誕生
一章完結までは毎日の0時に投稿予定です。
苦手な方は気分が悪くなるかもしれません。ストーリーの展開上、必要な話ですのでご了承下さい。
私の意識が覚醒したとき、最初に感じたのはとても強い閉塞感だった。身体が入るギリギリの大きさの部屋に押し込められているように感じる。身体を圧迫するモノを破壊するべく、私は必死に手足を動かした。
私を包み込んでいるのは柔らかい膜らしく、手足を動かすだけでは延びるばかりで破れてはくれない。そこで手足の尖っている部分を刺すようにして一点に力を集中させてみる。するとプツッと小さな音を立てて膜に穴が空き、その穴を拡げることで膜は徐々に裂けていった。
「キシィ…?」
膜から出た私は周囲を見回す。私がいるのは下と四方が金属で出来た大きな部屋であるらしい。天井部分だけは透明度の低いガラスが張ってあり、そこから光が差し込んでいるので暗いとは思わなかった。
ただ、問題とするべきは私がいる場所よりも周囲にあるモノだろう。それは白くて細長い卵だった。その大きさは私とほぼ同じであり、張りのある卵の膜は私を包んでいたものと同じモノである。つまり、この膜の内側にいる生き物は私の兄弟なのだ。
私は膜越しに兄弟の容姿を観察する。真っ白で身体は幾つかの節で構成され、八本の脚と二本の鋏、腹部の先端に鋭い針を持つ尾節を持つ生物……一言で言えば蠍だった。
私は兄弟の卵の上によじ登り、高い位置から状況を把握しようと試みる。すると私がいる部屋には私と同じ蠍の卵だけでなく、何種類もの卵が敷き詰められている。遠目にはその卵の内側にいるのが何かは全くわからないが、色とりどりの卵の園は毒々しさを通り越して壮観ですらあった。
私がどうして自分が蠍だと判断出来る知識があるのか。そして生まれたばかりの蠍の癖にここまで思考能力があるのは何故か。そもそもこの部屋はどこなのか。疑問は尽きないが、一つだけわかることがある。それは私には何よりも優先しなければならない使命があるということだ。
不思議なことに私は自分の知識を持つことについては疑問を抱いたのに、自分の使命については疑問を一切抱いていない。それが当然であると本能が知っているようなのだ。疑問を抱かないことを疑問に思う…我ながら意味がわからない。
私が自分自身について考察を深めていると、ガラスの天井が持ち上げられた。すると巨大な少年と老人が上から覗き込んだではないか。柔らかそうな金髪に生意気そうだが整った顔付きの美少年と、ボサボサで伸び放題の白い髭を蓄えた病的に細い枯れ木のような老爺だった。まるで正反対な外見の二人は、それぞれの顔に喜色を浮かべて私を見ている。
私の中にある知識がこの少年と老爺はフル族という種族だと囁いている。フル族はヒト種の一種だ。ヒト種の定義は手足が二本ずつ、頭が一つで二本の脚で立って歩く言語を操るだけの高い知能を持つことである。
フル族はその中でも最も数が多く、主に平野で暮らす好戦的な種族だ。異種族の群れと常に殺し合っており、フル族同士の群れも殺し合うことがあるのだから好戦的という評価は間違っておるまい。
ただ、フル族があれだけ大きく見えるということは、私はとても小さいということになる。考えてみれば当たり前か。蠍という生物は総じて小さいのだから。つまり、部屋だと思っていたこの場所は…孵化させるための箱だったのだ。
「おお、遂に孵化したぞ!」
「落ち着きなされ、若様。これからが本番ですぞ」
老爺はピンセットを持って箱の中に手を入れて、私を挟もうとする。慌てて逃げようとしたが、隠れる場所がない上に彼我の大きさの差は圧倒的だ。抵抗虚しく私はあっさりと捕まってしまった。
私はワタワタと手足を動かして逃げようと試みるが、老爺はピンセットの扱いに習熟しているのか苦しくないのにしっかりと身体が固定されているので逃げ出せない。私は使命を果たすことも出来ずにこのまま死んでしまうのだろうか?
