第十八話「……ラッキースライム」
グランドメイズに飛ばされて二日目、まだまだ救助はやって来ない。
私たちパーティもグランドメイズの二十二層まで到達するのに、大体二週間は掛かったので仕方がない事ではある。
しかしこうしていると、やはり食料の不安は出てくる。
幸いなことに水だけはあるものの――水だけで生活というものが現実味を帯びてきた。
この二日、私とアズは精霊の安息所の近くへ探索に行っているのだが、なかなか食べられそうなものを発見する事は出来ずにいた。
精霊の安息所から離れ過ぎるとミノタウロスのようなモンスターと遭遇する可能性があるので、なかなか捗らない。
空腹で動けなくなる前に、危険を冒してでも遠くへ行くべきか……。
そんな事を考えていると交代で探索に向かったアズが嬉しそうな笑顔を浮かべて帰って来た。
「お嬢様! お嬢様、見て下さい! スライム! しかも真っ白の!」
「やった、アズえらい!」
「おいこら貴様、何というものを持ち帰って来たんだ!」
アズが掴んだものを見せてくれた途端、アンドラが顔を真っ赤にして怒った。
「何ってソルトスライムですよ?」
何を怒っているのかとアズは首を傾げる。
種類名を言ってもアンドラには分からなかったようで、出来るだけスライムから距離を取ろうと、じりじり後ずさっていた。
アンドラは前にスライムの核を見せた時も気持ち悪がっていたっけ。
もしかしたらアイドと同じくスライムが苦手なのかもしれない。
まぁ、そんな事はさておき。
アズが持ち帰ってきたのはソルトスライムという種類のスライムだ。
体内に塩分を含んでいることからその名前がついた。このスライムを火などで熱して水分を飛ばせた質の良い塩が手に入る。
ちなみに似た種類でシュガースライムというものいるが、そちらは砂糖が手に入る。
この二種類のスライムはダンジョン内では貴重な存在なんだ。
さらにソルトスライムとシュガースライムにはもう一つ、冒険者の間で呼ばれている渾名ががある。
「そのスライムは冒険者の間ではラッキースライムとも呼ばれているんだよ」
「ラッキースライム……?」
「あまり遭遇出来ないからそう呼ばれてる。見かけたら良い事があるらしいよ」
聞いた話だとソルトスライムを見つけたあとで、偶然良い装備を手に入れる事が出来たとか、欲しかったアイテムを買う事が出来たとか。
このスライムたちに実際に幸運を引き寄せる力があるかどうかは分からないけれど、今の私たちの状況でソルトスライムと出会えたのは嬉しい偶然だ。
「良い事ですか、それなら救助も来てくれるかもしれませんね!」
アンドラの側仕えが心なしか嬉しそうに言った。
そうそう、そういう事である。
言わんとしていた事が伝わってくれて嬉しい。
「そ、そうか、幸運の象徴のようなものなのだな。それでは食べるとかではないと」
「え? いえ、すでに仕留めたので、塩を取ろうと思っていますが」
「やっぱり食べるんじゃないか!」
アンドラは頭を抱えて叫んだ。
うーん、賑やかなだなぁ。
ここ二日ほど見ていると、意外と彼が面白い人間だと言う事が分かった。
貴族らしくないというか――失礼な感想になってしまうかもしれないが――アンドラは意外と他人に対して横柄な態度は取ることはなかった。
自分の側仕えにはもちろん、私やアズに対してもごくごく普通に接してくれる。
以前の態度は私への悪感情が大きかったのだろう。
そんなアンドラにアズも最初の頃よりも態度が柔らかくなっていた。
時々だが、今のようにからかう素振りも見せるようになっている。これはアズが信用している相手に対して取る態度の一つなのだ。
悪い関係よりは良い関係の方が見ていても、接していてもずっと良い。
少なくとも一緒に行動している間は穏やかな関係が築けるのは有難い。
アズとアンドラを眺めながらそんな事を思っていた、その時。
――――突然、ダンジョン内にモンスターの雄叫びが響いた。
反射的に剣を抜く。アズも同様にナイフを構えて緊張した面持ちになった。
雄叫びが聞こえたのはアズが戻って来た通路だ。
「お嬢様、今のは」
「ミノタウロスだと思うよ」
通路を睨んだままアズの質問に答える。
精霊の安息所であるここは結界に守られているためモンスターは入って来ない。
だから何かあったとしても、ここにモンスターが雪崩れ込んで来るという事はないはずだ。
だが――。
今の雄叫びは尋常ではなかった。
「アズ、探索中に何か変わった事はなかったかい?」
「いいえ。壁からソルトスライムが飛び出してきたくらいですわ」
そう言ってアズはソルトスライムを地面に置いた。
「……ラッキースライム」
地面に横たわるソルトスライムを見て、アンドラがぽつりと呟いた。
話が違うじゃないか、と言いたげな雰囲気だ。
アンドラの気持ちは良く分かる。私も同じことを思った。
だからアンドラも、側仕えの皆さんも一様にソルトスライムを悲痛な顔で見ないで頂きたい。
ソルトスライムは何も悪くない。そいつは貴重な塩になるんだ。
「とりあえず様子を見て来るよ」
そう言って私は通路の方へとそろり、そろりと近づく。
見える範囲にモンスターの姿は無い。
けれど通路に近づくにつれて、誰かが遠くで戦っている音は聞こえるようになった。
救助に来てくれた誰かかか、どこかの冒険者パーティか、それともモンスター同士の諍いか。
何れにせよ戦闘が行われている事だけは確かだ。
モンスター同士の諍いならば放っておくしかない。
けれど救助か、冒険者パーティであったら話は別である。
会いに行く必要があるし、苦戦しているならば加勢しなければ。
「お嬢様」
「行こう」
アズと頷き合うと、私たちは精霊の安息所の外へ一歩足を踏み出す。
結界の外に出た途端に空気がビリビリと震えるのが肌で感じられた。
「これは――魔法の反応ですか?」
「だと思うよ。それならたぶん人だ」
精霊の安息所では結界に守られているので、結界外の魔力反応は遮断されるので分からなかったが、誰かが魔法を使っているようだ。
魔法を使えるのならば人である可能性が高い。
一縷の希望を見出して音を頼りに進んでいくと、向こうから誰かが走って来る足音が聞こえた。
身軽そうな軽い足音だ。
私とアズは足を止めて武器を構え、音の主を確認しようと目を凝らす。
すると少しして――良く知る声が聞こえてきた。
「ベリル、アズ!」
通路向こうの暗闇から現れたのは、浅黒い肌に尖った耳のダークエルフ。
我らがパーティーの弓使い、ジャスパーだった。