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風の記憶  作者: 望月桔梗
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第五章 旅立ち

「やっと言ったな、バラバラになっても消える事のなかった真実の想い」

 テイルは穏やかに、何処か安堵した様な声音でルーティスに言った。

「えっ?」

「バシリオスに会う前から、お前は心の均衡を保つために別の人格を作り出していたんだな」

「えっ? 今の、芝居?」

「芝居でもあり、本音でもある。俺には手に余るから逃げたいと思ったのも事実だ。だから今のお前の言葉は胸に痛かったよ。自分の未熟さを突き付けられたみたいで辛い」

「テイル、さん」

「なぁ、ルーティス。俺は自分の思い上がりで、お前の心の傷に爪を立てるような事をしてしまった。もしお前が望むなら、どんな罰でも甘んじて受けるよ。お前にはその権利があるし、俺にはそれを受ける責任がある。すきなようにしてくれ」

「貴方って、時々バカな事平気で言いますよね」

 心底呆れたような、うんざりしているような口調で言うルーティス。

「そうか?」

 きょとんと首を傾げるテイル。

 精悍な若者に似合わないその表情と仕草に吹き出しそうになるのを堪えるルーティス。

「何だよ?」

「いえ、別に。……ぷっ……くくく」

 平然を装うとして失敗したルーティスが吹き出した。

「何なんだよ、さっきからお前は」

 不貞腐れたように言うと、益々笑い出したルーティス。困惑と呆れが同居する妙な表情で眺めるテイル。

「何でもいいけど、お前腹の底から笑ってるだろ」

「だって。テイルさん、大人なのに、子供みたいな顔するから」

 笑いに苦しそうに途切れさせながらそう言うと、声を上げて本格的に笑い出した。

 小さくため息をつくと、テイルは右拳を作って、はあっと息を吐いた。

 ジロリと一瞬見やり、ルーティスの脳天めがけて振り下ろした。

「ぎゃん!」

 犬の悲鳴のような声を上げるルーティス。頭に手をやり丸くなるも、まだ笑いは収まりきらない様子。

「わ・ら・い・す・ぎ!」

「痛い。あはは。ごめ、さ、ははは」

「ダメだこりゃ」

 仕方なく収まるまで好きにさせておくことにする。

 少ししてようやく収まった様子のルーティスに話しかける。

「氣は済んだかー?」

「すみません。久しぶりに笑わせてもらいました」

「そりゃぁよーございましたねー」

「そうですね。お陰で貴方が嫌いな理由が明確になりました」

「ん?」

「羨ましいと思ったんです。笑ったり怒ったり悲しんだり、くるくる変わる、表情豊かな貴方が。その根幹を成すモノは、僕には持ちえなかったモノだから。だから、嫌いです」

「お前だって笑ったり怒ったり泣いたり忙しいじゃないか」

「僕のは、貴方が無理やり引き出した、一時的なものです。貴方のそれとは違います」

「出来たんだからずっとそうしてればいいだろ」

「性に合わないです」

「そんなものその氣がありゃ変われるぞ」

「言ってくれますね。それは波打ち際の砂の上に建てられた城みたいなものですよ」

「ふん。崩れたらかき集めて直せば済む話だな」

「馬鹿な事を」

「馬鹿でもやるしかないだろ」

「廃棄すれば済む事です」

「折角建てたのにか? 勿体ないだろ」

「利用価値もないものなら捨てて然るべきでしょう。維持しようとするだけ無駄です」

「じゃあ崩れない様に工夫すればいい」

「労力と時間の無駄でしょう。効率が悪すぎです」

「無駄なものなんか一つもねぇよ」

「嘘ですね」

「嘘じゃないさ。比較するから嫌になるんだろ。嫌になるから劣るものを見つけて責め立てる。そうすれば嫌だと感じる事から逃げられると思うから」

「そんなのまやかしでしょう?」

「そうだよ。でも気付かないし理解しようとしないから、ダメになったら別の対象を見つけて繰り返す」

「馬鹿馬鹿しい」

「その通りだよ。だから一緒に止めにしないか?」

「は? 一緒って何ですか」

「俺は身の程をわきまえずにお前の過去に踏み込み手を出した事。お前は、過去の自分を責め続ける事、だ」

「僕は過去の事を責めてなんていませんよ」

「さっき父親が亡くなった時、建物の中なのに雨が降ってたと言った。父親が死んで悲しかったから泣いていたんだろう? 理由はどうあれ死に追いやったのはお前自身だから、お前は自分を許せなくなった。侵略兵の屁理屈に同意してしまう程、お前の心は弱っていたんだ。だから助けてくれたバルスに自分を殺すように頼んだ」

「僕を苦しめていた皆が死んで嬉しかったからですよ。だから笑って、さっきみたいに涙が出たんです。それ位解放されて嬉しかったという事ですよ」

「さっきは床を濡らすシミを見ていたと言ったが? 解放されて嬉しかったなら死んだ父親を見てるだろ。お前を苦しめた一番の人間なんだから」

「見てきたような事を言わないで下さい」

 少し怒りを孕ませた硬い声で抗議する。

「経験者だからだよ」

 テイルもまた、僅かに顔を顰めて硬い声で答えた。

「経験者?」

「俺は村で、フィリアの父親の死を看取ったんだ。俺が殺したのも同然で、な。

 フィリアの一件以来ギクシャクし始めた村の連中が、彼女の母親が自殺したのをきっかけに、益々彼に酷くあたる様になった。喧嘩っ早い人だったから、酒場でいざこざなんてしょっちゅうで。その延長にかこつけてあいつらは多対一で嬲り者にしたんだ。最後に銛を腹に突き刺す残忍さで」

「随分、汚いやり方ですね」

「そうだな。俺はただその場に居合わせ、一部始終を黙って見ていた。やがて彼らは俺を輪の中心に引き立てた。彼らは俺に何と言ったと思う?」

「とどめを刺せ、ですか?」

「俺がフィリアの父親の息の根を止めれば俺達は村の仲間だ、と。俺に息の根を止めさせて、村全体でその殺人を隠ぺいするハラだったんだ。勿論、殺人犯は俺だ。村の連中は俺を庇う仲間思いの良い奴らを演じるってわけだ。どいつもこいつも腐ってやがるんだよ」

 テイルの瞳の色が変わる。同時に、嘲笑がその口元を歪ませている。ルーティスは言い知れぬ恐怖が背中を這い上る感覚を初めて味わい、ぶるりと身を震わせた。

「とどめ、刺したんですか?」

「いいや。観てただけだ。死んでいく様子をな。ただ黙って彼が何を言っても懇願しても答える事なく看取った。野次を飛ばす奴らもいたみたいだけど気にならなかった」

「貴方らしくないですね」

 思わず呟くように言っていた。

「本性だよ。幻滅したか?」

「いえ。只」

「只なんだ」

「僕の知らない貴方の一面が、凄く怖いと」

「そうか。俺はそうやって復讐をし、恨みを晴らしたんだ」

「それこそ、嘘でしょう。晴れたりしなかった筈ですよ。晴れたのなら、今、そんな目と表情しないと思います」

「さあな。心底相手を憎んでいたから、俺は殺して楽にしてくれという懇願を無視した。勿論泣きもしなかった。そういうものだ」

「……」

「まだあるが? 続けるか?」

「結構です」

 諦めたようにため息をついてそう答えた。

「僕は、一体何処で道を踏み外したんでしょうね。貴方に別れの挨拶をしにここへ来ないでさっさと行ってしまえば、こんな辛いめにあわないで済んだのでしょうか? それとも抱え込んでいずれかで暴走した方が辛かったでしょうか?」

 誰に問うともなしに俯き顔を片手で覆いながら言った。

「選んだだけだ。自分自身で今この瞬間を選んでる。その結果だ。その結果を前にして何を選ぶかでまた違う道が出来る。そうやって歩き続けるんだろ。死ぬまで人間は」

「やっぱり、僕、貴方が大嫌いです。だからもう、自分から死へ向かいません。負けたままは、性に合いません」

「ふうん。随分と嫌われたものだなぁ。俺はあいつとの縁が切れた今のお前と友人になりたかったんだが。大までつくほど嫌いじゃダメだな。残念」

 大して残念とも思っていない様に言うテイル。

「そうですね。でも腐れ縁になる可能性はあるんじゃないですか? 僕を無理矢理引っ掻き回したんだから、タダで済むと思わないで下さいね」

「へぇー。大嫌いな相手なら尚の事縁切っちゃえばいいのにしないんだ? お前って実はいじめられるのが好きなんだ?」

 ニヤリと笑って揶揄うテイル。

「本当に馬鹿ですね貴方。僕が貴方をいじめるんですよ」

「それはそれは。なんかお前のいじめって陰湿そうだな。俺、さっぱりしたのがいいな」

テイルの言葉を聞き、呆れを通り越して脱力するルーティス。

「貴方といい、サライさんといい、あの方の周りには天才が寄って来るみたいですね」

「サライと俺が天才? なんの天才? 頭大丈夫かぁ?」

 素っ頓狂な声を上げるテイルをまともに相手せず、ルーティスはそれでもため息交じりだが生真面目に答えた。

「サライさんは場の空気を換える天才。貴方はひとの毒気を抜く天才です。正しく天が与えた才能だと思いますよ」

「それ、いじめ? 褒めてる?」

「お好きにどうぞ」

 ため息交じりにそう答えると、

「あんまりため息ついてると幸せが逃げちまうぞ?」

「誰のせいですかっ!」

 噛みつくルーティスを笑い飛ばすテイル。

「もう、良いです。貴方とこれ以上絡むと本当に疲れる。

 フィリアさんと昔の僕を重ねて酷い事を言った事、すみませんでした」

「……本心か?」

 疑り深く尋ねるテイル。

「はい。貴方に打たれるのが酷く理不尽だと思っていたので、彼女の話が出た時にワザと貴方が大切に思っている彼女を傷つけた」

「俺が打つ理由を納得させてたら、お前は彼女を悪く言わなかったのか?」

「少なくとも、あそこまで酷い言い方はしなかったと思います」

「今も理不尽だと思うか?」

「……。いいえ。貴方の話を聞く気がなかったのは確かですから。親切心を無下にされたら、いい気はしませんよね」

「……言っていい事と悪い事の区別がついていたのにワザと言ったのか」

「はい」

「……。お前さぁ、何でそう自虐的なの? ワザとやったなんて言わなきゃそれで許してやったのに。ワザとなんて聞いたらタダで済ませられなくなるじゃないか。ったくもう」

 頭を抱えるテイルがぼやく。

「お前やっぱり痛い事されるの好きなんだ」

「そんなわけないでしょう。痛いのなんて嫌いですよ。痛いのがいいなんて僕そこまで変態じゃないです」

「そこまでって事は変態なのは認めるんだ」

「上げ足取らないで下さいよ」

「じゃあなんでだよ? 折角寛大でいてやろうとしているのに無駄にするんだからいい加減な答えなら承知しないぞ」

 じろりと下から睨み上げる。

 見下ろす形のルーティスは覚悟を決めたような顔で静かに応じる。

「そういうのが嫌なんです。僕はもう自ら命を絶ったりしない。そう決めたから、貴方に借りを作りたくないんです。負い目を感じて貴方と向き合うのは嫌です。だから」

 すぅっと息を吸い込み、押し出すように

「正当だと思う罰を下さい」

 ジッと見つめ合う二人。

「本当の馬鹿者だと思うけど。そういう男は嫌いじゃないんだから俺も相当な馬鹿者だよな。お前の覚悟はわかった。ならお望み通りに一人前の男としてお前に罰を与える。今夜は残り少ないがそのベッドを使わせてやるから大人しく寝ろ。明日の朝、サライに許可を取ってから刑罰を執行する」

