本戦第一試合
予選を終えた後、私は檻の中で闘技場を漫然と眺めていた。私の檻は収容所に戻されることはなく、出入口の近くに置かれたままにされている。ゲオルグと運営の者の話を盗み聞きしたところによると、予選を勝ち抜いた他の闘獣はそれぞれ別の出入口付近で待機しているとのこと。出入口が沢山あるから出来ることだ。
私と同じ予選を通過した闘獣達の処理が終わり、今から本選の第一試合が始まろうとしている。戦うのは予選の第一試合と第二試合を生き残った闘獣だ。予選の試合順でトーナメントに割り振られているらしい。つまり、私は本選の第八試合に出ると言うことだろう。
「準備が整いましたっ!それでは皆様、本選の第一試合を開始いたしますっ!」
支配人が贅肉を揺らしつつ大声で宣言すると、先ずは私の隣の出入口から一体の闘獣が現れた。闘獣はヒト種と同じ二足歩行で二本の腕を持ち、しかしヒト種の倍以上はある背丈とヒト種ではあり得ない青色の毛に全身を包まれた生物だった。
伸び放題の毛の間には大きな一つの眼が、髭の隙間からは鋭い牙がズラリと並んだ大きな口があった。服と言えるモノは汚れた腰布ただ一枚で、毛むくじゃらの四肢の下には筋肉が詰め込まれている。首には当然のように『隷属の首輪』が掛けられていて、私とは違って捕まった野生の生物だと思われる。
そいつは闘技場に現れるなり、丸太を削り出しただけの武骨な棍棒を肩に担いだまま大欠伸をしていた。余裕の現れか頭が悪いだけか……私の複眼には前者に見える。奴から漂う闘気は尋常ではない。鍛え上げた私に匹敵するだろう。これが本戦のレベルか。
「予選第一試合を勝ち残りましたのは、南方の大陸より流れ着いた獣鬼っ!第一試合では開始と同時に左右の闘獣を殴殺し、予選で最も多くの闘獣を殺した生粋の殺し屋ですっ!」
あれは獣鬼というのか。南方の大陸から流れ着いた後、何かがあって生け捕りにされてここに来たのだろう。運が悪い奴だ。いや、生まれた時から自由がなかった私に比べればマシだろうか?
観客がガヤガヤと騒いでいると、向かい側の出入口から対戦相手の闘獣が現れた。ノシノシと地面を揺らしつつ出てきたのは獣鬼と同じ二足歩行の、しかし獣鬼よりも巨大な蜥蜴のような何かであった。
ゴツゴツした金属のような鱗が全身をくまなく被い、太い後ろ足がそれを支えている。両足の鉤爪と大きな口にある牙は刃物よりも鋭そうだ。先端まで太い尻尾には無数の棘の生えていて、殴られれば私の外骨格も砕かれてしまいそうだ。頭頂部と側頭部からは二本ずつ立派な角が後ろに伸びており、かなりの威圧感を放っていた。
「対するは予選第二試合の勝者にして優勝候補筆頭っ!最強の生物の一角とされる竜種、その中でも最も防御力に優れた岩竜の幼体ですっ!幼体ではありますが、その防御力は絶大っ!予選では他の闘獣の攻撃をものともせず!他の闘獣をマイペースに蹂躙したのは皆様もご存知でしょうっ!」
竜種…あれがそうなのか。生物について詳しくない私の知識だが、竜種については流石に知っている。この世界を創造したのは『名も無き全能の無貌神』と呼ばれる存在だ。その大いなる神は宇宙と星々を創り出したと言われている。だが世界を創り出した後は興味がないとばかりに世界から去っていった。
神は去ったものの、その残滓は世界に残っていた。それは先ず魂の残滓と肉体の残滓の二つに分かれた。魂の残滓は六つに分かれて六柱の古神となり、肉体の残滓は無数に分かれて星々に散っていったという。
全能の神の一部とは言え、世界に残ったのはその残滓に過ぎない。私に例えるなら脱皮した脱け殻の欠片のようなものだ。それがさらに細分化されたせいで、肉体の残滓は分かれた時点で力を失ったものの方が多かったと言う。
私がいるこの星に降り注いだ残滓は数が多く、またそのほとんどが力が残していた。それによって様々な生命が誕生したのであるが、中でも最も大きな残滓から誕生したのが竜種の始祖だったのだ。
竜種はその始まりから、大いなる存在の残した力を最も受け継ぐ生物である。世界に残された残滓の半分が六分割された古神には及ばないし、実は他の星にはもっと大きな残滓から生まれた生物がいるのかもしれない。だが、少なくともこの星において竜種は全ての生物の頂点に立つ絶対的な強者なのだ。
それ故に竜種は幼体であっても尋常ではなく強い。こうして対面した時に感じる霊力と闘気の量は凄まじい。その強さを感じ取っているからか、姿を見せた瞬間に獣鬼はそれまでの余裕を失った。低く唸りながら棍棒を構えている。
その肩や膝が震えているのは武者震いかそれとも怯えか。私にはわからなかった。
「それでは本選第一試合っ!始めぇっ!」
「ゴアアアアアアアアッ!!!」
