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帰らざる巫女の物語

作者: たかよしお

序章 


 眠り病が全土を襲っていた。不意に発生したこの伝染病はまたたくまにコロニーの一都市と二十村落に広がり、祖先の遺産を使った賢者たちの必死の研究もむなしく人々は介抱するものもなく斃れていった。

 最後の一人はどうにかある程度症状をおさえる薬を見いだし、自らに処方した若き賢者だった。もう誰も動かない死の町をさまよった彼は、町外れで絶望にうちのめされ、病気に抵抗することをやめた。

「なんだ、あれは」

 もうろうとした意識の中で彼が最後に見たのは、霧の森からぞろぞろと現れた見たこともない人影だった。


「…みこ、イツキ媛の巫女」

 イツキは目をぱちりとあけた。夢だったのか。彼女は大きくのびとあくびをした。

「また夢ですか」

 年の頃は同じくらい、つまり髪上げからそうたってもいない少女が敬語で端座していた。

 隣家の娘で幼なじみ、そしてイツキの役割を知る限られた人物の一人である。

「ええ、おつとめのあとはいつも変な夢を見るわ。すぐ忘れるけど」

 もう忘れ始めている夢のことを彼女はむなしく記憶にとどめようとしていた。

 もうだめだ、いくつかの断片的な印象しか残っていない。

「ご飯の支度ができてますよ」

「ありがとう」

 小さいころは遠慮もなかったし、どこかよそよそしい目でもなかった。イツキはいつものことだがため息をそっと吐いた。幼なじみの目にやどるものを正しく理解できるほど彼女は人間を知らない。知っていればそれが親しみと畏れと羨望と嫉妬の交互にわきおこる乱流と読めたはずだ。だが、これは本人すらも自覚していないことである。

 イツキは特別だった。

「きょうはみんなで織物の日だったね」

「だから急いで食べてね」

 少女は傍らのバスケットをあけた。麦粥と干し肉のあぶったもの少々、それに摘菜のあえものがはいっていた。

 村の中では彼女も表向き娘衆の一人にすぎない。仕事はみなと同じようにする。

「そういや、あんたの晴れ着を作るんだよね」

「ええ」

 ぽっと少女のほほに花がさく。次の収穫のあとで結婚がきまっていた。小さいころは彼女が兄のようになついていた青年だった。

 いいなぁ、イツキはうらやましく思う。彼女にそんな相手はいないわけではなかったが、その男は少しすると遠くの別の村に婿養子に出されてしまった。最後は口をきくのも許されなかった。

 イツキは特別だった。イツキの媛巫女と呼ばれるのはそのためだ。「おつとめ」がちゃんとできるものは彼女くらいしかいない。

「あ、そうだ」

 少女はふいに思い出したように話題を変えた。

「昨日、変なのが村にきたんですよ。中央世界人らしいですけど、あんなの見た事ない」

「へえ、あとでみにいっていいかな」

「一緒にいきましょう」

 好奇心にきらきら輝く目で少女はいった。


第一章 九十九


 中央世界人とは中央世界と呼ばれる広大無辺の情報、物流組織に属する人間である。中央世界がどういうものかピンとくるものは誰もおらず、その前に長年便利な道具やよくきく薬を売りにきていた貿易商人の最大の仕入れもとというだけの理解だった。最高責任者である委員長だけはよくわかっているらしいし、委員を構成する村長たちも語らないだけである程度はわかっていた、

 貿易商人の勧めで今日の惑星ミドガルドは中央世界に所属することになったらしい。所属といっても中央世界側の責任者である星令と補佐官二名、それに何人かが派遣されてきただけでものごとは委員長と委員会にはかってすすめている。それでも鉄道が敷設され、神聖な森におおわれていない島と海洋の開発がすすみ、生活の便も少しずつ向上し、そのことに不満を覚えるものはいない。

 しかし、変化は望まれないものも含む。イツキの「おつとめ」は頻度がさがっているし、それは求められることが減っているということで、さらにその数をあきらかにされていないが、隣家のように神職を勤めるものもどうも減ってきているようだ。その理由は、よりよい仕事をもとめての転居であり村にはちらほら空き家も目立ってきている。隣家の娘は結婚後はその一つに移り住むことにして時々鼻歌まじりに片付けや手入れをやっていた。

 時代の新しさに反発する者は、中央世界人に奇天烈な姿の者があることもあげている。中央世界は高度な技術を持ち、生身でないものも少なくない。

 古い時代に愛着するものは、それが嫌悪感となって味方してくれると思っていたが、意外やミドガルドの人々はそれになれてしまったのである。理由はいくつも考えられるが、彼らがどこか人間らしいものをもっているのも寄与しているのであろう。

 そして、今彼女たちの村にやってきたのは一等奇天烈な中央世界人であった。

 細長いつるつるの卵にたがを二つはめ、そこに手と足をつけた姿。少しでも人間に近くと思ったのか、シルクハットをかぶり、にこにこと笑う翁の面をつけている。最初に見たときはイツキも隣家の娘もさすがに凍りついた。しかし、その動きはユーモラスで、本当にすぐに彼女たちは慣れてしまった。

 その中央世界人は村の古老をあつめて伝説、伝承を聞きとっているようだった。録音機とおぼしき機械をおき、ユーモラスな仕草と言葉で競うように伝わる話を引き出していく。

「あれ、昔聞いた話と違う」

 集まった村人の輪の外で隣家の少女が眉をひそめた。

「あのばあちゃん、忘れるから作っちゃってるみたいね」

 イツキは苦笑し、熱心に聞き入っているように見える中央世界人に同情した。今日彼の集めている話の半分は今ここで脚色されたり、作り足されたものなのだ。

 しばらく眺めてから彼女たちはうなずきあってそこを離れた。寄り道した分、帰れば忙しい。

「中央世界人って、あんな姿で恋とかするのかしら」

 隣家の娘がそんなことを聞く。

「ものすごく長生きだって話だから、あの人も中身はお爺ちゃんなんじゃないかしら」

「そっか、孫のいる年かも」

「体がきかなくなったから、あんな姿なのかも知れないね」

「そんなにまでして長生きしたいかな」

「あの人はなんだか楽しそうだったからいいんじゃない」

「そうね」

 家の前につくと、隣家の娘は急にあらたまって深々とお辞儀した。

「それでは媛巫女様、またあした」

 イツキは会釈で「ごきげんよう」と返す。あまりなれなれしくするなと彼女が家人にいわれていることは忘れていなかった。

 イツキの家には養父である伯父しか住人はいない。伯父は鉄道で働いているので、家にいないことが多く、おつとめの翌朝のような特別な時を除いて家内を整えるのは彼女の仕事だった。