「……。はい」

 テイルが剣呑な空気を纏わせ低く言うと、ルーティスは目を伏せ気味にしながら、素直に返事を返した。

「尻が痛くて寝れないだろうが、横になって少しでも体を休めておけ。睡眠不足でふらふらしてても容赦はしないからな」

 そう言い置いて、テイルは外に出、カギを掛けた。そこには壁に凭れて腕を組むバシリオスの姿があった。

 無言で目を合わせた二人。テイルが顎をしゃくって移動場所を示し、バシリオスは頷いて従った。

「聞こえたか?」

「所々は」

「結論から言う。明日サライに許可を取って刑罰を与える」

「そうか。あいつの今度の名前は?」

「ルーティスだ。ウーティスしか浮かばなかったらしいから人の名前っぽくさせた」

「ウーティス……。仕方のない子だ」

「お前もな。全然成長してないんで呆れたぞお前ら」

「成長したつもりだったんだがな」

 バシリオスが苦笑する。

「部屋のベッド、片方貸すぞ?」

「いや、いい。リビングの長椅子で横になってるよ。緊張で眠れそうもないけど」

「お前が寝不足じゃさまにならないだろう。いいからベッドで横になれ。その方が少しは疲れも癒せる」

「今更何処でだって寝られる」

「そういう問題じゃないだろ。あるんだから大人しく言う事を聞け」

「やれやれ。仕方のない王様だなぁ」

「王の命令は絶対であるぞよ」

「ぞよって、なんだよそれ。変なの!」

 くすくす笑うテイルを見つめ、ずっと聞かずにいた事を聞いてみるバシリオス。

「お前、もしかして争い事が極端に嫌いなんじゃないのか?」

「んー? まぁ好き、ではないな」

 テイルが困ったように笑う。

「だからそうなのか」

「何が?」

「争い事が酷くなりそうになると、話をそらして相手が別の方向に意識を持って行くように仕向けてるだろう、いつも。時にはお前が道化師役になって笑われてさえ」

「……。よく見てるな」

 笑みに苦みが混じる。

「人間観察は俺の趣味だからな」

「そーかよ。フィリアの姉巫女にも言われたよ。けど、彼女にも言ったけど、俺は守れるだけの力が欲しくて男に生まれたんだ。だから必要なら戦いに身を投じる。後悔なんかしない。止めても無駄だぞ」

 じっと見据え、硬い表情で言うテイル。

「誰も戦うなとは言ってないだろ。勘ぐるなよ。お前がそれでいいなら、止めないよ。でも、それと自虐は別だぞ?」

 小さく苦笑して落ち着かせようとし、テイルを抑えるような仕草をした。

「それも言われたことあるよ」

 バシリオスの言葉を聞き、緊張を解く。テイル。

「その巫女に?」

「いや。俺、島を飛び出してすぐに運悪く嵐にまき込まれてしまって。その時助けてくれた爺さんにだよ。

 自分も他人も粗末に扱ってはいけない、とね」

「ほう? 良い出会いだったのだな」

「そうだな。色々教わったよ。その人から」

 懐かしく思い出すテイル。

「済まない」

「ん?」

「お前の過去、聞こえてしまった」

「あーあれね。いいさ。あいつを脅す意味で少しばかり話を盛ったし。聞かれて困るもんでもないし。過去は変えられない」

「盛ってたのか、あれ。何となく見当付くが船の荷運びの話だろ?」

「運んだのは事実だけどな、流石に水は飲ませてもらえたよ。まぁ、炎天下だったんでふらついてうっかり荷を落としちまったのは本当。鞭で打たれたのも本当だけど、2発だけだよ。そこまで無茶苦茶打たれたりしない」

 悪戯が成功した子供のような顔で言うテイルに、バシリオスは苦笑で応えた。

「効率が悪いからな。後で折檻するとしてもその場はそれが妥当だろう。さしずめ落とした罰と、叱咤の意味だろう?」

「多分そうだと思う。因みに給金はペナルティーで削られて雀の涙。鞭の痛みよりそっちがショックで本気で落ち込んで泣けたよ」

 大仰に背中を丸めて嘆いて見せた。

「まぁ、タダにならなかっただけよかったじゃないか。タダじゃ泣くに泣けない」

「言えてる。けど、その晩の飯ってうっすい一切れのパンだけしか買えなくて、ひもじくて悲しかったなぁ」

「そういう時は寝てしまうのが一番だけど、むしろお腹空きすぎて逆に睡魔が寄り付いてくれないんだよな。俺も経験ある」

 苦笑するバシリオス。

「お、経験あり? あれはもう経験したくないなぁ」

「俺も出来れば遠慮したいな」

「だよなー」

 どちらも、あの事だけは決して口にするまいとして、過去のエピソードを肴にして会話を弾ませていた。

 会話しながら母屋の玄関に着き、バシリオスが開けて瞬間固まった。予測していなかった為テイルもぶつかり鼻を抑える。

「おい、何だよ」

 文句を言い、すぐにテイルは顔を引きつらせた。

 目の前に腕組みをし、仁王立ちしているのはサライ。口角は上がっているが、纏う空気も目も欠片も笑っていない。

「お二人ともこんな遅くまで外で何しているんです? 物騒だからカギを掛けたいのに施錠出来なくて使用人が困り果てているんですけど?」

「ご、ごめん。サライ。もう出ないから」

 初めて見るサライの笑顔で怒る姿に怯えるテイルが、喉がカラカラになって上手くしゃべれない状態で謝る。

「貴方は離れでしょ?」

「え、と。もと、レヴァントが一晩使う事になってる」

「もと?」

「えーと、話すと長くなるから。っていうかバシリオス何とか言えよ俺ばっかりに言わせないでさ。ズルイよ」

「お前が自発的に言ってるだけだろ」

「言わなきゃどうしようもないだろこんな空気! ほら、お前も言えよっ」

「二人ともッ!」

「ハイッ」

「うっ」

 サライの一喝にビクッとなる二人。

「夜遅くに戻ってきて、迷惑かけて悪いと思ってないんですかッ? なんでしたら今晩は寝ずの説教といきましょうか?」

「そ、それは勘弁。悪かったと思ってるよ。うん。本当。ごめん」

「済まない」

 無言でじっくりと上から下から眺められ、冷や汗をかく二人。

「外に放り出したいのはやまやまですが、回復直後の人もいるのでそれはやめておきましょうか。その代わり、もとレヴァント君とはどういうことか説明してくださいね。明日どんな態度して良いのか分かりませんから」

 ニコニコと笑顔を見せながら、真冬のような空気を纏うサライがいつも通りの丁寧な口調で言うのが逆に怖いと思うテイル。

「わ、わかった。なるべく手短にする」

 二度とサライを本気で怒らせまいと心の中で呟きつつ、サライに連行される形でリビングに来た二人。

「お二人とも座って下さい」

「ハイ」

「ああ」

 緊張のせいか、硬い返事をするテイル。バシリオスは普段通りの返事をする。

 二人が座ると、サライは逃げないで下さいねと念を押し、台所へ消えた。

「逃げられるかよこの状況で」

 情けない声でぼやく。

「なぁ、明日の刑罰の件、今言った方が良くないか?」

「うん。でも言いたくない。反応が怖いよ」

「子供かお前は。年上なんだからこんな事でおろおろするな」

「怖いものは怖い。バルス言ってくれよ」

「筋違いだろう刑罰に関しては」

「だよなぁ…。はぁ~」

「いつもの兄貴っぷりは何処へ行った?」

 苦笑するバシリオス。

「苦手なんだよぉ。こういうの」

「いいから情けない声出すな。ほら深呼吸して落ち着け」

 バシリオスに促され、いやいやながら深呼吸するテイル。

「お二人とも作戦会議ですか?」

 飲み物をトレーに載せて現れたサライの声に飛び上がるテイル。呆れたように眺めているバシリオス。

「どうしたんです? テイルさん。はいどうぞ。具合が悪くなりましたか?」

「な、何でも、ない。考え事してたからびっくりしただけだよ」

どうにか受け答えするテイル。

「そうですか? では話して下さい。まずはレヴァント君が離れに行ったところから。俺と部屋を変わった時ですよ」

「分かった。

 ここでの最後の質問にふざけた事言ったから、一度だけチャンスをやったんだ。で、俺の所に答えを言いに来させた。場をわきまえない返答をした罰としてビンタして、本音を聞き出した」

「ああ、だからあんな後ろ姿だったのか」

「あんな?」

「処刑台に向かう囚人みたいでしたよ」

「ふうん。来た時は緊張してたみたいだったな。まぁ当然だけど。

 泣きながら本音を言ってたから、抱きしめて一定の理解を示した。そしたら、決心がついたからバシリオスの所へ謝りに行くって言いだして。だから送り出してやった」

「ああ。来たな。謝罪してたが許す気がないので少し話をして出て行かせた。その時、俺が拾って名付けたその名をメモ紙に書いて目の前で破り捨てた。二度と顔を見せるなと言い置いて」

「むごいことを……」

 引き継いだバシリオスの説明に顔を曇らせるサライ。

「真っ青な顔で俺の所に挨拶に来たよ。で、自棄になっていて、今にも自殺しそうだったんで言い聞かせたんだが、全然聞く耳無い。だから仕方なしに無理やり引っ張り込んで膝にのせて尻を力一杯引っ叩いた」

「まるで小さな子供のお仕置きですね」

 苦笑するサライ。

「本人も反発していたけど聞く耳持たずに数回。で、その後理由は分かったかとか、あいつの過去の事とかいろいろ会話した。その時に、腹いせのつもりだったんだろうけど、俺の探し人を悪く言いやがった。死ねば良かったのにって言われて頭に血が上って、滅茶苦茶にしたい衝動にかられたんで一度席を外した。そしたら外にバシリオスがいて」

「あいつを追い出したはいいが、落ち着かなくてな。テイルを巻き込んで夜明かししようかと思って行ったんだ。でも二人の声が聞こえてきたんで隠れて聞いていた」

「回復直後の人を巻き込もうなんて。酷い人ですね、バシリオスさん」

 バシリオスの言葉に呆れるサライ。

「なんだかんだ色々言い合って、やっと自殺する氣を収めたんで生き直す為の名前を考えさせた。だからもう、便宜上だけど、レヴァントという男はこの世に存在しない。死んだ存在だ」

「……。随分と雑な説明ですけど。まぁ良しとしましょうか。知らない筈の他人が自分の過去を知っているとわかったら嫌な気分になりますし、テイルさんの心証を悪くさせてしまうでしょうから。

