恋愛の10 突破口
……それから、販売が打ち切りとなるまでに四日とかからなかった。通り中を美しい香りで包んだルーシー・ブレンドの情報は、乾いた藁に燃え移った火の如く、颯爽とイスカの市場を侵略してみせた。その結果、連日朝から晩まで客足が途絶えることが無く、あっという間に完売となったのだ。
「うへへ、トモエさん。クッキー食べますか?あ、私が持って来た紅茶も飲みますか?うへへへ」
僕の知らせを聞いてエイバーへやってきたルーシーさんの表情筋は、がらんどうとなった店の中を覗いた瞬間に働く事を止めてしまったらしい。あまりにも嬉しかったのか、呼び名まで二人称ではなく「トモエさん」となっている。
「ありがたく頂戴します。この結果は、全てルーシーさんが丹精込めて育てたお蔭ですよ」
「そんなぁ。まぁ、それほどでもありますけどね!えへへ」
気分がよくなったのか、彼女は僕が飲み終わるまで、茶葉をどうやって栽培して、どうやって品質を改良して来たのかを語ってくれた。
「……そうそう、これが売り上げの400万ゴールドです。銀の調達資金と諸経費は抜いてありますよ」
途中、もう試飲が必要ないと分かってからは箱売りの価格をそのままに、代わりに一つ一つを割高な小売りにする事で最大まで売り上げを稼いだのだ。こういう売り方をすると、人は不思議なくらいに箱入りが値下がりしていると錯覚してくれる。
「あぁ、それなんですけど、サロメ様がトモエさんに預けると言ってました。曰く、あの男のアイデアとやらに投資してやれ、だそうです。私も、特に異論はありません」
「全てですか?」
「はい、あの農園は王家の所有物ですから。何より、トモエさんの話していたアイデアは私にはよく分かりませんので」
「そうですか。ならばありがたく受け取っておきます」
これは、嬉しい誤算だ。元々、銀の為に余剰に上乗せした3000ゴールドだったが、まさか売り上げを丸々使わせてもらえるとは。これで、使える金額は500万ゴールドまで跳ね上がった。
昨日調べたところ、現在の銀の相場は100グラムで約100ゴールド。事業の拡大や既にある予約を含めても、充分な数を調達できるだろう。
「えぇ?確かに500万ゴールドは大金ですけど、お店をおっきくするには足りないんじゃないですか?」
「だから、このお金を担保に更に銀行から融資を受けるのです。今回の実績と合わせれば、10倍くらいは借りられる思いますよ」
「10倍?と言う事は……。ご、5000万!?」
「そうです。紹介状を書いてくれる方がいますから、その線は堅いでしょう。そして、貰ったお金を今度はルーシーさんの農園にも分配し、もっと良い紅茶を作る為の資金にするんです。せっかく、使えるお金も増えた事ですしね」
「はわ~、なんだか凄い事になってます。そんなにたくさんあったら、もっと農園を広くすることが出来ます。あとは、新しいミストの装置だって……」
設備の増強が一気に現実味を帯びて、ルーシーさんはクラクラと目を回しながら妄想にふけっていたが、やがて意識を取り戻すと頭を振って、椅子から立ち上がった。
「それでは、私はこれにて!在庫が無くなったのを見たかっただけですから!」
「了解しました、道中は気を付けてくださいね」
言うと、彼女は少し歩を進めたが、道に出る前に止まって、背中を向けたまま口を開いた。
「……サロメ様には、トモエさんがいい人かもって、言っておいてあげますね」
「いい人、ですか?」
「はい。たった一人でここまで考えて、それに私たちを裏切りませんでした。……私の父とも、全然違うみたいですし」
たった一人、その言葉を否定しようと思ったのだけれど、それよりもふと脳裏に浮かんだ、彼女たち三人が楽しげに話ている姿の方が気になってしまった。
「つかぬ事を聞きますが、女王様とルーシーさん、それにゼノビアさんはどんな関係なんですか?
