王都の長い夜 その二
私は鎖に繋がれたままの鋏と節足を全力で動かす。すると何時ものような痛みが走ることも身体が急に動かなくなることもなく、鎖は簡単に引き千切ることが出来た。
先ほど私の魂に走った感触。それは生まれてすぐに掛けられた霊術、『魂の隷属』が切れた合図だったのだ。どうして切れたのかはわからないが、重要なのはもう私を束縛する力はないということ。私は勢いのままに鋏で檻を破壊し、扉に向かって突撃すると右の鋏によって扉を挟み斬った。
「ガハッ……」
「何だ!?」
私は扉に寄り掛かっていたゲオルグを扉ごと両断した。本当はそれと向かい合っていたはずの襲撃者も一緒に斬ってやろうと思っていたのだが、危険を察して後ろに跳んで避けたらしい。ちっ、仕留め損なったか。
だが、何の被害もなかった訳ではないらしい。襲撃者が握る剣の先端部分が折れていたのだ。少しだけ固い感触があったから、あれが剣だったのだろう。
「こいつが……!ちょうど良い、始末させてもらおう」
襲撃者は私のことを睨み付けながら、折れた剣を私に向ける。私を殺すことが目的だとゲオルグに言っていたし、戦いは避けられそうもない。殺すつもりだと言うのなら、私も遠慮せず殺してやろう。
先手を取ったのは襲撃者の方だった。奴は私が動き出す前に踏み込み、剣を振り下ろす。普通の冥王蠍であればこれを回避出来ず、貫かれてしまうことだろう。しかし、奴にとっては残念なことに私は普通ではなかった。
「は……?」
私は鋏の次に固い尾節で剣を横から叩いて弾くと、右の鋏で襲撃者の両足首を切断した。ズルリと湿った音と共に前のめりに倒れる襲撃者の首を今度は左の鋏で両断する。襲撃者の首は何が起こっているのか理解できないとでも言いたげな、呆然とした表情のまま床に落ちた。
首を斬り落とされて生きられるとは思えないが、私は一応止めとして毒針を胴体に刺す。金属の鎧は質が良いのかかなり固かったが、毒針で貫けない程ではない。毒針は身体に突き刺さり、猛毒を注入することが出来た。
「ゴホッ!ゴホッ!」
ゲオルグは私の背後で咳き込んでいる。上半身と下半身は分かれているのにまだ生きているのか。老人の癖にしぶとい……止めを差してやろう。
私は取り立てて急がず、歩いてゲオルグに近付く。私は蠍という平坦な生物であるから、基本的にあらゆる生物を見上げる形になる。だからこそ、私が見下ろすことが出来るのは地に這いつくばるモノだけだ……まるで今のゲオルグのように。
「やはり、な。儂を……恨んで、おったか……フハッ、ゴホッ!ゴブッ……!」
私を見上げるゲオルグは、血反吐を吐きながら笑っていた。恨まれている自覚はあったらしい。しかし、死にそうだと言うのに何故この老人は笑っているのだろうか?
私が近寄る間に、ゲオルグは腕の力だけでうつ伏せの身体を起こす。自分の血で何度も滑っていたが、どうにか仰向けになることが出来ていた。仰向けになったゲオルグは、血で染まった上着の懐から何かを取り出す。それは複雑な霊術回路が刻まれた、円形の道具であった。
全体は金色で、中央に丸い凹みがある。凹みの底には穴が開いていて、その穴は裏側から伸びる中空の針に繋がっていた。周辺には宝石を固定する爪のようなモノが六本ある。何に使う道具なんだろう?
