第四章 傷跡
先に謝ります。すみません、切るに切れなくて凄く長くなってしまいました。
テイルが目を覚ました事を翌朝医師に報告し、診察してもらったバシリオスは、医師を送るついでに町で買い物を済ませ、宿に戻る途中でサライに出くわした。
「あっ! バシリオスさん!」
「おはよう、サライ。昨夜は有難う」
「お、おはようございます」
「別に敬語使わなくったっていいのに」
「いや、そんな」
「テイルの容態か?」
「まだ目が覚めませんか?」
「昨夜一度目を覚まして会話も少し交わしたよ。熱がまだ下がらないから油断は出来ないが。先生の見立てだと、毒が消えるまでしばらくは安静だそうだ」
「良かった。でも凄い回復力ですね。あんなつらそうだったのにもう目を覚ますなんて」
「あいつは優しいからな。自分そっちのけで無理したんだろう。今はまた眠りについている。体力温存には丁度いいらしい」
「あの後、何かあったんですか?」
「まぁ、色々と、な。顔でも見ていくか?」
「うーん。寝ているならいいです。またにします。早く良くなると良いですね。お大事にと起きたら伝えて下さい」
「有難う。代わりに礼を言うよ。きちんと伝える」
サライはホッとした様子で立ち去った。
宿に戻ると、丁度テイルの部屋からレヴァントが出ていくところだった。
「あ、あの、おは、おはようございます」
緊張して挨拶するレヴァントを一瞥する。
「ああ」
素っ気なく返し、テイルの部屋に入った。買ってきた物を仕分けしてテイルの様子を窺う。特に変わった様子はない事にほっとする自分に眉を顰めた。
そっと近づき、額に手をやり熱の確認をするバシリオス。
「冷たい手してるなぁ、フィリア」
知らない女性の名前にビクっと思わず手を引くが、寝ぼけているのか、テイルは追いかけてその手を掴み、自分の布団の中に突っ込んでしまった。
「ほらあったかいだろう?」
女性と男性ではそれこそ感触も違うだろうにと思いつつも、無理やり解く事も出来ずに固まる。
その優しい表情から、心の底からフィリアという女性を案じているのだとわかる。勘違いをして温めている手を抱きしめるようにしながら、言う。
「好き嫌いしないで沢山食べないとダメなんだぞ?」
困ったように微笑むバシリオス。好奇心旺盛で我儘な小さな女の子と甲斐甲斐しく面倒を見るテイル。そんな幼い二人の様子を想像して、少し鼻の奥がツンとした。昨夜テイルに言われた彼のイメージ映像が頭を過って胸を締め付けられた。
「ッ」
奥歯を噛みしめ無理やり感情を鎮める。無意識に手に力を入れてしまったのか、テイルが辛そうに眉を寄せた。
「う、フィ……ア」
とうとう我慢できず、遠慮がちに肩を揺さぶってテイルを起こした。
「おい、手を放してくれ」
「フィリア、ごめんな? ごめんな?」
離すまいとするようにますます手に縋りつき、そう寝言を繰り返すテイル。
「テイル起きろ。テイルっ」
「うー」
「寝ぼけて俺の手にしがみつくなっ」
ふ、と手の力が緩んだとみるや、素早く手を引き抜いて表情を誤魔化す為に俯く。
「バル、ス? こんな所で寝ると風邪をひくぞ?」
ようやく夢から覚めたテイルがぼんやりとバシリオスを視界に捉えて言う。
「寝てない。それに誰のせいだよ? 人の手を誰かと間違えて懐に抱き込んで離さなかったのはおまえだろう」
軽く睨んでみせると、テイルはきょとんとしてそれから思い至ったのか自分の手を握ったり開いたりした。
「え、あれ、お前の手だったのか」
「悪かったな、女みたいな手で」
憮然と言う。
「え、俺寝言言ってたか?」
少し焦ったように問うテイル。
「何度もフィリアって呼んで俺の手にしがみついてたぞ」
少し意地悪な言い方をする。
テイルはばつの悪そうな顔をすると素直に謝った。
「なんか、いろいろごめん」
「体が弱ってるんだ、いいさ」
「有難う。あいつ」
「却下!」
「何も言ってないだろ」
「予測ぐらいつく。だからそれは聞く耳持たない。却下却下却下!」
「どっちがガキだよ全く」
「今回は本気で怒っているからな」
「あいつに言ったんだって? 自分の役目を演じきれない奴はいらないって」
「何をどこまで話してるんだあいつは!」
バシリオスが苦々しく言うと、テイルは苦笑して続けた。
「捨てられるかもしれないって、ずっと怖かったと思うぞ」
「知ってるさ。でも、あいつは先視の力を生まれつき持っているんだ。それは強みであると同時に、子供にとっては危険なものだ」
「危険?」
「今回、あいつはその危険な事をやらかしたんだ。殴って済ませてやれる問題じゃない」
「……。お前、あいつに会う前にそういう経験しているのか」
「……。答えたくない」
「分かった。済まない」
バシリオスはホッと息を吐くと、明るい口調に切り替えてサライに会ったことをテイルに伝えた。
「寄ってくれれば良かったのに」
「朝はまだ寝ていたからな。お大事にって、伝えてくれって」
「有難うってもしまた会ったら伝えてくれ。それから、いつかこの恩は返すと」
「恩を返す氣があるなら、今は大人しく寝て早く元気な姿を見せてやる事だ。それが一番の恩返しだろ」
じっと見つめたかと思うと、テイルはボソッと呟いた。
「時々お前の年齢がわからなくなる」
「うっさい! 起きててもやる事ないんだから大人しく寝ろ! 今度は人の手を抱き込むなよなっ!」
ゴツンと拳骨をテイルの頭に見舞う。
「痛っ! 俺は怪我人!」
「自業自得っ!」
「ちぇっ 優しくしてくれよぉ」
「してるだろ十分に」
テイルは恨みがましく睨みつけて殴られた頭を撫でている。
「なぁ、お前に一つ頼んでいいか?」
少し思い詰めた様子でテイルに話しかけるバシリオス。
「事と次第による」
「起き上がれるようになったら、あいつに謝罪させるから、そうしたらきっちり理由を問いただしてあいつの口から言わせてくれないか。で、殴るなり鞭で打つなりしてやってくれ。それであいつの氣も少しは楽になれるだろうから」
「俺はあいつを恨んでないぞ。こんな怪我したのは自分のせいだし、乗り込んだのも自分の意志だ。あいつに何かされた訳じゃないのに何で打たなきゃならないんだ」
「この底なしのお人好し! あいつが何か一枚かんでいると気付いたからわざわざ俺を助けに来たんだろうが。お前には真実を聞き出す権利と義務がある。おまけに負わなくて良かった大怪我を負ったんだ、相応の厳しい罰を与えるべきだろう」
「……。真実を聞きたいとは思うけどな。でもなぁバルス。俺を見た時、あいつ震えてたんだ。しでかすのは初めての事で、怖くて怖くて仕方なかったと思う。その罰なら、あいつが自分で自分に与えている筈だ。この上更に俺もお前も与える必要はないと思う」
「必要だ。誰の為であろうと、個人の感情で未来を捻じ曲げた罪はあまりに重い。その重さから逃がさない者と、潰れないように少しだけ楽にしてやる者が二人必要なんだ」
「お前……」
「重さから逃がしてやらないのが俺だ。あいつの為を思うなら、被害者であるお前から罰を与えてやってくれ。なにがしかの苦痛を伴えば、少しでも楽にはなれると思うから」
「嫌な役だな」
ため息をつき、ぼやくテイル。
「済まないな。こればかりは一人じゃダメなんだ。
本当は一度たりと犯して欲しくなかったんだが、幸いにもお前は生きている。繰り返させない為にも、頼む」
怒りに任せているものと思っていたテイルは、その深い考えに内心驚いていた。口先三寸だとは思えない、落ち着いた瞳の色だからこそ、これ以上逆らえないと思った。
深々と頭を下げたバシリオスを見、一言だけ答えた。
「わかった」
「有難う」
数日後、毒により一週間は動けない筈の身体を無理に動かし、テイルはサライが提供してくれた離れに移る事になった。宿の主が難色を示した事と、三人のお金をかき集めてもそこまでもちそうもなかった為、サライを探したバシリオスが頼み込んだ結果であった。
