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WELCOME TO HELL!  作者: 毛熊
第一章 闘獣編
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実戦

 生まれてから四十日、つまり一ヶ月が経過した。三十日前のように老爺こと調教師のゲオルグは私を直接痛め付けることはなくなった。と言うかあの拷問めいた行動は私が霊力と闘気を使えるようにするためのものであって、決して私をボロボロにするのが目的ではない。奴は別に蟲を虐めるのが好きなサディストではないのだ。


 だが、逆に言えば私を強くするのに必要ならば容赦なく責め苦を与える男である。それに今も直接的ではないだけでずっと私の身体に負荷をかけている。ゲオルグに私が抱くのは怒りと憎しみだけ。何時か絶対に殺してやる。


 ちなみに老爺の名前を知ったのは若様が一度だけそう呼んだからだ。若様の名前は知らない。ゲオルグは若様を『若様』としか呼ばないからだ。知ったとしても親しみを覚えることはないが。


「温度、よし。うむ、上手く耐えておるのぅ」


 私が今いるのは霊術回路によって雪山のような極寒となった箱の中だった。箱の内側には氷が張っており、天井の蓋からは氷柱が垂れ下がっている。闘気によって肉体を活性化させ、体温を保っておかなければ一分と保たずに死んでしまうだろう。


 ゲオルグ曰く、適しているとは言い難い環境に身を置くことで抵抗力を高めつつ闘気の出力が上がるのだそうだ。今日は極寒だけど箱の内側の環境は日によって変わる。昨日は外骨格に結露が付着するほど湿度が高くなっていたし、一昨日は煙で燻されて気分が悪くなった。どうやらその煙は羽虫くらいなら殺せる毒素を持っていたらしい……道理でフラフラになった訳だ。


 他にも人為的に作られた過酷な環境を体験させられた。ただし、砂漠を再現した環境はない。私にとって砂漠は故郷であり、苦しむどころか落ち着くと知っているのだろう。


 昼は暑く夜は寒く、そしてほぼ年中乾燥しているのが砂漠の気候だ。同じ状態にならないようにするためか、今日の環境は寒い上に湿度が高く設定されていた。


 私はギシギシと軋む外骨格を動かして表面に付着した霜を払いつつ、カチンコチンに凍り付いた自分と同じ大きさほどもある肉団子と格闘していた。これは私の知識ではなく蠍としての本能が知っていることなのだが、蠍とは生来の少食であるらしい。まだ私が小さいこともあいまって、蟻を一匹でも食べれば一ヶ月は絶食しても良いほどだった。


 故に本来はこんな大きさの肉団子を食べようと思えば一年くらいかかるだろう。しかし、今の私はこのくらいペロリと食べてしまう。それはゲオルグが新たに起動させた霊術回路のせいだった。


「餌もしっかり食べておるようじゃな。飢餓の霊術回路は上手く機能しておるようで一安心じゃわい。ほれ、追加じゃ」


 満足げに呟きつつ、ゲオルグは新しい肉団子を箱の中に放り込む。狂おしいほどの飢餓に苛まれている私は、無心に肉団子を鋏で削り取って口に運ぶ作業を続けていた。本人も言っているように、箱に飢餓の霊術回路と呼ばれるものが追加されたようなのだ。


 この霊術回路の効果はただ私の神経か何かに作用して満腹感を抑えるというものではない。もしそうなら私の腹はパンパンになってとっくに破裂しているだろう。どうやら霊術回路の真なる効果は私が活動するのに必要なエネルギーを増やすことなのだ。それも常に食べていないと死んでしまうほどに。


 私は一心不乱に食べ続ける。これに関しては味覚がない方が良かった。もしもフル族のように鋭い味覚があったなら、どれだけ腹が減っていても吐いていたかもしれない。何故なら、最近の肉団子は毒団子といっても過言ではないほど酷いからだ。


 最初は新鮮だった肉が腐肉となり、混ぜ物も血晶石だけでなく毒草や金属の粉末まである。どう考えても食糧ではなく劇毒なのだが、これを食べることもゲオルグに言わせれば鍛練なのだそうだ。


