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運とは何だろう

最近あるゲームの対戦を見ていて「運とはあるのか?」と考える機会があった。

 

 ある人はそんなものは存在しないし、確率がすべてという。あるひとは自分の努力で『運』を引っ張ってこれるという考えだった。


 この場合『運』と言っているものは「偶然」ではなく、「努力すれば、運は掴めるのか」とかという意味になる。この場合の『運』はあると私は思う。


 どこの子に生まれてくるか、誰にであうか、時代のニーズにこたえらるか?会社に勤めていると「自分の昔話はおろか、自叙伝まで出す人間がいる」この場合、運というものが存在しなかったら、全て同じ事をすれば、全ての人が成功するはずであるが、そうはならない。逆に全ての人が「失敗するやり方」というのは存在する。


 「人事を尽くして天命を待つ」この言葉はやることはやった、あとは神のみぞ知るということで、正に運を天にかけることを言うのだろう。努力をしない人間が偶然に成功できるほど、今の世の中は甘くない。一時的に成功しても、それは一時のことだ。そう考えると、本院の気分や行動で、世の中は変わる。ならばそれは運とは言えないのだろうか?

 すべての未来が決まっている「アカシックレコード」はあるのかないのか?というのは、西洋で考えられてきた。そんなものはないだろうと感覚的にわかるが、そうであったら、それはなぜ不可能なのだろう?


 運というものが存在しないのなら、『苦しい時の神頼み」はなくなる。これもお守りと一緒で、その人の思考にプラスに働くなら、それは『運』ではなかろうか?

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― 新着の感想 ―
[一言] 「運」とは違うかと思いますけど 「努力をしても報われるとは限らない。でも努力をしなければ報われる事はない」 と思っています。 これこそ「人事を尽くして天命を待つ」かと。 漫画家ジョージ秋山の…
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