「こんな事まで世話になって。済まないな、サライさん」
「いいっていいって」
父親の書庫だったらしい離れは余り広いとは言えないが、家賃を気にする必要が無いのはありがたかった。テイルがそこで一人で寝て、バシリオス達は彼と一緒に生活する事になった。テイルだけを頼むつもりが、一人も三人も一緒だからと半ば強引にそうなった。
身体が思う様に動かなくても、いつまでも寝ていられないと、テイルは蔵書を読み耽った。バシリオスにはいつまでもそれでは治らないと叱られたが、散々言い募り、暇を持て余し、無茶をされるより良いと諦められた。
尚、医師からは全員が大目玉を食らい、当のテイルに至っては、効き目はあるがとてもしみる薬を塗られるという追加の罰まで与えられた。理由はテイルの自業自得であるのだが。
自己治癒能力が高いのか、医師も驚くスピードで回復するも、体力の低下は否めず、少量の食事から始めて、日常の食事が出来るようになるまで更に時間を要した。
ようやく普段の生活が出来るようになったある晩、テイルも呼ばれ、三人とサライの計四人がリビングに顔を揃えた。
「まずは快気祝いだな。おめでとう」
バシリオスが切り出した。
「ありがとう。皆には世話になりっぱなしで申し訳ない」
頭を下げるテイルに、サライが応じた。
「これも何かの縁ってやつだろう。お互い様さ」
「困ったことがあったら言ってくれ。出来る事があるならさせてもらうから」
「その時は遠慮なく」
「ああ」
「さてと、サライは済まないんだが」
「分かってる。席を外すよ。書庫で本でも読んでるよ。テイルさん」
「ん?」
「くれぐれもまた大目玉食らわない様に自重しろよ?」
サライがニヤリと笑って揶揄った。
「何で俺のせいになるんだよ」
テイルは拗ねたように文句を言った。
「じゃあ、証拠品がないか確認して来ようっと!」
「おい!」
サライは笑って出て行った。
「ったくもう!」
「サライに感謝だな、テイル。あいつは場をかき回して空気を入れ替えるのが上手い」
「俺は面白くない」
痛い薬に悩まされたのを思い出したのか、憮然と答えた。
「あれはお前が悪い」
「分かってるよっ」
不貞腐れるテイルを笑って宥めるバシリオス。
レヴァントは一言も発せず青い顔をして突っ立っている。
「座れよ。椅子はあるんだから。なんだか顔色悪いぞ? 大丈夫か?」
テイルが心配して椅子を勧める。
「大丈夫です」
「いいから。遠慮しないで座れよ。ほら」
テイルは自ら席を立ち、半ば強引に座らせた。
落ち着かない様子のレヴァント。
「レヴァントにも心配かけちまったな。済まなかった。あ、そうだ忘れてた! 短刀返してなかったな。後で返すな」
何も変わらない様子で言うテイル。
「いえ、お気になさらず」
「そうはいかないだろう。だってあれ護身用の刀だろう? 物騒なのは変わらないんだから持っていた方が良いぞ」
「短刀?」
バシリオスが不審げに口を挟む。
「ああ。俺が乗り込む準備していた時に貸してくれたんだ」
事実とは少し違う言い方をするテイル。
「短刀を持たせた覚えはないが?」
「お小遣いを貯めて買いました。自分の身は自分で守りたくて」
バシリオスが僅かに批難を込めて問うと、小さくなりながら答えた。
「ふうん」
「別に怒る事でもないだろう? お前の負担になりたくなかったんだろ」
「結局、俺がお前の為を思って言った事した事は全部無駄だったって事だな」
「バルス! そんな言い方するなよ」
「先視の力は言い換えれば人の命に関わる力だ」
ビクッと身体が跳ねるレバント。
「刀はその命を奪う物だ。視る役割を天から与えられた者が、自ら他者の命を奪うなどあってはならない事だ」
「生きている限り自分の命を大事にして何が悪い? 第一、持っていたからって殺すとは限らないだろう?」
レヴァントを庇うテイルを無視し、レヴァントに問うバシリオス。
「俺はそんなに弱いか?」
「いいえ」
「守られるのがそんなに嫌か?」
「足手纏いになりたくありません」
「足手纏いだといつ俺が言った?」
「言っていません。僕は、先視しか出来ない自分が嫌なんです。せめて貴方が僕を庇わなくていいくらいには強くなりたくて」
バシリオスに反発するのが怖いのか、レヴァントは身を固くしつつ答えている。
声を震わせながら、それでも必死に思いを語るレヴァントに、テイルは心の中でエールを送っていた。
「己の分をわきまえろ」
低く叱るバシリオスに、レヴァントはきつく唇を噛む。
「今回の件で懲りただろうがな。お前が分をわきまえず余計な事を考えて行動した結果、こいつは死にかけたんだぞ」
「怪我は俺に非がある。レヴァントを」
「いちいち庇い立てするならお前は黙っていろ!」
バシリオスの剣幕に、カチンと来たテイルは負けじと睨みつけ怒鳴った。
「この場を俺に任せたのはお前だろう! 黙っていろとはなんだよ!」
「いつまでもチンタラやってるからだろ!」
「何だとっ!」
取っ組み合いの喧嘩が始まりそうな勢いになり、レヴァントが悲痛に叫んだ。
「止めて下さいお二人とも!」
興奮して息を乱して睨み合う二人。
「バシリオス様が仰る通りです。僕が愚かでした。そのせいでテイルさんに消えない傷を負わせてしまいました。本当に申し訳ありませんッ!」
バシリオスとテイルの間に入って引き離したレヴァントは、泣きながら謝罪し、床に頭をこすりつけるように蹲った。
「泣いて済む問題か。同情を引こうっていうなら甘いぞッ!」
「やめろバルス、いい加減にしろ!
レヴァントも、泣かなくていい。でも、本当の事をお前の口から聞きたい。お前が何を思い、どうしてこうなったのか。一人で抱えてないで話してくれ。蚊帳の外にされるのは嫌なんだ」
堰を切ったように顔を覆って泣き続けるレヴァントに寄り添うように跪き、背中をさすって慰めるテイル。
「怖かったな。苦しかったな。ごめんな、ちゃんと聞いてやれなくて。俺はもう大丈夫だから、話してくれ。最初から。出来るな?」
「ごめんなさい。ごめんなさい」
「心からのごめんなさいは、きちんと話してからじゃないと伝わらないぞ。ほら、とりあえず泣き止め。ちゃんと最後まで聞くから。な?」
泣き止もうとしている姿勢が見えるので、バシリオスもそれ以上は辛辣な言葉を掛けずにじっと待った。
テイルは台所に行き、湯を沸かしてコップに注いだ。その中に、懐から取り出した小さな袋の中身をいくつか落とした。
爽やかな香りが空間に広がる。
「なんだ? それは」
「柑橘類の皮を干して千切っただけのものだよ。店の人に教えてもらった。頭のクールダウンに良いってさ」
「へぇ。確かに良い匂いだな」
「ああ。皮をむいて食べる時、皮にある粒が破れて香りが広がるだろ? その油分をお湯で温めれば水蒸気に溶けて拡散する。単純な仕組みだよ」
「いやに詳しいな」
「書庫の本に書いてあった」
「そんな本まであったのか」
呆れるバシリオス。
険悪な雰囲気をあっさり覆すテイルに、諦めたように小さく笑う。
「何だ?」
「いや。この場にお前がいてくれることが嬉しいと思ってな」
「は?」
「気にするな。褒めてるんだから」
「褒めてるのか?」
「ああ。もちろん」
「ならいいや」
椅子に座りなおしたレヴァントを見、声を掛ける。
「落ち着いたか?」
「お陰様で。有難うございます」
「良かった」
「どこからお話すればよいのか、わかりませんが」
「そうだな、じゃあまず質問。俺達が出会った日、俺達がじゃれているのを見て辛そうな顔をしていたのと今回の件を引き起こしたのは関係あるのか?」
「気付いていらしたんですかっ?」
ぎょっとして、思わず甲高い声を上げるレヴァント。
「あれだけ露骨にしてればな。目の端に映れば記憶されるだろ普通」
今度は二人が唖然とする。ブンブンと力いっぱい首を横に振る二人。
「普通とは言わないぞそれ。どれだけ記憶力良いんだよ。信じられない!」
「そうか?」