 毒物を摂取することは毒針の毒性を高めることに繋がり、金属を取り込むことで外骨格が金属のように固くなるらしい。毒を食べたからと言って身体から出せる毒が恒常的に変化するとは思えないのだが……私は脱皮で欠損部位すら治る不思議生物なのだからそんなものなのかもしれない。


 閑話休題。私が住み良い箱に戻ることが出来るのは、ゲオルグが定めた量の肉団子を完食した後である。本当は時間も定めているのかもしれないが、蠍が元来は少食な生物であるが故に食べるのに時間が掛かる。完食するのには長い時間が必要なのでそれを満たしているのだと勝手に理解していた。


 朝から夜まで何十個もの肉団子と格闘した後、私はようやく解放されて住み良い箱に戻される。闘気を維持しつつ食事も摂るのはとても辛い作業だ。私は砂の中に潜ると、そのまま浅い眠りに落ちた。


 こんな生活がずっと続くのかと毎日絶望していたが、夜が明けた四十一日目。その日もまた同じように辛い環境に耐えつつ、ただひたすらに食べ続けるのかと思っていた。しかし、ピンセットで摘ままれて連れてこられたのは何の霊術回路も刻まれていない金属の箱だった。


 昨日までとは異なる場所だからと言って、昨日よりも楽になるとは思っていない。むしろ今日は何をやらされるのかがわからない分、恐ろしいとさえ思う。


「お主は儂の想像を超えて優れた素質を持っておるようじゃ。よって早いかもしれぬが今日から実戦訓練を開始するぞ。ほれ」

「ヂュゥゥゥッ!」


 そう言ってゲオルグは私がいる箱に何かを放り込んだ。それが床に落ちた瞬間、私の足元は地震が起きたのかと思うほどに揺れてしまう。私は反射的に後ろへ逃げて何が落ちてきたのかを確かめた。


 ゲオルグが持ってきたのは、特に特徴のない溝鼠だった。毛並みは悪く痩せていて、かなり汚れているので野生の個体だろう。罠に引っ掛かっていたのか、後ろ足の付け根が赤く腫れている。それを生きたままここに連れてきたようだ。


 こいつ、本当は阿呆なんじゃないか?ゲオルグのことを私は他人事のように評価していた。だってそうだろう?私は生後四十一日目の蠍だ。生まれてから何度か脱皮しているので身体は二回りほど大きくなっているものの、まだゲオルグがピンセットで摘まめる程度には小さいのである。


 一方で私の前で壁を引っ掻く溝鼠はどうだ?そりゃあフル族に比べれば小さいが、それでも体長は少なくとも私の数倍もある。しかも体重に至っては数十倍、いや百倍を超えているかもしれない。そんな相手に勝てるとか、本気で思っているのか?


「ヂューヂュー!」


 溝鼠は壁を引っ掻きながら上を見るばかりで私のことを無視している。いや、ひょっとしたら気付いていないのかもしれない。その可能性は普通にあるし、このまま離れた場所で息を潜めておけば……あ、諦めてこっち向いた。


「……」

「……」


 溝鼠は同じ箱の中にいる私をじっと見ている。目と目が合ったような気がした瞬間、溝鼠は食欲という原始的な欲望を剥き出しにして一直線に私を狙って突っ込んできた。


 怖い。めちゃくちゃ怖い!突撃してくる自分よりも遥かに大きい生物に生存本能が激しく警鐘を鳴らしている。私は節足を動かして走り、どうにか溝鼠の牙から逃れることに成功した。


 最初は避けることに成功したものの、次も同じように避けられるとは限らない。どうする?どうすれば勝てるんだ?必死に考える私をゲオルグは不思議そうな顔をしながら上から見下ろしている。少し考えたら私の方が不利だとわかるだろうに。


