第五十三話「あんたたちがやらないなら、あたしがやってあげる」
声が響いた途端、ぶわり、と学院の茨が膨れ上がり、伸びてこちらへ襲い掛かって来た。
突然の事に誰もが呆気にとられていると、
「うわあっ!?」
とズルタ陛下の悲鳴が聞こえた。
反射的にそちらを向くと、太い茨がズルタ陛下の身体を捕え、大きく空中に持ち上げて行くのが見える。
「ズルタ!?」
助けようとラブラさんが伸ばした手は空を切る。
ズルタ陛下は高く、高く持ち上げられたあと、学院側に力任せに引き寄せられていく。
「茨の君!? 何をしているのです、そんな事は命じていない!」
それを見てエピドート教授が顔色を変えて叫んだ。
茨の君が召喚者の命令に背いて勝手に動いている……?
茨が動いた先を注視していくと不意に、学院を覆う茨の中から、ふわり、と何かが浮かび上がるのが見えた。
それは全身を茨で覆われた美しい少女だった。グランドメイズの地下で見た女神像にそっくりだ、あれが茨の君なのだろう。
茨と同じ色の髪を風に揺らし、薔薇色の瞳を怒りで光らせた茨の君は、拳を振り上げて叫ぶ。
「ええ、そうね! そんな命令なんて受けていないわ。だけど、あたしの腹の虫が治まらないのよ! 何よ何よ、謝ったからって何なのよ。何絆されてんのよ、良い話だったなーって感じにしてんのよ。ぜんっぜん良い話なんかじゃないわ!」
振り上げた拳で茨の君は、今度はびしり、とズルタ陛下を指差す。
「人間って馬鹿なの!? こいつのせいでラブラは死にかけたのよ! ずっとずっと閉じ込められていたのよ! 暗くて静かで誰も来ないようなグランドメイズの地下に長い間ずっと! 簡単に許さないでよ、簡単に納めないでよ! あたしはそんなの認めないわ!」
だから、と茨の君は酷く冷酷な眼差しをズルタ陛下に向ける。
「あんたたちがやらないなら、あたしがやってあげる」
「やめろ、茨の君! 私ならば、もう」
「よくないの」
ラブラさんの言葉を茨の君は跳ね除ける。
それから泣きそうな顔になって、
「よくないの!」
もう一度そう言うと、ズルタ陛下を縛る茨を動かして、学院の中に戻ってしまった。
あまりの事に一瞬、場が静かになる。
それから直ぐにわっと騒ぎ始めた。
「ちょ、ちょっとジャスパー、あれどうなってるの」
「どうなっているっつーか、茨の君、めっちゃ怒ってるわー。ああなると人の話聞かねーらしーぜ。……つーか、ご丁寧に迷いの魔法まで掛けてる気配がする」
「えっそれまずくないですか? ズルタ陛下本当にアレされません?」
「されそうじゃのう」
ううむ、とアイドが腕を組んで唸った。
……これは予想外にまずい事になった。
「助けなければ」
「駄目です、ラブラ様。ずっと閉じ込めらていた影響が……まだ本調子ではないのでしょう?」
腰に下げた『星の魚』の柄に手を当てて、今にも走り出そうとするラブラさんをサファイア王子が止めている。
確かにずっとあの地下にいたのならば、多少のトレーニングはしていたとしても筋力等は全盛期より落ちている事だろう。
それに何より、本物の太陽の日差しに当たる事も、まだ身体が慣れていないに違いない。
……茨の君はシーライト王国にいる半神。
ついでに言えば冒険者が力試しに潜るグランドメイズ地下の女神だ。
それならばこれは、冒険者案件、という奴ではないだろうか?
そう思ってアズたちを見ると、
「どこから入れますかね?」
「うーん、そうねぇ。ベリル、どう思う?」
「いやはや、新しいダンジョンは心が躍るのう」
などと話し合っている。どうやら同じことを考えていたようだ。
思わず少し笑うと、
「真正面からで良いんじゃない?」
と言った。三人は「それもそうだ」と頷く。
そんな話をしていると、ラブラさんが驚い様子で。
「ベリル、まさか……」
「ええ、行きますよ。ほら私、シーライト王国で冒険者やってますし」
そう言いながら、私は鞄の中から星と月をモチーフとした金色のコンパスを取り出した。
『迷わずの道標』――――どんな場所でも、どんな魔法が掛かった道でも、決して狂わず方角を指し続けるコンパスだ。
グランドメイズの攻略報酬でもある。まさかこんなに早く使うタイミングが来るとは思わなかった。
これがあれば、学院に掛けられた迷いの魔法は突破できる。
問題は外の茨だ。
さてどうしようかと考えていると、
「なら、外の茨は僕たちに任せてくれるかな」
とラズリ兄上が手を挙げた。
「お兄ちゃんだってベリルに頼られたい」
「あらずるい。私だってやるわよ、ラズリ」
何故か目の前で競い出した兄上と姉上。
やめて、照れくさい。
何だか顔が熱くなってくるのを感じていると、ジャスパーがニヤニヤしているのが見えた。
後で覚えていて頂きたい。
「では、あの……お願いします、兄上、姉上」
「「まかせて!」」
二人が胸を叩くと、今度はサファイア王子が、
「君だけに任せて見ているわけにはいかない。――動けるものは茨の除去作業を! 彼女たちに道を作れ!」
と騎士たちに呼びかけ始めた。
「兄上、私も手伝います」
「ああ。頼りにしている、ダイヤ」
「――――ッはい!」
ダイヤ王子の顔が嬉しげに輝くのが見えた。
その時。
「――――私たちも連れて行ってください、ベリル様」
アルマさんの声が聞こえた。
何かを決意したような、強い目をしている。
その隣にいるエピドート教授も同様だ。
「私たちが茨の君の召喚者です。きっとお役に立てます」
どうやら茨の君を召喚したのはアルマさんとエピドート教授の二人掛かりのようだ。
半神クラスを召喚するには相当量の魔力も使うが、二人掛かりなら、負担も軽減できたはずだ。
なるほど、そういう手段もあるのか。
なんて事を思いながら、私は二人に頷く。
「ええ、お願いします!」
私が頷くと、二人は少し驚いた顔になった。
「信用してくれるのですか」
「信じて頼っているだけですよ」
そう言って笑うと、二人は目を瞬いたあと、頷いた。




