第五十四話「なら、一緒に来ませんか」
兄上たちの尽力で茨の一部が取り除かれ、そこから私たちは学院の中へ入ったのだが、そこはすでに見慣れた様子ではなくなっていた。
空間がねじ曲がっている――とでも言えば良いだろうか。
天井も床も上下左右がめちゃくちゃで、適当に切り離して繋ぎ合わせた様な、そんなチグハグな空間になっていた。
その中を太い茨がグネグネと伸びている。踏まずに進むのは難しそうだが、足下を確認していかないと乗った時にバランスを崩しそうである。
「うわぁ、こりゃーすげぇわ」
周囲をキョロキョロと見回していたジャスパーが引き気味に言う。
ジャスパーの言葉通り、この状況を表現するのに相応しい言葉は「すごい」だろうと私も思う。私も彼らと組んで二年、色々なダンジョンを冒険したけれど、こういう状態になっているものは一度も見たことが無い。
たぶんこの茨は、茨の君の意志で動かせるんだろうけど、今の所は壁や天井を覆って伸びているだけだ。学院の中に侵入された事は分かるだろうから、いつ動いてもおかしくはないけどね。
「アンドラ様たちは大丈夫でしょうか……」
同じように辺りを見回していたアズが、心配そうな眼差しでそう呟いた。
そうそう、気になっているのはそこなんだ。学院の中には生徒や教師だけではなく、彼らを捕え監視しているエピドート教授たちの仲間もいるはずなのだが、その気配が感じられないのである。それなりに大勢だから、どこからか声の一つや二つはしても良いものだけど、それも聞こえてこない。
茨の君が狙っていたのはズルタ陛下だったので、エピドート教授の仲間たちと揉めていなければ無事だとは思うのだが、やはりそれでも少し心配だ。
そう思っていると、アイドが髭を撫でて「ふむ」と頷き、
「まぁ、気配はせんが、迷いの魔法の影響じゃろう。そういうのを含めて分かり辛くするのがあの魔法の特徴じゃからの」
「ええ。茨の君は酷く怒っておりましたが、本来の彼女はそういう事をするような性分ではありませんから」
アイドの言葉にエピドート教授も同意するように言った。
茨の君を召喚したエピドート教授がこう言うのだ、なるほど、それならば安心だろう。
私も茨の君の事は良く知らないけれど、そんなに悪い子には見えなかったから。
「それなら後はこの状況を何とかすれば良いだけ、と」
「結構骨が折れそーだけどなー。どっち進むよ?」
「それはホラ、私たちにはコレがあるし。確か、茨の君が入って行ったのは……」
話しながら、私は『迷わずの道標』を手のひらに乗せた。
学院に入る前に茨の君が入って行った場所とコンパスを照らし合わせていたので、大体の方角は分かっている。
あとはそちらへ進めば良いだけだが――さて、迷いの魔法はどう来るか。
そう考えながら試しに数歩前へ進むと、コンパスは迷いの魔法を跳ね除けるかのように薄らと光り、方角を指し示す。
それを見てアルマさんが目を瞬いた。
「真っ直ぐに進んでいるはずなのに、針の向きが動く……?」
「迷いの魔法というのは、視覚や聴覚から感じ取る情報を強引に捻じ曲げるものですからね。今見えているめちゃくちゃな学院も、実は何も変わっていないのですよ」
アルマさんの言葉を開設するように、エピドート教授が教えてくれた。
何と迷いの魔法とは、その場をおかしくするものじゃなくて、私たちの視界を惑わすものだったらしい。
確かに地形をどうのこうのするよりも、入って来た人物を対象にした方が魔力の消費量も少ないね。
なるほどと頷いていると、
「ただ茨は本物ですけどね」
とエピドート教授は付け加えた。
ああ……つまり茨で傷ついた壁とか床は補修しないとダメって事か……費用が凄いだろうなぁ。
まぁ、それは私が考える事ではないので横に置いておいて、
「それでは進みますね」
と皆に声を掛けて歩き始めた。
『迷わずの道標』を持った私が先頭、その横をジャスパー。後ろをアルマさんとエピドート教授が並び、アズとアイドがそれに続く形である。
