予選
闘技場に節足を踏み入れた私だったが、私の鋏は見えない壁にぶつかった。節足を左右に広げようとすると、そこにも壁が出来ている。確認とばかりに尻尾を後ろにそっと伸ばすと、やはり壁にぶつかった。
どうやら私は透明な箱に囚われているようだ。闘技場では他の闘獣も同じように透明な箱に囚われている。反応は様々でパニックになって透明な壁を叩く個体もいれば、カタバミのようにペタペタと触っている個体もいる。反応を見ていると性格と知能の高さがわかる気がした。
ただ、例の四本腕の熊は我関せずとばかりに伏せて寝ていた。お前はもう少し危機感を持ちなさい。私の隣にいるから真っ先に殺し合う相手になるのに、何故か心配になってくる無防備さだ。
透明な壁は術士が使っている霊術である。障壁からは霊力を感じられる。発生させているのは……客席の最前列にいる連中か。大きな杖を構えて集中して壁を維持しているようだ。彼らの働きがあってこそ安全に観戦出来るのだろう。誰か後ろから刺してくれないかな?そうすれば逃げられるかもしれないのに。
「さあさあ皆様お立ち会い!今年の『新人戦』、長かった予選もこれで最後となりますっ!解説のバーチンゲン教授、この試合の注目株はどの闘獣でしょうか?」
「そうですなぁ……単純な強さで言えば妖狐でしょうが、あれは幼体。まだまだ未熟で実力は飛び抜けて高いとは言えますまい。逆に緋眼犬は最も力が漲っている若い雄。最高の状態と言っても良いでしょう。それに調教師として名高いゲオルグ・アンガレス卿が育て上げた冥王蠍も見逃せません」
私があり得ない妄想に浸っていると、闘技場を挟んで術者の反対側から大きな声が闘技場の全体に響き渡った。声の主はゲオルグが支配人と呼んだ太った男である。どうやら大会の司会でもあるらしい。
その隣に座る眼鏡をかけた長い白髪と白髭の老人はバーチンゲン教授と呼ばれていたことから、この国の教育機関の者ということらしい。生物の強さについて造詣が深いことから、生物学に精通しているのだろう。
二人とも声を張っているのではなく、霊術によって声を大きくしているようだ。二人は自分で霊術を使ってはおらず、後ろに控える術士に任せているらしい。霊術の贅沢な使い方だ。観客の数からもよくわかるが、『闘獣会』は儲かっているようだな。
注目の闘獣に私が入っていることよりも、教授がゲオルグのことを知っていることの方が驚きだ。調教師としては相当な有名人ということだろうか。あ、ゲオルグのフルネームを聞いたのも何気に初めてかもしれない。どうでも良いけど。
「教授、ありがとうございました。予選第十六試合に出場したるは十二体の闘獣っ!この中に未来の『新人王』がいるやもしれませんっ!決勝トーナメントに名を連ねるの最後の一体はどの闘獣になるのでしょうか!?では……始めぇっ!」
支配人が試合開始を告げると同時に我々を閉じ込めていた透明な障壁が消失して自由に動けるようになった。障壁に体当たりしていた数体の闘獣はつんのめって転び、観客の笑いを誘う。別に受け狙いだった訳でもなかろうに……頭の足りん奴等め。
さて、無理に戦う必要はないだろう。適当に逃げ回って体力を温存しつつ、隙あらばカタバミの首輪を壊してやるとするか。そんなことを考えていると、障壁を作り出していた術士達が何かを唱え始める。すると闘技場の壁に刻まれた霊術回路が妖しく輝いた。
その瞬間、私の隣で眠っていた熊が飛び起きる。ついさっきまで寝ていた熊の口からはダラダラと涎が垂れ、眼は血走ってキョロキョロと辺りを見回す。そして最も近い位置にいる私に狙いを定めて四本の前足を振り下ろした。
「グオオオオオオッ!!!」
「おおっとぉ!『狂暴化』の霊術が発動した途端、四腕熊が豹変しましたっ!どれだけ温厚な生物であれ、目の前の全てを殺すことしか考えられなくなる『狂暴化』!『闘獣会』の予選には欠かせない霊術ですっ!」
振り下ろされる熊の腕を外骨格で受けながら、私は支配人の説明を聞いて自分達の身に何が起きているのかを理解した。隣の熊が狂暴になり、私も暴力的な衝動に身を任せたくなっているのは霊術のせいだと。
私が今も自我を保てているのはゲオルグによって精神攻撃への耐性訓練を施されているからだ。きっとこの闘技場の何処かで見下ろしながら、私には効きが悪いことを確認してほくそ笑んでいることだろう。あのクソジジイは自分の作品が上手く機能していると大喜びするからな。
「ギオオオオッ!」
「ガルルルルッ!」
『狂暴化』の影響は私や熊だけでなく、全体に及んでいた。狂気に犯された闘獣達は自分が傷付くことも厭わずに殺し合い、血肉が飛び散る度に観客は狂喜している。己の意思を歪められて殺し合う者達と、殺し合う者達を見て歓声を上げる者達。真の意味で狂っているのはどちらだろうな?