「何故に霊術と闘気を使わぬのだ?さすれば溝鼠に苦戦することなどあるまいに」


 えっ、あっ、そうか。そうだった。私は霊術と闘気を使えるんだった。余りにも巨大な敵を前にして、私は萎縮していたらしい。当たり前のように使える技術を使えなくなるほど動揺していたのだ。


 私は闘気によって身体能力と外骨格の硬度を上昇させる。それだけで再び突撃した溝鼠を容易く回避出来るようになった。今の私ならばこのまま溝鼠が疲れきるまで逃げ続けることも可能だが、それは疲れるし意味がない。それに、そんな勝ち方ではゲオルグが納得しないだろう。


 私が霊術を発動すると、鋏と尾節が黄金に輝いてから砂の球体が毒針の先端に現れた。溝鼠は中空に現れた砂の塊に驚いてそれを凝視している。尾節を鞭のようにしならせて放った砂の塊は、溝鼠に当たったもののバサッと音を立てて飛び散るだけであった。


 傷らしい傷はなく、溝鼠は毛皮や顔にこびりついた砂を鬱陶しそうに前足で拭うだけである。あれ?昨日は砂の壁でゲオルグの霊術を防げていたから、溝鼠に痛打を与えられると思っていたのに…昨日と今日とで何が違うんだろう?


「む?霊術の出力が低すぎる。蟲ならば本能のまま、全力の殺意をぶつけるものと思うておったが…」


 ゲオルグは観察しつつ、再び私に役立つことを呟いてくれた。霊術は漫然と放ってはならないのだろう。昨日のように防御を固めるなら死にたくないという思いを、今のように攻撃するなら全力の殺意を持って発動しなければならないのだ。


 霊術と言う力の仕組みは未だに理解出来ていないものの、感情や意志を込めると良いらしい。ならばやってやろう。私の生きたいという、生き延びなければならないという強い思いをそのままぶつけてやるのだ。


「ヂュー!」


 私は再び霊術を使って砂の塊を作り出す。それを見た溝鼠は怯むことなく牙を立てようと襲い掛かってきた。きっと先程の威力を見て子供だましに過ぎないと判断したのだろう。だが、その判断は誤りだ。さっきと今とでは術に込める思いが違うのだから。


 二発目に放った砂の塊は、一発目とは比べ物にならない速度で溝鼠へと放たれた。溝鼠は咄嗟に躱そうとしたが、回避を許さぬ砂の弾丸は溝鼠の右前脚の付け根から右後脚までを貫通してしまった。


 溝鼠はバランスを崩してその場で転び、目を見開いて驚愕の表情を浮かべながら左側の脚をバタバタと動かしている。溝鼠の傷は深く、確実に助からないだろう。そうなるように私は殺意を込めたのだから。


 しかし、このままではこの溝鼠が余りにも哀れである。私を食べようとした憎き敵であるのは確かであるが、霊術と闘気を使える私からすると貧弱な個体である。ゲオルグはそれを知っていて私に殺させるべくここに入れたのだ。これを哀れと言わずして何と言う。


 私は床に広がった砂を霊術によって集め、大きな鋏の形状に整える。その鋏を動かして溝鼠の首に当てると、私は一息にその頭部を切断した。こうなれば即死させて苦しまないようにするのがせめてもの慈悲だと思ったからだ。


「おお!一発目は油断を誘う罠、二発目で致命傷を与え、確実に仕留めるべく首を刎ねるか!狡猾にして残忍!それでこそ冥王蠍よな!」


 ゲオルグは私の行動を都合の良いように解釈したらしい。私に普通の蟲よりも優れた知能があると思い至らなかったようだ。私は興奮しているゲオルグにこれ以上ないほどの殺意を込めた一撃を食らわせてやろうかと思ったが、その瞬間に全身に締め上げられたような痛みが走った。


 どうやら反逆を起こそうと考えるだけで私は苦痛に苛まれるらしい。畜生、雌伏の時はまだまだ続くようだ。私はピンセットでつまみ上げられながら、ゲオルグを様々な殺し方で葬ることを夢想するのだった。

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