 いろいろやることを頭の中で整理しながらさあやるぞ、と彼女は玄関をはいった。

「いやです」

 それから二時間後、彼女は激昂していた。

「そんな私的な理由でおつとめするなんて許されるはずがありません」

 食って掛かる相手は立派な髭、どっしりしたたたずまいの村長。この威厳ある人物に突っかかるなど、昨日の彼女にいっても信じはしなかっただろう。

「あまつさえ、外からとはいえよそものが機械で覗き見するなど」

「まあ、そういうな。このことは委員長もわしも許しておることだし、長老衆もしぶしぶだが受け入れた。そなたに何も言わずに進めてもよかったのだ」

 イツキはぐっと飲み込んだ。なるほど断りをいれるだけでも誠実といえよう。

「なぜ、お許しになったのです。これは冒涜ですよ」

「そうだな、少し長いが話を聞くかね」

「はい、是非にも聞かせていただきます」

「先日、最初の世代のころの記録が再現されたのだ。そなたは知るまいが、委員会議事堂の地下には祖先の記録装置が眠っていたのだ」

「あの技師の人ですか」

 村から村へ巡回し、いろんなものを修理して回る中央世界派遣の技師がいる。朴訥だが誠実善良な人柄で、イツキも伯父よりもらった先祖伝来のオルゴールを直してもらったことがある。そのオルゴールははるかなる世界より星の世界をわたって彼女の先祖が持参したものだという。

「彼と、あと何人かがかりだったそうだ」

「その記録がなにか? 」

「のうイツキよ。われらは森とともに生き、森の許しのある所の木だけを使い、死ねば樹上に葬られる。それが当たり前よな」

「ええ、それが? 」

「その記録には森を焼き払い、あるいは機械で乱暴に伐採する先祖の姿があったのだ」

「まさか。何か間違ったものをご覧になったのでは」

「それはありえぬ。人は伝承と、建物は今も残るものと一致する」

「見てないものを信じることはできません」

「わしが確かめたのだ。嘘ではない。わしだけではない。皆同じだ。それを信じたかったものなど誰もおらん」

 イツキは口をつぐんだ。

「その記録の最後の日付の翌々日から委員会の手書き記録が残っているのだが逆算すると二十年ほどあわないらしい。その間、村も町も無人であった痕跡も彼らはみつけたといっている」

「誰もいなかった? じゃあどこから戻ったと」

「なにがあったか、わしらは知りたい」

 イツキは村長の顔を見た。答えはもう知っていると彼女は思った。

 自分と同じだ。森から戻ってきたのだ。

 イツキの母は夫の暴力に堪え兼ねて乳飲み子の彼女を連れて森にはいった。森にはいるとはミドガルドの者にとっては自殺を意味する。自分で自分を葬ってしまうのだ。

 だが、彼女は森から返された。取り替え子と呼ばれる。

 だから彼女は特別なのだ。媛巫女などと呼ばれる所以である。

「わかりました」

「すまない」

「一つだけ教えてください」

「なにかね」

「おつとめのこと、誰が彼らに教えたのです」

「そうだな、これからうちにこんか? 」

「なぜです」

「中央世界人を款待する晩餐を行うのだが、やつは食事はいらんらしい。わし一人で食べながら話すのも面白くないのでな、そなたにも相伴してほしいのだ。その席で中央世界人にたずねるが良い」


「九十九ともうします。中央世界の一つ、球殻世界の大学に所属する研究者です」

 中央世界人はシルクハットを手にとって、倒れない程度に体を傾けた。腰がないのでいろいろ不便なようだ。

「はじめまして。イツキです」

 どこから声がでているのだろう。ほがらかでよくとおる声に少し警戒感を覚えながら彼女はお辞儀した。この異形の人間、とよんでいいのかわからない者は距離をつめるのがうまい。彼女は一度だけあった実父を連想して固くなった。母を森にはいるほど追い込んだ暴力の主は、意外にもこんな感じだった。母は騙されたのだ。

「ささ、座って」

 主である村長が席をすすめる。隣室で待ち構えていた村長の家族が、それぞれの座に善をすえた。イツキのところに置いてくれたのは村長の下の娘だ。イツキより五つほど若い小さな娘には織り方や編み方などいろいろ教えたことがある。神妙な顔をしているが、去り際に「ごちそうよ、たのしんでね」とささやいていった。

 食事は確かにごちそうだった。内陸の村で海産物はたいていごちそうなのだが、そういうときに出る小魚の干物ではなく、おおぶりの魚のひらきだった。森のハーブと煮込んである。匂いだけでおなかがなる思いだ。

 幸い、会話は村長と中央世界人の九十九で進められ、海洋開発の話から農産物の価格、作柄のはなしなど如才がなく、イツキはしばし食事に夢中になれた。

「ところで、このイツキが九十九さんに聞きたい事があうそうです」

 そういう話題がひとくぎりついたところで、村長が彼女に話をふった。

「ほう、なんでしょう。答えられる限りお答えしますぞ」

 あわてて口元をふいて彼女は姿勢をただした。

「九十九さんは、どこで知りましたか」

 違う、これじゃ何をいってるのかわかるわけがない。イツキはあわてて言葉を足した。

「その、のぞこうとしてるあれを」

 いくらなんでも緊張しすぎた。軽いパニックを起こしている彼女に九十九は「なるほど」と返事した。

「では、あなたが巫女なのですね」

「九十九殿、そのことは公にはしておらぬこと」

 村長が釘をさす。

「わかりました。おたずねの義、理解できますのでお答えしましょう。今日、村のご老人から話を収拾しておるのは見ましたね」

「はい」

 見てたのか。イツキは九十九の「目」がどこにあるのか知らないことに気づいた。そのお面でないことは確かだ。彼女と同じような見え方ではないのかも知れない。好奇心がうずいた。

