本戦第二試合
予選の時に私が約束通りに首輪を破壊し、その縛めから解き放った妖狐族のカタバミ。死んだふりをしていた彼女の姿は闘技場から消えていたので、てっきりもう逃げたのだと思っていた。
しかし、現実に彼女は今ここにいる。どうして逃げないのだろうか?私の疑問を察したのか、カタバミは悔しそうに端正な顔を歪めて歯軋りした。
『さっさと逃げようとはしたのよ?でも無理だったの。ここの出入口って頑丈な門で封鎖されてるのよ。多分、脱走対策ね!忌々しい!』
逃げられなかったことが余程腹が立ったのだろう。カタバミは地団駄を踏みながら尻尾を振り乱していた。私の節足をペシペシと叩いているが、全く痛くない。それどころか柔らかな毛が当たって心地よいくらいだった。
しばらく暴れて気が晴れたのか、カタバミは大人しくなってから再び姿を消した。彼女は見えなくなっただけで身体は確かに存在している。彼女はピョンと飛び上がってから私の上に座り込んだ。
『だからこの闘獣会?とか言うのが終わるまで隠れて、人気がなくなってから逃げることにしたの。それまではあんたの近くに居てあげる。感謝しなさい!』
ああ、感謝するとも。少々騒がしいが一人で観戦するよりは断然マシだ。それにひょっとしたらカタバミはこれから観戦する闘獣について情報を持っているかもしれない。それを活かせれば私が生き延びる確率は上昇することだろう。
本戦の第一試合は片付けるのが面倒な死体がなかったので、軽く清掃をするだけで第二試合の準備は整ったらしい。観客席のざわめきが少しずつ小さくなっていく。その後、これまでと同じように支配人の声が闘技場に響き渡った。
「お待たせいたしましたっ!これより本戦第二試合を始めさせていただきますっ!」
支配人が言うが早いか、獣鬼が出た隣の出入口から次の闘獣が現れた。それは四肢が妙に長い蛙だった。全身がヌメヌメした粘液に包まれており、紫色の斑模様のある鮮やかな赤い皮膚は明らかな警戒色だろう。私と同じく有毒の生物だと思った方が良さそうだ。
蛙には首輪がないことから、生まれた時から調教された個体だと思われる。毒があることに加えて調教されて育ったことまで私と同じ境遇だ。だからと言って仲間意識なんて全く目覚めないが、どんな戦いぶりを見せてくれるのかは気になった。
「焔毒蛙のエントリーですっ!予選ではわざと食べられることで強敵を殺し、我々を大いに驚かせてくれましたっ!密林地帯で活動する狩猟者を最も苦しめる猛毒の蛙は、『新人戦』の本戦でも力を見せてくれるのでしょうかっ!?」
『蛙かぁ…毒がなければ美味しいんだけどねぇ。あ~、早く自由になって蛙とか鼠とか食べたい!』
わざと食べられる……そんな発想はなかった。本戦第一試合を戦った闘獣達に比べると霊力も闘気も貧相だが、強力な毒によって地力の差を覆して生き残ったらしい。これまでの私なら絶対にやらない戦い方だが、私は必ず生き残らねばならない。必要とあらば参考にさせてもらおう。
私の上で涎を垂らしているカタバミはともかく、蛙の向かい側にある出入口から現れたのは対戦相手である闘獣だった。その外見は混沌の一言である。獅子と山羊の二つの頭を持ち、尻尾は深緑色の蛇、背中には蝙蝠の翼が生え、四本の脚は頑丈そうな鱗に包まれていたのだ。
「対するは最先端錬金術の結晶っ!ルドルフ・ミュラー師が造り出した合成獣ですっ!五匹もの生物を混ぜ合わせ、その潜在力を可能な限り引き出した正に傑作っ!予選では圧倒的な強さを見せ付けましたっ!『闘獣会』始まってより参戦した合成獣の中でも最強と言っても過言ではありませんっ!」
『うわっ!不気味!摂理を曲げてまであんなのを作るなんて、フル族は頭がおかしいんじゃない?』
合成獣……二種類以上の生物を混ぜ合わせて一つの個体にされた存在か。支配人は傑作だと言っているが、私の感覚ではそうは思えない。身体が一つだからか闘気に違和感はないが、霊力には何と言うかムラがあるように感じたのだ。
これまで多くの生物と戦わされて来たが、こんな生物を見るのは初めてだ。きっと五つの生物の魂が一つの身体に押し込められていることが原因なのだろう。あれでよくもまあ傑作とか言えたものだ。
「それでは、本戦第二試合っ!始めぇっ!」
「ゴルロアアアッ!!!」
「メェェェェェッ!!!」
戦いが始まった瞬間、合成獣は勢いよく駆け出した。そして霊力を高めると獅子の口からは炎を、山羊の角からは電撃を、蝙蝠の翼からは風の刃を放ったのである。対する焔毒蛙はその場から全く動かず、その攻撃を正面から受けてしまった。
あれは死んだか、と思ったものの焔毒蛙は平然とその場に座っていた。何もしていなかった訳ではなく、全身を包む粘液を大量に分泌して分厚い鎧にしていたのである。合成獣は前足を振り下ろしつつ尻尾の蛇で噛み付こうとするが、物理的な攻撃をも粘液は弾いてみせた。
「グルルルル…」
「ゲコッ」
