第二十九話「我は雪催と霜夜を耐え忍ぶ者なり」
精霊の安息所を出発した私たちは湖に向かった。
森と同じ名前のついたその湖は一周するのに歩いて三十分ほどだろうというくらいの広さだ。
多くの草花に囲まれた湖の水は底が見えるくらいに澄んでいる。水面の上を視覚化された魔力の光がふわり、ふわりとたくさん浮かんでいた。
その光の合間を、魚のような形をした青色の光が幾つか飛んでいる。
ウォータースピリットだ。
ウォータースピリットとは、精霊系のモンスターの一種だ。
大きさは大人が両手で抱えられるくらいが大体だ。
ちなみに精霊と言ってもあくまでモンスターよりの精霊なので、精霊の安息所でふわふわしている精霊たちとは別のものだ。精霊の安息所の方は自然に近い精霊なのである。
神樹の森にはそういった精霊系モンスターが生息していると資料に書かれていた。
その理由の大部分はこの森を満たす豊潤な魔力だ。精霊系のモンスターは魔力を食事として撮っているため、魔力が多い場所や濃い場所を生息地としている事が多いのである。
自然に近い精霊は基本的には無害であるが、精霊系のモンスターはその限りではない。あちらはとくに縄張りを侵す相手には容赦がない。
昔は精霊系を精霊と勘違いしたものたちが、暴れる精霊系のモンスターの怒りを鎮めるために生贄を差し出す――なんて事もあったらしいのだが、彼らの縄張りに人間を放り込んだところで逆効果だったそうだ。
そこから精霊についての研究が始まって、精霊と精霊系モンスターは違うものなのだ、と分かったそうな。今まで生贄に差し出された者たちはさぞ無念だっただろう。
さて話は戻るが、このウォータースピリットもその精霊系モンスターの一種。
その身体は水属性に染まった魔力――水に近い――で出来ている。ただの剣や矢などでは攻撃が通りにくい。
精霊系モンスターを相手にする時は魔法で攻撃するか、エンチャント系の魔法で武器に何かしらの属性を持った魔力を付与するなどの方法が有用である。
他にも補助系のアイテムを使って属性を付与するとか、どちらもない場合は油などで代用するなんて方法もあるね。
「精霊系のモンスターを見るのは初めてですわ。こうして見るだけなら綺麗ですのね」
「ああ。あれが襲ってくる様子が、今一つ浮かんでこないな」
ウォータースピリットに気付かれないように、少し離れて観察しているとガーネットさんとアンドラが小声でそう言った。
「ウォータースピリットは精霊系のモンスターの中では臆病だから、縄張りに入らない以上は襲ってこないからね」
「そうなのか?」
「でも縄張りに入った時はかなり怖い」
シーライト王国で経験済みですが、というのは言わないでおく。
だがアンドラには伝わったようで「なるほど」と神妙な顔で頷いていた。
「それより、あそこにあるのはムーンフラワーで良いのかい?」
話をしていると、ダイヤ王子が堅い声でそう言って、ウォータースピリットが浮かんでいる辺りを指差した。
指の先には月のような黄色の花弁に、小さく星のような模様が浮かんだ花が群生している。
エピドート教授から頂いた資料にあった絵と同じだ。
先に湖に来て良かったと思いながら頷く。
「ええ、あれがムーンフラワーです」
「そうか。なら、早く片付けよう」
言うが早いか王子はすらりと剣を抜いた。
そしてそのままウォータースピリット目がけて走り出す。
「殿下、お待ちください!」
その背を同じように剣を抜いてアンドラが追いかける。
……いや、待って! 二人とも武器がまだ元のまま!