「あんな感じであちこちで話を収集、分析したのです。その場で作った話も、何もないところから出てくることはない。十分な数を集めれば見えてくるものがあります。これにいろんな観測データを重ねればおのずと」

「驚きました」

 イツキは素直に感心した。ばあちゃんたちの与太まじりの話もこうして裏を読み取っていく材料としているのか。彼女の中のうずうずはまた強まった。

「おつとめ、を行うあの場所は、いくつかの村と森の中に何カ所もあります。森の中のものはほぼ均等に分布しているのが面白いですね。それに比べると村のものはやや不自然な配置です。意図を感じるところが興味深い」

「ところで」

 イツキはひっかかるものを感じて言葉をあらためた。

「何がおきているかがなぜわかったかはわかりました。では言葉はどこから拾ったのです? 知らない人は使わないし、知ってる人は避けると思うのですが」

「おっと、これは」

 九十九は大げさに驚いた仕草をした。わざとらしい、とイツキは眉をひそめた。

「実をもうせば、村の伝統的なくらしを嫌って離れた人たちに推論を話して補足をしてもらったのです。彼らの名誉のために言っておきますが、積極的に話すつもりは彼らにありませんでした。私が知ってることを話して無理矢理聞き出したのです」

「中央世界人ってのはそういうことばかりしているのかな」

 不機嫌な声で村長がたずねた。

「申し訳ありません」

 九十九は頭を下げた。もちろん体を傾けただけなのだが。

「まぁよい。わしらも知りたい。だが、知らんでもいい。知る必要もないという者も少なからずおるということを忘れんでくれ」

「心します」

 村長は小さくうなずいた。イツキは小さく安堵の息をはき、九十九の顔がわりの仮面を見た。

「もう一つ聞いていい? 」

「どうぞ」

「何か調べるようだけど、外からでわかるものなの? 」

「そうですね。わからないこともあります。それを知るためにあなたの体にセンサーをはりつけ、カメラと計測機器を十ももちこむのはさすがに控えます。今回知りたいことはそこまでする必要のないことですから」

「中の様子はみないの? 」

「見えませんよ」

「ふうん」

 見ない、ではなく見えないと答えたことにイツキは感心した。

「質問は以上です。機会をいただきありがとうございました」

 彼女は村長にお礼を言った。村長は鷹揚にうなずいた、

「あすの夜。頼めるか」

「わかりました」


 おつとめ、とは一種の降霊会である。巫女、かんなぎと呼ばれる者が祖先や故人の霊と交信し、知恵や答えを持ち帰る。重大な事案のあるときに行われることになっている。

 今回は、客死した若い村人の遺言を持ちかえるという目的になるが、そんな私的な理由では通常は行われない。ただ、真相のあいまいな殺人でもあれば別ではあったが。

 イツキは控えの間で薄衣一つで支度がすべて整うのを待っていた。ずいぶん昔に貿易商人から仕入れたという風呂桶にお湯が桶で満たされて行く。忙しくたちはたらいているのは二人の中年女性。一人はイツキより前に巫女を勤めていたという。交信のイメージがイツキにくらべるとぼやけていて、本人はやめたがっていたらしい。森からかえってきた取り替え子はその点、恐ろしいほどはっきりしたメッセージを持ち帰る。

 イツキは一度、自分と彼女の交信中の様子を聞いてみた。彼女のイメージは霧の谷で対岸と会話しているようなものだという。ずいぶん違うとイツキは思った。

「だって、里の者は死ぬまでちゃんと森にはいれないのだもの」

 自分は里の者ではない、そういわれてるように感じる言葉だった。

 イツキは自分が大事にされていることを知っていた。それが巫女としての能力の高さばかりでないこともわかっていた。しかし、ときどきどうしようもない疎外感を覚える。

「準備できたよ」

 さめないよう風呂桶に蓋をおいて元巫女が言った。イツキは薄衣をするっと脱ぎ落とすと垂れ幕にしきられたドーム状の部屋へはいった。

 それは巨大な木のウロだった。ウロというのは色々な原因でできるが、これはまるでそのように整形したように空間をのこして樹木の繊維がそとにふくらみ、中心には樹液がなみなみとわいてどういうわけかほのかに輝いている。黄金色だ、深さは膝上ほど。広さは横臥できるくらい。

 イツキはその樹液のプールに身を沈めた。あまり人にみられたくない格好だ。

 だから、中を覗かれるのは少しいやだった。

 樹液は生暖かく、風邪をひく心配はない。つかると眠気が襲ってきて彼女は意識を失った。


 どこか見覚えのある室内でイツキは目を開いた。

 彼女の家、彼女の部屋だ。だが、違う。家具の配置と小物たちが同じではない。これはなんだか今の彼女より少しだけ年長の若い娘の部屋のようだ。起き上がった彼女は、自分が家でいつもきていた村の普段着をきていることに気づく。

 実はここまではいつものことだ。

 かたん、と音がした。扉があいている。

 部屋の主らしい若い娘がはいってきた。いまのイツキより四つ五つ年長か。面影は伯父ににているし、自分にも似ている。美しい娘だった。イツキににっこり笑みを向ける。

「こんにちは。母さん」

 イツキは固い声で挨拶した。母は森にはいったときの年齢のまま。違うのは夫の暴力の残した痣ややつれた顔がすっかりなおっていること。

「ここでは、いやなものは消しておけるの」

 最初にあったとき、母親はそう答えた。ここは冥府だ。イツキはいつも少し憂鬱になる。

「今日、葬儀で送られてきた人がいると思うのだけど、その遺言を聞いてきてくれって」

「あらまぁ、そんなにすぐだとまだぼうっとしてるかも」

 ついてきなさい、母親は手招いた。

 家の外は霧深い薄明の村だった。誰の姿もないし、このほの明るさが夜明けなのか日没なのかもわからない。一軒の家の前で母親は足をとめ、彼女に中にはいるよう促した。

「外でまってるわ。相手の名前をしっかり念じてはいりなさい」

 この家は訪れたことがあるが、入ると間取りがまるでちがった。いきなり子供部屋と思われる部屋に出たのである。その真ん中に呆然とした様子で青年が座り込んでいる。葬られた若者だ。

