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第二話「私が勉学に励んだところで、誰も歯牙にも掛けないだろうに」


 屋敷に帰って直ぐに私は部屋に戻る。

 そうして窮屈なドレスをスポーンと脱いで部屋着に着替え、椅子に座った。


「お嬢様、豪快すぎます」


 侍女のアズが苦笑しながら紅茶を淹れてくれた。

 わーい、良い香り。

 花が描かれた白いティーカップから、ふわりと爽やかな甘い香りが漂ってくる。

 この香りはアプルかな。アプルというのは赤い色をした果実で、そのまま食べてもさっぱりと甘くて美味しいんだ。

 一口飲むと、優しい甘さと温かさが身体の内側に広がって、思わずため息が出る。

 どうやら自分が思っていた以上に疲れていたらしい。


「ありがとう、アズ」

「いいえ。でも大分お疲れですね、お嬢様。何があったんですか?」

「うーん、色々ね」


 王城での事を話そうかどうしようかと迷って、ズルタ陛下から「協力者以外には出来るだけ内密に」と念を押された事を思い出す。

 それはつまり協力者には話して良いと言う事だ。協力者イコール信頼できる人。私にとっては家族以外なら、トルマリン王国ではアズにしか話せる相手がいない。

 たぶん協力して貰わないと上手くいかない自信もある。

 なのでアズに王城での事を話すことにした。


「色々ですか?」

「うん、陛下にさ『悪役令嬢役』なんてものを頼まれてねぇ」

「何ですかそれ?」


 アズが青い目を丸くする。

 その気持ちは良く分かる。私も最初に聞いたとき、何ですかそれって聞き返したかった。

 その辺りの事情も含めて、一連の事を話すと、アズが呆れ顔になる。


「えー、何ですか、それー。何か半分遊ばれてますよ、お嬢様。それに良く受けましたね」

「だって受けざるを得なかったというかねぇ。ほら、受けないと首が飛びそうだったし? さすがにまだこの世に別れは告げたくないからさ」


 言いながら手を首の前でサッと横に動かすと、アズは「わあ、国家権力」と大げさに驚いてくれた。

 まぁ私もね、さすがに断ったくらいで処刑はされないとは思うんだよ。でも、そういう予想が裏切られる事があるというのは、歴史が如実に物語っている。

 人の心とプライドは秋の空のようにとても変わりやすくて複雑なものだから。

 まぁよしんば処刑はされなかったとしても「内密に」なんて釘を刺される仕事である。

 断ったら最期、事態が解決するまでは監視付きの軟禁あたりが、可能性として高いだろう。


「でもお嬢様に悪役令嬢役なんて無理じゃないですか? 演技がシロガネ大根役者ですよ」


 ストレートに演技が下手だと言ってきよる……。

 いや、まぁ、そうなんだけど。


「一応、真綿に包んで言ってみたんだけど、そうしたら悪役令嬢役の脚本を進呈頂いた」


 話しながらモルガ王妃から頂いた『悪役令嬢を完璧にこなすための脚本』を見せると、アズはぶはっと噴き出した。


「ぶっは! 何ですかそれ!」


 だよね、笑うよね。気持ちは良く分かる。

 どうやらアズはツボにはまったらしく、腹を抱えて笑っている。

 軽快に笑うアズを見て、何だかつられて笑う。やっぱりアズといるのは気楽で良い。


 アズは艶やかな黒髪と、夜空を切り取ったかのような深い青い目が特徴の同い年の女の子で、幼少の頃から私に仕えてくれている侍女だ。

 そのせいか他の侍女や執事、使用人たちと違って、私に対する態度がとても気安い。

 もちろん世間体があるので人目につくところではお互いに控えているが、肩の力を抜いて話が出来る相手なのである。 

 姉妹のようなとも言えるかな。どちらが姉か論争は未だに決着がつかないけれど。


「うわぁ分厚くておっもい……っていうかあれ? この本、著者が王妃様みたいな名前ですね?」

「うん、王妃様が著者だからね」

「書いちゃったんですか王妃様……。っていうか、何気に書き込みも凄いんですけど、お嬢様これ貰ってどう返したんですか?」

「笑顔って最強の防具だと思うんだ」

「確かに」


 アズはくすくす笑ったあとで、心配そうな表情になった。


「でも本当に……大丈夫ですか、お嬢様?」


 大丈夫か大丈夫じゃないかの二択であったら、即答で「大丈夫だ!」とは答えにくい。

 だが引き受けてしまった以上は仕方がないのだ。


「あまり大丈夫じゃないから、アズに協力してもらいたいんだ」


 私がそう言うと、アズは目をぱちぱちと瞬いたあとニッと笑って「もちろんですとも!」と胸を叩いて頷いてくれた。

 うーん、頼もしい。ありがたいな。


「ね、ね、お嬢様! それにしても報酬の件は魅力的ですよねぇ。口約束なのがちょっと心配ですけれど」

「あー。話をしていたら色々と面倒くさくなって、その辺りについて深く考えるのを忘れていたよ」

「ええ、駄目じゃないですか。書面に残さないと詐欺られますよ、お嬢様」

「いざとなったら証拠の脚本で何とかする。ほらここに王妃様の名前がバッチリだ。どうして名前を書いたのだろうね、あの方は」

「えー、首が飛びますよ、お嬢様」


 聞かれていないのを良い事に、言いたい放題である。

 ま、外では言えないのだから、誰にも聞こえない室内くらいは良いだろう。 


「でも本当に人選ミスだと思うよ。ほら、シロガネ大根役者だし、私。演技系はサッパリだもん」

「昔、御兄弟でやった劇で演じた時のお嬢様酷かったですよね。棒読みの上に動きが何かカクついてましたもん」


 やめて、そんな過去思い出したくない!

 本当に演技は何でか上手く出来ないんだよ。

 恥ずかしさはないんだけど、役になりきるっていうのが駄目なのかもしれない。


「もしくは気分が乗らないからっていうのもありますかねぇ」

「それはありそうだなぁ。うーん、それなら……あ! 歴戦の勇者とか、強欲なトレジャーハンターの役ならノリノリで出来る気がする」

「それは役じゃなくて、普通にやりたい事では?」


 自分に出来そうな役柄を幾つか上げてみると、アズが飽きれたように半眼になる。


「お嬢様、冒険はお休みの時だけですよ?」


 うっさらに釘を刺されてしまった……。


「分かってる、分かってる。――――ああ、ままならないものだ、早く休みにならないかなぁ」

「台詞が完全に働きに出た人のソレなんですけれど。……ああ、いけない。そろそろ夕ご飯の準備をしないと!」

「もうそんな時間か。ちなみに今日のメニューは?」

「ごろごろ野菜のシチューです、お嬢様。料理人が張り切っていました」

「ラズリ兄上の好物か。そう言えば視察から戻って来るんだったな、楽しみだ」

「はい! それではお嬢様、失礼します!」


 私がそう言うと、アズはにこにこ笑って部屋から出て行った。

 その後ろ姿を見送ったあとで、私は窓の外に目をやる。

 そろそろ日が落ち始める頃だ。空の端が橙色に染まるのを見ながら、明日から始まる悪役令嬢役付きの憂鬱な学院生活を思い浮かべる。


 ……私が勉学に励んだところで、誰も歯牙にも掛けないだろうに。


 ため息を吐いた時に、遠くに一台の馬車が屋敷に向かってくるのが見えた。ラズリ兄上を乗せた馬車だろう、タイミングの良いことだ。

 私は椅子から立ち上がると、手に持った脚本をベッドの上に放り投げた。

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