頭を抱えたい衝動に駆られつつ、私は鞄から『氷結の小瓶』というアイテムを取り出す。これは武器に氷属性を付与するものだ。体が水で出来たウォータースピリットは凍らせて砕く、というのが有効的な手段の一つなのである。
抜いた剣に氷結の小瓶の中の液体を振り掛けると、剣身が淡く青色に光り出す。
「ベリル様、私は魔法で援護致します」
「ええ。お願いします!」
ガーネットさんの力強い言葉を受けて、私もウォータースピリットの所へと駆けだす。
すでに開始されれている戦いでは、案の定ダイヤ王子たちの攻撃はほとんど通っていなかった。
ウォータースピリットを攻撃するも、水に近いもので出来た彼らの身体を剣はすり抜けていく。
全くの攻撃が通っていない、というわけではないが微々たるものだ。
だがその行動はウォータースピリットを怒らせた。
ウォータースピリットはぶわりと膨れ上がると、吼えるように大きく口を開き、アンドラたちを飲み込もうとする。
私は、
「ガーネットさん、魔法を!」
とガーネットさんに魔法を頼む。
直ぐに「はい!」と声が返ってくる。
「我は雪催と霜夜を耐え忍ぶ者なり」
聞こえてくる詠唱を背に、私は剣を構えてウォータースピリット目がけ下から上へと振り上げる。
空に向かって振るうので威力は落ちるものの、氷属性を付与された剣はウォータースピリットにとっては痛手のようで。
斬った箇所から凍りついて身体が再生出来なくなっている。
そこへ、
「氷の矢!」
ガーネットさんの氷の魔法が飛んでくる。
無数の氷の矢は青白く輝きながら真っ直ぐにウォータースピリットを射抜いて身体を凍らせる。
ぐらり、と落下しかけたウォータースピリット。それをアンドラが真っ二つに斬り落とした。
咄嗟だが良い判断だ。
「二人ともナイス!」
短く声を掛けると、アンドラが少し驚いたような雰囲気で目を瞬き「まかせろ!」と笑った。
仲間を倒された他の数体のウォータースピリットは警戒してか、私たちから少し距離を取る。
少し時間が稼げたので、私は鞄から氷結の小瓶をもう二つ取り出すとアンドラとダイヤ王子に投げ渡した。
「それを武器に振り掛けてください。先に渡しておくべきでした、申し訳ない」
「ああ、分かった!」
受け取ったアンドラは直ぐに小瓶のフタを開けて剣に振り掛けている。
だがダイヤ王子は小瓶と、アンドラが倒したウォータースピリットを交互に、苦い顔をしている。
不機嫌というよりは「しまった」と悔やんでいるような顔だ。
「ダイヤ殿下、動けますか?」
「――当たり前だ」
声を掛けると、王子はハッとした顔でこちらを見る。
そして複雑そうな顔で氷結の小瓶を剣に振り掛けた。
アンドラとダイヤ王子の剣に青い光が灯るのを確認すると、私はウォータースピリットの方へ向き直る。
数を確認すると残りは三体。周囲には他の個体は見当たらない。
先ほどの攻撃で怯んだまま逃げてくれないか――なんて少し期待したが、その気配はなかった。
ここが彼らの縄張りならばそう簡単に明け渡す事はできないのだろう。
ウォータースピリットに剣を向けたまま、視線だけムーンフラワーに向ける。
花弁は閉じているものの、花自体は無事だ。
戦いに巻き込まないよう少し離れた方が賢明だろう。
そんな事を考えていると、ウォータースピリットたちの様子が変わった。
三体のウォータースピリットが身体をくっつけ始めたかと思うと、突然光り出したのだ。
その光に引き寄せられるように、周囲を漂っていた視覚化した魔力の光も集まり出す。
頭の中に一瞬、グランドメイズで戦ったスライムの事を思い出した。
――――まずい!
そう思った直後に、ウォータースピリットは目が眩むほどの光を放ったあと、私たちの何倍も大きい姿へと変化し、吼えた。
音のない振動がビリビリと空気を震わせる。
「な、何だこれは……!」
「スライムならキング化したってところかな」
もっとも精霊系モンスターがスライムのようにキング化するなんて思わなかったけれど。
ウォータースピリットは体が水に近いもので出来ているから可能なのかな。今度アイドとジャスパーに聞いてみよう。
……しかし、これを相手にするのは骨が折れそうだ。
凍らせるにしても身体が大きすぎる。あとは火で身体を蒸発させて倒すという方法もあるけれど、下手をすると森に火が点きかねない。
これは倒してしまうより、逃げた方が良いかもしれないな。
精霊系モンスターは敵が縄張りに入る事を嫌うけれど、自分たちも縄張りから遠く離れることはしない。
そう判断して私は、
「ダイヤ殿下、私たちがウォータースピリットを引きつけます。その間に『月の涙』を採取してください」
「引きつけるって……あれをか!? だ、だが……」
「正直、アレに勝てるか分かりません。ですので月の涙を採取出来次第、ここから全員で離脱します」
ダイヤ王子はウォータースピリットとムーンフラワーを交互に見比べる。
迷っているようだ。
「アルマさんに月の涙を届けるんでしょう? ここで戦うと花も無事では済みません。お願いします、殿下」
「……分かった」
そう頼むと、ダイヤ王子はハッとした表情になって頷いてくれた。
これでよし。ムーンフラワーの方は王子に任せて、ウォータースピリットに集中しよう。
「アンドラ、ガーネットさん」
「ああ」
「お任せを!」
アンドラとガーネットさんに声を掛けると、二人ははっきりとそう答えてくれる。
頼もしい限りだ。
「では、行きます!」
掛け声とともに私たちはウォータースピリットへ突撃した。