 で、これからの名前は?」

「ルーティスだよ」

「ルーティス。良い名前ですね」

 由来を知っている二人はあいまいな笑みを浮かべて沈黙するしかなかった。

「それで、何だが」

「はい?」

「ルーティスが、その、俺の探し人を悪く言ったのが、俺を傷付ける為にワザとだったというんだ」

「それで?」

「生き直すケジメ付けたいらしくて、その」

「はっきり言って下さい」

「罰が欲しいと言い出して。真剣だったから了承したんだけど。明日、庭の木の枝折っていいか?」

 ちらちらと様子を窺い、問うテイル。

「許可すると本気で思ってます?」

「だめ、だよな」

 何処かホッとしたような言い方に、バシリオスが無言で抗議する。

「皮膚が裂けるまで打つ氣ですか」

「厳しくしないと納得しないから」

「……。イヤです。何も体を痛めつけるのだけが罰じゃないでしょう」

「そうだな。うん。サライがダメだというのなら別の罰にする」

「鞭なら俺がレヴァントに使っていた物を貸す。サライには裏庭の一角を使わせてもらえばいいだろう」

「お断りします。無駄に使用人を怯えさせるわけにはいきません」

 不満そうなバシリオスの提案に、即答で却下するサライ。

「バシリオスさん、あなた二度と顔を見せるなって言ったんでしょう? なら、会わせるのも罰になるんじゃないですか?」

「会わせる?」

 テイルが身を乗り出し気味に問う。

「朝食の時、お披露目して下さいよ。ルーティスとして。嫌がるのは目に見えていますがそこは罰なので無視して引き摺ってきて紹介してください。どういう状況設定してもノッと上げますから。それで一緒に食事をとりましょう。当然バシリオスさんも一緒に、ですよ?」

 バシリオスに念を押すサライ。

「なら俺は食事の席にはつかない」

 不機嫌そうにそういうと、

「そうですか。なら、それでも構いませんがバシリオスさんの今後一切の食事はご自分で賄って下さい」

 素っ気なく爆弾を投下するサライ。

「なんで今後一切なんだ。朝食抜きならわかるが」

 ムカッときたバシリオスが文句を言う。

「当然でしょう? 彼がどんな罪を犯したにせよ、貴方が拾って名付けたのに、その名を書いた紙を破いて捨てるのを見せつけるなんて酷すぎます」

 冷たい目で見返して言い放つサライ。

「お前には関係」

「ないとは言わせませんよ。ここは俺の預かる家です。家の敷地内の事は俺に責任と権限があります」

「チッ! 勝手にしろ!」

 吐き捨て、出て行こうとするバシリオスの背中に、サライは厳しい一言を投げつけた。

「成程。貴方が彼を捨てたんじゃない。貴方が彼に捨てられたんだ」

 ピタリと動きが止まるバシリオス。

「あ?」

 低い声で振り返る。その目は今までに見た事のない硬質の鈍い光であった。

「どんな経緯があったにせよ、彼は自分で再出発する為の名を口にし、ケジメの罰を自ら要求した。どれ程の覚悟が要った事か。

 捨てた上に名前まで取り上げ、更には会わないようにこそこそ逃げ隠れしている貴方のような精神的ガキよりよっぽど彼の方が大人だ。誰にも許して貰えないような罪人だったとしても、どんな形であれ俺は彼の再起を応援する。

 今の貴方が本物の王様でも、心ある者なら誰も貴方を支持しないよ」

「サライ! 言い過ぎだぞ!」

 テイルがバシリオスの心情を慮ってサライを怒った。

「これぐらい言わないと堪えないですよこの人。後の判断は貴方の領分です。お好きに」

 話は終わったとばかりに、サライはバシリオスからテイルに視線を移し、二度と彼の方を見ようとしなかった。

 バシリオスは血走った憤怒の形相で殴りつけようとしたが、とっさのテイルの判断で羽交い絞めに止められた。

「落ち着けバルス。殺す氣かっ? サライも謝れよ」

「嫌です。

 止めなくても良かったのに。自警団の団長をナメないで下さいよ。暴れる極悪人の動きを封じる手立てならいくらでもありますよ。体術なら負けない自信ありますから」

「煽るな!」

 興奮して暴れるバシリオスを押さえるのが難しくなるほどだったが、辛うじて押さえていたテイルがサライを怒鳴った。

 知らん顔を決め込むサライに苦虫を嚙み潰したような顔をすると、テイルはそのまま廊下に出した。

「放せ!」

「殴りに行かないなら離すよ」

「ああ。わかったよ行かないよ。この馬鹿力がッ」

 八つ当たりに、内心本当に子どもみたいだとほくそ笑んで手を離した。

「ほら、部屋に戻ろう。な?」

 ポンポンと背に触れ促すと、勢いよく振りほどいて部屋に戻って行った。

 階下で見送り、リビングに戻るテイル。

「多くの仲間を率いているあんたが、バシリオスの気持ちを分からないわけないよな? 仲間外れにされたと思って傷ついたのか?」

「少しは、ありますけど。違います」

 少し拗ねたように答えるサライ。

「全部が全部、本気で言ったわけじゃないんだろう?」

「俺はっ、あんた達の都合のいい協力者じゃない! なんでこんな気持ちになるのか分かんないですけどッ、なんか、上手く言えないけど、こんなの、嫌です!」

 髪をぐしゃぐしゃに弄ってみたりせわしなく動かしながら答えるサライ。

「心配かけて済まなかった。あんたの厚意に胡坐をかいて、いつの間にか都合のいい奴って思いこんじまったのかもしれないな。ごめんな、サライ」

 サライの背を優しく撫でさすりながら静かに詫びるテイル。

「ごめんなさい。少し、こうしてていいですか?」

 身体をひねって腰のあたりに抱き着くようにしたサライ。顔を俯けて見られないようにしているのを察したテイル。

「ああ。良いぞ」

 微かに震えているサライの背に手を当てるテイル。

 やがてもぞもぞとサライの背中が動く。

「テイルさんの手、熱い」

「そうか? やめようか?」

「ええ。もう、大丈夫です」

「そうか。じゃあ、俺も休むよ。

ルーティスのお披露目の件、頼む」

「でも、どういう状況設定にするつもりなんです?」

「うーん。リハビリ兼ねて、隠れて町に行ってたって事にでもするかな」

 苦笑いで思い浮かんだ設定を言ってみる。

「なんか、真実味ありますね。貴方ならやりかねない」

「行ってねえよ!」

「分かってますよ。そこで出会ったと?」

「まぁそれが妥当かな。先視の力がまだ使えるのかあいつに確認しないといけないが、多分大丈夫だと思うから、町でたまたま声を掛けられて、話すようになって、礼に食事に招待する事にした、とか」

「怒りますけど、良いんですか?」

「仕方ないだろ、鞭打ちダメなら」

 困ったように笑うテイル。

「俺も悪者になってあげましょうか?」

「えっ?」

「俺が許可せず、食事の席でお披露目という形でなら良いと許可が下りた。でも悪趣味な小芝居付きじゃないと許可が下りなかったからお前もついでに道連れで芝居しろ、と。そう言ったらどうです?」

「いや、そこまでしなくても」

「俺の我儘が原因ですから。構いませんよ」

「……。小芝居云々は言わないでおく。その場で俺を問い詰めればいい。どういうことかと。当然同じ顔で違う名で紹介されて受け入れたら不自然すぎる。サライは庭で鞭打ちの罰をすることを拒否しただけ。後は俺が勝手に皆を巻き込んだって事にする。その方がサライも事実をきちんと知れる。嘘で塗り固めた方が後でボロが出て面倒だ。これ以上ルーティスを歪ませるわけにはいかない」

「テイルさん、俺の事はもう」

「俺が疲れるんだよ。嘘つくの苦手だし、役者じゃない。芝居なんて出来る自信ないよ」

 サライの気遣いに、テイルは少し考えるとそう決定付けた。サライは自分に気を使わなくても良いと言いかけたが、テイルは笑ってとりあわなかった。

「それにこれならサライも立派に悪者だ」

「立派にって」

 茶化したようなテイルに、サライが困ったように笑って突っ込む。

「そうだろ?」

「えぇ、まあ。そうですね」

「じゃあ決まり。遅くまで済まなかった。お休み、サライ」

「分かりました。では明日。お休みなさい、テイルさん」

 二人はそれぞれの寝室へと別れた。

 テイルは部屋の鍵が掛かっている事に気付き、控えめにノックして声を掛けた。扉は少しだけしか開けられず、毛布一枚が隙間から投げられ、すぐに閉じてご丁寧に施錠までされた。

 唖然とするテイル。

「良いけどさぁ。本当に今日のお前って大人げないぞ。明日はちゃんと大人に戻ってくれよな? 俺、同時に三人の面倒なんて見られねぇぞ。お休み」

 深々とため息をつき、げんなりとして声を掛けてから、テイルは大人しくリビングに逆戻りした。


 翌朝、起きてきた使用人に起こされたテイル。驚いて体調を気遣う使用人を宥めている所にサライがやってきて、事情を察したサライが激怒するハプニングがあったが、どうにかテイルが宥めすかし、日常の平穏を取り戻した。

「じゃあ、俺離れに行って起こしてくるよ。あと宜しくな?」

「了解です。上の人は俺が叩き起こします」

 名を口にするのも嫌なのか、そう言う。

 苦笑するしかないテイル。

「さっき一応俺も声は掛けたんだがな。無理はしなくていいよ」

「いいえ。何が何でも引きずり出してやる」

「まぁまぁ、落ち着けよ。朝から主がそんなにカリカリしてたら、使用人がしなくていいミスをするかもしれないぞ?」

「知りませんよそんなの!」

「落ち着けって。あいつにはあいつの思う所があるんだろ。長く一緒にいたのはあいつなんだから。昨日今日で顔を見せるなと言ったのに鉢合わせどころかわざわざ同席するとなったらそりゃあイヤだろうよ。察してやりなよ」

「あんたは優しすぎる! いつか酷い目に遭いますよ!」

「よく言われる。でも、出来るのにやらないで苦い経験したからな。出来る事をして傷つけられる方がまだマシだ。

 してやらなければ良かったって思うのは、心のどこかでしてた予想や期待と違ったから思う事だろう? 俺はしたいし出来るからする。それだけだよ。それで傷つくとしたらそれは俺が悪かったんだ。無意識に反応を期待したせいだ。だからその時は戒めを受けて改めればいい」

 深々とため息をつき、がっくりと項垂れるサライ。

「どうした?」

「いいえ。なんでも。ったくあんたって男は……」

「なんかその反応、昨夜もルーティスにされたんだが? そんなに変なのか?」

「貴方を単独行動させちゃいけないって気付いただけです」

「はぁ?」

「気にしないで下さい」

「なあ、変なら直すから言ってくれないか? 分からないんだ」

 困り果てた様子のテイルに小さく笑うサライ。

「テイルさんはそのままで良いと思います。俺達が出来る事はしますから」

「これ以上、あんたに迷惑かけたくないんだが?」

「テイルさんはテイルさんの信じる道を、俺はテイルさんの為に出来る事を勝手にするだけです」

「……。とりあえずここは引き下がるけど、後で聞きたいことがある。時間作ってくれるか?」

「いいですよ。では食事の後に」

「有難う。じゃあ呼んでくるよ」

「はい。待ってます」

 このまま話していても埒が明かないと判断したテイルが大人しく引き下がり、後で話し合う約束を取り付けた。

 ルーティスを連れ出す算段を頭の中で組み立てながら、テイルは離れに向かった。


 鍵を開け、中に入ると、緊張した面持ちで身支度を終えたらしいルーティスがベッドの縁に腰かけていた。

「おはよう、ルーティス」

「おはようございます、テイルさん」

「少しは休めたか?」

「横にはなっていましたが……」

「まぁ、そうだろうな。今日の刑罰の事なんだが」

「はい」

「サライに拒否されてしまったんだ」

「えっ」

「で、別の罰に変更になった。とりあえず今から来てくれ」

「へ、変更って。今から何処へ向かうんですか? 罰は何になったんですか?」

 時間帯が時間帯なのでピンと来たのか、ルーティスが青ざめた顔でまくし立てた。

「行けばわかる。言っておくが、お前の望むような罰の内容なら意味はない。お前が辛く苦しい思いをして反省しなければ意味はないだろう?」

「そ、そうですけど! なんか嫌な予感しかしないんですけど」

「そうか。あたりかもな。

 念の為言っておくがお前に拒否権はない。内容に関して異議申し立ても許さない。自分で言い出した事だ。お前はただ許しが出るまで罰を受け続けるのみ。泣こうが喚こうが聞く耳はないからそのつもりで」