「フゥ……フゥ……フグゥッ!?」
ゲオルグはその道具を何と自分の腹部に突き刺した。ゲオルグが苦悶の呻きを上げると、道具の霊術回路が輝き始めた。刺した針の穴からゲオルグの血が湧き水のように上がり、あっという間に凹みを満たしていく。
しかし凹みから血が溢れることはない。六本の爪が妖しく輝いて透明な半球型の蓋をつくってそれを防いだ。ゲオルグの血液が蓋の内側を満たすと、道具が一度強く輝いてから機能を停止する。残されたのは結晶化して宝石のようになった奴の血だけだった。
「これが……血晶石よ。これでも儂は一廉の術士。血晶石の質も良いであろ……ガフッ!」
血晶石と言うと……ああ、確か私の餌に混ぜていた粉だったか。こんな作り方をしていたとは驚きだし、それを食べていたと知って少しげんなりする。それで、死ぬ間際にそんなものを自分の血で作ってどうするんだ?
ゲオルグは血晶石を作る道具を腹から引っこ抜くと、それを私に向かって放り投げる。反射的に鋏で叩き落とすと、道具は壊れて血晶石が床を転がった。攻撃と言うわけでもなさそうだし……本当に何がしたいんだお前は。
「食え。そして強くなれ!育て上げた我が名を歴史に刻むほどにぃっ!?」
熱に浮かされたように喚くゲオルグの喉に私は毒針を突き刺した。死にかけであるというのに元気なことだ。そしてこの期に及んで自分の意思を私に押し付けようとするのが気に入らない。
大体、恨まれていると知っていたのだろう?ならば私が素直に言うことを聞くと思う方がおかしい。私は毒針から毒を流さず、刺したまま鋏でゲオルグの血晶石を拾い上げると……そのまま鋏で握り潰した。
「な………ぜ………」
ゲオルグは驚愕を顔に浮かべたまま力尽きた。私が血晶石を食べなかったのがそんなに信じられないことだったのか?私からすれば憎たらしいゲオルグを殺してやりたい気持ちはあっても、それを食ってやろうと思ったことはない。憎い奴の血肉が己の一部となることを思えば食欲など消え失せてしまうわ。
ともあれ、ずっと殺したいと思っていたゲオルグを殺すことには成功した。それに『魂の隷属』が切れていることから、経緯は不明だが若様も死んでいる可能性が高い。つまり、私は自由になったのだ!夢にまで見た自由をようやく手に入れたのである!
小躍りしたい気分であったが、そんなことをしている暇があれば逃げる方が先決だ。私は闘気と霊力を徹底的に制御して気配を消し、足音を立てないように注意しながら節足を動かして地下から地上に出た。
「キシキシ……」
地上に出た時、屋敷と中庭の様子は一変していた。立派な屋敷は瓦礫の山に成り果て、美しく整えられた中庭の植木は炎に焼かれてもうもうと煙を上げている。私はこの惨状を見て、小さな鋏を擦りながら呆然とすることしか出来なかった。
地下に響くほどの爆発が聞こえたから予想はしていたが、実際にこの複眼で惨状を見ると少しだけ悲しい気持ちになっている自分に気が付いた。どうやら地下室から闘技場に運ばれるまでの短い時間に見た中庭の景色に愛着を持っていたらしい。そのことに私自身が驚いていた。
しかし、今の状況は逃げ出すのに都合がいいのは確かだ。この混乱に乗じれば比較的安全に逃げられるだろう。私は襲撃者の仲間の気配がする位置の逆方向に向かって駆け出した。
(むっ、霊術か)
私は襲撃者の仲間が放った霊術に気が付いた。しかしその軌道は私から大きくズレていて、私を狙ったものではない。威力もそこまで高くなさそうなので、余波を防ぐ必要すらないだろう。霊術の炎の球は私の目の前で屋敷の一角にある粗末な建物を吹き飛ばした。
