魔人達の日常 その四
魔人達の鍛練は、朝食を摂ってから日没の時間まで休憩なしで行われる。その鍛練は激しく、悲鳴や怒号が飛び交うのは当たり前で、時には血の混ざった泡をを吹くことまであった。
しかし魔人の持久力は高く、骨が折れたくらいなら少し休めば元に戻る。重傷であったとしても、死ななければ翌日には治癒してしまう。またカレルヴォの魔人達は血の気が多いので、どうしても鍛練は殺し合いのような激しいものになってしまうのだ。
「鐘が鳴ったか。これで今日は終わりだ」
「クッソー!今日もボスに勝てなかったぜ!」
「相変わらず強いですねぇ」
日没を告げる鐘が鳴ったことで、今日の鍛練はここまでとなった。魔人達は鍛練を終え、配給の食糧を受け取ってからゾロゾロと自分達の天幕へと戻っていく。
最初にカレルヴォの魔人を全員殴り飛ばしてからは特戦隊の皆と戦うのだが、リナルドやトゥルが言うほど楽勝ではない。特戦隊の仲間達はかなり強くなっており、頑丈な外骨格がなければ敗北しているくらいには打撃を受けていた。
もしもこれが殺し合いであれば、私は確実に殺されているだろう。無論、私もただで殺されることはない。この四年で使いこなせるようになった双剣と尻尾の毒針、さらに霊術を絡めれば半数以上を道連れに出来る。そう言い切れるくらいには私は強くなっていた。
配給の食糧を受け取った後、我々も自分達の天幕に戻っていく。ただし、他の魔人達と我々に異なる点がある。それは我々にはミカがいて、配給される食糧を上手に調理してもらえる言うことだ。
「今日も頼む」
「お任せください」
主食である固いパン以外の食糧をミカ手渡す。それらを受け取った料理番を自ら買って出たミカと、助手であるシャルを初めとした数名が調理するのだ。
特に最近は妊娠によって鍛練に参加出来ないシャルは積極的に手伝っている。本来のヒト種は妊娠中はもっと大人しくしておくべきらしいが、魔人である我々は戦闘のような激し過ぎる運動でなければ胎児に悪影響はないらしい。ヒト種よりも頑健でいられる魔人の恩恵と言えた。
「ん。アリエルも」
「えっと、これでいいんですか?」
「はい。お預かり致します」
鍛練を終えたラピはアリエルを連れてミカに配給の食糧を渡す。アリエルは困惑している様子だが、ラピの有無を言わせない圧力に流されるまま食糧を渡していた。
魔人を相手に殴り合いをしている最中も、私は複眼によって新入り三人の様子は窺っていた。アリエルはラピが一対一で鍛練に付き合っている。二人の会話も聞いていたので、彼女が蜂の魔人であることも知ってしまった。盗み聞きだと思われたくないので、彼女が自分から話すまで知らないフリをしておこう。
性格が真面目なのか、ラピの言うことをよく聞いて鍛練に励んでいたようだ。魔人形態になったり元に戻ったりの感覚は半日で掴んでいた。ただし、それ以上の成果はほぼない。それはアリエルに才能がないのではなく、ラピの教え方に問題があったからだ。
ラピは格闘術の天才である。今、どんな動きをすると最も効果的なのかを瞬時に判断して実行出来るのだ。このセンスはラピの天賦の才としか言い様がない。そんな才能の塊であるが故に、ラピは教えることが致命的に下手なのだ。
うむ、明日はファルかトゥルに鍛練を見てもらうことにしよう。どうやらラピはアリエルが気に入ったようだが、こればかりは仕方がない。ラピは霊術が苦手であるし、そっちのセンスを確かめるためと言っておけばラピも納得するはずだ。
ただ、ラピは戻ってきてからずっとアリエルと行動するくらいに彼女がお気に入りになったらしい。今も髪をいじらせてご満悦だ。引き離すことになると機嫌を損ねるかもしれない。もしそうなるのなら、四人で鍛練してもらうしかないだろう。
「ユリウス、ボルツ。パン以外はミカさんに渡してくれ。今朝みたいな料理にしてくれるから」
「おう」
「わかり、ました」
その後に戻ってきたレオとユリウスとボルツの三人だが、普通に会話が出来るくらいには打ち解けていた。特にレオとユリウスの間の距離はかなり狭まっていて、友人と言っても過言ではない距離感になっている。先に戻っていたアリエルは目を限界まで見開いてユリウスの変貌に驚いていた。
三人の様子も私はちゃんと観察している。レオは最初にユリウスを殴り倒した後、彼に発破を掛けて鍛練することへの意欲を掻き立てた。どうやらユリウスには元々強くなりたいという願望があったらしい。その感情を上手に引き出したようだ。
それからは丸一日の間、集中して濃密な鍛練を積んでいた。アリエルよりも素早く魔人形態になる感覚を掴みつつ、レオからは格闘術と剣術の基本を教わっている。それなりに才能もあるようで、この調子で鍛練を積めばレオに匹敵する戦士になるかもしれない。二人で切磋琢磨して、より強くなって欲しいものだ。