 知らない仲ではないが、特に親しかったわけでもない。青年の、自分が死んだ事が理解できていない様子に彼女は悲しみを覚えた。

「イツキ、ちゃん? 」

 青年は彼女に気づいた。

「僕は死んだの? 君も死んだの? 」

「あなたは死にました。わたしは生きています。巫女です」

「僕は死んだ」

 青年は膝をついた。と思うとおどろくべきすばやさで彼女の手をつかんだ。

「たのむ、連れてかえってくれ。まだ死ぬには早い。ここは薄暗くていやだ」

 彼女は首をふった。

「あなたはもう葬られた。あなたには帰る体もない。私はあなたの言葉だけしかもって行けない」

 ごめんなさい、と言うと彼女の手をつかんだ手がそっと離れた。青年は顔をおおって泣き出した。

「伝えたい事。伝えたい相手はいませんか? 」

 イツキはそう尋ねた。

 しばらくたって、家を出たイツキは霧の中、母とひそひそ話をしている人影二つに気づいた。

 いつもは他の人はいない。珍しいことである。

 彼らは彼女に気づくと話をやめ、一斉にこちらを見た。母と、意志の強そうな三十すぎの男と、穏やか顔のなかに強い光を秘めた瞳の老人。三十男はどこかで見た覚えがある。

「巫女殿。ちとよろしいか」

 老人が話しかけてきた。この冥府の住人が積極的に働きかけてくるのは珍しい。

 祖先であり失われた知識を担う故人であれば巫女としてはおろそかにできない。

 イツキはぺこりと頭をさげた。

「はい、まだ大丈夫です」

「中央世界とやらについて、わかる範囲で教えてもらえまいか」

 どこでその名前を知ったのだろう。イツキはびっくりした。

「よくご存知ですね」

「聞かせていただく内容によってはお願いごとがあるのです」


「それで、こうなったのですか」

 鉄道のコンパートメントで、九十九はななめにごろんともたれたまま旅装束のイツキと話をしていた。腰のまがらない彼はそのまま座面にのるとつっかえるのでそんな苦しい姿勢をしているのだが、本人はとくに苦にはしていないようだ。

 彼女はおつとめでみたものを九十九に乞われて話終えたところである。

「伝言の内容は教えられません。星令さまに直にいうよう申し渡されました」

「村長はともかく、君の周りの人たちは反対したのではないですか? 」

「みんな反対でした。でも、大婆様が仕方がないと説得してくれました」

「大婆様というのは? 」

「長老は四人いるんですけど、その中で最年長の人です。村長が子供扱いですからいったいいくつなのかわかりません。さすがに足腰弱っているので滅多にでてこないのですがそのときはいらして」

「なるほど」

 列車ががたんと止まった。自動制御なのですれ違いなど運転調整のためなのだろう。そのときをまっていたように通路の扉が開き、素朴な弦楽器を下げた初老の男が現れた。

「旅の慰めに一曲いかがでしょう」

 よくとおる声でそう言うと、楽器をかきならし少し哀調を帯びた歌を歌いながら通路をゆっくり歩いてくる。彼のポケットに他の席の乗客がおひねりをねじこむ。男は歌はやめずにっこり微笑む。

「行きの列車ではみませんでしたが、あれはなんです? 」

「遍歴詩人です。列車で流しているのははじめてみました。だいたい村から村へ放浪してるんですが、最近はあまりみかねなくなりました。いま歌ってるのはラダ一世頌歌ですね。今の委員会制度を作った人を讃える歌で、知恵と勇気で難問奇問を乗り越えていく話です」

「ほほう。それはそれは」

 詩人が彼らの席にやってきた。九十九を見てぎょっとする。少しぶれたが歌は中断しなかったのはさすがか。イツキはそのポケットに用意した小銭を落とした。なんでこんなのと一緒なんだ、と詩人の目が質問していた。

「あなたの歌は興味深い。どちらまで行かれるかわかりませんが、いつかありったけ聞かせていただけますか。もちろんお礼はします」

 詩人は歌いながらかぶりをふり、次の車両へと姿を消した。

「嫌われてしまいました」

 九十九はがっかりした声だった。

「こわかったんじゃないですか」

「こわかった? 」

「中央世界人ってご自分の奇天烈ぶりに無頓着だから」

「ああ」

 九十九は笑ったように見えた。

「確かに私は中央世界市民の中でも一風かわっていますね」

「どうしてそんなお姿か、さしつかえなければ教えてほしいです」

「順を追えば少し長い話になりますよ」


 人間の体には回復力がある。ある程度の損傷は修理してしまってほぼ元通りの機能を回復する。しかしそうでないものは代替物に置き換える。すなわち義手、義足、義眼。

 最初はそれらは生きたそれのようには機能せず、つっかえ棒や見た目を異様にしないためのものでしかなかったが、技術の発展はやがて機能するものを生み出し、代替できる範囲もどんどん広がっていった。すなわち臓器、神経、感覚器である。

「背骨を折った人をみたことがありますか」

 イツキはかぶりをふった。

「体を動かすための仕組みに損傷がはいると、体の半分が動かなくなったりするのです。昔のミドガルドではそう言う人は生きたまま樹上に葬ってしまうこともあったようです」

「そんな」

 しかしありえない話ではない。森にはいることは安らぎにおもむくことという感覚がある。つらい生より安らかな死を選ぶことは本当にありそうだ。

「中央世界が生まれるずいぶん前にこの脊髄損傷を修復する技術が生まれました。この技術はやがて脳の損傷まで直せるようになったのです。いつの話かわかりませんが、順次入れ替えて行った結果、人間の魂がやどると思われた大脳をふくめてすべて人工物になった人物が現れました。さて、この人は人間でしょうか」