 テイルは敢えて冷たく言い放った。

 察しの良い事がかえって仇となっている事を見て取り、気の毒に思いつつもそれをおくびにも出さずに非情に徹してルーティスの手を引くテイル。

 機先を制されている為、騒ぐ事も出来ずに震えながら手を引かれるまま足を動かすルーティス。ちらりと見やれば、気の毒なくらい真っ青になっている。

「あいつが何か言ったとしても、咎めは俺が引き受けるから心配しなくていい。お前は一方的に罰を与えられる被害者に過ぎない」

 あまりに気の毒で、素っ気ない声音ながらも励ますテイル。

「なんで、こんな事に」

 思わず、といった風に呟くルーティス。

 テイルは聞かなかった事にした。母屋へ着くと、扉を開け、おはようと声を掛ける。

「おはようございますテイルさん。あれ? なんでレヴァント君が一緒なんですか? 一緒に泊ったんですか?」

 サライの自然な芝居に舌を巻きつつ、想定内の問いに答えた。

「ああ。ちょっと色々あってな。レヴァントは死んだよ。今日からはルーティスだ」

「はあ? 目の前にいるじゃないですか。ねぇ、レヴァント君」

「お騒がせして、すみません」

 青い顔で、ルーティスはそう言った。

「えっ? ホントに名前変えたの? なんで変えちゃったの?」

 知っているとは夢にも思っていないルーティス。悲し気に目を伏せた。

「訳アリみたいだね。言えないなら聞かないけど、とりあえず食事にしよう?」

 サライの優しさにズキンと胸が痛んだルーティス。眉を顰めて空いている手を胸に当てた。

「どうした? 苦しい? ちょっと横になるかい?」

「いいえ。大丈夫です」

「顔色悪いし。あ、バシリオスさん上の部屋にいるけど呼んでこようか。ずっと一緒だったんだから心強いでしょう?」

 テイルは内心サライに恐怖していた。

「止めて下さいッ!」

 流石にそれにはルーティスが悲痛な声を上げた。明らかにガタガタと震えている。

「喧嘩でもしたのかい?」

「それより酷い。捨てられたんだよ」

「は? そんなに悪い事したんですか? ああ、だから名前を変えた?」

「ああ。二度と顔を見せるなと言われたらしい。だから降りてこないんだろ、あいつも」

「ふうん。じゃあ益々引きずり出さないとですね」

「おまっ、人の話を!」

「だって、見たいじゃないですか。捨てた相手が目の前にいて一緒に食卓を囲むなんて、あの人がどんな顔するか。

 えーと名前何でしたっけ?」

「ル、ルーティス、で、す」

「ルーティス君ね? ルーティスは割り切ろうとして名前を変えたんでしょ? なら堂々としていればいいじゃん。あの人が言ったのはレヴァントとして、でしょ? もうルーティスとして生き直すと決めたんなら何も遠慮する事ないよ」

「嫌です。名前を変えたって、僕が僕であることは変わらないっ。あの方は二度と顔を見せるなと言ったんです、鉢合わせしちゃダメなんですっ」

「そんなの無理に決まってるじゃん」

「えっ?」

「一度結ばれた縁は、真実切れる事なんてないんだろ? 君が言ったんじゃん。必要があれば再び出会うって。ねえテイルさん。前に貴方がいる時に言ってましたよね?」

 テイルは情けない顔でサライを見た。

(頼むから俺に振るのやめてくれよぉ……)

「そうだっけ?」

「嫌だなあテイルさん。ついこの前の事じゃないですか。ボケるには早いですよ」

「覚えがない」

「仕方ないなあ。言ったんですよ」

「でも、だから名前を変えて」

「世の中に同じ名前の人間がいないとでも思ってるの。いるよ、多い少ないはあるかもしれないけど。縁というのは名前で結ばれるもんじゃないだろ? よくわからないけど魂なんじゃないのか? なら、名前変えても顔を変えても縁は完全には切れない。切れない以上、いつかは再会する。その時どうするつもりなんだ? 逃げたくても逃げられない状況だったら? 知らん顔をする? でも厳密には顔を見せるなの言葉には反するよね?」

「そ、それ、は」

 言葉に詰まるルーティス。

「君が何をしでかしてあの人の怒りを買って捨てられたのかは知らない。でも、生き直すと決めたんなら、逃げてばかりはいられないんだよ」

 サライの、穏やかではあるが厳しい言葉に俯くルーティス。

「そういえばデイルさん」

「へっ?」

 サライの説教を感心して聞いていたテイルが、名を呼ばれ間抜けな声を出した。

「へじゃないでしょへじゃ。そもそもこんなに真っ青になって震えて嫌がってるのに何でテイルさんはルーティス君を連れてきたんですか?」

「あー、それは。昨夜俺に言っちゃいけない事を知っててワザと言って怒らせた罰。鞭で打つのお前に反対されたから」

「成程。そういう事ですか。なら僕も罰に協力しましょう。ルーティス君、食事、残さず食べてね」

 残さずという言葉を強調し、にっこりと悪魔の笑みを浮かべて迫るサライ。

 顔が引きつっているルーティス。

(悪魔だこいつ。怖い!)

 背を押され、強制的に食卓に着かされたルーティス。テイルも隣に座った。

「上の客室に食事の用意が出来たと声を掛けてきなさい。返事がなければ鍵が掛かっているか確認して、空いていたら入っていい。責任は俺が取る」

 使用人の一人に命じたサライ。

「はい、ご主人様」

 使用人が返事をして部屋を出ると、入れ替わりに朝食のメニューがずらりと並んだ。

程なくして使用人が上から戻ってきて、おろおろしながら報告した。

「あの、ご主人様、お客様がいらっしゃいません。お荷物もなくなっています」

「……。わかった。下がりなさい」

「あ、あの、お探し」

「下がれ」

「は、はい! し、失礼しました」

 慌てて引き下がる使用人に一瞥もくれず、サライは皮肉な笑みを浮かべた。

「所詮小物の王様だったか。まぁいいさ」

「止めて下さい。あの方は何も悪くありません。全部僕が悪いんです」

「ルーティス。中途半端が一番いけない。捨てられ、捨てたんだからバシリオスさんをあの方と呼んじゃダメだよ」

「でも、過去の事実は消えないですよ」

 ルーティスの言葉に、仕方ない奴だとばかりにため息をつくサライ。

「テイルさん」

「何だ?」

「前言撤回します。協力じゃなくて参加させてもらえますか?」

「さ、参加?」

「ええ。貴方とは別の理由で。貴方の考えた罰って、こうやって一緒に食事をする事でしょう? あの小物に逃げられたのは想定外でしょうけど」

「あ、ああ」

「レヴァントがした罪の清算として、ですよね?」

「そうだ」

「俺はその清算が済んでから、レヴァントでもなくルーティスでもない、この目の前の存在に対して説教したいんです。出来れば貴方にも同席して欲しいんですが?」

「ああ。わかった。そういう事ならむしろ俺から同席させて欲しい位だ」

「ではそう言う事で」

 当事者を無視して二人が勝手に話を進めて纏まる事に、ルーティスは胃がギリギリと痛むのを感じていた。

「今日はテイルさんの快気祝いも兼ねて朝食を少し豪華にしたんですけど、予想外に人数が減ってしまったんで一人の持ち分が増えちゃいましたね。でも折角用意してもらったんで完食に協力してもらいますよ」

 にっこりと怖い事を言うサライ。

 少し豪華、とは言い難い量の食事を見て絶対ワザとだと苦く思うテイルと、異様な空気に、鞭で打たれる方がまだマシだと内心嘆くルーティスが、奇しくも同じ声音で返事をした。

「ガ、ガンバリマス」

「では。頂きます」

「「頂きます」」

 いざ食べ始めると、テイルは美味しそうに食事を次々平らげ、美味いを連呼していた。

「気持ちいい位に食べてくれますね、テイルさん」

「ん、だって本当に美味いぞ。料理人とサライに感謝だ」

「そう言って貰えたら料理人も喜びます」

「ほら、遠慮しないでお前も食べてみろよ。コレなんかお前も好きだと思うぞ? お前甘みのあるの好きだもんな」

「テイルさん、遠慮しないで食べろって、貴方が言う事じゃないでしょ」

 サライは笑ってツッコミを入れる。

「あ、そうか。悪い」

 本当に悪いとは思っていなさそうな軽い謝罪に苦笑するサライ。

 テイルの勢いに気後れしているのと、緊張で胃が受け付けそうにないルーティスは一つも料理に口を付けていない。

「君の口に合わないのかな?」

 サライは敢えて名を呼ばずに話しかけた。

「いえ。そういうわけじゃ」

「じゃあ少しでも食べてよ。料理人はね、食べてくれる人の事を想って作るんだよ。仕事として淡々と作る料理人も確かにいるけど、うちの料理人は本当の料理を知ってる料理人なんだ。君だって、心を込めたものを無下にされたら悲しいだろう?」

「僕は、テイルさんにそういう事をしてしまった」

「そう。今はどう思ってるの?」

「……。ごめんなさい」

「そう。で、うちの料理人にもするの?」

「でも……」

「いけないとわかっててもついやってしまうのは過ち。でも、わかっててやるのは重い罪だよ? そんなに罰が欲しい?」

 ルーティスはブンブンと首を横に振るって否定した。

「テイルさんに悪い事したから同じ食卓に着いて食事を楽しむ資格がないとか言い出さないでよね? うちの料理人には全く関係がないんだから。うちの料理人からしたら、君は心を込めて作ったと主が言ったのに食べてくれないなんて、と思うだろうね。

 食べ物だって悲しむよ。君の為も含めて使われる筈だった自分の命が、血肉となることも無く無駄に捨てられるんだから。

 食事はね、命を貰う事なんだよ。

 死に急ぐ為に仕方なく適当に名を変えたわけじゃないんだろう? もしそうならば今すぐにでもここからつまみ出すけどね。それこそ食事をする資格なんてないから。でも君が付けた新しい自分の名前は、君が生きる為の名前なのだろう? だから一緒に食事をしようと言ったんだよ。

 君がどれ程迷っていても、少なくとも今すぐ命を投げ出す氣がないのなら、食事の時だけでもいい、せめてその時だけでも色々な事を切り離してよ」

 サライの、滾々と湧き出る泉のような静かな説教に、テイルもいつしか食べるのをやめて聞き入っていた。ルーティスは俯いて聞いていたが、途中何度もこぼれそうになる涙を拭っていた。