こてんと首を傾げるテイル。
「と、とりあえずお前の記憶力は置いておくぞ。進まないから」
「? ああ。で、どうなんだ?」
「……あります」
「どんな風に?」
テイルには察せられたが敢て言わせる事に決めていた。
「初対面なのに、凄く仲がいいなって思いました。だから、僕はもうバシリオス様に必要とされないかな、と思いました」
「そうか」
「お二人が喧嘩なさって、別々になられたとき、バシリオス様が酷く落ち込んでいらっしゃるように見えました。一度繋がった縁は切れないと申し上げましたが、信じていない様でした。だから、どうしたら信じて頂けるかなと思いました」
「俺のせいか」
「せいにしてるわけじゃないだろ。あんまり横槍入れるなら席をはずせ。進まないから」
テイルはうんざりした様に注意する。
「ふん。で? 俺とテイルの運命の再会とやらを演出したってわけか」
「……。はい」
テイルがいい加減にしろとの意を込めて睨むが、バシリオスは無視を決め込んでいる。
「本当の先視で見た映像っていうのはどんなだったんだ?」
何気なく興味が沸いたので聞いてみることにしたテイルは、レヴァントから答えを聞き出し唖然とすることになる。
「……」
「今更怒らないから、言ってみろ」
またおどおどしだすレヴァントに、バシリオスが促す。
「……。難癖をつけられるのはバシリオス様で、僕が、その」
促されて話すものの、また淀んでしまう。
「言い出せたんだから、最後まで頑張れ。黙っていても逃れられないぞ」
テイルが励まし、促す。
「僕が、持っていた刀で、相手を一人、刺して、怒った人達が僕を殴って気を失わせて、アジトに連れて行く。バシリオス様は、言いつけを破った僕に怒って、後を追わなかった」
震える手で置かれていた飲み物を掴み、一気に飲み干すレヴァント。
「宿に戻る途中で、テイルさんと鉢合わせして、また喧嘩して、テイルさんが一人で乗り込んで。でも、僕は誰かに買われた後で」
「つまり俺は、その未来の通りならまた孤独になっていたという事か」
「はい」
「ああ、それで。嘘をついて運命を狂わせてしまったから、来る筈の俺が来ないかもしれないと思ったのか。だからあのタイミングで水盤に俺が映ってびっくりしたのか」
「はい」
「……。浅はかと言えば浅はかな考えだな。バルスが捕まっても殺される事はないから大丈夫だとでも思ったのか?」
「テイルさんが、助けてくれるだろうと」
「虫が良い話だな」
「はい」
「一緒に助けに行かなかったのは、その先視でバルスが自分を怒って捨てたからか?」
「捨てられるのが、怖かった。一緒に助けに行って、何もしないでいられる訳がないから行かずにテイルさんに怒られる方がマシだと思いました」
「変な所で計算高いんだな」
テイルが苦笑する。
ため息をつくバシリオス。
「大した策士だな。俺は未来を視る者を連れているのであって、策士を傍に置いている訳じゃない。ついでに言うなら、平気で嘘を重ねる先視など必要ない」
ますます縮こまるレヴァント。
バシリオスが冷たく言い放つ。今度ばかりはテイルも庇えなかった。
「正直に話してくれてありがとう。よく頑張ったな。でも、もう一つだけ答えてくれ」
「はい」
「嘘の預言で、心は痛まなかったのか?」
堂々と赦す為に、答えやすい問いをする。
「……。計画が上手くいくのかどうかしか考えられませんでした」
ずっと俯き気味だったレヴァントが、今度は顔をしっかり上げてテイルの目を見て答えた。それは、既に叩かれる事を予測している顔に見えた。
「残念だよレヴァント」
テイルは深いため息をつき、そう言った。
「え?」
「なぁレヴァント、お前知っているか? 誰かの信用、信頼を勝ち取るというのは、凄く大変な事なんだ。まして相手が警戒していたら尚更。でもな、一度得たそれらを失うのはほんの一瞬だ。そして信用信頼を失ったと知った周囲の人間は、二度とそいつに近づかないし近寄らせない。だから再び他の誰かの信用信頼を得ようとする時は、最初の努力の何倍もの努力をしなくてはいけなくなるんだ。わかるか?」
静かだが、普段より幾分か低いテイルの声が、レヴァントの耳を打つ。心に刺さる。
「何故だレヴァント。どうして最後の最後に偽りを口にする?
楽になりたい気持ちはよくわかるよ。でもな? それでは全てを無くす事になる。お前が本当に手にしたいのは一体なんだ? それを良く考えるんだ」
甘い奴だと言いたげにバシリオスが見る。
「お前はまだまだ子供だ。だからあと一時間だけチャンスをやる。俺は離れに戻る。一時間後、離れに今度は一人で来い。いいな」
形ばかりの確認を取り、テイルはそのまま離れに戻っていった。呆然とするレヴァントをバシリオスの言葉が覚醒させる。
「救いようのない馬鹿だお前は。時間を無駄にするなよな、今度は」
バシリオスもまた与えられていた自室に戻っていった。
一人残されたレヴァントは頭を抱えて突っ伏した。
一時間後、レヴァントは硬い表情でテイルのもとに向かった。その後ろ姿はまるで処刑台に向かう囚人の様だったと後にサライがテイルに話していた。
軽くノックすると、待ちかねたように扉はすぐに開けられた。
無言のまま、顎をしゃくって中へ促すテイル。その目は一時間前とは違い、決して優しいものではなかった。
「そこに座れ」
狭い部屋の中、ベッドにテイルが腰掛け、勧められた椅子に座った瞬間、強烈な平手打ちが飛んだ。急な事で態勢が整わず、派手な音を立てて倒れた。
驚いて倒れたまま見上げるレヴァント。
「あの場でわざとふざけた態度をした罰だ」
感情を殺し、淡々と告げるテイル。
「すみません、でした」
「反省したか?」
「はい」
「ならいい。その件は終わりだ。ほら、これで頬を冷やせ。明日凄い顔になるぞ」
返事を聞くと、テイルはホッとした様に笑って許した。
冷たく冷やされた布を頬に当てると、切った口端がズキッと痛んだ。
「それ位は我慢しろ。落ち着いたら今度は本当の事を話してもらうからな?」
「……て」
「ん?」
「どうしてそんなに優しいんですか貴方は」
苦しそうに顔を歪めて声を押し出す。
「今自分を盛大に殴った奴に向かって言うセリフなのか?」
面白そうに笑うテイル。
「だって僕は、言い訳無用で捨てられても仕方無い事をしたんです」
「自覚は出来たか」
「正直、お二人を甘く見ていました」
「そうだな」
「テイルさんの、最後の質問の答え」
「ああ」
「……。これを、なんていうのか、わかりません。でも」
言葉を探しあぐねるレヴァント。
「上手く言おうなんて考えなくていい。言ってみろ」
テイルは怒らずに促す。
「僕の先視の内容を、信じているバシリオス様を、ちゃんと見れなかった、です」
「そうか」
「答えに、ならなくてすみません」
くすりと笑うテイル。
困惑するレヴァント。
「それが答えだろ。後ろめたい、というんだよその気持ちは。悪い事をしていると自覚があるからこそ、相手をちゃんと見れない」
「そう、かもしれません」
「そうだよ。なぁレヴァント。お前なら、どういう人間を信用する?」
「僕なら?」
「そうだ」
「……。まじめな人。正直な人、かな」
「そうだな。俺は誠実な人を信用する」
「誠実?」
「嘘をつかない。約束を守る。もし守れなくても、少なくともめいいっぱい守ろうと努力する。そういう人だな」
「僕は、不誠実な人間という事ですね。貴方にも、あの人にも、信用してもらえない」
悲しそうに言うレヴァント。
「自分が信用してもらえないと思って、どんな気持ちになった?」
「……。そう思う資格もないけれど。悲しいです。寂しいです」
「そうだな。俺はさっきのあの場で、お前は頑張って誠実に答えていたと思っていた。しでかした過ちは消えないが、それでも正直な気持ちをあいつにぶつけて、俺はお前を応援していたし、あいつが何と言おうと赦す気でいたんだ。でもな、最後の最後でお前は不誠実だった。俺に殴られて楽になりたいって思ってるのが良く分かった。だからそれまでの言葉が、本当だと信じきれなくなってしまった。信じきれないと、赦してやれない。でも信じたい、許したいと、そういう気持ちがまだ残っていたから時間をやった。