その時、私は見てしまった。気付いてしまった。霊術が炸裂した爆風によって吹き飛ぶ破片に、建物と同じく粗末な服装のヒト種が何人も混ざっていたことに。あの建物は……侯爵の所有する奴隷の収容所だったのだ。
私の節足は自然とそっちに向き、気付けば全力で走っていた。崩れた建物までたどり着くと、瓦礫を鋏で砕きながら必死に掘り返す。そして発見した。細くて弱々しい、しかし甲斐甲斐しく私の世話をしてくれた包帯を巻かれた奴隷の右手を。
私は慎重に、しかし急いで瓦礫を退ける。それらを全て退けた時、そこにあったのは奴隷の右腕だけだった。ここにあるのは腕だけ……きっと爆風で千切れたのだ。身体は他の瓦礫の下だろう。
腕が千切れた上に瓦礫の下敷きになった……?それで生きている訳がない。それは死んだということ……そうか、死んだのか。そうか……死んだか。そうか……。
「ギチギチギチ……」
私は気付けば口元の小さな鋏を砕けそうなほど強く擦り合わせていた。節足と大きな鋏もブルブル震えている。闘気と霊力の制御が甘くなって、それと同時にその両方が爆発的に高まっていった。
何故、あの奴隷が死んだ?さっきの霊術のせいだ。何故、あの霊術は飛んできた?襲撃者が使ったからだ。何故、襲撃者は霊術を使った?敵を倒すためだ。
ならあの奴隷は襲撃者の敵だったのか?それは違う。あれは弱く、敵になり得ない。つまり、奴隷は関係のない戦いに巻き込まれたのだ。巻き込まれ、そしてアッサリと死んでしまったのだ。
私は自由になったのだから、『百年生き延びる』という使命を果たすためにこのまま逃げるのが最善手に違いない。それは理解している。理解はしているのだが……それを私の感情が、私の魂を焼き尽くすほど激しい怒りが許してくれそうになかった。
「ギチギチギチギチ!」
私の身体から怒気と共に放出される闘気は陽炎のように立ち上ぼり、霊力は周囲の瓦礫を風化させて砂へ変えていく。建物の瓦礫は砂に変わり、瞬く間に周囲は砂の山と化した。
初めて霊術を使った時から、私は砂を操ったり何かを砂に変えたりするのが得意だった。霊術の威力は込めた感情によって上下するのは知っていたが、激怒していると無意識に放たれる霊力だけで周囲を砂に変えてしまうとは知らなかった。
「キチチチ……」
私は鋏で優しく持っていた奴隷の右腕を砂の中へ丁重に埋める。そして砂の山を綺麗な円錐形にすると、それを霊術によってガチガチに固めた。
これはあの奴隷のための墓である。私の知識の中にフル族の弔い方などほとんどなかったが、数少ない知識の中に墓を建てるというものがあった。大きく立派な墓を作っても喜ぶとは思えないが、私に出来ることはこれとあともう一つくらいしかなかった。
私は自分が作った墓に背を向けると、霊術を放った者に向かって移動し始める。幸いにも奴等はこちらに敵意を向けながら一ヶ所に固まっているらしい。探す手間が省けて助かるよ。
私は冷静さを保つべく、溢れ出る闘気と霊力を抑えようと試みた。そのお陰で怒りに我を忘れることはなかったが、急激に膨らんだ力の制御は難しく、完全に抑えることは出来なかった。私もまだまだ未熟だな。
私は目的地に向かって真っ直ぐ進む。周囲が砂に変わってしまうので迂回する必要がないから楽だった。そして屋敷の瓦礫が砂になって崩れた先には、先ほど殺した襲撃者と同じ装備を身に付けたヒト種が四人いる。間違いない、彼奴等が私が殺すべき仇敵だ。
「ギシャアアアアアアアアアッ!!!」
私は抑えていた闘気と霊力を解放しながら雄叫びを上げる。それと同時に彼奴等も迎撃しようと動き出した。私は怒り狂っているが、頭の中は自分でも怖いくらいに冷静だ。容赦なく、確実に、手段を問わずに殺してやる。そう決意しつつ、私は砂になった地面へと潜るのだった。