「俺は昨夜その事は終わりにしたつもりだったんだけどな。お前まだ引き摺ってたのか。気付かなくて悪かったな。

 はい、あーんしな。仲直りのしるしに食べさせてやるよ。ほらあーん」

テイルが先程勧めた食事をルーティスの前に置かれた真っ新なスプーンに掬って言う。

 いきなり目の前に食事が盛られたスプーンが現れ、びっくりして涙を引っ込ませ、体を後ろに引いたルーティス。椅子の背に進行を阻まれ、硬直する。

「じ、自分で食べられます」

「いいじゃん。仲直りのしるしなんだから。は~いルー君お口開けて~」

 吹き出しそうになるのを両手で口を塞いで止めるサライ。そのままテーブルに頭を付けそうな勢いで丸くなって肩を震わせた。

「テッ、テイルさんッ」

 耳まで真っ赤になって抗議する為に視線を合わせて口を開いた瞬間を見逃さず、テイルは口の中にスプーンを差し入れた。

 反射的に口を閉じ、スプーンを銜える格好になったルーティス。

 目を白黒させているのを尻目にスプーンを引き抜く。必然的に口の中に食物が残り、出すわけにもいかずに咀嚼し飲み込む。

 一瞬抗議の言葉を忘れるほど、優しい甘さが喉を伝い胃の腑に落ち、冷たくなっていた体を温かく包むような錯覚を覚えて呆然とするルーティス。

「美味しいだろ?」

 味に感動していると勘違いしたテイルが優しく微笑み、答えを促す。

「美味しい、です」

 無意識で口にするルーティス。

「はい、仲直りの儀式終了。さあてまだまだ食べるぞ」

 サライは語尾にハートマークでもついていそうなテイルの一言を聞いて我慢することなくお腹を抱えて爆笑した。

「テイルさん最高! 俺、やっぱ貴方の事好きだわ。一緒だと絶対退屈しないもん」

「それ褒めてねぇじゃん!」

 サラダを刺したフォークを手にテイルが抗議する。

「褒めてますよ」

「嘘つけ」

「ホントですってば」

 いつまでも笑い転げているサライを放っておいて、テイルは尚も口に入れる。

「冷めるぞ?」

「頂きます」

 肩の力を抜いて、ルーティスは自然とそう口にした。今度はためらいもなくごく自然に食事に口を付けた。

「美味しい」

 もう一度言葉に乗せると、口元が綻んでいた。

「そうか。良かったな」

「初めてだ」

「ん?」

「こんなに食事を美味しいと思ったのも、食卓を囲んで楽しいと思った事も、食事に、本当の意味で、自然に感謝したのも。分からなかった」

 ポロポロと涙をあふれさせるルーティス。

「おめでとう、ルーティス」

 いつのまにか笑いを収めていたサライがルーティスの言葉を聞き、そう言った。

「考えてみたら、今日はルーティスの誕生日なんだよね。心から理解出来なかったレヴァントから、ルーティスとして生まれ変わって理解出来るようになった。

 それって素敵な事だよね。そんな素敵な時を共有出来て幸せだ。

 今ここに居てくれて、居させてくれて、有難う」

 穏やかに言い、頭を下げるサライ。

「や、やめてください、そんな、僕の方こそ」

 慌てるルーティス。

「実り多き今日の日に」

 テイルがグラスを手に取って言う。

「魂の新たな始まりに」

 サライが続く。グラスを持った二人はルーティスを優しい目で見て、無言で促す。

「関わる全ての命に」

 おずおずとそう言って同じ様にグラスを持ったルーティス。

 グラスを傾け、カチリと合わせる。

「感謝と祝福を」

 テイルが言い、続いて三人声を合わせて、

「乾杯!」

 グラスの中身を飲み干し、ルーティスは少し恥ずかしそうに、二人は誇らしげに笑みを交わした。

 暖かな気持ちのまま、三人は少し遅めの朝食を終えた。


 朝食が終わって少しだけ寛ぎの時間を持つと、サライが切り出した。

「さて、テイルさん」

 テイルはサライに顔を向けた。

「食卓を囲むのはこの人にとっての罰になりましたか?」

「本当はバシリオスに同席させるつもりだったんだけどな。でも、少しは身に染みて反省出来たみたいだから、俺は許すよ」

「君はどうなの? 君が罰を望んだって聞いたけど。テイルさんが思って、多分君も想像したであろう罰を俺が拒否したからこんな形になったけど。これでケジメはつけられたかな?」

「……。テイルさんには、申し訳ないけど」

「いいよ。あくまで君の事だから。ね? テイルさんも、ちゃんと最後まで聞いてあげましょう?」

「何を言い出すのか、嫌な予感しかしないけど。まあいいさ。この際だからキッチリしておかないとな」

 どこか諦めたように言うテイル。

「さあ、君の意見を正直に言ってごらん」

「食事は、ただ口に入れて咀嚼する事でエネルギーを蓄える行為、そんな風に思っていました。でもそれが間違いだと、サライさんにお説教されて気付きました。死のうとしなくて良かったと思いました。今日、朝食を一緒にとっただけで、沢山の事を学ぶ事が出来たという事実が嬉しくて。でも」

「でも?」

「本来の罰、バシリオス様を含めての食事の席で、こういう学びが出来たのか、わかりません。事実、バシリオス様がここにいつ来るのかと思うと胃が痛くて食事をするという行為ですら出来なかったですから。

 お説教されて、気付いて、辛かったですけど、それは学び、身に染みる為の辛さです。だから、これは罰を受けた事に、本当になるのかなって、思います」

「そう! それ、其処なんだよ!」

 突然のサライの食いつきに驚く二人。

「はい?」

「そこってどこだ?」

「バシリオス様! 俺が君の新しい名前をちゃんと呼べない理由はそこなんだよ!」

「バシリオス様、と呼ぶこと、ですか?」

「そう。君は彼に捨てられたけど、名を変えて新しくやり直そうとした」

「はい」

「でもまだ引き摺ってる。彼を様付で呼んでいるのは、習慣がすぐには抜けないからかもしれないけど、でもそれだけじゃないんだろう? 君はまだ彼から支配されたいと望んでいる」

「支配なんてそんな! された事ありませんよ。僕が付き従ってただけで」

「可哀そうに。そう刷り込まれたんだね」

「違いますよ。本当にそんな事されてませんよ。テイルさん何とか言って下さい。見てればわかりますよね?」

 サライの言葉にオロオロして、ルーティスはテイルに助けを求めた。

「刷り込みとは少し違うんじゃないか? 例えば、こいつの脅迫観念とか」

「脅迫観念ですか。成程、そうかもしれませんね。

 この子が再出発をする為には、それを取り除かなくてはダメだと思うんです。そう思いませんか?」

「認めるが、生半可な事じゃないぞそれは。第一、それをする資格が俺達に在るのか?」

「誰にもないでしょうね。だから彼自身にやってもらいましょう」

「何だって?」

「どういうことですか?」

「君の能力で、あの小者を探してここに連れてきて。レヴァントはいなくなっちゃったから君にやってもらう。勿論正式な依頼だから代金は払うよ」

「出来ません。僕は未来を視れても、探し物をする力はありません」

 ルーティスはきっぱり言い切った。

「試してみたのかい?」

「いいえ」

「じゃあ試してみてよ」

「無理ですよ。そんなの出来るわけない」

「無理かどうか試しもしないでなんでわかるのさ?」

「どうやればいいのか分からないんです。無茶言わないで下さい」

「じゃあ考えて。未来を視れるならそれを応用できないの? 例えば十分後の未来とか」

「そんな近未来、見えた事ありません」

「ルーティス」

 テイルが口を挟んだ。

「お前が出来ないというならそうなんだろうけど、相手はそれを知らないんだから、出来ない事を証明してやったらどうだ? 嫌な気分にはなるけど、このまま押し問答するより良いだろう」

 ルーティスは嫌そうな顔をして唸っていたが、渋々分かりましたと返事をする。

「荷物一式全部ないんですか? 何か関りの在るモノを水盤に沈めて視るのですが」

「荷物丸ごとないとは言ってたけど、一緒に行って確認しようか」

 サライは有無を言わせず、昨日まで二人が寝泊まりしていた部屋へと一緒に移動した。

 足取りの重いルーティスの後ろからテイルがついて行き、励ますようにポンと背中を叩いた。

 部屋に入ると、ベッドが綺麗に整っているのが分かった。サライが触れてみたが酷く冷たい。

「ベッドで寝なかったって事か」

「だな。空気が冷たい」

 サライの独り言に、テイルが同意する。

 ルーティスはぐるりと視線を巡らせた。

 壁際に備え付けられていた机の上に何かが乗っているのを見つけ、ギュッと心臓を鷲掴みされたように苦しくなった。

 テイルが気付き、机の前に移動して、上に置かれたモノを見ると、手に取ろうとしてピクリと動いて止まった。

「何?」

「紙、だ」

 サライが近づき、覗き込む。

 そこには、流暢な文字でレヴァントと書かれており、びりびりに破かれたそれが机の上に綺麗に並べられていた。所々滲んでいるのは、彼がこぼした涙と思われた。端の方に、小さく何かが書いてあるのに気づいて、テイルは敢えて声に出して読み上げた。