他人事のように考察し続けている私だったが、いい加減殴られ続けるのも鬱陶しくなってきた。霊術に流されるまま暴れやがって……ふう。湧いてくる暴力を振るいたいと言う欲求を抑えることには成功した。後はこいつを殺すだけだ。
「キシィッ!」
「グオォ!?」
私は振り下ろされた腕を鋏でキャッチする。驚いた熊は力任せに引っこ抜こうとするが、私は決して離さない。それと同時に節足を床に突き立てて、投げ飛ばされないように踏ん張った。
熊は大きさも重さも私に勝っている。しかし、私には無理矢理とは言え鍛え上げられた闘気と霊術の技術がある。それに対してこいつは本能的に少しだけ使えるようだが、意識的に使えないのは致命的だ。私は容赦なく鋏を閉じて熊の腕を断ち切った。
熊は怒りの咆哮を上げながら残った二本の腕を私に振り下ろす。容易く腕を斬られたのに逃げるのではなく攻撃するのは、生物の本能を狂わされている証拠だ。憐れではあるが、見逃す理由にならないし何よりも見逃す意味がない。せめて苦しまないように殺してやろう。
私は素早く前に進んで熊の腕を回避しつつ、腹の下を通り抜けてから後ろ足をよじ登る。熊は暴れて落とそうとするが、節足を体毛に絡めながら背中に乗って熊の首筋に毒針を突き刺した。針の先端から毒が流れ、熊の体内に入った感覚がある。これで終わりだ。
「グオッ!?オォォォ……」
毒を受けた熊はビクンと一度大きく痙攣した後、口から泡を吹きながら白目を剥いて力尽きた。霊術と闘気、両方ともゲオルグに命じられて磨いたが……私にとって最強の武器はやはり尻尾の毒針だ。
これは蠍……いや、正しくは冥王蠍だったか。とにかく、私の本能が最後に頼れるのは毒針だと言っている。理屈ではない。ヒト種が自然と立てるように、尻尾は頼りになるものだと自然に信じられるのだ。
「おおっと、四腕が早速脱落うぅぅっ!冥王蠍の毒針で、一撃!砂漠の暗殺者の面目躍如と言ったところでしょうか!?」
「一説には竜種の命にも届くと言われる毒ですから、四腕熊ならば即死でしょうな。自分が死んだことに気付く時間すらなかったかもしれませんぞ」
私が熊を仕留めたことで闘技場は大盛り上がりだ。支配人と教授が何かを宣っているが、聞いている暇などない。熊の背中に乗る私に向かってピンク色の何かが伸び、巻き付いてから一気に引っ張られたからだ。
引っ張られた先にあったのは、皮膚が岩のようになっている蛙の口だった。私は丸呑みにされ、蛙の喉の筋肉によって押し潰されようとしているらしい。それは些か以上に私をナメ過ぎだろう?
