ワルキューレの本質
アマゾネスと聞くと、南米を思い出しますが、古代ヨーロッパでも、ブリュンヒルデやワルキューレと言われる人がいたのなら、それは、アマゾネスとどこが違うのでしょうか?
『ワルキューレ』と聞いて何を思い出すでしょうか?ゲームでしょうか?ワーグナーでしょうか?同様に、『ヴァルキリー』と聞いたならどうでしょう?やはりゲームでしょうか?アニメでしょうか?実はこの二つは言語の違いで、同じものを表しています。
『ワルキューレ』は戦場を飛び回る『戦乙女』なんて日本語には訳される存在です。それでも、彼女たち(数十人の名前が知られています)の中で、実際に戦闘をしたのはどれぐらいいたのでしょうか?
その中に『シルグーン』という名前の女性がいます。彼女は、『ブルンヒルデ』と呼ばれる『女傑』と対になる人物として、ワーグナーの歌曲では描かれていますが、まあぶっちゃけ、生きている時代と場所が違うので、出会うことはありません。
『ナイチンゲール』と言えば、クリミア戦争時の従軍看護婦で、『白衣の天使』と言われる女性ですが、性格的には『他人に厳しく、自分に厳しい』人物だったようです。
他の医師や看護師が弱音を吐くと『気のせいです』と言って、働いていた方らしいです。ちなみに、その弱音を吐いた医師はその後過労でなくなっているとか。
彼女は、戦場の医療部門を鼓舞し、同時に戦場に出る兵士も鼓舞していたのでしょう。
同じような存在が『ジャンヌダルク』だったような気がします。つまり象徴であり、ギリシャ神話の『アテナ』のようにとらえられていたのでしょう。いや先頭に立たないのなら『アルテミス』の方が象徴かもしれません。
実際日本の戦国時代、戊辰戦争時にも前線ではなく、後方支援としての女性、食料や医療準備などしている女性はいたでしょう。野戦ならその医療は『従軍僧』が担っていましたが、籠城戦では、そうはいかなかったでしょう。
その中に、ブルンヒルデやのように戦う人物もいたでしょう。『井伊直虎』や『成田甲斐』などはその例に当たります。戊辰では『新島八重』が有名ですが、会津戦争末期には家老『西郷頼母』の夫人を筆頭として薙刀で戦った、30人ほどの女性もいたようです。
『ワルキューレ』の話にも戻りますが、彼女たちは戦場を飛び回り、『死者をヴァルハラ』に連れていく役目を担っていた。とありますが、これは勝ったものが『一神教の立場で書かれたもの』です。
実際のところは『従軍看護師』のように、重体者や、亡くなったものを弔うために後方に下げ、医療行為を行おうとしたと考えるのが妥当な気がします。
その中で、運悪く敵の将兵と対さざるを得なかったと考えるのが妥当なのでしょう。
ただ敗者の記録は消され、生き残った者には美化され、敵対したものには『悪意』を持たれるのでしょう。
古来から政治と宗教、軍事が分けられていない国家では戦争に敗北することは、宗教の上書き、歴史の否定などの、大変革を伴いました。
その過程で、神から引きずり落されたものが、悪魔や悪霊などに置き換えられていったと思われます。
最近知ったことなのですが私の書いて考察している、様々な神話の類似や、そこからどう伝わったかというのは、学問においては『比較神話学』というのだそ うです。
日本でも明治期から研究している人がいて驚きました。
歴史は勝者によって書き換えられる。そうして近世の『歌曲」や『グリモア―ル』のような悪意のある書物によって、その本質はゆがめられます。