第三十二話「ああ、良かった、お嬢様……!」
気が付いたら私は何だかふわふわした場所に座っていた。
周りにはキラキラと輝くシャボン玉が幾つも浮かんでいる。
近くに漂ってきたシャボン玉を覗いてみると、中で見覚えのある人たちが動いているのが見えた。
子供の姿の兄上や姉上、今よりも若い父上や母上が、どこかのお茶会に参加している様子だ。
何となく見覚えがあるなぁと思っていたら、思い出した。私がまだ七歳くらいの頃にトルマリン王国の王城で、ズルタ陛下とモルガ王妃から招待頂いたお茶会の時のことだ。
招待された理由までは覚えていないけれど、家族全員でのことだから恐らく良い意味でのものだったと思う。
この頃は今の自分よりもずっと色々が楽しくて、勉強も頑張っていたっけ。
兄上や姉上の優秀さが眩しくて、自分も早く追いつきたいって思っていた。
今は学べば学ぶほどに、努力すればするほどに、二人の優秀さに辿り着けない中途半端さが際立って――嫌になる。もちろん兄上や姉上は私の自慢だけど、それと同時に比べられる事が苦しかった。
二人からも両親からも、その事について何も言われたりしないのにね。
でも家族以外からの目が言葉以上に語っているのを知っている。
……この頃は良かったなぁ。
何だか懐かしくなってシャボン玉をじっと見ていると、ふと場面が動いた。
視界が大分低いなぁ……あ、そうか、これ小さい頃の私の目線なのか。なるほど、どうりで自分がいないわけだ。
『それにしても、ラズリもラピスも幼いのに優秀だと聞いた。将来が有望だな』
『ええ、そうですわね、陛下。ラズリやラピスのような者たちがいるならば、トルマリン王国は安泰です』
眺めているとシャボン玉からズルタ陛下とモルガ王妃の声が聞こえてきた。
そうそう、ラズリ兄上とラピス姉上は小さい頃から本当に優秀なんだよ。
勉強も出来て武術も魔法も得意でさ、二人揃ったら敵なしなんじゃないかって……。
『ベリルもよく兄と姉を立てているのだな。……ふむ、ダイヤにもちゃんと言い聞かせるか』
…………。
…………ああ。
ああ、そうか。
――――私のせいだ。
「お嬢様!」
アズに呼ばれて目を覚ますと、そこは見慣れた私の部屋だった。
何だか身体がとてもだるい。
「アズ?」
「ああ、良かった、お嬢様……!」
アズは泣きそうな顔でそう言うと、顔を綻ばせた。
……何だっけ、えーと。
確か神樹の森で月の涙を手に入れて、それから……ああ、毒で倒れたのか、私。
ベッドから身体を起こそうとすると、腕にあまり力が入らない。
アズが慌てた様子で支えて体を起こすのを手伝ってくれた。
「五日も目を覚まさなかったんですよ、お嬢様……!」
「五日!? それは……心配をかけてごめん」
「ホントだよ」
「全くじゃ」
アズに向けて謝った言葉に別の声が反応をした。
聞き覚えのある声である。そちらの方に顔を向けると、何故かそこにジャスパーとアイドがいた。
「……なぜここにジャスパーとアイドが。そうか、私、まだ寝てるんだな? よし寝なおそう、そして起きよう」
「すでに起きていますよお嬢様。あれは本物です」
「そーそー、俺らモノホンよー」
ジャスパーがへらりと笑って手を振った。
どうやら本当にジャスパーとアイドらしい。
見れば二人とも冒険に行く姿ではなく、普段着というか、ラフな格好をしていた。
「ほら、お嬢様、カメレオンスネークに噛まれたのでしょう?」
「噛まれ……ましたね?」
「一応、そちらの方の解毒は出来たはずなんですよ。ですが容体に変化があまりなくて。それでアンドラ様からウォータースピリットの話を伺ったんです」
状況が呑み込めない私に、アズがそう話してくれた。
神樹の森から出た時にはすでに私の意識はなく、カメレオンスネークの毒を受けたと聞いたアズは直ぐに解毒薬を依頼したのだそうだ。
解毒薬自体は直ぐに出来たらしいのだが、それを使っても体調にあまり変化が無い。
