ある死刑囚の遺書
新連載を始めました。
良くある人外転生モノですが、楽しんで頂けたら幸いです。
自分の人生を振り返ると、私は比較的不幸な部類に入ると言える。
無論、幸福に感じたことも沢山ある。キラキラと輝く宝石のように大切な思い出は幾つもあるのだ。
しかし、私は二十五年という時間の中で、幸福を享受していた時間よりも不幸を呪っていた時間の方が遥かに長いのは厳然たる事実であった。
普通の中流家庭に産まれた私だったが、物心付く前に両親が他界。その後は叔父夫婦に預けられたが、その待遇は決して良いものではなかった。
叔父夫婦には一つ年上の息子、即ち私にとっての従兄弟がいた。失礼な言い方になるが彼は文武共に優れていたとは言えず、逆に多少自惚れて良いのなら私は文武共に人並み以上にこなしていたと自負している。
それが気に入らなかったのか、私はことあるごとに叔父に殴られ、叔母に詰られていた。当時の私にとってそれは当たり前だったのだが、客観的に見れば虐待されていたのだろう。
外聞が悪いからと高等学校までは卒業させてもらったが、その後は追い出されるようにして寮のある家電メーカーの工場に就職。真面目に働き、人間関係も良好、仕事の覚えも早いと先輩方の評価は悪くなかった。
その先輩の一人が私のことを気に入ってくれたようで彼の妹を紹介してくれた。これまで交際したいと強く望む女性と巡りあったことはなかったが、気立てが良く穏やかな彼女に惹かれて交際を始めた。
今を思えばこれが私の人生における絶頂期だったのだろう。交際を始めてちょうど一年後。結婚の約束までしていた私の恋人は無惨な遺体となって発見されたのだ。
先輩から受けた電話で彼女の死を聞いた時、私は思わず携帯電話を手から落としてしまった。目の前が真っ暗になり、膝から崩れ落ちて…再び正気に戻った時にはもう何時間も経過していた。
警察の話によれば、彼女は明らかな他殺体であったらしい。しかも乱暴された後に殺害されたと言う。その後の捜査によって買い物に出掛けた彼女が複数人の犯行グループに拉致された場面を監視カメラが捉えており、彼女が亡くなって一ヶ月と経たない内に犯人は逮捕された。
しかし、裁判の結果は我々にとって到底納得の行くものにはならなかった。と言うのも犯行グループは犯行時に違法な薬物を使用しており、心神耗弱であったと判断されたのである。
しかもそれを理由に無罪放免とされ、誰一人として罰を受けることはなかった。我々は抗議したが、話を聞いてくれる者など誰一人としていなかった。
ただ、担当した若い刑事がこっそりと私に教えてくれた。犯行グループのリーダーは現役の代議士、それも司法に強い影響力を及ぼせる者の隠し子であること。そして詳細な捜査をせずに粛々と無罪にするように圧力が掛かったことを。
その時の刑事は悔しそうに唇を血が出るほど噛んでいた。マスコミにリークしたところで握り潰されるのは目に見えている。だが抱え込むことは出来ず、私に話して楽になりたかったのかもしれない。今にして思えば、私が復讐を決心したのはこの時だったのだろう。
ここから先のことはマスコミが面白おかしく書き立てているから知っている人も多いと思う。職を辞し、使うこともなく貯金していた金を使って復讐に必要な装備を着々と揃えた。徹底的に身体を鍛え、毒や薬物などの知識を学び、復讐対象の人物像と行動パターンを三年掛けて周到に調べ上げた。
準備が整ってからは計画を一気に推し進めた。一人ずつ誰にも見付からないタイミングで拉致し、罪を認める言葉を吐くまで拷問し、その様子を撮影した。拷問は決して気分の良いものではなかったが、それでも復讐のために断行出来た。私は自分が人間ではない羅刹と成り果てたことを知りつつも、復讐を途中で止めることはなかった。
罪を認めた者は傷の応急処置をしてから素手で首を絞めて殺害した。それは彼女の直接の死因が首を絞められたことによる窒息死であり、同じ苦しみを味わわせるためだ。犯行グループの男達は全員が命乞いをしていたが、人のそれではなくなった私の心には何一つ響いてこなかった。
復讐を果たした後、私は犯行グループの自白映像を様々な動画サイトへと同時にアップロードしてから警察に自首をした。それは私が人を殺したことを悔やんでいたからではない。法律が定めた罪を犯した者として、法律の隙間を利用して罰を免れさせた者への皮肉として、私は法律が定める罰を受けねばならないからだ。
裁判の結果、私には死刑が宣告された。六人もの男を手にかけたのだから当然である。私はそれを受け入れ、死を待つ身となった。
死刑囚となった私には死刑反対運動の活動家や記事を書きたいジャーナリスト、私の心の動きに興味がある心理学者、再審請求を勧める弁護士など様々な者達が面会に訪れた。
彼らの目的が何であれ、私は出来るだけ真摯に対応することを心掛けたつもりである。世間の尺度で測った私は狂人だとしても、私には私の哲学があると同時に、何かを考えるための理性が残っていると知って欲しかったからだ。
私の死刑は明日執行される。判決が下されてからの日数は私が過去最速であるらしい。その理由は予想がつくが、正直に言えばどうでもいい。自分という存在の終わりが眼前に迫った今、私の胸に去来するのは安堵なのだから。
思い返せば私の心はずっと渇いていた。生い立ちから考えて、私は愛情というものをほぼ与えられることなく育った。彼女と出逢って愛情を知り、人生で始めてその渇きが満たされた心は、彼女を喪って再び渇いた。いや、満たされたことで幸福を知った分、渇いた心が感じる辛さはより酷くなったと言えるだろう。
私は明日、自らの罪によって受ける罰として死ぬ。だが、この死は今の虚無と渇望に押し潰されそうな私にとっては救いでしかない。それでは罰とは言えないではないか。
罪人である私は、誰かによって罰されるべきである。万が一死後の世界と言うものが存在するなら、私は間違いなく地獄に落ちることだろう。願わくば、そこで正当な罰が下りますように。
第一章が終わるまでは毎日投稿します。連休中の暇潰しにでもしてください。