信用されなくなる人も悲しいけど、信用出来なくなる人も同じ位悲しいんだよ。もう、こんな悲しい思いをさせないでくれ。俺もお前やあいつに誠実であろうと一層努力するから。不誠実はもうしないと約束してくれ」
テイルの穏やかな表情が、声が、優しさがレヴァントの胸に突き刺さる。先程とは違う意味の涙が、後から後から溢れ出てレヴァントの頬を濡らしていく。
「泣くなよ。ミイラになっちまうぞ?」
テイルは揶揄いながら頭を胸に抱き込み、何度も髪を撫でてやった。
「貴方、が、生きていて、くれて、本当に良かった」
「まあそうだな。他人の運命を狂わせた挙句に、対象者の一人が死んじまったってなったら、悔やんでも悔やみきれないもんな」
バシリオスとの約束を、そのイヤミな一言でチクリと刺して済ますテイル。
「何もかも壊れていくようで、怖くて、どうにかしようとするのに出来なくて」
しゃくりあげながらも、レヴァントは繕う事のない思いの丈を言葉に乗せる。
「俺もあいつもお前のように未来を知る事は出来ない。便利でいいなと思っていたけど、そうとも言い切れないんだな。知っていても動いてはいけないのは、辛いな。
結果がこうなったけど、どうにかしたいと動いてしまったお前を、俺は責めきれない。例えばそれがあの子に関する最悪の未来だったら、俺は他の誰を犠牲にしてもそれを回避しようと動いてしまうだろうから」
「有難う、ございます」
「礼を言われることはしてないし言ってないと思うが?」
「理解しようとしてくれて。それだけで十分有難いです」
テイルの腕から出て、レヴァントは涙を拭きながら笑顔を見せて言った。
「そうか」
「はい。お陰で、覚悟が出来ました」
「?」
「あの方に、今度はちゃんと目を見て謝ってきます。信じてもらえなくても、許して貰えなくても、このまま捨てられるとしても。今の僕に出来る事をしてきます」
テイルはその姿に、思わず姿勢を正していた。背負う覚悟を決め、前を向く少年と向き合い、初めて一人の男として彼を認めた。
「ああ。行ってこい。追い出されたらここに来ればいいさ」
真剣に頷きその決意に背中を押すと、テイルは気負いすぎないように言葉をかけ送り出した。
「覚悟、か。強いな、レヴァントは」
バシリオスの元へ歩いていく後姿に心の中でエールを送り、ぽつりと呟いた。
「あんまり泣かすなよ? バルス」
手当の道具を揃え、来ない事を願った。
レヴァントはバシリオスの部屋の前に立って深呼吸を一つすると、扉をノックした。
「レヴァントです。起きていらっしゃいますか?」
「何の用だ」
「改めて、お詫びに伺いました」
「許す気はなくなった」
その言葉の意味に気付き、奥歯をきつく噛んだ。ゆっくり息を吐きだし、言う。
「はい。それでも、聞いて頂けますか?」
「……。好きにしろ。開いている。入りたければ入れ」
「有難うございます」
レヴァントは入室すると、その場で深々と一礼した。
「あいつに平手打ちを食らったのか」
レヴァントを一瞥して、頬が手の形に赤く腫れているのに気づいて聞くバシリオス。
「はい。最後の最後で信用を裏切った罰を下さいました」
「ふん。それだけで罰は終わったのか」
「はい」
「本当に甘いなあいつは」
「今回、僕は余りにも重い罪を重ねてしましました。個人の感情から偽りの先視を報告した事。未来を変える為に画策した事。その為に貴方様の大切なご友人を命の危機に晒してしまった事。そして、許して頂きたいと思っていながら、最後の最後で偽りを述べて、お二方を欺き終わりにしようとした事。
赦して頂きたいからではなく、今はただ、心から申し訳なく思っています」
そこまで言い、再び深々と頭を下げた。
「まだある」
「え?」
「テイルを命の危機に晒しただけじゃない。お前がそうやって未来を故意に変えようとしたせいで、賊の奴らは全員死んだ。人攫いを繰り返していた悪い奴らだから死んで構わないなんて思うなよ。人の生き死には天の定めだ。未来を視れるからといって、生殺与奪の権利が天から与えられているわけじゃない。それは、お前に限らず人全てに言える事だ」
重々しく口を開き、バシリオスはレヴァントにそう言った。
「はい」
「本当に理解するのは、まだ先だろうな」
レヴァントの表情を見て、バシリオスは責めるでもなく言う。
「俺に謝って氣が済んだら、荷物を纏めて何処へなり行くがいい。
お前の生き方を、支配して済まなかった」
最後の一言に、ハッと目を見開くレヴァント。
「どうして、貴方が僕に謝るのですか」
「保護していたつもりになっていたが、実際は支配だったと気付いたからだ」
静かに答えるバシリオス。
「僕は、戦争孤児です。負けた国の民。だから、僕を拾った貴方が僕を支配するのは当然です」
「お前は奴隷じゃない。それはお前自身が証明しているじゃないか」
「僕自身?」
「言いつけを守らず、嘘までついて自分の意志で動いた。奴隷はそんな事はしない」
「だから貴方は、あまり僕を鞭で打たなかったのですか?」
「叱るだけでお前は理解出来ると思っていたからだ。だから余程繰り返したり目に余った時だけ鞭を使った」
「信じて、下さっていたのですね」
「ああ。だからこそ赦せない。お前の犯した罪も、結果的にお前にそうさせてしまった俺自身も」
「なら、どうして今回は余程の事なのに僕を鞭で打たないのですか? そのお怒りを、僕に鞭の罰で晴らせば良いではありませんか」
「……。やはりお前にはまだ早いな。そんな事を言うようでは」
小さくため息をつくバシリオス。
「お前の先視の力は本物だ。外れた事がないからな。……二度と俺にその顔を見せるな」
最初こそキツい言い方ではあったが、次第に声の温度が変化していた。しかし、レヴァントの最後の言葉を機に空気が変わり、バシリオスはレヴァントとの別れを告げた。
バシリオスはメモ紙にレヴァントの名をペンで書くと、レヴァントに向かって見せながら、その紙を引き裂いた。
青くなり目を見開いていたが、裂かれて床に捨てられた紙を目にし、鞭で打たれた時のような顔をしてきつく目を瞑った。
やがて互いに無言で目を合わせる事も無くもともと少ない荷物を纏め、レヴァントは部屋を出て行った。
部屋を出たレヴァントは、真っ先にテイルのいる離れに向かった。
扉をノックすると、待ち構えてでもいたようにすぐに開けられた。
「お別れのご挨拶に伺いました」
「出ていけ、と?」
「はい。二度と顔を見せるなと。それから」
「まだあるのかよ?」
「もう、今までの名を名乗れなくなりましたので」
「は?」
「あの名前は、あの方がつけて下さった名前です。その名を書いた紙を、ご自分の手で破って僕に見せましたから」
血の気の引いた顔のまま、テイルに微笑みながら穏やかに語る。
「とりあえず、入れ。話は中でゆっくり聞くから」
内心バシリオスに対して唖然としつつ、レヴァントを落ち着かせようと入室を促す。
「ここにいたら、いつあの方がここに来るかもわかりませんから。もう、こうしてお話をする事も無いでしょう」
「こんな夜中に、泊るところもないだろ」
「先視をするまでもない。大罪人の末路は決まり切っています。遅いか早いかだけの事。お気遣いはいりません」
「例え大罪人であっても、生きている限り役目がある。自ら死を望むのはその役目を放棄する事だ。それまでの全ての物事を否定して尚且つ自分の役目をも自分で否定するのは、只の大馬鹿者だ。
生きている限り、自分を大切にしろ。バシリオスを未だにあの方と呼び大事な人と認識しているなら尚の事だ」
テイルはレヴァントの両肩に触れ、レヴァントに視線を合わせてそう言った。
