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 饗庭孝男の本を読んでいて感じたのは当時の青年は真剣だったという事です。明治・大正あたりが日本近代文学の頂点で後は下がる一方と言っても問題ないと思いますが、それは文学をやっている人が人生や社会の問題を倫理的に捉えていく事、その連関としての文学をやっていたからだしょう。そういう「場」があったという事です。

 

 わかりやすく言い換えると「死ぬ気で文学をやっていた」という事です。文学をやるなら死ぬ気でやるしかない、という状況だったという事で、また、西欧から新たな理想が到来して当時の青年はその受容に必死だった。左翼の大杉栄はファーブル昆虫記の翻訳をしていますが、どうして左翼がファーブル昆虫記なのか、今から見るとわけがわからない。


 ただ当時の青年らは、ナショナリズムに行ったり、社会主義に行ったり、キリスト教に向かったり、仏教に立ち返ったり、様々な人生の道を模索したのですが、それらは明治・大正という同じ空間から発せられたもの、また同じ教養を基礎としつつどこに向かうかをそれぞれが模索した時代と考えた方が良さそうです。私は物事を党派性で切る(切る事ができる)という考えには反対しています。

 

 饗庭の本を読んでいて初めて知りましたが、有島武郎という作家も、不倫とか姦通に悩んで自殺したそうです。北村透谷なんかも現実と理想の矛盾、結婚生活の不調和から自殺していますが、こうした自殺はただ「プライベートに悩んでいた」というような事ではない。恋愛の問題は、すぐに人生の大きな問題や社会問題と関連して存在していた。日本の「近代」の問題と深刻な形で連携していた。だからこそ夏目漱石はあれほど広範な知識を持ちながら、不倫小説を書く事に自分の人生を投入する事ができた。そこかには歴史や社会が生んだ白熱する「場」というものがあり、これはロシア近代文学の成立と近いものがある。当時の青年らにロシア文学が熱烈に受け入れられたというのは偶然ではないでしょう。

 

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