合成獣は攻撃が通用しなかったことで慎重に隙を伺いながら焔毒蛙の周りを円を描くように歩くが、ここで焔毒蛙が反撃に出た。身体を包み込んでいた粘液が皮膚と同じ毒々しい色に染まると、その一部が弾丸のように発射されたのである。
合成獣はしっかりと反応して素早く距離をとりながら回避する。粘液は床や壁に着弾すると、ジュウジュウといいながら石材を溶かしてしまった。石を溶かすほど強力な酸であるらしい。それに恐らくは毒性もありそうだ。あの粘液に触れれば肌が爛れつつ毒に犯されてしまうだろう。
「おおっと、焔毒蛙の反撃だっ!何と強力な粘液でしょうかっ!教授、あれはどのような性質なのでしょうか!?」
「焔毒蛙の分泌する粘液は恐ろしいですよ。溶けた水は無色透明であるにも関わらず、一口で致死量を超える猛毒となります。しかも熱しても毒が飛びません。事実上、焔毒蛙が触れた水はもう二度と飲めないと考えて良いでしょう」
「それは恐ろしいっ!本戦に残るのも納得の凶悪さですっ!」
あの粘液は有名な攻撃であるようだ。水で薄めても熱を加えても毒性に変化がないとは恐ろしい。あれが泳いだ水場で生き残るには相当な毒への耐性が必要になるだろう。私なら大丈夫だと思いたいが、何時か自由になった後も気を付けなければあっさりと死んでしまうくらいに世界は危険に満ちているようだ。
合成獣は乱射される粘液の弾丸を山羊の角から放つ電撃で迎撃しつつ逃げ回っている。その姿を見た観客の反応は嘲笑するか罵詈雑言を浴びせるかの二通りだった。大きくて雄々しくて強そうな方が、小さくて醜くて弱そうな方に翻弄されているのだ。彼らの反応にも頷ける。
罵詈雑言の方が多いように聞こえるのはきっと合成獣に賭けている者の方が多いからだろう。合成獣の方が強そうだし、焔毒蛙は毒という一芸が通用しない相手に勝つのは難しい。どちらの方が有利かと問われれば、私だって合成獣だと答えるだろう。その予想が覆されつつあるのだから、大金を賭けていた者の怒りが高まるのも当然だ。
しかしながら、気付いている者は気付いているだろう。合成獣の身体の中で高まる闘気と膨れ上がる霊力に。奴はただ逃げているのではない。反撃のために力を溜めているのだ。
『ちょっと!逃げちゃダメじゃないのよ!ちゃんと戦え!コノヤロー!』
「ガオオオオオオオオッ!!!」
……私の上に座るカタバミは観客の雰囲気に飲まれたのか、気付いていないようだ。彼女が飛ばした野次に応えた訳ではないだろうが、合成獣は遂に反撃に出た。これまで防御を山羊の頭に任せていた獅子の頭が限界まで口を開けると、闘技場全体に大音声が轟かせたのである。
この咆哮はただの声ではなく、膨大な霊力を籠めた霊術だ。口から咆哮に霊力を乗せただけの原始的な霊術ではあるが、原始的であるからこそ威力は使った霊力に比例する。解き放たれた霊力は暴風となって焔毒蛙を打ち据えた。
もしもこの咆哮が一瞬だけならば、焔毒蛙の粘液が衝撃を受け止めたかもしれない。だが、力を溜めていた合成獣はしばらく吼え続けた。粘液はビチャビチャと音を立てつつ剥がれていき、遂に焔毒蛙を守っていた粘液の鎧は完全に飛び散ってしまった。
「メエェェェェェ!」
「ゲゴォッ!?」
防御の要を失った後の焔毒蛙は脆いものだった。山羊の角から放たれる電撃に貫かれ、獅子の口が吐く炎に焼かれ、蝙蝠の翼の羽ばたきが作り出す風の刃に切り刻まれる。
その間、合成獣が焔毒蛙に近付くことは決してなかった。煮え湯を飲まされた相手に油断をするほど愚かではないらしい。焔毒蛙は執拗に攻撃され続け、徹底的にその身体を破壊されてしまった。
「決着うううっ!危うい場面もありましたが、下馬評通りに合成獣が勝利しましたぁっ!」
支配人が合成獣の勝利を告げると観客は歓声を挙げて勝者と讃えた。その声の中に安堵が多分に含まれているのは気のせいではあるまい。損をしなくて良かったね。
合成獣は勝利したものの、準々決勝では岩竜の幼体と激突することになる。客観的に見てあの化物に勝てるとは思えないが、獣鬼よりも合成獣の方が攻撃の引き出しが多いので、岩竜の力の一端を見せてくれれば儲け物だ。
『不味そうなのが負けて、歪んでる方が勝ったのね。予想通りっちゃあ予想通りだけど、思ったよりも見応えがあったわ!』
カタバミは機嫌が良さそうな念話を送ってくる。じきに私もその戦いに赴かなければならないのだが、そのことは考慮していないらしい。他人事だからと呑気なものだが、そんな彼女を見た私の心は温かくなっていた。
自由になって無邪気にはしゃぐ彼女を見ると、心の底から助けて良かったと思える。ああ、私の魂はまだ堕ちてはいない。己の不幸を理由に他者を呪うのではなく、苦境にあっても他者の幸福を喜べる感性が残っている。そのことがとても嬉しいのだ。
焔毒蛙の粘液の処理が終わり次第、本戦第三試合が始まることだろう。それまではこの小さな喜びを噛み締めよう。ヒト種の奴隷達がせっせと働くのを尻目に、私は余人に理解されぬであろう歓喜に震えるのだった。