これはおかしいと思いアンドラに話を聞いてくれたところ、ウォータースピリットの事を聞いたそうだ。
とは言え、ウォータースピリットが毒を使うなんて滅多に見られないので、トルマリン王国の資料では治療法が見つからなかった。
それでシーライト王国にならあるかもしれないと、父上に頼んで連絡を取ってくれたのだそうだ。
ちなみに移動に使う転移魔法陣はサファイア王子にお願いしたと聞いて、申し訳なさに頭を抱えたくなった。
「生物の毒と違って魔法系の毒は普通の解毒薬ではどうにもならんからの。ジャスパーが灯り花の森まで薬草を取りに戻って、煎じてくれたんじゃよ」
「方法を見つけたのはアイドだけどな。いやーさすがドラゴンの鱗より年の功! まぁ俺もめっちゃ頑張ったから褒めていーぜ!」
「それさえなければよろしいのに」
アズがため息をつくとアイドが同意するように頷いた。
ジャスパーは「えー? 何でよー?」と言っている。
「アズ、ジャスパー、アイド、ありがとう。……その、迷惑かけて、ごめん」
「へっへ。まー、でもよ。それは俺らじゃなくて、一緒に冒険に言った奴らに言う奴だぜい」
迷惑をかけてしまった事に無性に申し訳なくなってきて謝ると、ジャスパーが指を振ってそう言った。
その言葉で頭の中にアンドラとガーネットさん、ダイヤ王子の顔が浮かぶ。
ジャスパーは少し真面目な顔になると、ベッドに座る私と視線を合わせるようにしゃがんだ。
「なぁベリル。ウォータースピリットの毒のこと、どうしてあいつらに言わなかったんだ?」
ジャスパーに言われてハッとした。
そう言えば、どうして私はアンドラたちにその事を言わなかったんだろう。
ジャスパーたちと一緒に冒険している時は些細な事も話していたはずだ。
……何で?
理由を考えながら、私は思いついた事を言葉にする。
「解毒薬は飲んだし、外まで保つかなと思った……」
「ベリル、毒の耐性ほとんどねーだろー。保つわけないない」
だけどジャスパーにはあっさりそう言われてしまった。
……そうか、確かに毒の耐性は私、ほとんどないな。
自分でも良く分からないでいるとジャスパーは少しだけ表情を和らげて、
「言わないってのはダメだって、知ってるだろ? 一緒に冒険するってのはさ、命を預けるってことだ。一緒に戦うなら、信用できなくても、信じて頼らなきゃダメだぜ?」
と言った。
ジャスパーの言葉に、私は自分が言わずにいた理由を理解した。
私はアンドラたちを仲間として信頼出来ていなかったのだ。
一緒に戦うだの、ありがとうだのなんだの言っておいて……これは……。
私はだめだなぁ……。
「……その、何か、自分がしっかりしなきゃなってのが、あって」
「うん」
「先輩面して、いた、です」
「まー冒険に関しちゃ先輩だけどなー」
ジャスパーはからから笑うと、私の頭をがしがしと撫でた。
途中でアズが「もう!」と少し怒った顔でその手を掴んで止めている。
顔を上げればアイドも優しい顔をしているのが見えた。
「アンドラ様もガーネット様も……ダイヤ王子も、心配なさっていましたよ」
「ダイヤ王子がカメレオンスネークの頭を持ってきてくれたから、解毒薬も作る事が出来たってさ」
「……あとでお礼言って謝らないと」
「そうじゃのう。まぁ、何じゃ。色々言ったが、無事で良かった良かった」
そう言って笑う三人の言葉が温かくて、なんだか泣きそうになる。
本当に私はまだまだだ。
そうして話が落ち着くとアズが、
「旦那様に知らせてきますね! それとご飯、食べられますか?」
「うん」
「ではすぐに! ジャスパーさんとアイドさんはどうします?」
「えっ俺たちも良いの? 食べる食べる!」
「これ、少しは遠慮せんか。じゃが、ワシも何か貰えると嬉しいのう」
「分かりました!」
アズはにこにこ笑うと、そのまま部屋を出て行った。