支配人が試合開始を告げた瞬間、獣鬼は雄叫びを上げつつ闘気を練り上げて駆け出した。大上段に構えた棍棒を腕力と速度と体重を全て乗せた一撃を頭部に食らわせる。獣鬼の全身全霊を込めた打撃は、闘技場に凄まじい音を響き渡らせた。私であれば闘気を使っていたとしても外骨格が割られていただろう。
だが、獣鬼の必殺の一撃は岩竜に全く通用していなかった。霊術も闘気も高めず、身構える素振りすら見せず、殴られたにも関わらず微動だにしなかった。それを見た誰もが思ったことだろう。格が違う、と。
獣鬼は雄叫びを上げながら何度も何度も棍棒で岩竜を打ち据えた。一発殴る毎に発生する轟音がビリビリと外骨格を震わせるものの、それでも岩竜が動くことはない。数分もの間、獣鬼は何かに取り憑かれたかのように棍棒を振り下ろし続けた。
「ゴヒュー……ゴヒュー……ゴオオオオオッ!」
獣鬼の体力も無尽蔵ではない。徐々に勢いは弱まり、今では肩で息をしながらフラフラになって棍棒を振ることしか出来ていなかった。そして最後の一撃とばかりに気合いを入れて殴った時、粗悪な丸太の棍棒はベキッと音を立てて根元から折れてしまった。
獣鬼は折れた棍棒を信じられないとばかりに見詰めたが、すぐに捨てて今度は素手で殴り掛かる。ゴツゴツした岩竜の鱗を殴ると、一発毎に獣鬼の肌の方が傷付いて血を流す。痛みを感じていないかのように殴り続けるせいで、獣鬼の青い毛は見る見るうちに己の血で赤く染まった。
その時、これまで何の反応もしていなかった岩竜に動きがあった。鼻先を動かし、眼を何度もまばたきさせている。まるで何かを我慢しているようだ。獣鬼は攻撃が通用したのだと判断したのか、より大きな雄叫びを上げて殴るペースを上げた。
「グオォ……グオッシュン!」
「グガアアアアアアッ!?」
岩竜が我慢していたもの。それは痛みではなくくしゃみであった。そしてただくしゃみをしただけであるのに、闘技場の空気は震え、目の前にいた獣鬼は吹き飛んで壁に叩き付けられた。
頭から血を流しつつ崩れ落ちる獣鬼を見て、観客は一気に盛り上がる。闘獣が血を流すのがそんなに面白いのだろうか?小汚ない貧乏人から貴賓席の貴族様まで反応に差はない。フル族とは残酷な光景が大好きと見える。
血の海に沈んだ獣鬼は起き上がる素振りを見せなかった。どうやら脳ミソが揺らされて失神しているらしい。そんな獣鬼に向かって岩竜はノシノシと歩み寄ると、後ろ足でその頭を踏み潰した。
強者であったはずの獣鬼は、グシャリという水っぽい嫌な音と共に呆気なく死んでしまった。岩竜は勝利の雄叫びを上げたりはせず、口を大きく開いてその死体を食らうだけである。咀嚼する度にグチャグチャ、ゴリゴリと生々しい音が闘技場に木霊した。
「きっ、決まったぁぁっ!最強種はやはり別格っ!たった一度のくしゃみだけで、強靭さと頑強さで知られる獣鬼を沈めてしまっいましたっ!ダンマーレン公のご子息、ウィリバルト様の岩竜はやはり強かったぁぁっ!」
「ゲプッ」
岩竜は短くゲップをすると、大人しく自分用の出入口へと戻っていった。『隷属の首輪』があるので、主人の命令に従っているのだろう。どうやればあの圧倒的な強者に首輪を嵌めることが出来るのだろうか?私は見せ付けられた圧倒的な強さを前に、純粋な疑問を抱いてしまった。
ひょっとしたらあれを手玉に取れるほどの強者がいるのかもしれない。私の知識によればフル族の強さは個人によって大きな差がある。あれの所有者であるダンマーレン公とやらにはそれほどの手練れとの繋がりがあるのかもしれない。
あ、私が決勝まで勝ち残ったならばあれと戦わなければいけないのか。そして勝利しなければ、明日の朝日は拝めない…ああ、絶望的だな。気付かなければ楽だったことに気付いてしまったようだ。
しかし、逃げられないのは十分に承知している。ならばどうすればあれに勝てるだろうかを考えた方が建設的だ。霊術と闘気を全力で使いつつ、手段を選ばずに立ち回る必要がある。さて、どうやって戦うべきか。奴の戦いをあと二回見ることになるだろうから、それを見つつ作戦を立てなければ。
『うわぁ…竜種を見たのは初めてだけど、本物の化物ね~』
岩竜と戦う覚悟を決めた私の頭に、聞き覚えのある子供の声が聞こえてくる。微かであるがヒタヒタと床を歩く音が聞こえたのでそちらに注意を向けるものの、思っていた姿は見えなかった。
不思議に思っていると、私の節足を柔らかい何かに撫でられたではないか!驚愕に硬直している私の頭の中にクスクスと可愛らしい笑い声が響いた。
『不思議そうね?あたし達妖狐族は幻惑の霊術が得意なの。姿を消すくらいはお手の物よ!』
撫でられた節足のすぐそばの空間が陽炎のように歪んだかと思えば、金色の美しい毛並みを誇る子狐、カタバミが現れる。その顔はどこか得意げであった。