「今まで支えてくれて有難う」

「う、あ」

 ルーティスの口から、意味をなさない声が漏れ、次いで倒れるような音が聞こえて二人は振り返った。

 そこには、両膝を折り、天を仰ぐルーティスの姿。

「あああああっ!」

 それしか知らない幼子のように、ルーティスは誰憚ることなく、大声を上げて只々泣いた。

 何事かと覗きに来た使用人達に気付き、サライは手を振るって下がらせた。心得たとばかりにそっと持ち場に戻る使用人達。


 暫くして泣き止んだルーティスが立ち上がった。

「すみません。取り乱して」

「いいさ」

「もう大丈夫なのか?」

「はい。顔、洗ってきますね」

「ああ。ここに居るからな?」

「はい」

 返事をして出て行きかけたルーティスが、ふとテイルの名を呼んで振り返った。

「どうした?」

「有難うございました」

 そう言って深く頭を下げた。

「俺は、何も」

「思いっきり泣いたからスッキリしました」

「そうか」

「はい。少しだけ待ってて下さい」

「ああ」

 出て行ったのを確認し、サライがそれでも小さく言う。

「良いんですか? 嘘ついて」

「今更? 咎めなかったあんただって、同罪だろ?」

 悪戯を見つかって開き直ったような顔で返すテイル。

「そうですね。じゃあいつかあの世で一緒に叱られましょうね、テイルさん」

「当然。道連れだ」

「ふふ。喜んで」

 共犯者の笑みで応えるサライ。

 紙の端に殴り書きされた言葉に視線をやると、テイルは今度は声に出さずに読み、

「お前もな」

 そう言ってその紙片を指で叩いた

 戻ってきたルーティスの表情は、昨夜捨てられる前にテイルが送り出した時と同じ、凛としたものだった。

「お待たせしました」

「良い顔だな。ルーティス殿。では早速初めてくれ」

 サライは戻ってきたルーティスにそう声を掛けた。

「はい」

 返事をし、机に近づいて以前と同じ水盤を置いた。サライから渡された一切れの紙片をを入れ、懐から取り出した水筒から水を注いだ。光り出す水盤が映す映像を必死に追う。

「サライさん。本当に探し人の居場所を知らないんですか?」

 硬い声で問い詰める。

「知らないよ。だから聞いているんじゃないか。何でだ?」

「……。ここに居ますよ」

「は?」

「ここぉっ?」

 サライが聞き返し、テイルが素っ頓狂な声を上げる。この部屋には三人しかいないのに何を言っているんだと言いたげに。

「隠れてるのか? 子供の遊びみたいに?」

「正確には一階の物置部屋です」

「物置、って。王に成りたがっている奴がまさかそんな所に」

 テイルが呆れたように言う。

「依頼は連れてこい、でしたよね?」

「ああ。そうだが」

「全力で逃げを打たれたら捕まえられないんで一緒に来てもらえますか? サライさん」

「分かった」

 テイルの呆れた言葉を無視してサライに同行を促すと、二人でさっさと確認しに行ってしまった。一人残されたテイルが慌てて後を追った。

「おい、置いて行くなよ」

「信じない方は結構です」

「そんな事言わないでくれよ」

 ムッとしたらしいルーティスがテイルにぴしゃりと言うと、テイルが情けない声で言った。

「悪かったってば。そこまで怒らなくてもいいじゃんか。なぁルーティス」

「静かにして下さい。逃げられたら貴方の責任ですよ」

 スタスタと廊下を歩くルーティスがピタリと止まって振り返り、静かに怒った。

「うっ。いや、だってお前が」

「はいはい、喧嘩は後。今はあの小者を縛り上げないとでしょ。聞きたい事言いたい事が山程あるんだから」

「そうですね」

「随分な変わりようだな」

 ぼそぼそと独り言を言うテイル。

「何か? テイルさん」

「何でもない。何でも。うん。何にも言ってないよ」

「自分で白状してれば世話ないですね」

 サライが呆れてイヤミを言い、歩き出す。

「調子狂うなぁ」

 ぼやいて後を追うテイル。

 物置部屋の前まで来た三人。少し緊張した面持ちで扉に手を掛けたルーティス。

 サライは背に手を当て、ルーティスの手に自分の手を重ねた。

「一緒だ。な?」

 ルーティスは驚いたように目を瞠ったが、意を決したように無言で頷き、開けた。

 そこで見た光景を、三人は生涯忘れる事がなかった。むしろ一人でない事に感謝さえした。それ程衝撃的であった。

 そこは大きな部屋ではないが、それ程物が詰まっていた記憶はサライにはなかった。

 しかし今目の前に広がる光景は、足の踏み場もない程床一杯に荷物が乱雑に満ちているにもかかわらず、いっそ何もない空間にバシリオスが一人真ん中でポツンと蹲っているような錯覚を覚えさせて、ブルリと身を震わせた。

 テイルとルーティスはそれぞれ違う意味で凍り付いたかのように動けなかった。

 テイルは、以前バシリオスに感じて口にした心象風景と大して違わない光景が目の前に広がっていたから。ルーティスは、テイルとの昨夜の会話を思い出して、本当なのかもしれないと思い、後悔に苛まれていたから。

 重く奇妙な空氣を入れ替えたのは、サライであった。グッと歯を食いしばり拳を固めると、キッと見えない何かに立ち向かうように睨みつけると、怒鳴り声を上げた。

「人の家の物置に入り込んで何やってんだあんたはッ! 起きろ寝坊助ッ!」

 大音声に金縛りが解ける二人。

 ビクッと飛び起きるバシリオスに、内心三人とも安堵していた。

「さ、サライ? なんでここに?」

「何でじゃないでしょう何でじゃッ! 朝食には現れないッ! 部屋を見に行かせればもぬけの殻ッ! 明け方にも出て行った形跡がないのにいなくなってれば探すでしょッ! どういうつもりかキッチリ説明しろッ! 納得させなかったら鍵の窃盗と食い逃げ犯として突き出すぞッ!」

 サライの剣幕に怯えつつ、テイルが確認する。

「この家の中にいるって知ってたのか?」

「知ってましたよ。昨夜ほとんど寝てませんから」

 サライは怒りを纏わせたまま、それでも抑えてテイルに答えた。

「じゃぁ何ですぐに探させなかったんだ?」

「ルー君にちゃんと食べて欲しかったから。探してバタバタしてたら落ち着いて食べられないでしょ。只でさえいつ来るかと緊張していたんだから」

「僕の為に?」

「あんた達は、俺には関係ないって思ってるんだろうけど、ルーティスの大事な日位、祝わせてもらってもいいだろ。家主なんだし」

 不貞腐れたように言うサライ。

 はっとするルーティス。

「ごめんなさい。あんまり関わってなかったから、てっきり居候の付き人位にしか思われてないだろうと思い込んでました。朝食の件も、テイルさんの為にされているんだとばっかり……。本当にごめんなさい!」

「いいよ。別に。俺が勝手にしただけだし。一生誰にも言わないつもりだったのが出ちゃっただけだし。別に気にする必要なんてないよ。むしろ言葉に出して悪かったな」

「やめろサライ。そんな風に卑屈になるな。お互いの気持ちが知れて、これで良かったんだ。

 って! どさくさに紛れて逃げようとすんな悪戯坊主!」

 空気が変わり誰も自分に意識が向いていないと察したバシリオスが、こっそりと出て行こうとしていたのを、首の後ろの服をむんずと掴んで引っ張ったテイル。

「ちっ」

「ちってお前なぁ。本当に突き出してやろうか? 牢屋にぶち込まれて無茶苦茶痛い目に遭いたいならこのまま直行するぞ」

 冷たい怒りを孕ませたテイルの声。

「それも良いですけど。とりあえずこの惨状を片づけてもらいましょう。これじゃ本当に足の踏み場もない」

「それもそうだな。お前の荷物よこせ。一緒にならないように管理してやるよ」

 親切のように聞こえなくもないが、そうでない事は全員がわかっている。

 持っていた荷物を全部取り上げ、廊下に放る。

「ルーティス。悪いが荷物の番をしておいてくれ。俺達二人の監視を潜り抜けるとは思えないが念のためだ」

「良いですよ。抱えておきますね」

「ああ。そうしておいてくれると万が一の時いいな」

「そこまでしなくてもいいだろっ」

「信用出来ない」

「無駄口叩いてないでさっさと片づけ始めろよ。終わらなかったら犬みたいに首に縄付けて外に括るからな。そういやこの季節って雨が降りやすいんだよな。夜に雨ざらしは可哀そうだけど自分が悪いんだからしょうがないよな?」

 即答でピシャリと遮るテイルと、冷たく脅すサライ。

「お前ら、俺を何だと」

「無銭飲食」

 とサライ。

「薄情で陰湿で小者のガキ」

 とテイル。

 ギリギリと歯ぎしりすると、バシリオスは渋々片づけを始めた。

 扉を背に作業するバシリオスに、入り口に陣取る二人が顔を見合わせ、ニヤリと笑う。

 大分時間がかかったが、どうにかそれなりに片付いた。

「まあこんなものかな。やれば出来るじゃないか。じゃあ鍵出せ」

 サライが終了を許可し、ホッとするバシリオス。飲まず食わずであれこれ指示されて動き、ヘトヘトになっていた。

 鍵を手渡すと、それをテイルに渡してサライは部屋を出て行った。

テイルに手首を掴まれ部屋から出された。

 廊下には荷物を抱え込んだルーティスが退屈したのか居眠りをしていた。

「ルー。お疲れ。終わったぞ」

 テイルが軽くゆすって起こした。

「う、ん。あ、テイルさん。終わったんですか?」

「ああ。サライが許可出したからな。風邪ひくからリビングに行こう。菓子付きで茶でも飲もうかってさ。サライは先に行ったよ」

「あ、確かに喉渇いたかもですね」

「俺もだ」

「コレはどうします? 返しますか?」

「尋問はこれからなんだからそのまま持っておけよ。重いか?」

「大丈夫ですよこれくらい。じゃあ行きましょうか」

「うん。ほらへたばってないで行くぞ」

 返事を返してバシリオスの方に顔を向けて促した。

「疲れた」

「あんだけ部屋中にぶちまければ片づけも楽じゃないだろうよ。自己責任だ。同情はしない」

「尋問、か」

 苦笑を浮かべて呟くバシリオス。

「覚悟するんだな。その疲れた状態に鞭で血まみれにされるよりはマシだと思うが?」

「シャレにならない脅しはやめてくれ」

 辟易した様子で力なく返すバシリオス。

「怖かったんだよ」

ポツリと呟いたテイル。

「え?」

「別に」

 テイルの表情から何となく察して、

「済まなかった。まさかみつかるとは思わなかったから」

「だろうな。ほら、着いたぞ」

 同じ1階の為、すぐにリビングに着いた。

「時間が掛ったみたいですけど、問題でもありましたか?」

 サライが軽くバシリオスを睨みながらテイルに尋ねた。

「そうか? ルーを起こして、ちょっとこいつとしゃべりながら来たからかな。まぁへたばってたから歩くのが遅かったせいもあるかもな」

「そうですか。疲れて腹が減ったからしゃべらないとごねられても困りますからね。これでも恵んでおきましょうか」

 皮肉を言うと、小さな飴一つと白湯を置いた。

 思わず苦笑するテイル。

「まだ収まらないのか?」

「当然でしょう。あぁ埃だらけか。手洗いとうがいしてから座れ。テイルさん見張りお願いします」

「荷物持ってるから逃げないと思うが?」

「……。信用できませんがね。まぁいいでしょう。ほら、氣が変わらないうちにぼさっとしていないでさっさと洗ってきな」

「手ぬぐいが荷物の中にあるんだが」

「ルーティス。渡してあげて」

 ルーティスから手ぬぐいを渡されると、礼を言って洗い場に消えた。

「度が過ぎてないか?」

「昨夜、もうやめたんです。他人行儀。疲れちゃいました」

「そっちじゃなくて。飴一個に白湯は酷すぎると言ってるんだよ」

「そんなに酷いですか? 彼がした事の方が酷いとは思わないですか?」

「その通りだが、事情も聞いていないんだから」

「俺はそんなに冷静にはなれません」

 サライは不機嫌そうに言うと、押し黙ったままそっぽを向いた。

「サライ?」

 テイルが更に言い募ろうとした時に、バシリオスが戻ってきた。

「待たせたな」

「へぇ、本当に逃げなかったんだ」

「サライ」

 テイルが軽く睨んで咎めた。

「本当の事でしょう」

 不貞腐れたような言い方に小さくため息をついて、

「俺が尋問する。お前はそこで休んでいろ。寝不足で本調子じゃないんだろう。

 座れ、バルス。始めるぞ」

 テイルが言いながらサライを横に移動させて着席を促した。

「家主を差し置いて勝手な事を」

 サライがテイルに文句を言うと、

「その家主が冷静になれないなら、友人として尋問するまでだ」

「これは家主としての義務と権利だ。奪う権利など」

「出て行けとは言ってないだろ。俺の尋問の他に聞きたいことがあれば質問すれば良いだけだ」

「こんな時だけ兄貴面して」

 サライが吐き捨てるように言うと、

「お前がそう思うならそうなんだろう。けど謝る気はない。俺は事実を知りたいだけだ」

 サライは無言で睨みつけ、テイルから少し距離を置いて座り直した。腕を組んでジロリとバシリオスを見やった。

「なんだよ」

「いや、別に? ただ初めての光景だなと思って見てただけだ。気に障ったか?」

「疲れてるんだろ? 座れよバルス」

 どちらに対して言ったとも取れる言い方をして、再度着席を促した。

 埃を落とし、気持ちを切り替えたのか、落ち着いた様子で座った。

「全く人騒がせな奴だなお前は。物置の鍵はどうしたんだ」

「勝手に拝借した」

「……。ものは言い様だな。何で物置だったんだ? 部屋に閉じ籠るだけならわかるが」

「それは……」

 目をそらし、言い淀むバシリオス。

「バルス?」

「……。昔からの癖だ。一人になる空間としてはあそこは広すぎて。居たたまれなかったから」

「何かに囲まれていないと落ち着かない?」

「……。あの時お前が言った俺の心象風景。あれは、俺の双子の姉の状況と同じなんだ」

「お姉さん?」

「俺達の父親は、本土に繋がりを持つ商売をしていた。多くの奴隷を働かせて監督する立場だった。母は後継ぎが生めた事に喜んでいたが、姉の事は空気みたいに扱っていた。だから俺はいつも、こっそりいろいろの物を半分にして姉と分かち合った。そう、思っていた」