「貴方はやはりあの方にとって必要不可欠の存在ですね。どうかあの方をいつまでも支えて差し上げて下さい」
まるで噛み合わないレヴァントに業を煮やしたテイルは、一つ小さく舌打ちをすると、レヴァントが抵抗する暇も与えず、無理矢理部屋に引き込んでベッドに腰かけると、自分の膝の上に腹ばいにした。
びっくりして慌てて抵抗するも、テイルの力に対抗するには反応が遅すぎた。
「うわぁっ! ちょっ、何ですかテイルさ」
最後まで言えずに息をのむことになった。テイルの利き手で、力いっぱいお尻を叩かれたからである。
「本当ならぶん殴りたいけど一回引っ叩いてるからせめてもの情けだ」
まだ終わりじゃないと言わんばかりに、手はレヴァントのお尻に当てられたまま。
「いくら言い聞かせても聞こうとしないガキには尻に叩き込むのが一番だ。たっぷりと痛めつけてやるから覚悟しろ!」
初めて見るテイルの激怒ぶりに、レヴァントはポカンとしている。信じられないという顔でテイルを見ている。
「俺だって人間なんだよ。優しくしてやれるのも限界があるんだ」
どこか悲し気に聞こえるテイルの声に、レヴァントはまた繰り返したのだろうかと悲しくなった。
「許すとか許さないとかじゃないぞこれは。理解して欲しいだけだ。お前に聞く耳があるならこんな事にはならなかったんだぞ。まぁ子供はそんなものだろうけどな」
「子供じゃないです」
精一杯の抵抗。
「じゃぁその証拠を見せろ」
「え?」
「子供じゃないなら暴れないで終わりにするまで泣かずに耐えろ。悲鳴上げるなとは言わないから」
「何でこんな格好でお尻打ちなんですか」
不満げに睨みつける。
「背を打つには値しない。尻で十分。罰じゃないから鞭も必要ない。それにこの方が俺も冷静に叩ける」
「打たれる理由がわかりません」
「だろうな。しっかり考えろ」
これ以上の会話は必要ないというように、テイルは再び大きく手を振り上げ、レヴァントのお尻に叩き込んだ。
辛うじて声を漏らさない事に成功したレヴァント。テイルは浸み込ませるかのようにゆっくりと加減なしに叩きつけた。
数度打ったところで手を止め、理由を理解したか問いかける。
「わかり、ません! だって僕は貴方じゃない! 貴方にはなれない! 僕はあの人に捨てられたら、もう生きている理由もない! こんな、こんな薄気味悪いバケモノッ!」
レヴァントは痛さを誤魔化す為か、叫ぶように答えにならない答えをし、最後には悲鳴のような声で自分をそう罵った。
テイルは憐みの視線を送った。
「ずっとそう言われてたのか、バルスに会うまで」
「当然でしょう、こんな力」
「……。ずっとお前のことが心に引っかかってた。やっと今のでわかったよ。似ているんだ、俺が探している子に。彼女もまた、父親にずっと呪いの言葉を掛けられ続けていたそうだ。情けない話、あの子が父親によって売られるまで知らなかったんだけどな」
「幼馴染じゃなかったんですか。そんな事になるまで気付かないなんて、最低ですね」
理由も分からずお尻を叩かれた腹いせのつもりか、笑って皮肉を言う。
テイルはそれに怒る事なく静かに返した。
「その通りだよ」
レヴァントはばつが悪くなって顔を正面に戻した。
「お前達と別れてから、あの子と姉妹の様に仲が良かった巫女と会って、彼女の事を色々聞いた。連れてこられた最初の日、知らないんだから仕方ないと思うんだが、規則に反したとかでお仕置きされたんだそうだ。その時な、あの子、スラスラと言ったそうだ。悪い自分にお仕置きをお願いしますって。普通なら嫌がって泣くとか喚くとかしてもおかしくない年齢なのに。巫女がその夜聞き出した事を教えられた時は、巫女の前だって事忘れて泣いてしまったよ。故郷にいた時、俺の知らない所で、彼女が父親に何を言われてきたのか、何をされてきたのか。
理不尽以外の何物でもない理由で痛めつけられていたにもかかわらず、自分が悪いから仕方ないと笑って言ってのけた彼女の心を正常に戻すのに十年以上かかったと聞いた」
「貴方には関係ない事だから言わなかったんでしょう? その子だって。言ったところで理解なんかしてもらえない、どうにか出来るわけでもない。まして同情や憐みなんて欲しくもない!」
吐き捨てるように半ば叫ぶ。
「そうだな。仕方ない事。知ったところでどうにもならない事。でも、過ぎ去った過去の事だけど知った。その時巫女に教えてもらったんだ。全てに意味がある事」
「は? あるわけないでしょう過去を今更知って何になると?」
嘲笑するレヴァント。
「意味はある。お前がさっき証明してくれたよ。俺は巫女じゃないし、俺もお前も男だしやり方は同じにならないけど」
「貴方の幼馴染と一緒にしないで下さいよ。僕は必要としてない」
「あの子もそう言って受け入れなかったそうだ。まるで、心を取り上げられてでもいるように」
「その父親が悪いんじゃない。その子が悪いんだ。父親の意に沿えなかったから酷い事されてただけの事でしょう」
自分と重ねているのか、嫌悪感を隠さずに言うレヴァント。
「理不尽以外の何物でもないとさっき言っただろ。沿えるわけがないんだ。だって彼の望みは男の子が生まれる事だから。女の子に生まれたという理由だけで、生涯虐待されて当然だと、そう言うのか?」
「大人の言う事は全て正しい。大人に認められなければ、生きてる事自体がが罪だ」
レヴァントが何処か違う所にいて話しているような錯覚を、テイルはおぼえた。
「死ねば良かったと?」
「虐げられるのが嫌なら、死ねばいい。死んだら認めてくれる。死んで見せてやっと自分の居場所が許される。いつまでも生きたまま存在を認めてもらいたいと思う方が馬鹿なんだ」
頭に血が上り、視界が赤く染まった気がした。無茶苦茶に目の前のお尻を叩きたい衝動を無理やり抑え込み、深くゆっくりと深呼吸をして、テイルはレヴァントに言った。
「じゃあ、何でお前は生きている? バルスに拾われるまでの間、何で死のうとしなかった?」
「しましたよ。何度も。でも死ねなかった。それで、ある日水鏡に映ったんですよ。皆が死ぬ映像が。成す術なく侵略され、殺される皆の姿が。だから何を言われても何をされても生きた。知った事を誰にも告げず、僕は一人で助かる様に準備したんです」
「それを告げる事で皆の死を回避出来れば、お前を認めてくれる人だって出来たかもしれないのに?」
「あり得ませんね。一度下した評価を、人はそうそう取り消したりしませんよ」
テイルの甘さに呆れるレヴァント。
彼の抱える闇の深さに眩暈がする。
テイルはレヴァントを膝から下ろして自分は立ち上がり、レヴァントにベッドにうつ伏せになる様に指示した。
テイルが席を外している間、ズキズキと痛み、熱を持つお尻に手を当て、少しでも冷まそうと試みる。
「ひっ」
思わず声が出て慌てて口を覆う。
テイルが戻ってきたのがわかり、手をお尻から外した瞬間、ピシッと強烈な一打がお尻を襲ったからであった。
「終わりとは一言も言ってないぞ」
「ごめんなさい」
低い声で叱るテイルに、しゅんとして謝るレヴァント。
「勝手に終わりと判断するなんて、反省どころか何が悪かったか思い至ることも無いという事だな」
暗に追加を臭わせると、レヴァントはシーツを握り込み、体を捻ってテイルを見ながら応じた。
「僕は、負けた国の民。モノと同じです。あの方が拾ってくれたから人として生きて来られたんです。そんなあの方に捨てられた。主を失ったモノが、人として生きてはいけないでしょう? まして大罪人。生きるより死ぬ方が皆も喜ぶでしょう?」
席を外して心を鎮めた筈が、一瞬で血が沸騰しかける。
「ほぅ。知らなかったな。負けた国の民ってのはモノなのか。奴隷となら聞いた事あるけどな。ついでに言えば俺もその負けた国の民の倅だが、奴隷扱いされた事なら何度もあるがモノ扱いされた事は一度もないぞ」
「何度もって、どういう」
「稼ぎもなく放浪なんて出来るかよ?
