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最近、饗庭孝男の本にはまっています。饗庭孝男はいいですね。
彼に「日本近代の世紀末」という本があって面白く読んでいます。それを読んで、日本にも「近代」が存在したのだという事が明瞭にわかりました。
例えば、武者小路実篤という作家がいて、名前ぐらい知っている人はいるでしょうが、彼はトルストイの影響を受けています。トルストイと言えばロシア近代の作家で、ロシアと日本はともに遅れて近代化した国であり、後進性を引きずっているという点では共通しています。
武者小路がトルストイに影響を受ける、という場合、現在だと、村上春樹のように技術的水準で影響を受けるのが精一杯で、村上春樹だってまだ相当いい方と言えます。今の作家志望の人と話して、古典とは完全に切れている、古典に興味がないというのが普通だと痛感していますが、それがある意味で正しいとも言える。
武者小路とトルストイの共通性は「良心的な貴族性」とでも言うべきもので、二人共貴族でした。逆に言うと日本にも「貴族」に相当するものはあったという事で、それが自身の出自に悩みつつ、当時は大半が農民でしたから、そういう農民との乖離、また自分は遊んでいられるという環境に苦しむという点にトルストイとの共通性がある。トルストイも武者小路も結果としては社会主義的な、理想的な共同体を作るという方に舵を切りますが、トルストイも武者小路も個性ある人物だったので党派的なものにまで身を崩す事はなかった。
武者小路実篤はそういう、言わば貴族としての出自を否定して、自ら額に汗して、階級を越えた共同体を作ろうとするのですが、それに挫折します。今で言うと新興宗教みたいな試みですが、宮沢賢治も理想的共同体を作る試みはやってたので当時の流行りだったと言えます。