「違ったのか?」

「姉が天に召されてから知ったが、食事に関しては俺が目の前にいる時はともかく、そうでない時は全て取り上げられていたらしい。せっせと運んだのに痩せているからおかしいとは思っていたが、まさかと思っていた。そのうち、姉が何気なく口にした、例えば天気についてよく当たる事に気付いた」

「同じ時に生まれたのに、女の子であるだけで酷い差別をされていたんだな。でも凄い観察力だったんだな、お姉さんは」

「俺もそう思って観察してみたよ。でも外れてばっかりで、姉に聞いたんだ。どうやったら分かるのかって。そうしたら、姉はこう言ったんだ。『貴方が男で、私が女だからじゃないかしら』って。その時の俺は意味が分からず、分かるようになりたいと駄々をこねて姉を困らせて。試しに母にも出来るのかと聞いてみたら、それがいけなかった」

「何だか微笑ましい光景だが、母親に聞いてはいけなかったという事か?」

「いや。誰にも、だ。誰にも知られてはいけなかったんだ。母から聞いたのだろう、父は俺に大事な商談が明日あるから天気を聞いて来いと命じた。浅はかな俺は、これで当たって商談が成功すれば、姉の待遇がもっと良くなるだろうと考え、姉に聞きに行った。結果は当たり。商談も上手くいった。でも」

「でも?」

「姉はちゃんと食事を与えられるようになったし、綺麗な衣装を纏う事も許された。でもな、テイル。姉の眼の光が、表情が、日ごとにくすんでいくんだよ」

「え?」

「まるで彼女が、動く人形にでもなったかの様だったよ。俺との接触を極端に制限して、父は商談等色々な所に連れ出した。珍しい物が手に入ると、姉はお土産だと言ってこっそりくれたけど、珍しい物が見られる嬉しさより姉の事が心配で仕方なくて。どんなに聞いても誰も答えてくれず、心配して姉の手を握る事さえ許して貰えず、バレると父は酷く怒って俺を鞭打った。まるで罪人を見るような目で俺を見、追加で食事抜きの罰を与えた。その日から、俺達は別々の部屋に閉じ込められ、鍵も掛けられた。食事とかは扉の下に食事を押し込められる程度の窓が作られる徹底ぶり。用がある時は片方ずつ出され、俺は言いつけを全う出来ないと鞭の代わりに次の用事が出来るまでパン一切れと水を少し与えられるだけ。完全に使い捨てのコマだったよ。そうして、廊下から聞こえる父と姉の声で、生きている事を確認出来るだけの月日が続いた」

 サライが驚いたようにバシリオスに目を向け、黙って耳を傾けていた。

「ある日、父が姉の部屋の扉を激しく叩いて怒鳴っていた。何事かと聞き耳を立てていたら俺が部屋から出された。姉を説得しろと言う。返事もしないのだと。扉に作られた小窓から中をのぞくと、綺麗な衣装を身に纏った姉が横たわっているのが見えた」

「……。まさか?」

「そのまさかだよ。今まで両親から与えれたモノの数々が部屋を飾り、姉は一人、部屋の中央で綺麗な衣装を身に纏い、美しく化粧を施し……、俺が、幼い時に小遣いを貯めて誕生日に姉にプレゼントした、安物の指輪をその手に大事そうに包んで、幸せそうに笑って冷たくなっていた。毒を、飲んだんだ。自分で」

 誰も言葉を発する事が出来ず、唾液を飲み込む事すら憚られる気がしていた。

「俺のせいだ。俺が姉の能力を知らせてしまったから。

 人殺しのやり方なんてまだ上手く出来なくて、父親という名を冠したバケモノにただ飼われているしかなかった無力な俺が誰よりも罪が重い。守るべきだった姉を只苦しめて悲しませて、己の命を断つ程に絶望させてしまった。双子なのに」

「こんな事しか口に出来ないのが凄く情けないが。お前は悪くないよ。俺だって、同じ立場だったら同じ事をするよ。だってまだ、その時は親への不信感も嫌悪感もそれ程ではなかっただろう?」

「……ああ。まだどうにか出来ると信じていた。愚かしい! 過去に戻れるならガキの頃の自分を殴りつけたいくらいだ」

「そんなに自分を責めるな。先の事など誰も分かりようがないじゃないか。その時はそれが考え得る最善だったんだ」

「姉の腹の中に、呼びたくもないが父親の子を宿していてもそう言えるか?」

「え……?」

「考えもしなかったよ、そんな事。バケモノ本人が喚いたから知れただけだ。でなければ一生知らずにいた」

「……」

「俺は結果的に、自分の半身をバケモノに差し出したんだよ。知らなかったで済まされる罪じゃない」

「……。暴走する前に本題に戻れよ。アンタがそんな状況を再現した中で眠る理由が分からない」

 サライが静かに口を開いて話題の修正を図る。

「ああ。そうだな。済まない、取り乱した。理由は、孤独を意識した時に、無意識で姉を求めてしまうからだ。信じてもらえないだろうが、物置の荷物をあんなにぐちゃぐちゃにぶちまけた記憶がない。

 サライの言葉に激怒してテイルを部屋に入れないようにして閉じ籠ったのは、本当に一人になりたかったからだが、いざ一人になるとどうしても過去の出来事が頭に浮かんでじっとしていられなくなる。気が付くといつも周りに何かを満たそうとしている。あそこにいたのは、多分、居たたまれないけど出て行くのも怖かったからなんだと思う」

「怖い?」

 テイルが問い返す。

「精神的に不安定になっている時に外出すると、必ず気付いた時死体が転がっているからだ」

「っ! お前なあっ言っていい冗談とわ」

 ギョッとして思わず怒鳴り、悪い冗談と言おうとして、バシリオスの真っ直ぐな瞳に固まる。

「何だよ、それ。……なあ、バシリオス。一つ聞いていいか?」

「尋問なんだろ? 俺に拒否権はないんじゃないのか?」

「昔、レヴァントの故郷を襲った連中の一人がお前って事はないよな?」

「それはない」

 バシリオスのキッパリとした否定に安堵するテイル。

「何で言い切れる?」

 サライが口を挟む。

「血を一切浴びていなかったし、持っていた剣も斬った痕跡はなかった。それで十分だろう?」

「無意識に着替えて血の汚れを落としていたという可能性は?」

「サライ、剣を扱った事は?」

「人を殺めた事ならない。切り付けて怪我を負わせた事はあるが」

「血を浴びた剣を完全に綺麗にするのは凄く時間が掛る。ありえないよ」

「ふうん。なら、信じるよ」

「それはどうも」

「……。昨夜レヴァントとお前と三人で話した時に何か引っかかってたんだけど、やっとわかった。何に引っかかっていたのか」

「テイルさん?」

「お前、レヴァントにお姉さんを重ねていたんだろ。レヴァントに刀を持たせなかったのは、誰かを傷つけ、時には命を奪う罪を負わせない為であると同時に、お前一人でその罪を背負いきって過去のやり直しをしたかったからなんだろ。

 でもレヴァントはお姉さんじゃない。言いつけを破って、嘘を嘘で塗り固めてまでお前の役に立とうと行動を起こした。だからあんなに怒ったんだろ。だから、レヴァントを捨てた。

 またお前の犠牲者を作る旅に出るのか」

 サライは、敢えてテイルの辛辣な言葉を止めようとしなかった。

「止めて下さい、そんな言い方。テイルさんらしくないですよ」

「ルーティス。口を挟むな」

「でもっ」

「ここから先はきっと今以上に辛くなる。出て行っても構わないぞ?」

「今更出て行けと言われても迷惑です。僕にだって知る権利はあるでしょう?」

「なら黙ってろ」

 不服そうにしながらも、口を閉ざすルーティス。

「それでいい」

 冷たく言い、バシリオスに顔を向けた。

「で? どうなんだ?」

「俺はもう誰とも深くは関わらない。その方がお互いの為に良いと今回思い知ったから」

「ふーん。じゃあ理想を諦めるのか。俺とも親友やめるんだな」

「深くかかわらなくても親友は継続できると思うが、お前が嫌なら仕方ないな。理想はこれと関係ない。続けるさ」

「理想の実現なんて無理だね」

 冷たく切り捨てるテイル。

「無理でも生涯頑張る。そう決めたから」

「余計に悪くなるだけだ。今のお前のままなら、ただ自分以外の他人を狂わせる悪魔と同じだ」

 あまりな言い様に、ヒュッと息をのみ、目を見開くバシリオス。

「悪、魔」

「悪魔は流石に言いすぎでしょう、テイルさん。彼だって人間なんだから」

「だって結果は悪魔の所業と変わらないぞ」

サライにやんわりと注意され、テイルは不満げに言い訳する。

「それでもですよ」

「じゃあ悪魔だけ撤回する」

 だけを強調し、渋々撤回を宣言する。

「悪魔。俺はあのバケモノより劣るのか」

 ショックから抜け出せず、青い顔でブツブツと独り言を言うバシリオス。

「だから撤回するって言ったろう」

「あぁだから俺は一人にならなければいけないんだな。こんな穢れた生き物が人の上に立っちゃいけない」

 テイルの声が届いていないバシリオス。

 テイルはバシリオスの肩を掴んで強めに揺すった。

「しっかりしろ! 聞こえないのか?」

「ああそうだ、これは罰だ。両親を惨殺した報いだ。血まみれのこの手で」

「おいッ!」

 テイルは怖くなって両手でバシリオスの頬を手挟み、目を覗き込んだ。

「俺に触るな。穢れるぞ」

 焦点が合っているのかいないのか、やんわりと手を払われた。

「済まない。言葉が過ぎた」

「いいや。過ぎてなどいないさ。俺はあの日両親をも手に掛けた。何度も何度も斬りつけて、血まみれの手で、体で姉さんに触れられなくて、火を放った。あの部屋は、姉さんの願いそのものだから、他の誰も汚したりしないように」

「もういい。もう良いんだ。自分を傷つけなくていい」

「軽蔑するだろう? 汚らわしいだろう? それでいい。慕って貰う資格もない」

 薄笑いを浮かべて、穏やかな口調で次々と自分自身を傷つける毒を吐き続ける。

「お姉さんを守る事が出来なかったのは仕方がない事だ。子供には出来ない事が沢山あるんだ。それでも、お前は最期にしてあげられる事をしたんだろう? 正しいか間違いかはともかく、お前は出来る限りの事はしたんだからそれでいい」

 嫌がるバシリオスを無視して抱きしめ、テイルはその背を撫でたり後頭部を撫でたりしながら言い含めた。

「頭が、真っ白になったんだ。気が付いたら両親が血まみれで倒れてて」

「うん」

「俺は、沢山の血を浴びて、立ってた」

「うん」

「両親の血。汚い、嫌な血。取れないの」

 言い方がだんだん幼くなってくる。自分の言葉が引き金になったのだと自覚して、テイルは自分を殴りたくなるが、今はバシリオスを落ち着かせるのが先決だと思い直す。

「洗ってもダメなの」

「何で? 洗えば綺麗になるぞ?」

「ならないの。だって俺もあの人達の子だから。汚い血が流れてる。

あのね、何人も殺したの。お父さんが褒めてくれるから。お姉ちゃんに会わせてくれるから。気持ち悪くなるけど、うんと頑張ったんだ。ご褒美に美味しい料理くれるから。でも気持ち悪くなって吐いちゃうからいつもお姉ちゃんにあげるの。お姉ちゃんね、魔法使いなの。お姉ちゃんが半分こねって、食べさせてくれるの。そうするとね、ちゃんと食べられるんだ」