たまたま知り合ったオジサンに親し気に話しかけられて、流れで本読むのが好きな事を言ったら、好きなだけ読んでいいし、内容を話してくれたら金をやると言われ、変だなと思いつつ金に目がくらんでのこのこついていった。そしたら、そんな話は名ばかりで、実は隔離部屋に押し込めた病気の子の暇つぶしに面倒を押し付けられた、なんて事もあったぞ。その時はまだ若造で、故郷を飛び出して少ししてからだったから社会の現実なんてほとんどわかってなかったからな。ある意味貴重な体験だったぞ。
幸い約束通り金はくれたけど、物凄く屈辱的な事を言われて、汚いもの見る目で蔑まれながら金を叩きつけれた。地面に散らばった硬貨を跪いて拾えと命じられて、拾ったら嘲笑されて、追い立てられるように敷地を出された。「金は金、悪い事してない」と呪文みたいに繰り返し、二度と出身地を口にするまい、他人を信用するまいと心に決めた」
苦笑しながら話すテイルを、青ざめながら見つめるレヴァント。
「大きな船の荷物の上げ下ろしとかもやったな。炎天下で水を飲む事も許されないからふらふらするんだが、何人もいるのに良くわかったなと感心するくらい直ぐに背を鞭打たれるんだ。荷を落とそうもんなら殺す気か? って思うくらいめちゃくちゃ打たれる。まぁ激痛と引き換えに休めるけどな。気を失うまで打たれるからついでに少しだけど水も飲める。金はしっかり減らされるからあんまりおすすめは出来ないかな」
ゾッとする話を軽い思い出話のように言われて知らず震えるレヴァント。
「大丈夫か? 顔色、青どころか白いが?」
今気付いたとでも言うように心配するテイル。
「嘘、ですよね」
「信じたくないなら信じなければいいだろ」
否定も肯定もせずにそう言うと、肩をすくめて見せる。
「病気の子供は、元気になったんですか?」
「死んだよ。俺に有難うって言って、一人じゃないって嬉しいって泣き笑いして死んでいった。俺が連れて来られた時には医者に匙を投げられた状態だったんだ。それから2週間位だったかな。親に見捨てられ、独りぼっちで病気と闘ってた可哀そうな子だった」
「そうですか。でもその子は最期の2週間位は幸せだったのですね」
「え?」
「貴方のような優しい人にずっと傍にいてもらって、貴方に看取られて天に召されたのですから。自分の死を望まれて召されるのも、死の床にあるという理由だけで隔離され独りぼっちで召されるのも、悲しいですから」
「もし本当にそうなら、俺も少しは楽になれるよ。有難うな」
悲し気に笑うテイル。
「本当にそう思っただけです。……。僕はそういう現実の中に入っていくのですね」
「ああ」
「生きるためにお金を稼ぐ大変さも、出身地差別に耐えなきゃいけない事も、知っているつもりになっていましたけど、どこか、対岸の火事のように感じていただけだったのですね」
「置かれた環境が環境なら、今の今まで俺だってそうだった筈だ。ただそれだけだ。変に傷つく必要はない」
「本当に、貴方というお人は」
諦めたように小さく笑い、シーツに顔を押し付けた。
「さて、そろそろ尻の熱も引いてきたな。勝手に終わりと判断した分の罰だ。しっかり味わえ」
机の引き出しにしまってあった定規を以前見つけていたテイルは、それで打つことにした。ピタリとあてて無言の宣告をすると、飛び上がる程痛い所を一度だけ鋭く打つだけにした。
悲鳴を上げて、痛みを逃がそうとくねる身体を視界にとどめつつ、テイルはやりすぎたかな、などと考えていた。
「余計な分の罰は終わりだ」
痛みが落ち着いたころ合いを見計らって言う。
「ごめんなさい」
「それだけ痛がっていれば懲りただろう? ならいい。でも本題の方はまだ理解出来ないみたいだから完全には終わりじゃないぞ」
「はい」
「ずっとうつ伏せじゃ苦しいだろ。すぐに打つ気はないから横向きになってもいいぞ。尻に手をやりたければしていいから、話をしよう」
許可をもらい、レヴァントはゆっくりと態勢を変え、縮こまった。
「バシリオスを助けに行った時、俺、あいつにぶっ飛ばされたんだ」
「え?」
「なんでだと思う?」
「助けに来るのが遅い」
ほとんど間を置かずに帰ってきた答えに思わず吹き出すテイル。
「お前といる時のあいつって暴君なのか?」
「わ、わからなかったから」
顔を赤らめて言い訳するレヴァントの身体に掛け布をやんわりと掛けてやるテイル。余程恥ずかしかったのか、布を引っ張り上げて頭を隠すレヴァントを、テイルが更に笑ってからかう。
「別に俺は良いけど、真っ赤な尻見せる方が恥ずかしくないか?」
ますます縮こまって隠そうとするが、そもそも掛けた向きが短いので無理なのだ。が、レヴァントは気付いていないらしい。
いじやけたらしいレヴァントが、掛けられた布をばさりとはぎ取ってしまった。
ぶすっとしてそっぽを向くレヴァントに声を立てず笑って、テイルはすっぽり被さる様に掛け直してやった。
「揶揄って悪かった。ほら、機嫌直せ」
頭を撫でてやると、ジロッと睨まれ、パシっとはたかれた。
「分かった分かった。とりあえず聞いてくれればいいから」
本来ならレヴァントのこうした態度は許されないのだが、テイルはそれを許していた。
「俺をぶっ飛ばした理由はな、あいつを探す為に夢中になって、うかつにも敵に背を向けて大怪我を負ったからだ。刀に毒が塗られていて気付かないようになっていた事を差し引いても、俺が悪い。
殴られた時は分からなかったけど、心配かけた事だけは怒鳴りつけられて分かったから謝った。でもあいつは謝罪の言葉すら受け入れてはくれなかった。理不尽だと思ったよ。そりゃあ心配かけた俺が悪いけど、助けてやったのに何だよってな」
レヴァントがテイルの方に意識を向けている事に気付き、内心安堵した。
「あいつの気持ちがわかって、本当に心から反省できたのは寝てるしか出来ない間だったよ。考えるか寝るかしか出来ない時間がうんざりするほどあったからな」
苦笑するテイル。
「あの方の、気持ち?」
ぽつりと呟かれた言葉を逃さず掬い上げるテイル。
「ああ。俺のとった行動の結果、あいつにどれ程の不安や恐怖といった感情を抱かせたのか、っていう事だ」
「それは、僕のせいで」
「仕向けたのは確かにお前なのだろう。でも行動に移したのは俺の意志。まして戦闘中に判断をミスったのは他の誰でもない俺の責任だ。その結果としてあいつに心配かけたのだから、それについては責められるべきは俺であってお前じゃない」
言いかけたレヴァントの言葉を遮り、少し強い口調で言った。
「……。そんなに自分を追い詰めなくてもいいのでは? 貴方は自分に厳しい」
「その言葉、そっくりそのままお前に返す。
事実から目を背けても何も生まれない。一時の平穏と引き換えに、俺は多くのものを失った。その事実を知った時誓ったんだ。あるがまま、事実を事実として受け止めると。
自分を含め、誰かを責めても何も解決しないなら、例えその時は辛くても苦しくても、受け止めたうえで反省して、解決方法を探るなり次に活かすなりした方が余程有意義だから。それとな、もう一つ最近だけど受け入れたことがある」
「強いですね。何を、受け入れたんですか?」
「自分一人でどうにかしようとしても限界があるって事だ」
「テイルさんでも、ですか?」
意外そうに言うレヴァント。
「買いかぶってくれるのは嬉しいが、出来ない事は沢山あると思うぞ。第一、俺は先視の力なんてないし」
「それは、貴方の役割じゃないから」
レヴァントはそこまで言ってハッとし、口を覆った。
「そうだな。俺もそう思うよ。俺は俺の、お前はお前の役割がある。それでいい。必要な時に補い合えばいいんだ。情けないとか恥ずかしいとか心苦しいとかいろいろ考えて無理してみても、ないものはどうにもならない。かえって厄介な事態になりかねない」
「……。はい。今回の僕が、正しくそれですね」
「そうだな。でもお前は一つだけしなかった事がある。それは幸いだったと思う」
「何の、事ですか?」
