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風の記憶  作者: 望月桔梗
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第七章 試練

 テイルの親友、バシリオスに従うレヴァントは、バシリオスの役に立とうと画策し、かえってテイルに重傷を負わせる結果となり、バシリオスの怒りを買い、捨てられた。テイルとのやり取りの中で、彼はルーティスと名を改め、生きる覚悟を決めた。翌日思いがけずバシリオスの本音を聞くことになり、それに激怒したルーティスは、自らの意志でバシリオスの前から姿を消した。

 それから時は流れ……。

 テイルは何も感じる事無く海の中を微睡み漂っていた。

《ほぉ。お前の心象風景はやはり海か。自覚はなくとも海の女神の愛に包まれるか。あの子とは対照的だな》

 何処からともなく男の声が聞こえ、テイルはうっすらと目を開けた。

 海の中だと気付いたが、怖いとは思わなかった。視線を動かし声の主を探す。

《無駄だ。お前の心象風景の中に我が姿を投影する事は出来ぬ》

「誰?」

  思わず呟き、呼吸が出来ていることに気付いてハッとする。

《お前を包む神よりお前達の守護を託された者。と言っておこうか》

「俺達?」

《お前が心に描く者だ》

「っ! フィリアもっ?」

《あの子は今我が手の中。これからも永遠にな》

「酷い事していないだろうな!」

 いてもたってもいられず、身の程をわきまえずに叫ぶ。

《くくくっ成程。手の中の表現にそう反応するのか。ならば言い換えようか。あの子は巫女となる為に我と契約をした。生かすも殺すも我次第。そしてまだ、今は生かしている》

「神の、花嫁」

《ほう? 知っておったか》

「なら、あんたは風の神?」

《口の利き方に注意を払うがいい。神に対し無礼であろう? お前の父は礼節に厳しいのではなかったか?》

 テイルはハッとして口に手を当てる。

《気付いたならば良い。次は仕置く》

「すみません」

《次はせんよう気を付ければ良い。如何にも我は風の神。だが何故そう思った? 否、良い。あの哀れな男か》

「はい。レヴァント、いえ、ルーティスから聞きました」

《……。全てに意味はある。だが、狭間の子達にはいつも辛い思いをさせてしまう。我らこそが罪なのかもしれん》

「風の神?」

《何でもない。今はお前の事だ。お前は刺されて生死をさ迷っている状態だ。理解出来るか?》

「……あ。仲間は、彼はどうしましたッ?」

《死んだ。刺されて意識を失ったお前に呼び掛けている所を後ろから斬られて。お前だけは辛うじて命を繋いでいる。仲間を追いたければおう事も出来るぞ》

 ショックを受けているテイルに対し、意地悪な言い方をする風の神。

「仲間の死を悼んではいけないんですか」

 テイルがムッとしたように言う。

《いけないとは言ってないぞ》

「馬鹿にしている言い方でしょう」

《馬鹿にはしておらんよ。お前の進む道の可能性の一つを言ったまで》

「それが馬鹿にしていると言うんです! 俺の願いを知っているくせに、何でそんな事言うんですか!」

《忘れてはいなかったのか。残念だ。もし忘れているならお前からフィリアの記憶を抜き取り、守護する者として、お前に幸せをやろうと思ったのだがな》

 何の感慨もない様子でそう言う風の神。

 何処にいるのか分からないので、とりあえず正面にいるものと思って険しい表情で睨みつけるテイル。

「フィリアを忘れる事が俺の幸せ? 勝手に決めつけないで下さいッ!」

 頭に血が上っているのに敬語を使えたのは奇跡的だと、呑気に考える風の神。

《見つけてどうする。再会してどうするのだその後は。お前を忘れ、自分をたかが一時酔いしれる酒代にする為に売り払た父と母を忘れて、女を虐げる男共を手玉にとる方がフィリアにとって幸せかもしれないではないか? お前の身勝手な執着に振り回されて、やっと癒えかけた傷口に塩を塗りこまれるような苦悩を味わう姿が見たいのか? あぁそうかそうだったな。お前はそれを慰めて良いお兄ちゃんを演じたいのだ。自分でフィリアに苦痛を与えておいて優しい振りをする。弱い者虐めはそんなに魅力的か?》

 冷たく言い放つ風の神に対し、テイルは険しい表情で歯を食いしばって、ただひたすら正面を睨み続けた。

《どうした。反論出来んか?