針の向きに注意しながらしばらく進んでいくと、やがて私たちは学院内にある講堂に辿り着いた。
扇状に広がった講堂内は、他と同じく天井や床がチグハグで茨にびっしりと覆われている。
その一番奥――ステージの上。そこに茨に縛られたズルタ陛下と茨の君の姿があった。
見たところズルタ陛下は消耗しているものの無事のようだ。
良かったと少し安堵していると、私たちに気付いたらしい茨の君が難しい顔をこちらに向けて来る。
「……驚いたわ。迷いの魔法がかかっているのに、良くここまで辿り着けたわね」
「ええ。これがありましたから」
そう言って私が『迷わずの道標』を見えるように持ち上げると、茨の君は目を瞬いて少し寂しげに「そう」と呟く。
「あたしの邪魔をしに来たの?」
「ええ」
「…………どうして?」
茨の君に問われて頷くと、彼女は理解出来ないという顔でズルタ陛下を見る。
「こいつは自分本位な理由で、ラブラを死に至らしめようとしたのよ。……ううん、それだけじゃない。ラブラやラブラの大事な人たちの名誉も、人生も踏みにじったのに、どうしてもっと怒らないの? エピドートもアルマがあたしに話してくれた憤りも、こいつが謝っただけで許せるくらいのものだったの?」
怒りを滲ませる茨の君の言葉に、エピドート教授は首をゆっくり横に振った。
「いいえ。そんな程度で鎮まるような怒りなら、こんな事はしません」
「なら、どうしてよ。どうして良いなんて言うの。あんたたちもラブラも……!」
「――――ラブラ様が望まないから」
教授に続いてアルマさんが静かに答える。
「……好きか嫌いかで言えば、私たちはズルタ陛下の事は嫌いです。でもラブラ様は――陛下の事を大事にされていた。だからそんな事は望まないと思ったのです」
……確かになぁ。
グランドメイズの地下で話した時も、ズルタ陛下に再会した時も一度だって陛下の事を悪く言った事はなかった。恨み言は一切言わず――ただ、自分も悪かったのだと頭を下げた。
私の個人的な感覚では、ラブラさんを呪いを使ってまで閉じ込めたズルタ陛下の事は好意的には思えない。
だけど当事者のラブラさんはそうではなかったのだ。
そんなラブラさんだ、アルマさんの言う通りズルタ陛下の死など望んだりはしないだろう。
アルマさんの言葉に茨の君はきつく口を結んで目を伏せ、それからややあって「知っているわ」とポツリと零した。
「……グランドメイズの地下で、いつも言っていたわ。自慢の甥っこだって。かわいい奴なんだって。殺されかけたのに、誇らしげに笑うのよ」
「伯母上が……」
ズルタ陛下が呆然と呟く。
くしゃり、と茨の君の顔が泣きそうに歪んだ。
「あたしだってラブラがそんな事を望まないって分かるわ。でも、でも……ずるいじゃない。ラブラは死にそうになったのに、こいつは頭を下げるだけで許されるのよ? そんなの、そんなの……不公平じゃないッ」
「……だからズルタ陛下を殺す、と?」
私が聞くと、茨の君の赤い目からポロポロと大粒の涙が零れ落ちる。
それからしゃくりを上げながら、茨の君は私を睨む。
「だ、だって、だって……あっあんなグランドメイズの、誰もこないような場所で、ずっと……ずっと……大事な人から憎まれて、大事な人と別れて……ずっと、ずっと……」
泣きながら話す茨の君。
不意に、茨の君の身体から、魔力が視覚化するほど溢れ光を出し、雷のようにバチバチと迸り始める。
「そんなの! 寂しすぎるじゃないッ!!」
叫んだ途端、その魔力が爆発するように辺りに飛び散った。
枝葉のように幾重にも広がる光。魔力がぶつかった茨や壁は、見るも無残に抉れていく。
それを見て顔色を変えたアルマさんとエピドート教授が、両手を前に掲げ「抑えます!」と短く言って、魔法を唱え始めた。召喚魔法に絡むものなのだろう、二人は全く同じ動作で魔法の詠唱を続けている。すると茨の君を覆っていた魔力が抑え込まれるように少し小さくなった。
だがそれでも完全ではない。さすが半神というべきか、魔力がどんどん膨れ上がって行くように感じられた。