「わからないわ」

「そう、わからなかったのです。人間らしさという漠然としたものに対する研究にはずいぶんながい年月と議論が費やされました。やがて、人間性というのを数学で解析しきった天才が現れました。この人の式はまだおおまかなものでしたが、人間であるかどうかのテスト方法が生まれたのです。全身人工物となった人間のほとんどが人間と認定されました。認定されなかった者は治療を加えられました。医療ミスと判断されたからです。以後、この研究は複雑怪奇に体系化し、いまでも続けられています」

 ここまではいいですか、という質問にイツキはうなずいた。

「わたし、人間ってあたりまえに人間だと思ってました」

「そのあたりまえさはとても尊いものですよ。さて、ここまで来ると次になにがおきたかわかりますか」

 イツキは首をふった。突拍子もない世界だ。

「まず、暫時入れ替えによらない移植技術が開発されました。事故で瀕死の人間から予備の体に緊急移植することが可能になったのです。漠然とではなく、確信をもってその人物は移植されたといえるようになりました。そしてふたたび議論が再燃したのです。見当がつきますか? 」

「え、ええと」

 ぐるぐる混乱する頭でイツキは一生懸命考えた。

「間違えて二つの体に移植したらどうなるかとか? 」

「いい線です。ですが、さきほどの数学的解析がどちらが本物かを判定できるのです。しかし、問題は偽物のほうです。彼は、彼女は人間なのでしょうか」

「数学でわかるのでは? 」

「その通り。そして彼らはだいたい人間なのです。別の問題もおきています。中央世界はいくつかの特徴的な世界を核としていますが、その一つ概念空間はこのころに生まれました。実体のない世界です。ここに移り住むこともできるようになったのです。何も本物の肉体である必要はないという人たちがこぞってここに移り住みました。彼らも数学的には人間です。そして、概念空間で自分たちの数式を組み合わせて子供を作ったのです。実体をもったことのない人間です。さて彼らを人間として認めてよいか」

「あの」

 イツキはふとうかんだ疑問を口にした。

「そうなると誰も彼も死ななくなるんじゃないでしょうか? だめになってくれば乗り換えていけばいいし、その概念空間とかでは朽ちるからだもありませんし」

「実はその点はあまり問題ではないのです。人間を数学的に捉えたとき、永遠に存続する事はないということがわかっています。それでも十分長命ですが、同じもののない人間という存在はそこまでということもわかっています。あとには壊れたて分裂した精神の名残が残るだけ。それも最後にはただのデータとなって動かなくなります」

「なんだか怖い話」

「普通はそのまま思いのかけらとなって飲み込まれて行くのですが、まれにそのかけらに、そう魂というべきものが宿ることがあります。人間としての完全性を獲得した、そんな人間が本当にまれに現れます。人間と証明されればその存在は市民権を得ます。しかし彼もまた概念世界のミームチャイルドと同じ実体のない人間です」

 ここまで、ついてこれましたか? と九十九はきいた。イツキは正直にかぶりをふった。

「体を持たずに生まれてきた『人間』がいるらしい、ということだけ」

「自分で捨てた人ならともかく、始めから与えられなかった人間はどう思うでしょう」

 すがりついてきた青年の姿が目に浮かんだ。

「自分の体をほしがるかもしれませんね」

「私は入滅したとある学者の、執念から生まれました。その学者の研究を引き継ぎ、研究対象に自分を移し替えたのです」

 九十九はこんこんと自分の頭を叩いた。

「この体は人間でない種族の残した情報処理装置です。仕組みを知りつくし、勝算を得て冒険にでました。執着から生まれたのですから、当然の行動でした。いまとなっては少し狂っていたのではないかと思います」

 この人はからかっているのだろうか。イツキは判断できず、押し黙っていた。

「実験は成功し、論文は学位となって戻ってきました。こうなったことを後悔はしていません」

 顔のない中央世界人が微笑んだように思えて彼女は目をこすった。


第二章 海へ


 列車は旧都とよばれる町にすべりこんだ。ここには委員会議事堂があり、市場があり、職人たちがすんで需要に応えるようになっている。中央世界はここに病院と工房を建てた。旧来のミドガルドの経済は、あいかわらずここを中心に巡っている。

 列車ではここまでしか来れない。

 ここでイツキはあらたな中央世界人にあった。

 技師にはもう何度もあっている。医師も一度巡回検診にやってきた。そうではなく、彼女があったのはパワープラントの管理棟にいた補佐官の一人だった。

「ワットとよんでください」

 猫の顔をした精巧な人形がそういって優雅に会釈するのを見て彼女は本当にびっくりした。九十九のように形の変なのばかりではなく、大きさの異なるものもいるのか。

「プロトコルデバイスは初めてみましたか」

「なんです、それ」

「コミュニケーションを行うための装置です」

「と、いうことはこれはあなた自身ではない」

 どこに隠れているのだろうときょろきょろするイツキに、猫人形はおかしそうに腹をかかえる。

「いませんよ。私の本体は軌道上です。あらゆるところに散らばった自分の端末にアクセスし、ほぼ同時に操るのは得意なのです」

「それは器用ですね」

 よくわからないが、すごいことだ。

「さて、九十九博士から話は伺っています。うちのボスに直接あって伝える言葉を預かっておられるとか。直接、というのは中央世界では実はなかなか大変なことで、話はいくらでもできても相手ははるかなる星涯にいたりすることもあれば、概念世界のレトリックの海を正しくかきわけていかなければ出会えなかったりするのです。幸い、ボスは軌道上のステーションにいるのでとても簡単な部類に属します」