尻尾を使うまでもない。私が鋏を閉じてその尖端を蛙の腹に突き刺すと、そのまま貫通して内側から穴を開ける。私の鋏は挟み込むだけではなく、鈍器や槍のように使うことも出来るのだ。生まれて十日の時点から戦わされていた私を甘く見てもらっては困る。
「ゴルアアアアアアッ!!!」
「キュイイイイイイッ!!!」
蛙の腹を切り開いて外に出た時、私は凄まじい衝撃波に曝された。節足で踏ん張ることで吹き飛ばされることはなかったものの、他の闘獣達は風に舞う木の葉のように飛んでいく。小さな闘獣はそのまま壁の染みとなり、大きな闘獣は足を動かして立とうとしているが上手くいかないようだ。
とりあえず、私の近くに落ちた個体は鋏で頭を切り落としておく。予選は一体になるまで戦わされるバトルロイアル形式であり、最後の一体には私がならねばならないのだから他は全員死ぬことになる。苦しまないように葬ってやるのが私に出来る精一杯だった。
衝撃波の原因は教授が注目していた緋眼犬と妖狐のカタバミが激突したことのようだ。緋眼犬が角の先端から放った炎の球が、カタバミが尻尾を膨らませて張った障壁に阻まれて爆発したのである。ゲオルグに禁止されているから今の私は使えないが、霊術同士のぶつかり合いは派手だなぁ。観客も大喜びだ。
私が見たところ、両者の実力は拮抗している。最初の見立てではカタバミの方が強いと思っていたのだが、どうやら『狂暴化』の霊術が大きな影響を及ぼしているらしい。
緋眼犬は闘争本能の赴くまま、『狂暴化』に逆らわずして力を振るっている。それに対してカタバミは霊術を制御するために『狂暴化』に抗っているのだ。霊術に抵抗しているせいで集中力が乱され、本来の力を発揮出来ないらしい。
それでもこの膠着状態はもう少し続くだろうと踏んだ私は、それ以外の雑魚を今のうちに片付けることにした。節足を素早く動かしてカサカサと闘技場を駆け回り、まだ生きている闘獣と戦い、息の根を確実に止めていく。止めを差す度に歓声が上がると同時に悲鳴も上がる。大方、死んだ闘獣に金を賭けていたのだろう。御愁傷様。
時折二体の戦いの余波を受けるが、頑丈な外骨格を闘気で強化している私には効かない。直撃すれば危ういかもしれないが、ゲオルグの鍛練を耐えて来た私だ。余波くらいで傷付くような軟弱者ではないのである。
「ゴルルルルルッ!!!」
「キュウウウン!?」
火の球では埒が明かないと思ったのか、緋眼犬はカタバミを貫こうと角を向けて突進した。彼女は霊術で迎撃したものの、緋眼犬は闘気で防御力を高めつつダメージ覚悟で猛進する。止まらない緋眼犬に驚きつつ横に跳んだ彼女だったが、完全に避けることは出来なかった。
角で貫かれることこそなかったが、緋眼犬の頭突きを腹部に受け彼女がこっちに飛ばされて来る。ちょうどいい。彼女を救うのなら今しかない。私は彼女に向かって尻尾を鞭のようにしならせて振るった。
「キュウッ……!」
私の毒針はカタバミの首輪ごと首に突き刺さった……ように観客には見えたはず。実際は首輪だけを壊して彼女には傷一つ付けていない。しかし彼女は大きく痙攣してから泡を吹いて動かなくなった。
私と同じく『狂暴化』に抗って正気を保っていた彼女は、『隷属の首輪』が壊れたことで自由を取り戻したのである。そして瞬時に死んだフリをしてみせた。これで約束は守ったぞ。後は自力でどうにかしてくれ。
「グルルルル!」
「キシキシ」
残った緋眼犬は私に向かって火の球を連射しながら突撃する。霊術が使えれば砂の壁でも作って対処するのだが、禁じられているので身体で受けるしかない。まあまあの火力だが、私の外骨格を燃やすことも爆風で砕くことも出来なかった。
だが、本命が火の球でないことを私は知っている。奴は霊術よりも闘気の扱いに優れていることを隠そうともしていなかった。それはつまり、闘気を使った肉弾戦の方が得意であると言うこと。火の球はあくまでも目眩まし。本命は……
「ガルオオオオオオッ!!!」
牙による噛み付きだった。角か牙か、どちらかだとは思っていたが……よりにもよって牙の方か。角で貫いて弱らせるのではなく、牙で噛み付けばそれで終わりだと思われているらしい。ナメられたものだ。
私は闘気で外骨格を強化した状態で牙による噛み付きを避けずに受ける。ガチンと金属同士がぶつかったかのような音が闘技場に響き渡った。緋眼犬は必死に噛み砕こうと努力しているようだが、私の外骨格には通用しない。そして噛むことに必死なせいで私の最も頼りになる武器の存在を忘れていた。
プスッ
私と恐らくは緋眼犬にしか聞こえない小さな音と共に毒針がその首筋に突き刺さる。これでもかと猛毒を注入すると、緋眼犬は泡を吹いて倒れ臥した。
「決着ううううっ!予選を突破したのはアシュバルド候のご嫡男、エーリッヒ様の冥王蠍だあぁぁっ!」
私が勝利したことで予選は決した。緋眼犬の吹いた泡に塗れながら身体の力を少し抜く。ああ、今日も生き残ることが出来て良かった。
歓声に包まれながら、複眼によって闘技場に残された闘獣の死体を見回す。運が悪ければ私もこの中の一体になっていたかもしれない。言い表せぬ恐怖に震えながら、いつの間にか出入口に戻って来ていたゲオルグの命令に従って闘技場を後にする。闘技場に転がる死骸の中にカタバミの姿は、なかった。




