3. 出会い
強烈な波長を放って消えた後ろ姿を追ってたどり着いた洞穴は、外から見ただけでは奥は薄暗く、どこまで続いているのかも判断できなかったが、かすかな熱気と精霊の波長が漂っている。
「いかにもこっちへ来いって言わんばかりの痕跡ね。」
それまで感じていた多数のエルゴの波長はすっかり鳴りを潜めている。それだけここにいる存在に怯えているということなのか。
辺りを伺いつつ奥へ進むと、熱気と波長が徐々に強くなってくる。
「有益な情報、どころかこれ当たりじゃない?」
隠せない不安から独り言が零れ落ちる。
幾度か道を曲がりながら奥へと進み続ける。どれくらい進んだのか、とうに入口の光は見えなくなっていた。
どこかに光源があるのか、うっすらとごつごつとした岩壁や床を見ることができるが
闇に慣れてきた目で、ようやっと輪郭が見えるかという程度で、見えるとは言い難い。
それでも波長を追ってなんとか暗がりの道を進むと、急に足音の反響音が変わった。少し開けた場所に出たようだ。
(ここ、だな。ここにいる。)
空気に圧があるかのように圧迫感を感じ、心臓が早鐘をうっている。熱気のせいか、汗が背中を流れていくのを感じる。
これまで感じたことのない波長の強さに、肌が粟立っていた。
キンとした静寂に、自分の鼓動だけが体内で響く。
「さっきのでよく分かったな。ただの阿呆ではなさそうだ。」
突然頭上から降ってくる声。
釣られて視線を上げる頃には、それは後ろに降り立っていた。
(動きが目で追えない・・・!)
感覚がついていけてないことを隠し、むしろ緩慢な動作で振り向くと、そこには毛並みを炎に靡かせた、深紅の狼が座っていた。
その姿は、状況を忘れて魅入ってしまうほどには美しかった。
毛並みに見えたのは立ち上がる炎で、赤や黄色、橙が揺らめき立っている。高温になっているのか、ところどころ白や青のグラデーションになっている様が、炎の美しさを引き立てていた。
先ほどから感じていた熱気は、この狼から発せられていたもので、充分に距離があるというにも関わらず、肌を焼くような熱を感じた。
立ち上がれば、優にリーファの背丈を追い越すであろう美しい狼は、血のように紅い瞳をこちらに向け、今はまだ様子を伺っていた
「あれだけ熱烈に歓迎されたら、来ない訳にはいかないでしょう?」
「俺のことを探していただろう?ちょっとした親切心というやつだ。」
そう言って、深紅の狼はいっそ可愛いとも思える仕草で小首をかしげた。
(間違いない、例のコギトだ。)
数年前、施設で手に入れた資料に載っていたその存在。
村をいくつも蹂躙し、喰らい尽くし、国を挙げて精鋭を集めた討伐隊をも軒並み返り討ちにした、その存在。
その身から拡がる炎はあたり一帯を焦土と化し、その地域は未だに草木1つ生えないという。恐れをなした人間から、炎の厄災と呼ばれたその存在。
(これはまずい、かもな・・・)
完全に甘く見積もっていた。
偶然見つけた資料に書かれていたその存在は、お伽話のような話だった。
時が経過して、当時の惨劇は幾分誇張されて記されていたのかと思っていたのだが・・・。
波長を感じるだけで、自分では到底敵わないことが分かる。
ともすれば自然と笑い出しそうになる膝を、ぐっと力をいれてなんとか止めようとする。
視界が微かにブレるなと思ったのは、体が小刻みに震えているせいだった。
先程感じていた熱気とは逆の悪寒が体の底から這い上がってきて、それを抑えるために自らを抱きしめるように腕を体に巻き付けた。
その拍子に、手がブレスレットに触れた。
(そうだった、こんなところで止まっている場合じゃないんだった。)
無理矢理押さえつけようとして強張っていた体の力を抜き、真っすぐに狼を見据える。
無駄な力を抜いたせいか、体の震えは止まっていた。
それを待っていたかのように、狼が口を開く。
「さて、ではここまでのこのこやってきた、愚かな人間の子に問おう。
何をしに、ここへ来た?」
怒りも軽蔑もなく、ただ狼は問う。
リーファも、ただ答える。
「貴方と契約をしに。」
「契約?この俺と?・・・ははっ!これは笑わせてくれる。
人間たちのいう、コギトやエルゴがどうして発生するのか、知らない訳はないだろう?」
精霊は感情を、自我を持たない。ただそこに在るだけだ。
しかしエルゴは違う。自我を持っている。
“なんらかの事象で自我を持った精霊”
―――その多くは、人間によって力を奪われ、自由を奪われ、命を奪われかけた精霊が、人間に対して負の感情を持った時、その強い感情が核となって自我が生まれる。
そしてコギトは、エルゴが知能を持ったもの。
何のために?
エルゴやコギトは、人間の負の感情の写し鏡。
彼らは『人間への復讐しか考えていない。』
「良いことを教えてやろう。そこらにいるエルゴと俺は同じ、核は“憎悪”だ。少しばかり他より思いが強いかもしれないが。
強欲で穢らわしい人間の子よ、このまま一思いに喰らってやろうか!?」
それまで表向けにでも穏やかだった波長が、荒れ狂う嵐のように吹きすさぶ。
正面からその力をぶつけられ、気を抜けばすぐにでも意識を飛ばしてしまいそうだ。
それでも、奥歯を噛みしめ、態勢を低く構えて耐え、憎悪に燃える狼の目を見据えて言葉をつなぐ。
「貴方も人間の子でしょう?いや、人間の子"だった"が正しいかしら。」
吹きすさんでいた風が一瞬止まり、狼が不可解そうに眉を寄せるのが見えた。
波長の渦で巻き上がっていた小石が落ちる音が聞こえる。
「なんだ、何を言っている?」
「私は貴方を知っている。貴方も強欲で穢らわしい人間の子だった。
そうでしょう?エルウード。奴隷の子、エルウード。」
名前を告げると、空気が凪いたようにピタリと動きが止まった。
数舜の空白。
驚きに目を瞬かせていた狼は、何かを逡巡するように頭を少し下げた。
そして突如、爆発するように笑いだした。
「…は、ははは、ははははははははははははは!
面白い、これは面白い!まさか俺の名を呼ぶ者が現れようとはな!!!」
深紅の狼エルウードは、牙をむき出しにして笑んだ。