「あの、島の政庁にいらっしゃるのでは」

「いますよ。でも、いまあなたと話している私と同じく、彼の端末にすぎません。ずっと本物らしいですけれど」

「では、どうすれば直接会えるのでしょう」

「その段取りを九十九博士から依頼されました。とりあえず、政庁までおいでなさい。そこから連絡便があるので席を一つあけられるよう調整しましょう」

「ありがとうございます」

 イツキは頭を下げた。

「礼は少しだけ早いですよ。ボスと直接あうなら、あなたは検査を受けなければならないし、その上でいくつか病気の予防措置を受けないと行けない」

「検査、ですか」

「気を悪くしないでほしいのですが、微生物というやつは環境がかわれば害悪として猛威をふるうことがあります。あなたは使命を果たしたら帰るのでしょう? 」

「え、ええ」

 村からでて見聞きするものが面白くて忘れていた、巫女たる自分は戻らないといけない。

「検査は政庁の医療施設で行います。港までここにある垂直離着陸機を出しますので、そこで船にのってください」


 会見がおわって出てきたイツキはぐったりしていた。村の暮らしに倦んではいたから刺激的な体験は歓迎だったが、こう重くてあとから来るものとは思わなかった。

「おまちしていました」

 口ひげの立派な父親くらいの年齢の男がいた。委員会議事堂職員の制服をきている。後ろに同様の制服を着て、制帽もかぶった若い職員二人をしたがえている。

「どちらさまでしょう」

「委員長の使いでまいりました。ローエンともうします。媛巫女のイツキ殿ですな」

「はい」

 委員長と言えば雲の上の人だ。何用であろう。

「旧都に巫女をお迎えするのはひさしぶりゆえ、晩餐をご一緒したいとのこと。どうぞこちらへ」

 断れない、断ることを許さない雰囲気だった。

「はい」

 疲れた声の返事になる。

「おや、気がすすみませんか? 無理強いはするなと申しつかっておりますのでそうであればご遠慮なく」

「いえ、大丈夫です」

 委員長の面子をつぶすことは村にとっていいことにならないだろう。巫女は尊重されるが絶対ではないのだ。

 食卓についたのは委員長であるラダ七世と旧都に滞在していた委員、つまり村長五人、そしてイツキであった。九十九は食事しないこともあって呼ばれていない。彼は政庁の分室とかいう場所でずっと何事かやっているようだ。

 食事は魚と鹿肉のローストを盛り合わせたものにつけあわせ、ひきわりパンだった。十分ごちそうである。

「近頃は島の新しい村から海産物がよくとどくようになりましたな」

「港まで鉄道が通せればいいのですが、街道がせまくてまがりくねっているので森をひらかねば無理という」

「それはできないことですな」

「補佐官のワット氏が地下をほりぬくプランを提案してきましたが、これが許されるかどうかは」

 招かれた理由がわかったような気がする。イツキは苦笑した。

「もしかして、わたし入れ違いになったのでしょうか」

「さよう、さよう」

「旧都には使える状態のおつとめの木はございますか。段取りをご存知の禰宜も」

「困った事におつとめの木は使える状態とは思えず、段取りを司るものももういないのだ」

 ラダ七世は委員たちにくらべると若かった。三十そこそこだろう。父であるラダ六世のあとをついであまり年月がたっていない。いかにも切れ者という風貌で、先代存命のころから一目置かれる存在だった。

「それで巫女殿の御用がそれほどさしせまったものでないなら、一度村に戻ってもらえまいか」

 どう答えればいいのだろう。イツキのこまった顔を見て、委員の中には不愉快そうな顔をするものものいた。これは事実上の命令であって依頼ではない。わからんのか小娘め、というわけだ。

「何か不都合があるのかね」

 断るにたる理由でなければ無理矢理ということになるだろう。彼女は頭の中をちょっと整理しながら深呼吸した。

「前回のおつとめで二つのことを申し渡されました」

「どこで、誰に? 」

「常世にて、ラダ三世様に」

 委員たちがざわめいた。委員長職は養子もふくめてラダ家の世襲である。三世は賢君の誉れ高い委員長で、一世の作り上げた態勢を完全なものとして以後四代の平穏を確かにした人物である」

「確かに三世様か? 」

「常世に嘘はありませぬ。お疑いでしょうか」

「いや。それで三世様はなんと? 」

「一つは不要不急のことでおつとめをせぬよう、とのこと。頻度が高いと戻れなくなってそれっきりとなる巫女も過去にはいたそうです。こちらは気遣ってのありがたいお言葉でした」

 さて、どこまで話してよいか。彼女はためらう。

「あと一つが大事なのだね」

「はい、三世様は中央世界とは何かを下問されました。あまり多くは知りませんが、知ってるかぎりをお伝えしたところ、使命をくだされました」

「そんなに重要な使命かね」

「星令様に直接あって、伝えよと」

「何を? 」

「途中の口外も、直接でない伝達もならぬと厳命されております。そして、あらゆることに優先せよと。それをはたさず常世にまいれば怒られてしまいます」

 ラダ七世は彼女の顔をじっと見ながら聞いていたが、ここで小さく笑った。

「わかった。なるべくはやく用事をすませてもどってきてくれ」

「ありがとうございます」

 押し寄せる安堵を胸に彼女は深々と頭をさげた。


 カーゴルームに収納されている、足をたたんだ蜘蛛のような保安デバイスにイツキは不気味さを感じた。使える離着陸機が有事の即対用のこれしかないということだそうだ。操縦席には誰もいないが、ワットの監視のもと自動操縦で目的地までいくのだという。用意された席は後部のあまりひろくない座席。油の匂いがした。もっと気の毒なのは九十九でシートに座れないのでカーゴルームに手荷物扱いで拘束である。

「これをわたしておきます」

 乗り込む前に九十九がわたしてきたのは、妙にごついゴーグル。

「これをかけて、知りたいことを思えば、中央世界のグレートライブラリ公開情報なら見る事ができますよ。使い方を教えますのでやってみてください」

 試しにかけて保安デバイスを見ながらいろいろ質問を思い浮かべると、見えているものに重ねるようにどんどん解説がでてくる。わからない言葉も知りたいと思えばどんどんたぐっていくことができる。