俺の恐怖など知らない老爺は、ピンセットで摘まんだ私を別の箱に放り込んだ。こちらの箱は木製で、頑丈さでは劣っていそうだがこちらの方が特別製であるらしい。と言うのも箱の内側の壁と床には複雑な模様が描かれているからだ。
その模様を見た時、私の中の知識がこれは何らかの霊術に用いる霊術回路だと叫ぶ。だが、それがどんな霊術のためのものなのかはわからなかった。霊術についての知識はあっても専門的なことはわからないらしい。この知識は全知全能という訳ではなさそうだ。
「しかし小さいな」
「蟲の子供は大抵がこのくらいの大きさでございますよ」
「そうなのか?」
「はい、若様。そして孵化が速い個体は強靭な魂と肉体を持つ個体となると言われております。様々な蟲の番いを集めて繁殖し、同じ日に産卵した数万を超える蟲の卵の中で最も速い個体…きっとこの子は強い蟲となることでしょう」
「そうか。とにかく、強く育ててくれればそれでいい」
「仰せのままに」
ギョロリとした目の老人が骨と皮だけの手を霊術回路に翳すと、老人の手から霊力が放出されて霊術回路が赤く輝く。すると霊術回路によって赤黒い糸に変換された霊力が私の身体を縛り上げた。
肉体ではなくその内側が、言うなれば魂が軋むような筆舌に尽くしがたい激痛と不快感が私を襲う。私は甲高い鳴き声で絶叫した。意識を失いそうなほど苦しいのに、この霊術は意識を手放すことは許してくれない。それからしばらくの間、私は地獄のような苦しみを味わい続けた。
「ふう…『魂の隷属』は完了致しましたぞ、若様」
「これで自由に命令出来るんだな?」
「おっしゃる通りです、若様。命令権は若様と某にありますが、優先権は若様にございます」
「わかった。後は任せる」
拷問のような苦痛から解放された私だったが、節足一つ動かすことも出来ない。ただ二人のフル族の会話を聞きながら、複眼に映る自分の姿に驚愕した。まだ色素が定着していなかった私の身体に真っ赤な模様が浮かび上がっていたからだ。
扉が開閉する音がしてから、老爺は再び私の身体をピンセットでつまみ上げる。私は暴れることもせず、大人しくされるがままになっていた。それは動くのも億劫だという思いもあったが、ここまで手を掛けたのだから殺されることはないだろうという打算の方が強かった。
今度はどこに連れていくのかと思いきや、目的地は意外にも私が生まれた孵化させるための箱だった。そこでは既に何千、いや何万匹もの蟲が孵化しており、それらが入り乱れる蟲の海となっている。孵化しているのは私の兄弟姉妹であろう蠍だけではなく、百足、蜘蛛、蚰蜒、蜚蠊など実に様々な蟲がひしめき合っていた。
そこでは既に蟲同士の凄絶な殺し合いが行われていた。蠍が鋏で捕まえた蜚蠊に百足が噛み付き、その背後から飛び掛かった蜘蛛が牙を突き立てる。その外ではまだ生まれていない卵や千切れた節足などに蚰蜒が群がり、奪い合って共喰いに発展していた。
「ほうほう、後続が喰い合っておるわ。良き糧となるであろう。主人である我が命じる。死力を尽くして戦い、箱の中にいる全ての蟲を皆殺しにせよ」
「キシィィィ!?」
命令された瞬間、私の身体に浮かぶ模様が妖しく輝いた。そして私の中で膨れ上がったのは尋常ではない殺意である。そして一刻も速く老爺の命令を果たすべく、眼下で殺し合う蟲を自らの手で皆殺しにしなければならないという使命感だった。
普通ならばこの強烈な使命感に抗うことは難しいのだろう。しかし、私には生まれたときから抱いている一つの使命がある。それは私の魂の根幹に刻まれたものであり、強力な霊術であっても上書きをすることは出来なかったらしい。私はギリギリのところで理性を保っていた。