 ルーティスがショックの為か、倒れ込む。

 サライが慌ててルーティスを支え、近くの長椅子に横たわらせる。

 無意味だとわかっていても、テイルは彼らの両親に憎悪を抱く。

「美味しかった?」

「うん! お姉ちゃんに食べさせてもらうとね、嫌いなお野菜もちょっとだけど食べられて、お姉ちゃん一杯褒めてくれるんだ。そしたらね、いつの間にか嫌いなものなくなっちゃった」

「頑張ったな。偉いな」

「えへへ」

 照れくさそうに、でもまんざらでもないように笑う。

「沢山話をしてくれて有難うな。疲れただろう? もうお休み」

「寝たくないな。嫌な夢見るから」

「じゃあ眠るまで手を握っててあげるよ。そうしたら嫌な夢なんて見ないよ」

「ホントぉ?」

 疑わしそうではあったが、素直に手を握らせ、長椅子に横になった。色々な疲労が重なっていた為か、すぐに目を閉じ、安らかな寝息を立て始めた。

 暫くそのままで様子を窺い、手を外してそばを離れた。

「はーっ」

 思わず深く息を吐きだすテイル。

「何とか凌げましたね」

 サライがテーブルに置いていたコップを手渡す。

「まさかこんなことになるなんて」

 飲み物を一気に飲み干して言う。

「あれ? ルーティスどうした?」

「すみません。ふらふらして」

「まあ無理もないさ。遠慮しないで暫く横になっていろ」

「だから、そういうセリフはあんたが言うべき事じゃないでしょ」

「う。ごめん。つい」

 困ったようにため息をつくサライ。

「ま、いいですよ。諦めてますから。それより、テイルさんも疲れたでしょう? 今、甘い飲み物用意させますから。ルーティス君も無理しなくていいけど後で飲んだ方がいい」

「有難うございます」

 サライは台所に行って戻ってきた。

「凄い過去でしたね」

「本当にな。聞いてて殺意を覚えたよ」

「ええ。でも、最後は想像した年齢より幼い口調だったのが気になりました」

「多分、あの位の年齢から無理して背伸びしていたんだろうな。お姉さんを守る為に」

「可哀そうですね」

「そうだな。でも本人には口が裂けても言うなよ? 怒るから」

「ええ。そのつもりです」

 話している間に飲み物が置かれた。

「ルーティス、起きて飲めそうか?」

「ええ。何とか」

 起き上がるルーティスが態勢を崩して再び倒れ掛かる。テイルが支える。

「おっと。無理するな」

「すみません、この位で」

「ショックと寝不足と重なってるから仕方ないさ。ほら、まだ横になっていろ」

 横たえさせる。

 起きている二人は、持ってきてもらった甘い飲み物と、菓子を摘まみはするが、お互いに無言だった。

 暫くしてバシリオスが目を覚ました。

「目が覚めたか?」

「俺、は。眠っていたのか?」

「ああ。疲れているんだろう。いいさ」

「済まない。何処まで話した?」

「お前が両親を手に掛けた事、家に火を放った事、それから、両親の汚い血を継いでいることが嫌だ、と」

「そんな事まで……。済まない、お前が悪魔だと言ったまでしか記憶がない」

「俺がお前を傷つけたから。俺のせいだ」

「撤回してくれるのか?」

「撤回したんだがな。ショックが大きかったらしい。聞こえなかったようだな。済まなかった。言い過ぎた」

 頭を下げるテイルに慌てるバシリオス。

「いや、良いんだ。本当の事だ」

「済まなかった」

 再度頭を下げた。

「そんな事まで話してしまったなら、仕方がないな。殺人犯として突き出したいならそうしてくれ」

 諦めたような顔でそう言うと、バシリオスは顔を俯け目を閉じた。

 ちらりと顔を見合わせる二人。無言で確認を取ると、テイルが立ち上がった。

 心配そうに見守るルーティスに、サライが安心させるように笑いかける。

 ゴツン!

「イテッ!」

「バーカ。昨夜俺の話立ち聞きしてたんだろうが。俺だってフィリアの父親を見殺しにしてる。ワザと助けもしなければ殺して楽にしてやることもしなかった。復讐の為に。お前とやり方が違うだけで同罪だ」

「テイル……」

 殴られて痛む頭に手をやりながら、呆然と呟く。

「なんて間抜け面してやがんだよ。言っておくが、俺は出頭する気もないし捕まってやる気もねぇよ。悪い事したなんてこれっぽっちも思ってねぇし。

お前が出頭したきゃすればいいけど、確実に理想が幻想に変わるな、それだと」

「お前は罪を犯したとは言えないだろう」

「ったく! つくづく似た者同士だなお前らは」

 がりがりと頭を掻く。

「お前ら?」

「お前とレヴァントに決まってんだろ!」

「似てるか?」

「はーっ。これだよ。もう面倒くさい」

 本気で分からない顔をしているバシリオスに呆れるテイル。

「サライ、アンタは自警団の団長なんだろ? ここに過去の犯罪者が二人いるけど、どうする? 俺ら突き出す?」

 急に話を振られ、苦笑いするサライ。

「俺にそれ振るって酷くないですか。他所での罪なんて俺の管轄外ですよ。聞かなかったことにしますよ。現実にこの町の住民に被害が出ているなら別ですけど」

「だってさ。出頭したら確実に命はない。頑張る事も出来ないけどそれでも出頭する? やりたいなら止めないけど自分で行ってくれよ? 知ってるやつがいたら面倒だから」

 呆然とするバシリオス。

「見逃してくれるなら、今更自分から出頭する気はないよ」

「ならこの件は終わり」

「う、うん。有難う」

「どういたしまして。で、サライは他に尋問したい事は?」

「鍵は返してもらいましたし、何か盗まれた訳でもありませんから、ないと言えばないですよ」

「奥歯にものが挟まっているみたいな言い方だな」

「一つだけ納得出来ない事がある」

「何でも答えるよ」

「テイルさんの推測通り、レヴァント君を捨てたのは自分を癒す道具として使えなくなったからなのか?」

「……。初めは、只の同情だった。能力を知って、姉が俺を恨んでいて現れたのだと思った。だから今度は守ろうと思った。レヴァントを癒す道具とみた事は一度もない。でも、必要としてくれるレヴァントに、いつしか恐怖していた。俺の過去が知れたら、軽蔑して去っていくかもしれないと。必要とされなくなったら、生きている価値はないのだと頭の中で声がして、たまらない気持ちになって。

 今回の事で、やっと気付いた。怖くて、大嫌いで、軽蔑していた父と、大して違わない事をレヴァントにしていたのだと。

 レヴァントの先視は外れた事がない。俺が孤独に戻るのは、俺がしてきた事の結果だ。俺がレヴァントを許さず突き放せば、これ以上レヴァントの未来を、可能性を潰す事はない。だから捨てた」

「ふ…………な」

 ルーティスが怖い形相でふらつきながらも起き上がり、バシリオスへ向かって歩を進める。

 テイルもサライも察して見守った。

「ふざけるなッ!」

 力一杯殴りつけた。大人しく殴られるバシリオスが椅子ごと倒れ、したたかに体を打ち付けた。

「僕を捨てたら未来を潰さない? 可能性を潰さない? ふざけるなッ! 身勝手にもほどがある! 何にも言わないで! 勝手に決めつけて! そうやって突っ走ってどれだけ僕もテイルさんも苦しめれば気が済むのさ!

 僕の嘘のせいでテイルさんを瀕死の重傷にさせたんだから、捨てられても仕方ないって必至に言い聞かせて諦めたのに、そんな身勝手な理由? もう沢山だ貴方の事なんか知らない!」

 一気に捲し立てると、持っていたバシリオスの荷物をバシリオスに叩きつけて部屋を出て行った。

 サライは俺が行くと合図をしてルーティスを追った。

「派手に怒られたなあ。驚いた。あんな風にお前にも怒れるんだな、あいつ。そーとーブチキレてたぞ」

 テイルがふざけた口調で手を貸しながら言う。

「い、つつッ。荷物までぶつけなくてもいいだろうに。

いちいち嫌味を言うな。わかってる」

「分かってねーよ。身に染みてわかるのは後になってからだ。その時後悔しても後の祭りだ。たっぷり後悔して、しっかり反省するんだな。もっとも、あいつにだって反省点はあるから一方的なのはよろしくないけどな。そのへんはサライが諭してくれるだろう」

「信頼してるんだな、サライの事も、レ、いや、ルーティスの事も」

「お前もな」

 テイルが笑ってバシリオスの額をトンッと叩く。

「痛いっ」

「いい気味!」

 声を上げて笑うテイル。

 無言で頭を下げたバシリオス。

 白湯がすっかり冷めて冷たくなったのを確認し、テイルがバシリオスの傍に落ちていた手ぬぐいを拾ってそれで濡らした。

「ほい。いい顔が台無しになるぞ」

 テイルはニヤニヤ笑いながら頬にそっと押し当てた。

 複雑な顔で礼を言うバシリオス。

 一方、飛び出した勢いのまま、荷物を取りに離れに向かったルーティス。

「足早いなぁ、ルーティス君。やっと追いついた」

「なんですか」

「出て行くのは構わないけどね。怒りのまま飛び出すと後悔する事になるから、落ち着かせようと思って」

「大丈夫ですよ。後悔なんかしません。お気遣いなく」

「これからどうするつもり?」

「この町を離れます。顔も見たくないので」

 ルーティスのキレ具合に苦笑するサライ。

「怒るのはごもっともだけどね。君だって何も言わなかったんでしょ?」

「過去の事なら話してありますよ」

「君の気持は?」

「それは、ない、ですけど」

「言わないで分かってもらおうと思っても難しいよ? 言えばいいってものでもないけどね」

「僕だけが悪いって言うんですか」

「だけじゃないよ。お互いにだよ。初めて聞いてショックだったのは分かるけど、一方的に彼を責めるのはどうかと思うよ?」

「二度と顔を見せるなと言ったのはあっちです。僕もあんな人二度と会いたくありませんから。丁度いいじゃないですか」

「なら、これだけは覚えておきな。

これからいろいろな人と関わっていく事になるけど、誰の責任とかではなく、皆誰かの影響を受けてるし君も誰かに影響を与えている。孤独と一人は違う。本当の孤独というのは、生きている事で、誰かに影響を及ぼしても、関わる他の誰かからの影響を拒絶する事だよ。孤独は、寂しいよ。心が凍り付いてしまう。悲しい事だよ」

「理解できません」

「ハラワタ煮えくり返っている今はそうだろうね。ただ頭の隅にでも入れて覚えておいてくれればいい。いつか腑に落ちるから」

「……。わかりました」

「有難う。これ、さっきの依頼受けてくれた代金と、俺からの餞別」

 サライは説得しようとせず、頭の隅に入れておいてくれるように頼み、懐からお金の入った小袋を手渡した。

「こんなに? 多すぎます。お世話になったのはこちらなのに」

「いいんだよ。これからあっという間になくなるよ。多いに越したことはない。厚意は大人しく受けておくものだよ」

「色々、有難うございます。御恩は一生忘れません」

「元気でね。またいつか再会しよう」

 サライは笑顔で送り出した。


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