった。

これまでも任務で何度かコギトと対峙してきたが、ここまで近づいたことはないかもしれない。

自分を焼くかもしれないその炎は、改めて近くで見ると本当に美しかった。


「まさかここまで来れるとはな・・・。

では約束通り、契約の証として俺の力を流させてもらおう。大丈夫、噛み殺したりはしないさ。少し力を流すだけだ。」

一見優し気に聞こえるその声も、よく聴けば嘲りの色が多分に含まれていた。

力が暴走して、身の内から爆ぜる様を想像して悦に入っているのか。

あまりにも馬鹿にされ、逆に笑いがこみあげてくる。微笑みを浮かべて迫りくる牙を待ち受けた。


大きな牙が段々と近づいてきて、ふと昔読んだ童話を思い出した。

狼に丸飲みにされた赤い頭巾の女の子は、どうやって腹の中で生きていられたのだろう。

猟師の助けがくるまで、ただ丸まって過ごしていたのだろうか。

そんな馬鹿な考えに意識をやっていると、首筋にちくりとした痛みを感じ、これまで感じたことのない熱が内に入り込んできた。


「ぅあ・・・!!!」


瞬間、視界が真っ白に焼き切れた。目を開けているはずなのに、何も見えない。

音が途切れて、キーンという耳鳴りしか聞こえなくなる。

血液が沸騰するようなごとごとという音が体内から聞こえる。

肉の焼ける匂いが鼻孔に拡がる。


これが現実に起こっていることなのか、精霊の力を受けたことによる幻覚なのかの判断すらつかなくなる。

実際に起こっているならば、既に自分は消し炭となっているのだろう。

倒れそうになる体を支えようと、目の前のものにしがみついた。

手に触れる感触から、自分にはまだ腕が残っているのだと理解した。そうして今触っているものがコギトであるということも。

意外にもそれは、生き物と同じような触り心地だった。


『受け入れさえすればすぐに終わる。』あの生意気な狼は確かにそう言った。

その意味がなんだか分かった気がした。


(そうか、それはそこに在るだけだ。)

理解せずとも、否定しなければいいだけのこと。

そこに在ることを認めること。

体内を荒れ狂う熱に逆らわず体の力を抜くと、それまで身を焦がす程だった熱は、包み込むような熱さに変わった。

その時どこか遠くから、子供の叫び声が聞こえた、気がする。


『名前を、呼んで!』


白む視界の中、その名を呼ぶ。

「エル、ウード?」


口にした途端、ものすごい強さで突き飛ばされた。

自由の利かない体でなんとか態勢を整え、力の入らない足と手で地面を捉え、滑る。幸い壁に打ち付けられる前に止まることができたが、あちこち裂傷したのだろう、血が肌に滲む不快さを感じる。


「は、はは・・・、まさか本当に受け入れるとはな。」

弾かれたように距離を取ったエルウードは、驚きのまなざしでこちらを見ていた。


「なかなかに信じがたいが、しかし契約は結ばれた。いいだろう、お前の望み通り旅に同行してやろう。

ちょうど退屈していたところだ、せいぜい暇つぶしくらいにはなってくれよ。」

これまでの上機嫌から一転、契約が結ばれたことが不本意であるように、不機嫌を隠さない声で契約が完了したことを告げられた。


「忘れるなよ。契約を違えれば、その時はお前の命も体も、全て喰らい尽くすぞ。」

最後の忠告のように牙をむいて脅すエルウード。

しかしその言葉を聞いて、リーファはにんまりと笑みを浮かべた。

「もちろんよ。それが契約ですもの。」


先ほどからチリチリと痛む、エルウードに噛みつかれた首筋。

リーファが押さえる手の下で、契約の証として不思議な文様が浮かんでいた。

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