 ずっとお前を見てきたが、お前はいつまでたっても木を見て知った氣になるだけで森を見ようとしない。お前一人の事ならば好きにさせておくが、死して我が妻となる娘に関わる事ならば捨ておくことは出来ん。

 丁度良い機会だ。お前の返答次第では、フィリアの記憶を根こそぎ抜き取る。それがお前の為でありフィリアの為だからな》

「確かに、俺は未熟者です。何を言われてもいい。でも、これだけは撤回して下さい」

《何か間違っていたか?》

「俺は、あの子の幸せな姿を見たい。幸せに笑うあの子を守りたい。あの子を虐めたいわけでも、苦しめて慰め喜びたいわけでもない……っもし、あの子に名乗る事が不幸せになるなら、生涯名乗れなくていい。只の自己満足だとしても、傍で見守れるならそれで」

 押し出すように言うテイル。感情の高ぶりか、声が震え、言葉が出なくなり、体も震わせた。

《口から絵空事なら幾らでも出よう。確証が持てん以上撤回はしない。だが、少し言葉が過ぎたようだ。そこは反省しよう。

 お前のその思いが本物かどうか試させてもらう。あの光に向かって行け。目を覚ますがいい》

 風の神はそういうと上を指示した。眩しそうに見やるテイルの身体が徐々に浮かび上がり、透けていく。

《記憶を取り去りはしないが封じる。心配せずともお前のその思いが本物ならば自ずと少しずつ蘇る。

今一度ゼロから己を見つめ直せ。それでも尚そう言えたなら、詫びも兼ねてお前達を再会させてやる》

 風の神の声を聞きながら、テイルは意識が朦朧としてくるのを感じ、目を閉じ、身を委ねた。

「フィリア……」

 最後に呟いたテイルの言葉に、それまで一言も発することなく包んでいた海の女神が言った。

⦅厳し過ぎませんか?⦆

《許せ。娘を取られる父親の気分なんだ》

⦅一時の事なのに?⦆

《情けない奴に惚れて泣く娘を見たくない》

⦅貴方様がそこまで人間に固執する方だと初めて知りましたわ⦆

⦅ぬかせ。氣の遠くなるような悠久の時を生きておればこんな事もある⦆

 ぶっきらぼうに言う風の神。

⦅そういう事にしておきますわ⦆

《事実だ!》

 ムキになって言う風の神に、ハイハイと宥めるように言いながら笑う海の女神。

《其方こそ、一人に固執しすぎではないか? あの怪我で生きているのは奇跡だぞ。血液や体液の操作をしたのではないのか?》

⦅いいえ。元々あの子の生命力が強いだけですわ⦆

《……。ふん。そういう事にしておいてやろう》

⦅事実ですわ⦆

 にこやかに笑っているのが目に見えるような声で言う海の女神。

《ふん。女は神も人間もくえぬな》

⦅くえると思っているのは馬鹿な神か人間の男位ですわ⦆

 しれっと言ってのける。

《言うようになったじゃないか。ではいずれ》

 苦笑するような声音で言う風の神。軽い挨拶の後、消えた。

⦅いずれまた⦆

 海の女神もそう呟き、消えた。


 テイルが刺されてからまる五日が経過していた。

 サライ達は無償で生活の面倒をみてもらう事を良しとせず、宿屋の細々とした手伝いをしていた。

 王と側近とセシリアは、それ程遠くないとはいえ、長く逗留するわけにもいかずに二日後には帰って行った。

 医師のアドニスだけが付ききりで看病していた。

 フィリアの名を呟き、目を開けるテイル。

「おおっ! 神よ、感謝致します。あぁなんて事だ。目を覚ました。もう大丈夫。よく頑張ったな、君」

 興奮して早口で言っている初老の男をぼんやりととらえ、虚ろに問いかけた。

「貴方は誰ですか? ここは?」

「ああ、すまんすまん。動かない方が良い。ここは診療施設。儂はこの町の領主、セルギオス王に仕える医師のアドニスだ。君の手術をした。よろしく」

 手を差し出され、反射的に手を握るテイルだったが、すぐに凍り付いたように動けなくなった。

「アドニスさん。有難うございました。俺は……。えっ」

「自分の名前を思い出せないかね?」

 探る様に問うアドニス。

「うそ、なんで俺、自分の名前が出てこないんだ?」

 パニックになるテイルを、アドニスが落ち着かせようと体に触れた。瞬間刺された時の事がフラッシュバックし、アドニスの手を振り払い悲鳴を上げた。