「短刀。自分で手を汚してないじゃないか。理由はともかく、踏みとどまっておいてよかったな。でなければもっと辛い事になっていたかもしれない」
「今より辛い事なんてない気がします」
「さてどうだかな。まあいい。徹夜になってしまいかねないから本題に戻すぞ」
「え」
驚いて固まるレヴァント。
「おいおい何を驚いているんだ。凹むのはまだ早いぞ。本題からさっきずれた。俺を殴ったあいつの気持ち、お前わからないだろう?」
「あ、はい」
「あいつな、最初に目覚めた時泣いて謝っていたんだ。殴り倒すほど怒ってた俺に向かって。こんな事にお前を巻き込んで済まないって言ってた。本当はこれをお前に言うべきじゃないのかもしれないが、その時既にお前を捨てて、俺とも距離を置いて孤独に戻ろうとしていたんだ」
反射的に体ごと振り向き、腫れたお尻をしたたかにこする羽目になって小さく悲鳴を上げたが、驚きの方が痛みに勝ったらしい。
「僕の事は分かりますけど、何で貴方と距離を置かなくちゃいけないんですっ?」
「罰だと言っていたよ。結果的にお前に取り返しのつかない事をさせてしまった自分も、実行したお前も許せないからだそうだ」
「そんな……」
絶句するレヴァント。
「何故だかは知らないが、あいつはかかわった者すべてを抱え込もうとする。だからこそ約束事を破られたらそいつに厳しい態度で臨む一方で、より厳しい罰を自分に課そうとする。
本当は、この中の誰よりも孤独の寂しさを知っているのかもしれない。思い通りにいかないのを承知の上で、相手よりも自分に厳しくするのは、もしかしたら自分を嫌いだからかもしれない」
レヴァントは視線を下げ考えている。
「なぁレヴァント」
「はい」
「正直な所、今のお前の心の中に、あいつはいるか?」
「はい。捨てられても、消し去る事は出来ません」
「それは大切な人、という意味か?」
「大切? ……その繋がりを無くしたくない人がそうであるなら、そうです」
「気付かないか?」
「え?」
「その大切な人が、お前を大切だと思わないと本気で言えるか?」
「でも僕は罪を犯して捨てられたから」
「言っただろ? 相手より厳しい罰を自分に課そうとする、と。
これはお前の胸に秘めておいて欲しいんだが、あいつは俺に言ったんだ。お前の為に、罪を許さない者とその重みに潰れない様に僅かなり楽にしてやる者の二人が必要だと」
「どういう、事ですか?」
「分からないか? そこまでお前を大切に思っていないなら、それこそお前を捨てるだけでいい筈だ。目の前から消えろの一言で、後は顔を合わせない様にするだけでいい。俺にお前の負担が少しでも軽くなるように罰を与えてやってくれなんて頼む必要はないんだ」
初めて聞くバシリオスの意図に驚くレヴァント。
「捨てられても尚お前があいつを大切な人だと言ったように、あいつもまた、双方への罰としてお前を捨てても尚大切な者なんだよ」
うっすらと涙が滲む。
「大切な者が、自棄になって自分を粗末に扱っていると知ったら、挙句にその自棄が原因で死んだとなったら、どう思うかな?」
突然レヴァントは耳を塞いで体ごとテイルを避けようとした。
テイルはそれを許さず、手首を掴んで引き剥がし、体ごと向き直らせた。
抵抗するレヴァント。
「今逃げたらもっと苦しくなるぞ」
耳を塞げないように頬を手挟み強制的に上を向かせると、テイルは厳しく言った。
最後の抵抗とばかりに眉を寄せ目を閉じるレヴァント。それを見、テイルは声を噛み殺して笑った。
「お前は今、互いが互いを想い合っている事を知った。知った以上、知らなかった事には出来ない。どんなに耳を塞いでも心に蓋をしても無駄だ。何かを知るという事はそう言う事だ」
「何で放っておいてくれないんですか!」
「性分だ」
「お節介焼き!」
「そうかもな」
「貴方なんて大嫌いだ」
「別に構わないぞ」
「手を放して!」
「却下」
「僕の逃げ道を奪わないで」
「残念だったな。ちょっと遅すぎだ。俺は一度認めた相手が目の前で堕ちるのを黙って見過ごせない性格なんだ」
「僕の為だから見逃して!」
「今楽な方に逃げるのはお前の為にならないから逃がしてやらない。恨みたきゃ恨めよ。憎みたきゃ憎め。毒を食らわば皿までだ」
ギョッと目を開き、テイルの腕を渾身の力で撥ねつけるレヴァント。
「馬鹿ですか貴方は!」
「好きに思え」
「僕を絡めとらないで」
「蜘蛛か俺は」
流石に呆れた声を上げるテイル。
「貴方が辛くなるだけです」
「お前は鶏か? 二度は言わん」
「僕はフィリアさんじゃない」
「だから? お次は何だ?」
いい加減低レベルなやり取りに飽きてくるテイル。
「馬鹿にするな!」
「だって僕は、か? 遠慮するなよ。ほら言ってみろよ。全部無意味にしてやる。俺の知識と経験ナメるなよ?」
ギッと睨むと、レヴァントはテイルに殴りかかった。
「僕を馬鹿にするなぁッ!」
テイルは避けようとも止めようともせずに素直に殴られた。
至近距離からの渾身のパンチはかなりの衝撃だったが、テイルはそれでも歯を食いしばって耐え、苦鳴を噛み殺した。
「久しぶりにこういう痛みを味わうのも悪くない。見かけによらない、なかなかいいパンチじゃないか」
口端から血を滲ませたまま、テイルはニッと笑う。思わず体ごと引くレヴァント。
「何だよ? 褒めたんだから引かなくたって良いだろうよ」
テイルの笑みに鼻白むレヴァントを、面白がるように言う。
「避けられたでしょうに何で殴られて笑うんですか。何処まで人を馬鹿にするんですか!」
激怒するレヴァントに、テイルは冷静に応えた。
「感情を剥き出しにして、互いのちっぽけなプライドと思いをぶつけあって殴り合う。子供のころにしか経験できない貴重なもんだ。大人になると早々にはやらなくなる」
一方睨みつけ、全身で警戒しているレヴァント。
「拳を避けなかったのは馬鹿にしていたからじゃないぞ。お前の奥底に眠っていたものだからだ」
「何言ってる」
「村で大人からいじめられていたなら、取っ組み合いの喧嘩は出来なかっただろう? 違うか?」
「だから何」
「俺を殴って、今拳痛いだろ」
「こんな痛みどうだっていい!」
「そうか。じゃあ痛みを受けた甲斐はあったな。それは良かった」
にこりと笑うテイル。
「なんなんだあんた一体」
口調までもが変わっている。本人に自覚があるのかはわからなかったが、レヴァントが押し込めていたであろう感情の一部が発現した事にテイルは内心喜んでいた。
「自分の拳を痛めても、相手に一撃食らわそうなんて、大人になったら滅多に思わなくなるものだよ。代わりに自分の中で相手を切り捨てる。殴る価値もない、とね。お前は今、俺を殴ったその拳の痛みをどうでもいいと言った。つまりお前にとってさっきの一撃はそれだけの価値があったという事だ」
何かに気付いた風のレヴァント。
「やっぱり、僕はあの方にとってもう価値のないモノだ。だから捨てられたんだ」
「何故そう思う?」
「本当に分からないんですか? 僕はあの方から、鞭で打たれる事も殴られる事もなかった。もうそんな価値もないからでしょう! だから捨てたんだ。名前さえ取り上げて!」
「お前を捨てたのは、単純に、言いつけに背き嘘を吐き通して運命を故意に狂わせ、あいつが言う所の、『自分の役割を演じ』切れなかったからだ。体に痛みを残さなかったのは俺に痛みを伴う罰を与えて欲しいと頼んだからだろう。価値がないとはイコールにならない」
テイルは冷静に言葉を重ねた。
「名を取り上げられたことについてはよくわからないが。お前を解放したかったんじゃないのか?」
「僕はあの日、あの方に名前という新たな命を貰ったんです。
父の事も母の事も見殺しにした程見限っていたから、村の連中が苦しみ縋ってくるのが楽しかった。バケモノと罵って石をぶつけたり棒で殴ったりしたくせに、そんな僕に向かって助けを求めるのが滑稽で、僕はその手を振り払い足蹴にしていました」
テイルは苦いものを飲み込んだような顔で沈黙を守った。