魔力というものは、感情にも左右される。怒り、悲しみ、憎しみ――色々あるけれど、今の茨の君の魔力から感じられるのは、友達を想う気持ちだ。
「あっあんな場所で、たった一人でずっと……何年もよ? 何年もずっと……ずっと……なのに……」
泣きながら魔力を放出し続ける茨の君。
ここまで魔力が暴走するほどに、ラブラさんの事が心配で、そして悲しかったのだろう。
「あなたがいたじゃないですか」
自然と口から言葉が出てきた。
茨の君は私の言葉が聞こえたのか、泣き腫らした目を向けて来る。
「ずっと、あなたがいてくれたんでしょう?」
「……だって、あそこ、あたししかいなかったし」
「話し相手になってくれたってラブラさん嬉しそうに話していましたよ」
「……だって、あたししか」
「違います」
私は首を振って茨の君の言葉を遮る。
「あなた『が』いたんです」
グランドメイズの最下層はサファイア王子も、ライト陛下も訪れていたと聞く。だけどそれは毎日じゃない。
私も文通はしていたけれど、一通一通読んで返していれば時間は空いてしまう。
その間――茨の君がいたからラブラさんはきっと寂しくなかった。
だけど茨の君はラブラさんが来るまでずっと一人ぼっちだった。だからラブラさんの状況を、自分と重ね合わせてしまったのだろう。
大事な人から裏切られ、仲間と離れ、静かで暗い地下で一人きり。
それはとても、とても―――――寂しいと。
寂しがり屋で引きこもりで、自分を訪ねて来てくれた人が帰ってしまうのが嫌だからと迷いの魔法をかけるような半神が、どうしても帰してあげたいと思うほどに。
「茨の君はラブラさんが心配なんでしょう?」
「……うん」
「なら、一緒に来ませんか」
「え?」
私がそう言うと茨の君はきょとんとした顔になって、少し首を傾げる。
良く意味が分からなかったのだろう。
「ラブラさんが心配なんですよね。それでズルタ陛下にはまだ怒っている。だから護衛と監視を含めて、グランドメイズから来ちゃったらどうです?」
「えっ」
茨の君が驚いた声を上げた。
やや遅れてジャスパーたちも同じように「えっ」と声を上げる。
「お嬢様、えっと、どういう……?」
「だって謝るだけじゃ済まないんでしょう? だから茨の君が納得するまで、一緒に見ていれば良いんじゃないかなって」
「……え、えっ」
茨の君は困惑したように私を見る。
呆気に取られたとも言えるだろうか――気が付けば、茨の君が放出していた魔力も収まっていた。
「ほら、半神ですし! 神様ってのは、見ているものでしょう?」
なんて茨の君に笑いかけてみれば。
「…………本気?」
と、困ったような顔で聞いてくる。
「ええ。本気も本気です。だから、茨の君」
私はいったん言葉を区切り、ズルタ陛下の方を見る。
ズルタ陛下は大きく目を見開くと、憑き物が落ちたかのように落ち着いた顔になり。
「――――納得が出来るまで、それ以上に償うつもりだ。……本当に、申し訳ない」
茨に巻かれた状態で、ズルタ陛下は額を地面にこすり付けた。
茨の君はしばらくそれを見下ろして、
「……………………分かったわ」
と言い、手を動かした。
するとズルタ陛下に巻きついていた茨はするすると放れて行き、それに合わせて学院を覆っていた茨も消えて行く。
そして茨が消えて行くごとに、めちゃくちゃだった建物は元の形を取り戻した。
――――これで本当に、終わったようだ。
そう思っていると、学院内のあちこちから、わっと賑やかな声も聞こえてくる。
迷いの魔法が解かれた事で、生徒たちの声も届くようになったようだ。
良かったなぁと安堵していると、いつの間にか茨の君が近くに来ていた。
「…………ねぇ、あんた、名前は?」
「ベリルです。ベリル・ミスリルハンド」
「そう」
茨の君は小さく頷くと、少し恥ずかしそうに目を伏せて、
「…………ありがと、ベリル」
と早口でそう言った。
本日はもう一回分更新予定です。