「ぅああああっ!」

「落ち着きたまえ。動いてはいけない。大丈夫。動くと傷に障るぞ」

 宿から丁度帰ってきたサライがテイルの悲鳴を聞いて駆け込んできた。

「テイルさん!」

駆け込んできたサライと、そのサライが発した名前にビクッとするテイル。

「テイル? 俺の名前、テイルっていうんですかっ?」

 縋るようなテイルに驚くサライ。

「先生。まさか、記憶が?」

「ショックが大きかったり、命に関わる大怪我をした時にはよくある事だ。大丈夫、記憶を呼び起こせないだけだ。そのうち思い出すだろう。焦らない事だ」

「戻るんですねっ?」

 テイルとサライの声が重なる。

「ああ。だが時期は保証出来ん。明日なのか十年後か。それはわからない」

「そんな! それじゃダメなんですッ! そんなに悠長に構えてられない!」

 テイルが切羽詰まったように訴える。

「何故かね?」

「分かりません! わかりませんけど、ダメなんですっ」

「まずは落ち着きなさい。君は丸五日、刺された事による失血性ショックで生死の境をさ迷っていたんだ。内臓も酷く損傷していた。

 思い出せずに不安なのはわかるが、まずは体をいたわることだ。寝ながらだって話は出来る。ただし、絶対安静の約束が守れないなら医者として君を縛り付けて面会も謝絶するからそのつもりで」

 アドニスは冷静に、だが厳しい言葉を敢て重ねた。

 テイルは現状最も恐れる事態を避けるべく大人しくすることにした。

「よろしい。では儂は王と巫女に報告して来る。サライ君、君に後の事は任せる。しっかり監視しておきたまえ」

「はい。先生、テイルさんを助けてくれて本当に有難うございました。この御恩は一生忘れません」

 サライは深々と頭を下げて礼を言った。

「儂は王の命令をこなしただけ。それに、儂は医者だ。目の前に救える命があるなら全力を尽くすのは当然。君の仲間には、力及ばず申し訳なかったが」

「いいえ。王様にも宜しくお伝えください。いずれテイルさんが元気になったら、ご報告方々お礼に伺います」

「王の事だからすぐに飛んできそうな気もするが。確かに伝えよう。報告が終わったらすぐに戻る。食事や治療に関してはここの施設の者に引き継いでおくから心配要らない。

 テイル君。く・れ・ぐ・れ・も無茶はせんでくれよ? 報告に行っている間に傷が開いて状態が悪化しましたなんて事になったら、儂が怒られるのだからな」

 アドニスはジト目でテイルを見ながら念を押し、ブルリと身体を震わせた。

「はい」

 困ったように誤魔化し笑いを貼り付けて返事をするテイル。

「ふむ。サライ君、ちょっと」

 疑わしそうにテイルを見やると、手招きでサライを呼び寄せた。ヒソヒソと何事か言うと、サライはニコリと笑い、大きく頷いた。

 心配そうに見ているテイル。

 そのままアドニスは出て行った。

「何を話していたんですか?」

「ん? ああ、テイルさんが言いつけを守らない時のお仕置きについてですよ」

 傍に来たサライに尋ねるテイル。

 サライはニコリと笑って返す。

「真面目に答えて下さい!」

「大真面目だよ。貴方、自分がどういう状況下にあるのかすぐ忘れて突っ走るから。傷に障らないお仕置き方法をね」

 笑みを消してそういうサライに、テイルは不満げに言う。

「子供じゃないんですから」

「いいえ。子供ですよ、特に今の貴方は」

「……」

「貴方の生きる目的の為には、子供のままじゃダメなんです。だから、記憶を取り戻しても取り戻せなくても、ここからは甘やかしませんよ」

 真剣な表情のサライに、息をのむ。

「俺と貴方はどんな関係だったんですか?」

「仲間であり、友人、と、俺は思っていましたがね。貴方が俺をどう見てたのかはわかりません」

「仲間、友人。すみません、全然、ピンときません」

「良いんですよ。すぐに思い出すと思っていませんから。俺に敬語は使わないで下さい。テイルさんの方が年上だし、仲間の間ではリーダーは俺だけど、俺は貴方の事を兄貴と呼んでいましたから」