「足蹴にされて、泣いて謝る者もいましたけど、許す気なんて微塵もなかったから、冷たく笑って死の瞬間を見ていました。そんな中で一人だけ僕に違う事を言った男がいました」
「違う事?」
「無事で良かった、と。早く逃げろ、と」
「まともな奴もいたんだな」
テイルは思わずホッとした様に呟いた。
「死の間際の父です。敵に接触してわざと捕まり、スパイ役として動いていたのに、そんな事に最期まで思い至らず、馬鹿な連中だ」
嘲るレヴァントの顔がまるで殺人鬼のように見えて、テイルは全身が総毛立った。
「だから言ってあげたんです。手引きしたのは自分だから逃げる必要なんてない。皆死んで僕だけ生き残る。僕の勝ちだって」
耳を塞ぎたい衝動を必死に堪えるテイル。
淡々と過去を語るレヴァント。
「びっくりしたようでしたけど、済まなかったって言って絶命しました。足でつついて死んだのかと呼び掛けても反応がなくて。気が付くと笑い声が聞こえて、やがてそれが僕の笑い声だと気付きました。建物の中だったのに雨が降ってて。そのまま床を濡らす雨のシミを見てました。敵の一人が近づいて来たことも気付かずに」
テイルは唇を噛みしめた。
「男は僕に剣を突き付けて僕も死ぬ様にと言いました。僕は恐怖もなく見上げて、手引きしたのは僕だと言いました。男はニヤリと笑って、だからこそだと答えました。自分の村を売った者が、今度は俺達を裏切らないとは限らないからだと。どっちみち死ぬ運命だったんだお前達は、と。だから、その時諦めたんです。これ以上生きる事を」
「でも、お前は」
「ええ。生きてます。男を斬ったのはあの方です。たまたま通りがかって、惨状に驚いている所に物音がしたんで生存者を探してたそうです」
「出来過ぎな運命の出会いだな」
「僕もそう思います」
「それで?」
「僕の顔を見るなり抱き締められ、生きていて良かったと言われました。だからそんな言葉を掛けてもらう資格はないと言いました。全部事実をぶちまけて、早くこの地を立ち去って下さいと言いました」
「全部?」
「ええ。全部ですよ。何もかも洗いざらい全部。虐待もいじめも自分の先視の能力も卑怯さも裏切りもです。あの方はもっと早く来ればよかったと嘆いていました」
「あいつらしいというか」
「出会いも別れも決められた事。どうしようもない事。だからこれが一番いい事。そう言ったのに、あの方は一度も首を縦には振らなかった。こんな者が生きていていい筈がないから殺して欲しいと言ったら、怖い顔で頬を抓られました。それから何も言わずに村の外まで引っ張って行って、川に頭を突っ込まれました」
「はっ? 溺死させるつもりだったのか? わざわざ?」
「僕も全く同じこと考えましたけど違いました。僕の顔を川に突っ込んで、そのまま素手でごしごしこすりだしたんです」
懐かしそうに、でも悲し気に言いながら苦笑するレヴァント。
「あー、成程そうきたか」
何を得心したのか大きく頷き言うテイル。
「息が出来なくて、体が勝手に動いて暴れると引き上げて、また川に頭を沈めてを繰り返し、やっと解放された時は文句を言う氣力もない程息も絶え絶えで」
「言われたんだろ。『まだ死にたいと言うのか?』って」
「当たりです。仰向けでゼーハーしている僕の顔を見て、言っていました。『少しはマシな顔になったな』って」
「子供相手に乱暴な」
渋い顔でいない相手に文句を言うテイル。
「それから、『それでも死にたいなら俺が名前をくれてやる。お前がその名を口にした瞬間、お前は死んでその名の少年が新たに誕生する』と」
「まあ、そうだろうな」
「そうやってくれた名を、あの方は」
唇を噛み、俯くレヴァント。
「結局、あいつもお前も全然成長してないじゃないか」
呆れかえってため息交じりにそう評した。
「何でそうなるんですか」
「答える気も失せる。自分で考えな」
「テイルさん?」
急に投げやりな態度に出たテイルに困惑するレヴァント。
「頭が痛くなってきた。二人して何やってんだか。ちょうど良い機会だから一人になって生きてみるのもいいんじゃないか? お前、まだ先は長いんだからあいつに振り回されなくなってせいせいすると思うぞ?」
「今の話で何であの方を悪く言うんですか」
レヴァントの抗議に肩をすくめて見せるだけで答えないテイル。
「あの方あの方あの方あの方、尊敬もしてないくせにまだ吠えるかよ」
「なっ!」
「とりあえず自殺行為に走らないならもういいや。お前の人生なんだ、好きにしな。
フィリアに対して酷い事を言った事に謝罪してくれればもうこれ以上俺は何も言わないし何もしないから」
「どう、したんですか?」
「お前を救おうとするのを諦めただけだ。ついでに言うなら、お前とあいつの縁が切れたからって俺との縁まで切れるわけじゃないんだから今度は自分で名前考えて教えてくれ」
「名前。僕の、名前」
呆然と呟くレヴァント。
「ウーティス」
ぽつりと呟いたレヴァントの言葉に複雑な顔をするテイル。
「それは人の名前ではないだろ?」
「そういわれても思いつきません」
「じゃあそれを人の名前っぽく変えればいいんじゃないか?」
「はあ」
「で? なんて名乗るんだ?」
「……。テイルさん、名前の一字頂いてもいいですか?」
「それ位は構わないが?」
「では、ルーティス、と」
「ふうん。ルーティス、ね。じゃあ俺の機嫌がいい時はルーと呼ぶから」
「会う事はないでしょうけど」
「嫌な言葉ばっかり吐き出す口はこれか。コレだな? よし、こうしてやるっ」
何処か寂し気に言うと、両頬をギュッと掴まれ伸ばされた。
「ヴーっっ」
「そういう事を考えなしにポンポン口にするな。誓うなら最後に痛い事して許してやる。誓うか? どうする? 因みに暴れて抵抗すれば痛いだけだぞ」
痛みに涙目になりつつ睨みつけるルーティスと一歩も引かずに睨み合い、根負けしたのはルーティスの方だった。渋々こくりと頭を動かす。
「よし」
テイルは確認すると両手を放し、すぐさま拳を作って、ゴンッといい音がする程強くルーティスの頭を殴った。
痛みに声も出せずに蹲るルーティス。
「痛ってぇ。お前石頭だな。こっちの方が痛ぇよ」
ぼやきながら手を振って、テイルはフーフーと手に息を吹きかけた。
「……せん」
「ん?」
「貴方の事も、あの方の事も、全然理解出来ない! ただ、苦しいっ」
「理解したいと思っていないからな」
「思っているから苦しいんです!」
「嘘だね」
「嘘なんかじゃない!」
「お前は俺達を理解したいんじゃない。ただ自分の中に在る真実から目を背けて逃げ続けたいだけだ。その為にあいつも俺さえも利用している。それだけだ」
「俺の中の真実って。何の事ですか逃げてなんて」
「無意識で逃げてるんだよ。お前の語ったエピソード、矛盾があったのに気付いてないのがいい証拠だ」
「矛盾なんか」
「もういい。俺はフィリアの姉巫女とは違うから、これ以上お前に関わってお前を救う自信はない。これ以上踏み込めば、俺は確実にお前を、お前の心を崩壊させてしまう。これは俺の逃げだ。卑怯だとどれ程罵声を浴びてもきっと足りない、それこそ不誠実だ。本当に最低な男だな俺は。それでも、お前を壊したくないから逃げる。代わりにお前に謝罪も求めない」
「何だよ、それ。もう十分土足で踏みにじっておいて、今更ふざけるな!」
「本当にその通りだ。済まない」
「謝るな! アンタも同じなのかよ。アンタも村の連中と同じなのかよ! 俺を引っ張り出しといて今更逃げんなよ。逃げないでくれよ。俺を、僕を、ちゃんと見てよォッ!」
血を吐くような叫びが部屋を満たした。
作中で言った「ウーティス」というのは、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、ギリシャの叙事詩「オデュッセイア」に出てくる言葉です。オデュッセウスがキュクロープスに名乗った名前で、テイルが言ったように、実際には名前ではありません。「誰も~ない」という代名詞です。
レヴァントが、そう名乗ったのは「名を取り上げられた自分はもう何者でもない」という意味合いです。