タブレット端末
「はて?ここは……どこだ?」
私は最愛の人を殺され、その復讐を果たした後に絞首刑に処された。私を独房から連れ出し、苦々しい顔付きで処刑場まで連れていった刑務官の方々の顔は私の記憶に鮮明に新しい。足元の床が開き、ガクンと首が折れる生々しい感覚はまだほんのりと残っていた。
そう、私は死んだはずだ。ならばここは死後の世界、つまりは地獄ということになるのかもしれない。しかし、地獄は想像していた場所とは大きく異なるようだった。
囚人服を着たままの私がいるのは何もない殺風景な荒野である。赤茶けた大地以外には地平線まで何一つ見当たらず、空は曇天で薄暗い。罪人に呵責を加える獄卒や三途の川、針山や血の池など、地獄絵で見たことのあるランドマークは一切なかった。
それとも、この何もない場所に居続けることが私に与えられた罰なのだろうか?もしそうなら甘受しなければなるま……ん?何か足に当たったぞ?
「これはタブレット端末?どうしてこんなものが……場違いにも程がある」
奇妙に思いながらも足元にあったタブレット端末を拾い上げて画面にタッチした。自然と起動してしまったのは刑務所での生活で電子機器から離れていた反動かもしれない。すると、勝手に電源が入ったようで画面が明るくなると謎のロゴが表示された。
見たことのないロゴだが、きっと私が知らないメーカー製なのだろう。家電に詳しくない私は世界でもトップシェアとされる企業くらいしか知らないのだから。
「あ、画面に文字が……『情状酌量の余地ある亡者の皆様へのアンケート』だと?」
タブレット端末の画面に現れた文章によると、どうやら私が地獄へ落ちたのは間違いないらしい。私怨で六人も殺したのだから当たり前なのだが、試験的に彼らの基準で情状酌量の余地がある亡者に限ってはこのアンケートを取ることにしたのだそうだ。
その結果如何によってその亡者、すなわち今回は私の刑罰が決まるのだと言う。厳正な裁判を行わなくて良いのかと問いたくなるが、文句を言う相手はいない上にアンケートに答えなければここから出られないらしい。随分と強引だが、まあ地獄に落ちた罪人なのだから甘んじて受け入れよう。
それにこれはきっと死に行く私が見ている幻覚だ。走馬灯とか、そう言う類いのものだろう。この非現実的な風景と状況が現実だと思う方がおかしいのだ。まさか自分がこんな幻覚を見るほどこの世に未練があるとは思わなかったが、取りあえずアンケートには答えておこう。
「第一問『貴方は自分が地獄に落ちたのは不当だと思いますか?』だと?もちろん『不当だとは思わない』だ」
私は人を殺した。その事実は揺るぎなき事実であり、例え相手が人として最低だったとしても私の罪を私自身は否定してはならない。その信念を曲げることだけは私には出来ないのだ。
私はアンケート淡々と答えていく。第二問の『貴方は自分の行為を後悔していますか?』への答えは『いいえ』。第三問の『貴方は自分の人生が幸福だったと思いますか?』への答えは……迷ったが『いいえ』。幸せな思い出もあるが、振り返れば辛い記憶ばかり浮かんでくるからだ。
時々意味がわからない質問もあったが、私は真面目に、そして誠実に答えていった。妄想だとわかっていても本気で考えてしまうのは何故だろうか?ともかく十分ほど画面に写るアンケートと格闘した後、私は遂に最後の質問にたどり着いた。
「第五十問『貴方は自分のことが好きですか?』……最後の最後に答え難い質問を持ってこられたものだ」
自分のことが好きか嫌いか。私は自分の信念を貫いた自分自身を嫌ってはいないと思う。だが、同時に身勝手極まる理由で人を殺した自分を好きだと断言は出来ない。それはきっと私の人としての理性が、復讐鬼と化して人を捨てた自分を認める訳にはいかないと思っているからだ。
これはもう私の生まれ持った性分であるから、簡単に割り切ることは出来ない。いや、むしろ昔から『生真面目が過ぎる』と言われて融通の利かない私は、不器用な生き方しか出来ない自分を好きになれず……嫌いだったのかもしれない。なので私は苦笑しながら『嫌い』と入力した。
画面の一番下には送信ボタンがあって、そこをタッチすると『送信中』の文字が表示される。しばらくすると『判定中』になり、『受信中』になってから『判決はココをタッチ』に変わった。
随分とまあポップというかラフというか、こんな適当で良いのかと思ったのだが……所詮は私の幻覚の産物。私の想像力の限界ということなのだろう。自嘲しながら私は示された場所をタッチした。
「判決は地獄行き。それは当然なのだが……課される罰の『百年生き残ること』とはどういう意味だ?」
実は獄中にあって自分が行くであろう地獄について調べたことがある。それによると地獄に落ちた亡者は獄卒による数百年の拷問など刑罰の中では当たり前、残酷な罪人であれば拷問はより苛烈で数千年以上にも渡るとされていた。
私が知っている地獄の知識はごく一部で、しかも仏教的な概念のものに過ぎない。だが、どの宗教であっても地獄というものがあればそこに落ちた亡者はきっと似たり寄ったりの酷い目に遭うに違いない。にもかかわらず、刑期がたった百年というのは短すぎないだろうか?
しかも刑罰の内容が『生き残ること』と言うのも奇妙である。私は疑問だらけであったが……幻覚なのだからこんなものか。画面の中央下にある『再審請求しますか?』のところの『いいえ』を選択する。
これで私の刑罰が確定したのだろう。タブレット端末の画面には『お疲れ様でした』と表示され、電源がプッツリと切れて黒くなった。その直後、私の周囲の世界が崩れていく。暗い曇天はガラスのように砕け、不毛な荒野はひび割れてその隙間へと私は落ちていった。
ああ、これでようやく終わりだ。私は自分が消えていくことへの恐怖よりも、苦痛に満ちた生の終わりに安堵した。視界が真っ黒になっていき、全ての感覚が徐々に鈍くなっていく私の耳に届いた最後の音は……『WELCOME TO HELL!』という機械的な声だった。