「なにこれ、おもしろい」

「でしょう。知りたいことはこれでだいたい解決ですよ」

「まるでわたしがあなたを質問責めにするような」

「あなたは聡明な人です。好奇心が強く洞察力も高い。質問された誰かが結局ライブラリから知識をひいてくるならあなたが直接ふれるほうがいいでしょう」

 ほめられているのか、うるさがられているのかよくわからずとりあえず彼女は礼をいった。

「出発します。席についてください」

 自動操縦装置がまるで人間のパイロットでもいるのかという口調で告げた。

 座るとしゅっとベルトがまきつき、びっくりしたイツキが小さな悲鳴をあげた。

「安全のための措置です。ご理解ください」

「ねえ、博士」

「なんですか」

「装置ときいてるけど、なんだか人間と話してるみたいなんだけど」

「彼らもいくつか条件を満たせば人間と認められます。滅多にあることではありませんが」

「あったらあったで戸惑いますけどね。あ、ワットです」

「ワット補佐官? 」

 声の方を見ると、前に会話した猫人形がものいれから顔を出していた。

「どうも、他をやりながらなので切れ切れになりますが到着までよろしく」

 首だけで人形はお辞儀した。

「さきほどの話は、わぁ」

 離着陸機がふわっととびあがったので、彼女はびっくりして声をあげた。

「む、むずむずする」

 思えば初めての感覚である。そして窓の外の気色に彼女は別の色の声をあげた。

「わあ、すごい」

 初めてづくしでしばらく興奮が収まらない。見覚えのあるものをさがすが、上から見下ろしたことがないものはなかなかわからない。

 風景が流れ始めた。イツキは窓にかじりついてどんどん変わる風景を飽きる様子もなく眺めていた。

「ねぇ、補佐官」

 窓の外を眺めながらふいにイツキが問うた。

「さっきの話だけど、あなたは何だったの? 博士みたいに誰かの未練? 」

「いいえ、私は今はもうなくなった世界で作られた宇宙船の中央制御装置でした。不時着した星を百年かけて開発し、自力修復して中央世界に回収されたのです。彼らは私をテストして、人権を付与してくれました。いまだに信じられません」

「それでたくさんのものを同時に使うのが得意なのね」

「はい」

「中央世界ってそんな人ばかりなの? 星令様は何ものだったの? 」

「あの人は元々人間ですよ。いくぶん手は入っているものの生身もそなえている。でも、中央世界の出身ではない。あとは直接聞いてください」

「ありがとう。ちょっと安心したわ」

 何が安心なのか、そこにいた中央世界人たちにはわからなかった。

「着陸態勢にはいります。揺れにご注意ください」

 自動操縦装置が告げた。


 港は二つの区域に分かれていた。元々の漁村と、海洋進出の拠点たる貨物港である。この二つはとがった岬の左右にわかれて海に面しているが、これは漁村がむかしから漁場としていたせまい範囲を開発で台無しにしないためである。着陸するまでのわずかな時間だが、漁村が普通の村と同じ木造家屋の集まりで、貨物港が殺風景にも見える中央世界の建材でできた四角い町であること。たぶんあれが船というものであろうというものが大小くらいの違いしかないことを見てとった。どうやら、くらしぶりは変えないが漁業に使う船はより便利なものに切り替えたらしい。

「いや、材料は輸入しているけど、作っているのはここですよ」

 補佐官の猫人形が指差したのは港の別の一角のごみごみしたあたり。よく見ると作りかけと思われる船が陸揚げされている。

「設計は旧都の技術センターと漁村の船大工が相談して作成しました。今は船大工が作るたびに少しづつ改良してるそうです」

「へえ」

 びっくりすることだった。

「むかえがきましたよ」

 猫人形が指差す先には、なめらかに走ってくる箱があった。誰かのっている。

 イツキは思わず目を見開いた。世の中は広い。彼女は思った。

 やってきたのは動きやすそうで真っ白な服に身を包んだ女性で、自分もふくめた村の女たちがいかに垢染みていたかを思い知らされる美女だった。

「補佐官のアレクサンドラです」

 真っ白な女性は優雅に挨拶した。


第三章 港から島へ


 潮の香は嫌いではない。甲板のベンチにぐったりもたれてイツキは天をあおいだ。

 最初は自分に何がおこったのかわからなかった。病気になったのかと思った。船酔いというものだと教えてくれたのは、漁村出身の一等航海士の青年だった。ゆらゆらと長くゆられると慣れない者はそうなるのだという。船を動かしているのは彼とその父親の船長と、自動操縦装置とその端末である五台のさまざまな形態の半自律デバイスたち。

「大丈夫? 」

 二つ名をつけるなら白の淑女とでもつけたくなる美女が覗き込んできた。顔色一つかえないその体が、イツキと同じ生身でないことはもう知っている。しかし、その体はこの世のものとは思えない優雅さと、人を魅了してやまない笑みをむけることができる。

 アレクサンドラ・チャン。もう一人の補佐官である。彼女は何やら難しい交渉ごとのために旧都におもむいた帰りなのだという。

「こうしてると少し楽です。風邪をひきそうですが」

 この人も、九十九やワットのように人間の一部や作られたものから生まれたのだろうか。イツキは判じかねた。あまりにも魅力的で、それが人間離れしているのだ。

「わたしも、初めて船に乗ったときはバランスがうまくとれなくってたぶんこれが目眩と思う経験をしたわ」

「あなたもですか」

「もっとずっと長周期のものとか、ずっと短周期のゆれは経験があるけど、このくらいのは初めてだったから」

 アレクサンドラは彼女の横に腰を下ろした。

「素敵な眺めね」

 今は比較的穏やかな波の海しか見えない。空は晴れ、きらきらとすべてが輝いている。

「とても長い年月をかけて、この海は作られたものだってことはご存知? 」

「ええ」

 村の伝承にもあるし、グレートライブラリから引き出した情報でこのミドガルドが遥か昔に送り出された自動機械たちによって大気を整え、水を招来して海を作り、生き物を放たれ、人間の到来するその日をまっていたこと、イツキももう知っていた。少しがっかりしたことには、ミドガルドと同じか同意の名前をつけられた世界は非常にたくさんあることも知ってしまったものだ。