「兄貴? 義兄弟?」

「俺が貴方を慕ってただけです。契りを交わした訳じゃない。最初は嫌がってましたけどね。くすぐったいって」

「……。早く、思い出したい」

 サライを見、目を逸らすと何か言いたげにしていたが、諦めたように口を閉じ、ぽつりとそう漏らした。

「神様って、克服できない人に試練は与えないそうですよ?」

 沈むテイルを引き戻すべく、サライは急に話題を変えて、明るく言って見せた。

 ぴくっと反応するテイル。

「神様……。試練……。記憶を、封じる」

「テイルさん?」

「ぁぐっ! はぁっ、っくしょ、う。霞がかって!」

 突然頭を押さえて苦しみだしたテイルに、サライが驚いてやめさせようとする。

「テイルさん! 一気に思い出そうとしないで! 壊れちゃいますよ!」

「思い出さなきゃ! あんただって、こんなの嫌だろう?」

「あんたが壊れたら、今度は俺が俺を殺すからなっ!」

 突拍子もないサライの言葉に、びっくりして感情が一瞬静けさを取り戻した。

「え?」

「あんたと一緒にいた仲間が殺されて、あんたが刺されて瀕死だって王様に聞かされた時から、俺、生きた心地しなかった。目が覚めるまで、不安で、怖くて、何かせずにいられなかった。狂いそうな五日間に比べたら、あんたが記憶喪失な事位どうってことない!」

「サライ」

「無茶するなってさっき医者に言われたばっかりなのに、もう忘れてるっ! やっぱり子供じゃないかっ! 罰として、ちゃんと反省するまで口を利かない。あんたが何を聞いても話しかけても日常の必要最低限しか口を開かないから!」

 叱りつけ、罰を宣言してサライは部屋を出て行ってしまった。

「そんなぁ……」

 思わず呟くテイル。

 宣言通り、サライはテイルが話しかけても返事をする事はなかった。

「怖がらせて、ごめんな。体を元に戻すのが先決だって、頭ではわかってるんだ。でも、どうしても考えてしまうんだ。焦ってしまう自分を止められない。せめて何か情報が欲しい。なぁ頼むよ。反省してるから」

 しおらしく言ってみたが、反応はやはりなく、テイルは仕方なく痛む腹部を庇って横になった。

 薬の塗布と包帯の交換の為に見知らぬ医者が来た時、傷口が開きかけていたらしく、医師に散々イヤミなお説教を受け、更に凹む事になったテイル。

「すみません。少しおしゃべりが過ぎたみたいで興奮しちゃって。傷が治るまで記憶に関する事はもう話しませんから、その辺で終わりにしてあげてくれませんか?」

 サライが見かねて言う。

「悪いがこちらにも立場があるんだ。これ以上悪化させるならここを追い出すからそのつもりで。以後氣を付けて下さいね」

「はい。すみませんでした」

「すみません、先生」

 二人で謝り、どうにか医者が戻って行ったのを確認し、ほっと息をつくテイル。

「有難う。助かったよ」

 サライはそれには答えず、無言のまま出て行った。

 夕食を告げる言葉と就寝の挨拶だけはあったが、他は表情さえなく、テイルは一人、暗闇の中一晩中自分を抱きしめ、声を殺して泣き明かし、自分の中の感情と向き合った。

 翌朝、サライはびっくりしたような顔をしていたが、すぐにテイルに背を向けた。窓際に椅子を置き本を読み始めたサライ。

 その背中を寂し気に見つめて、昨夜の睡眠を取り戻すかのように眠りに落ちた。

「有難う」

 眠りに落ちる寸前、無自覚に呟いた言葉は暖かくテイルを眠りへ導いた。

 ぎょっと目を見開くサライ。

 静かな寝息を確認して、テイルに顔を向けた。

「何、で? 何が?」

 呆然と呟くサライ。

 テイルに近づき顔を覗き込むと、穏やかな顔をして眠るテイルに少しだけ安堵する。規則正しく上下する胸の動きを確認してやっと思い出したように息を吐きだした。

「死なない、よね?」

 誰にともなく呟く。

 泣き腫らした、腫れぼったい瞼の上にそっと濡らした布を置いた。そのまま跪き、ベッドの縁に頭を預けた。

「目が覚めたら、記憶が戻っていたらいいのに」


 テイルが目を覚ました時、既にサライは病室にはいなくなっていた。だが、目の上に置かれた濡れた布に心が温かくなった。

 罰を解かれたのは、それから更に一日後ではあったが、もう焦る事も不安や寂しさに押しつぶされそうになる事もなかった。

 サライには突然の変化をしきりに不思議がられたが、テイル自身に答える術がなく、あいまいに笑うしかなかった。

 サライの淡い期待は叶わなかったが、不思議と落胆はなかった。


大分間が空いてしまいました。予定通りすんなり行ってくれない主人公達(´;ω;`)

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