第三十五話「火のないところにとは言うが、噂は噂じゃからのう」
ラリマーさんと話をしたあと、食事処も兼ねている冒険者の酒場を出た私たちは、屋敷に向かって歩いていた。
春とは言えど夜は冷える。フードをかぶり直すと、冷えていた耳が温かくなるのを感じた。
「ラリマーの奴、元気そうじゃったのう」
歩きながらアイドがしみじみとそう言った。
冒険者の酒場のラリマーさんはアイドの昔の冒険仲間だ。あの短い時間ではあるが、気心が知れたようなやり取りを聞けば、良い間柄だったのだろうという事は分かる。
ラリマーさん以外にも魔法使いや治癒士もいたと話してくれた。
人数は私たちと同じではあるが戦士が二人に魔法使いと治癒士との事で、とてもバランスが良いパーティだったようだ。
今も時々、連絡は取り合っているらしいが――パーティを解散してからは、皆それぞれの道を歩んでいるのだそうだ。
……私たちもいつかはそうなるのだろうか。
今すぐではないにせよ、そんな未来があると思うと寂しく感じる自分がいた。
……やめやめ! 今それを考えるとドツボにはまる気がする。
私は首を軽く振って、いったんそれを棚上げする事にした。
「トルマリン王国で冒険者の酒場を運営するのは大変な事でしょうから。ラリマーさんのような豪胆な方でないと、なかなか務まらないかもしれないですわね」
「そう言えばここって冒険者あんまり好きじゃないんだっけ?」
「うーん、国民はそうでもないんだけどね。ズルタ陛下が冒険者の事をあまり良く思っていないんだ」
「へー?」
国民は冒険者の事は悪く思ってはいない――というかあまり興味が無い。
困った事は基本的に騎士団が何とかしてくれるので、冒険者という存在に必要性がないからだ。
現状では騎士団で扱ってくれない案件が冒険者の酒場へやって来る、という感じらしい。
「しかし嫌うほどここには冒険者がおらんじゃろうて。奇妙な話じゃのう」
アイドが髭ををなでながら言う。
言われてみれば確かに……。
接触する機会がなければ、国民と同じく嫌うも嫌わないもない。
……という事は、ズルタ陛下は冒険者と関わる事があった?
「そりゃあれだ。ここの勇者が冒険者だからじゃねーの? 確かエルフの血が入ってたから、勇者として長い事頑張ってたし。それで功績たてまくってたから面白くなかったんじゃねーの?」
「ふむ、それがあったか」
……………。
ジャスパーの予想外の発言に、頭の中が一瞬真っ白になった。
今、何て言った? しかもアイドも知っているの?
「あの、ジャスパーさん。今の台詞をもう一度リピート願えますか……?」
「何で急に敬語なの? まぁ良いけど……トルマリン王国の勇者って冒険者だろ?」
「「はい!?」」
私とアズの声がハモる。
急に叫んだ私たちに、ジャスパーがぎょっと後ずさる。
「な、何でそんなに驚くんだよ? 知ってるだろ? ベリルたちの国の事なんだし……」
「いやいや、その辺りの事は情報が消されていて、知っている人なんてほとんどいないよ」
「はあ!? そんなに大事なの、勇者が冒険者って!? お、俺、何かヤバイ事言っちゃった……?」
ジャスパーが口を押えて後ずさり、青ざめながら辺りをきょろきょろと見回す。
「ヤバイというか……それ、たぶん今のトルマリン王国の人たちのほとんどが知らない事だよ」
「え? 自分の国の事なのに知らないの?」
「知らないと言うか知るすべがないと言うか。その辺りの情報が隠匿されているんですよ」
「えぇ……?」
ジャスパーが困惑した様子でアイドを見る。
アイドは「ふむ」と腕を組んで、
「国外のワシらはお伽話程度には知っておるが、改めてここで聞くような事もないくらいには有名じゃからの。しかしそうも徹底されておると、何か裏があると邪推してしまうのう」
「こわっ。……ていうか、本当に何も知らねーの?」
「勇者が王族で、とても強くて人望もあって――それで悪事を働いて処分されたって噂は聞いたことがあるけど……」
「マジで」
「まぁこうなると噂部分の信憑性がアレだけど」
「火のないところにとは言うが、噂は噂じゃからのう」
アイドの言葉に私はだんだんと嫌な予感が深まるのを感じた。
彼らの言葉通り、その勇者がエルフの血を引く王族であるとしたら――元々のエルフたちほど寿命は長くないものの――長命だ。
話しで聞いたかつてという表現も、間違いではないだろう。
問題はいついなくなったのか。今の二人の話を聞く限り、そんなに昔ではないはずだ。
「……父上ならご存知だろうか」
公爵という地位である父上は、国内の事に精通しているはずだ。
もしかしたら勇者の事もご存じなのかもしれない。
知らないなら仕方がないが――問題はそれを聞いても良いかどうかである。
「隠されているという事は知られたくないという事じゃ。何か必要があれば別だが、そうでなければ触らぬ方が良いかもしれんの」
「……それもそうだね」
気にはなるけれど、今知りたい、というわけでもない。特に今直ぐに必要な情報というわけでもないし。
明らかに危険そうな話に首を突っ込むのはとりあえず置いておこう。
私だってまだ命が惜しい。
ぶるり、と震えが身体に走ったのを感じながら、私たちは先ほどよりも口数少なく、屋敷へと急いだ。