しかし、そのせいで命令に歯向かっている扱いになっているらしい。再び魂が軋むような激痛が私の精神に負荷を強いる。私の内なる戦いを知らない老爺は、ピンセットを放して容赦なく私を蟲達の海へと落とした。
「ギチギチギチ!」
「シャアァァァ!」
「フシュウゥゥ!」
背面から落下した私は命の危険を感じて素早く起き上がる。私の直感は正しかった。一瞬ではあるがひっくり返っていたせいで隙を晒していた私に、あらゆる方向から蟲が襲い掛かってきたのである。
蟲達の目には感情も知性も感じられず、ただ食欲と本能のままに向かってくる。その中には我が兄弟姉妹も含まれていた。共喰いに対して躊躇いも何もないらしい。所詮は蟲ということか。いや、私も蟲なのだけども。
「キイィシャアアアアアッ!!!」
だからと言って殺されて喰われてやる訳には行かない。老爺に命令されて昂る闘争本能のお陰か、はたまた老爺の話が正しかったのか、それとも私の内にある知識の力か。いずれにしても幸いなことに私は自分がどう動けば良いのかがわかっていた。
前方から迫る百足の頭部を鋏で捕まえて蚰蜒の群れに放り込み、背後から来た蜚蠊にまだ毒は出ない尾部の針を突き刺して鈍器として振り回す。精々、針が抜けるまでは私の武器として利用させてもらおう。
それからはもう死に物狂いで戦った。鋏によって蟲の首を断ち切り、捩り折ってトドメを差した。途中で折れた後は刺剣のように用いて蟲に突き刺した。長い腹部を鞭のように使い、尾部に突き刺した蟲を叩き付けて頭部や腹部を潰した。私の攻撃が届く距離に入った蟲の急所を正確に、そして一撃で確実に仕留めることだけに集中して戦ったのだ。
これは知性を持たない、しかも生まれたばかりの弱い蟲が相手だったからこそ成り立つ戦法だった。目の前で死んだ他の個体がどうして殺されたのかを学習せず、ただ本能のままに向かってくるのだから。
しかも一度体勢を立て直してしまえば取り立てて私を狙う理由はなくなり、大勢の中の一匹としか見なされない。集中的に狙われることは二度となかったのである。放り込まれた直後こそ、最も危ない場面だったのだ。
蟲達の戦いは激しく、それ故に数が減るのも速い。卵だらけだった床には夥しい数の蟲の死骸が転がっており、戦いによって飛び散った体液は床だけでなく四方の壁まで汚していた。ただ、蟲の数が数百にまで減った時点で戦いは急速に減っている。何故ならここまで数が減ってしまえば、生き延びた者達は転がっている死骸で腹を満たすことが出来るからだ。
今までの戦いは嘘だったかのように散らばって黙々と死骸を食べ始める蟲達の中でただ一匹、私だけは蟲を殺し続けた。それが全ての蟲を皆殺しにすることが命令であるからだ。
老爺の命令は完全に私を支配することは出来ないようだが、理性を保っているせいで私の精神には余計な苦痛を味わっている。だが、老爺が望む行動を取れば精神を苛む苦痛が驚くほど少なくなるのである。
どうせこれまで殺し合っていた相手なのだ。最後の一匹に至るまで殺し尽くしても変わりはしない。兄弟姉妹である蠍を含めた蟲達の生き残りを躊躇なく殺しきって、私は老爺の命令を遂行した。するとこれまでのし掛かっていた苦痛がぱったりと消え失せたではないか。命令の条件をクリアしたという判定になったのだろう。
ああ、疲れた。生まれて一時間と立っていないのにもう傷だらけだ。鋏は割れ、まだ柔らかい外骨格を牙に貫かれ、尾節の針は折れている。満身創痍としか言いようがない状態だった。
これから先、私は何をやらされるのか。この調子で魂に刻まれた使命を…『百年間生き延びること』を果たすことは出来るのか。大前提として蠍は百年も生きることが出来るのか。不安しかない中で私は取りあえず今を生き延びるべく、割れた鋏を目の前の蜘蛛の死骸に突き刺してその肉を貪るのだった。