「……サロメお姉ちゃんは、国王様である以上に私とゼノビアお姉ちゃんの大切な人なんです。今は、それだけしか言えません」
そう言い残して、彼女は鼻歌を歌いながら帰って行った。
「お姉ちゃん、か」
ルーシーさんは17歳、ゼノビアさんは女王様より二つ歳上だと聞いているが、言葉の意味は、単純に彼女が三人の中で一番年下だからという訳ではないだろう。ならば、男にまつわる彼女たちの決定的な共通点とはなんだ?
ゼノビアさんには、姓名が無かった。ルーシーさんの父親は、今どこへ?そして、女王様は本当に子どもが生まれないというリスクを受け入れて男を排除したのだろうか。様々な要因が、僕の頭を駆け巡る。
戦争、魔法、外交、男娼、賢者、紅茶、穏健派。そして、ユリウス国王様の弁明と神様の願い。
……いや。もしも、そうじゃなかったのだとすれば。
「……見つけた。きっと、これが突破口だ」
呟き、心が熱く燃え滾る。僕は今、天空から垂らされた一本の糸を手繰り寄せ、この手に掴んだのだ。
× × ×
「……なるほど、お前が口先だけの男でないことは分かった」
「ありがたきお言葉です、女王様」
その後、三日で銀の調達と新しい事業の立ち上げを行い、僕はクレオに帰って来た。たった今、全ての経緯を報告したところだ。
辺りは既に真っ暗で、オリーブの咲いた中庭には、僕と彼女の二人しかいない。
「ルーシーが褒めていたぞ。紅茶の事をしっかりと勉強して、理解に努めていたのだと。名前は、お前が付けたそうだな」
「それだけ、あの紅茶が素晴らしいと言う事です」
「ゼノビアも、お前の根性と知恵には見上げるモノがあると。過去にあった、クレオ騎士団の長に匹敵する実力を持つゼノビアが、だ」
「いいえ。彼女が居なければ、僕はとっくに終わっていました」
笑いかけると、女王様は目を逸らした。レトロな白いブラウスの、すぼんだ手首が風に揺れた。
「次は、海外へ打って出ます。その為のガレオン船を手に入れるのが、目下の目標となるでしょう」
「……船か。私は、本の中でしか知らぬな」
自分の知らない事を知らないと明かす事が、僕には意外に思えた。
「女王様は、国外へ出た事はないのですか?」
「ない。爺は、私が倒れるまで毎日稽古と勉学を叩き込んだ。それ故、別の事に割く時間などなかったのだ」
三年前の、ドラゴンが襲う前日まで毎日そう過ごしていたと末尾添えて、女王様は唇を噛み締めた。
「よく、頑張りましたね」
「……ふん、そんな言葉遣い、許した憶えはない」
しかし、蹴りを入れられることもなく、彼女は踵を返すとただ空に浮かぶ三日月を眺めた。
「女王様」
「なんだ」
「あなたを、愛しております。それだけはどうか、忘れないでいてください」
「……どういう理由で、私なのだ。縁もゆかりも無い異世界から現れて、ずっと顔も知らなかった私を。男を嫌って、国の形すら変えた私を。なぜ好きになると言うのだ」
後ろを向いたまま、静かに言う。
「あなたが、ぼくのたったひとつの生きる理由だからです」
「だから、その理由とやらをだな」
「いいえ、女王様。あなたが理由なのです。他には、何もありません」
「……も、もうよい。分かった」
僕に振り返る事もなく、そのまま城の中へ戻って行く女王様。その手には、手渡した書類と、一輪の花がある。
「明日も、夕暮れに城門へ行きます」
一瞬だけ、女王様は歩く足を止めた。しかし、見回りの兵が遠くに見えると、きっと言いかけていた何かを胸にしまって、廊下の奥へと消えていったのだった。
「面白かった!」
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