最後の一人であるボルツだが、鍛練にはちゃんと参加している。ただし、それは嫌々であるのは目に見えて明らかだった。レオが想像以上に強く、従わねば危険だと思ったのかもしれない。他の二人と違って魔人形態になる感覚をどうにかこうにか掴んだようだが、それだけで一日を終えてしまった。
自分の生死がかかっているのだから、もっと真剣に鍛練に取り組まなければ初陣で死んでもおかしくない。なるべく仲間から死者を出したくないのだが、こればかりは本人のやる気次第なのでどうすることも出来なかった。ティガルやザルドとも相談した方が良さそうだ。
ちなみにユリウスが合成されたのは犬で、ボルツは豚であるらしい。ボルツが合成された生物を口に出したくなかったのは、家畜と合成されたことを恥じていたからだろう。そんなことを理由に蔑む者はいないのだが、本人が気にしているようなので触れてやらないことにする。いつかきっと気にならなくなる日が来るはずだ。
「……なぁ」
「あん?」
三人の将来について思いを馳せていると、ユリウスはリナルドとトゥルの方に近付いて声を掛けた。昨日息子であるロクムを故意に泣かされたことで、夫妻はユリウスのことを嫌っている。それ故にリナルドは明らかに敵意を持って睨んだし、トゥルは無言で息子を庇うように抱き締めた。
自分よりも数段強いリナルドに睨まれたユリウスは恐怖に身体を硬直させている。だが、その威圧を正面から受け止めつつ、彼は三人に向かって謝った。
「昨日は、その……本当に馬鹿なことをした。言い訳はしね……しません。本当に、すいませんでした」
明らかに言い慣れていない丁寧な言葉遣いになりながら、ユリウスは地面に頭を着けて土下座する。彼の行動に私を含めたほぼ全員が驚きを隠せない。それと同時に、彼が深く反省していることも伝わってきた。
レオとやり取りで如何なる心境の変化があったのか、私にはわからない。しかしながら、その変化は大変好ましい変化だと言える。このままことのなり行きを見守ろう。
「リナルドさん、俺もまだ事情を聞いた訳じゃないけど、こいつも結構辛い思いをしたんだと思うんだ。本気で反省してるみたいだし、許してやってくれないか?」
「あの!私からもお願いします!」
土下座するユリウスの横に膝を着いたレオは、懇願するような目を向けた。ユリウスを挟んだ反対側では慌てて駆け付けたアリエルがユリウスと同じように土下座している。放置されることになったラピが頬を膨らませて不服そうにしていた。
「はぁ、ったく。本当ならド突き回して半殺しにしようと思ってたのによ。レオ坊の面子もあるし、これで手を出したらこっちが悪役になっちまうだろ、って痛ぇ!?」
「もう、照れ隠ししちゃダメだよぉ。ユリウス君だっけ?謝罪は受け入れるわぁ。これからは、あんなことしちゃダメよぉ?さあ、頭を上げてねぇ」
頭をガリガリと掻きながら憎まれ口を叩くリナルドだったが、背中をトゥルにバシンと叩かれて悶絶する。おっとりとした雰囲気だが、特戦隊でも上位の腕力を有する彼女の張り手は本気でなくとも痛いのだろう。
夫を黙らせた後、トゥルはユリウスの謝罪を受け入れた。未だに土下座し続けているユリウスとアリエルを立たせると、トゥルは二人を広場に座らせていた。相変わらず包容力のある女性である。
「おいおい、俺の倅は洗脳か何かが使えるようになったのか?あの生意気なガキが大人しくなってるじゃねぇか」
「変なことはしていない。レオはただ群れの序列を教え、鍛錬する目標を与えただけだ」
心配そうな顔をしたティガルがコソコソと近付いて私に尋ねる。ユリウスの劇的な変化に、息子であるレオが妙な技術に手を染めているのではないかと思ったらしい。こう見えてティガルは親バカだ。息子を信頼していないのではなく、息子を心配し過ぎているのである。
ティガルの心配を解消すべく、私はレオがやったことを教えた。彼がやったことは二つ。実力の差を見せつけてから、理不尽に立ち向かいたければ力を付けろと諭したのだ。
魔人にされることは一般的な人の括りから外されることであり、これは究極の理不尽と言って良い。それを行われた者は誰でも大なり小なり理不尽だと感じている。ユリウスはきっとその気持ちが強かったのだろう。レオはその感情に訴え掛けたのだ。
「妙なことはしていない。私は全て見ていたからな」
「それなら良い。安心したぜ」
ティガルはホッと胸を胸を撫で下ろす。普段は剛毅な性格なのだが、レオが関わると急に優柔不断になったり心配性になったりする。そのことで妻であるシャルによく叱られていた。
何はともあれ、新入りの補充要員三名は鍛練に参加するようになった。私の直感が正しければ、次の戦いは近い。それまでに魔人としての力を使いこなせるようになって欲しい。そんなことを考えながら私はミカ達の料理が終わるのを待つのだった。
次回は10月31日に投稿予定です。