「ただ作られただけじゃない、似てはいても、ここの海にはここだけの形があるの。素敵だと思うわ」

「海は初めてなのでよくわかりません。アレクサンドラさんはそんなにたくさんの海を? 」

「そうね、今はもうなくなってしまったものも含めてたくさん」

「なくなってしまった? 」

「記録にしかないものもあるの。同じように海を作られた世界で、海を失い、残った大気をドームに密閉して暮らす世界もあったわ。彼らはかつての海や川や森を愛してそれは詳細な記録を残していた。中央世界の一つ、概念世界にいけばかつてのそれを肌で感じるように体験することができるの」

「それは気が遠くなるほど素敵ですね。わたしもその概念世界にいってみたいです」

「いつか、いらっしゃい」

 にこりと笑むのを見ると、吐き気も忘れるほどイツキはのぼせてしまった。

「あの、失礼なことを聞いていいですか? 」

「どうぞ。かわりに後でわたしにも質問させてね」

「はい、ありがとうございます。中央世界人ってあたしたちのような生身の人間じゃない人もたくさんいるみたいですが、そのアレクサンドラさんは? 」

「そうねぇ」

 どう答えたものか、ちょっと指でほほをおさえて思案しているようだ。

「九十九博士は中央世界草創期のとても偉大な学者さんの思いのかけらから生まれたけど、その学者さんは赤ちゃんから大人になるまで生身の人だった。ワットは遭難、不時着した宇宙戦艦の統合制御システムだったけれど、帰るために亡くなったクルーのミームを多重焼き付けてして自分を拡張し、修理と離昇のための都市を築き上げたわ。どこまでさかのぼれば生身由来と数えていいかははっきりさせないと判断できない複雑な由来の中央世界人は多いわ」

 質問の仕方があいまいだったと気づいてイツキは頭をめぐらせた。

「えと、あの、じゃあ」

「大丈夫、何を聞きたいかはわかってるから。あなたかわいいから、ちょっと意地悪いってみたくなったの」

 アレクサンドラはウィンクした。からかわれたと知ってイツキは真っ赤になった。

「さて、真面目に答えるわね。わたしは実在した人々の情報をもとに人間を模したものとして生まれました。だからあなたの質問への答えは、はい、になります」

「中央世界はあなたを人間と認めたんですよね」

「生まれたばかりだったら、きっと認められなかったでしょう。でも、私は人間以上の人間になるべく生み出されました。とてもとても長い年月、自己研鑽し、時には自己改造もして気づいたらあなたの目の前にいる私になっていたの。同じような人がほかにもたくさんいて、中央世界と接触するまであなたたちでいう委員長の地位にもいたわ」

「偉かったんですね」

「みんな海千山千だからしんどかったわ。知ってる? 偉い人って損な役回りなのよ。だから許されることも多いの。そこんとこ勘違いするとあっというまに何もかも失うのよ」

「でも、今もそんな仕事をなさってますよね」

「補佐官は気楽よ。それに嫌いじゃないしね」

 何が、とは言わなかった。アレクサンドラはイツキの手を包み込むようにとる。暖かい。これが生身でないと誰が信じよう。

「さて、こちらからそろそろ質問してもいい? 」

「あ、はい、どうぞ」

「禁忌なら無理に答えなくてもいいからね」

 アレクサンドラはイツキの瞳を覗き込んだ。瑞々しく、底の知れぬ深さを秘めた瞳だった。なぜと知らず彼女はどきりとした。

「常世について教えて」


 ミドガルドでは死者は樹上に葬られる。墓所はつるのからまる巨大な樹木が枝を広げる鬱蒼とした場所で、死者は背中に板をいれられ、ぐるぐるに巻かれてこの枝の上に置かれ、落ちないようにさらに念入りに縛り付けられる。このときしばるのに使うのは幹にからまるつるとされている。最後に死者の口にひこばえの枝を一つ切り取ってさす。これらの行為の意味については村で解釈が違っているようだが、手順は旧都をふくめほぼ同じである。

「そうやって送られた死者の住まう国が常世です。人とともに失われた知識が保存されていて、大事な決めごとのあるときにご意見を伺いに行くのがわたしの仕事です」

「その相談する相手は、日頃は常世で何かしてるのかしら」

「さあ、いつもはそんなに長居しないのでわかりません」

「どう思います。博士」

 アレクサンドラが呼びかけたので、いつのまにか九十九がそこにきていたことにイツキは気づいた。

「見解はありますが、今はまだまとめきれませんな」

 そしてひょこっと会釈するように体を傾ける。

「失礼、立ち聞きする気はなかったのですが、興味深い話だったので」

「お葬式の話が? 」

「葬式の社会的異議について、説明いたしましょうか? 」

 イツキは九十九の顔がわりのお面を眺め、何か察して笑ってかぶりをふった。

「いいわ、長くなりそうだし、退屈そう」

「ご理解感謝します。そうですな、かわりに私のことでも少し話しましょうか」

「どのようなお話でしょう」

「この、奇妙な体ですよ。アレクサンドラ補佐官も、ワット補佐官もそれぞれに機能的な体を使っているのに、なぜこんな不自然な体か、というお話です」

「あなたの元となった方の研究対象と以前うかがいましたが」

「はい、その研究対象の話です。あまり長くかからないのでご安心を」

 九十九はでるはずもない咳払いをまねてみせた。

「えぇ、まずは結晶世界のこと。中央世界が生まれるはるかに昔、結晶世界とよばれた異文明が広がっていました。彼らがどうなったかはわかりませんが、たくさんの遺物が見つかっています。宇宙船、通信センター、元の姿は見当もつかない崩落した都市。しかし結晶世界の主を生物としてみた場合、統一されたイメージはまったく持てなかったのです。一つの遺物から建てた推測を、別の遺物が否定していることはざらでした。唯一共通しているのは、結晶素子とよばれるものが使われていること。そこからはいくばくかのデータを抽出することができましたが、恐ろしく正確な天文データや宇宙船の姿勢制御のシステムといったものは取り出せても、彼らの姿そのものはわかりませんでした。記録類は無味乾燥な事実の羅列しかなく、しかもそこに個体に関する言及はまるっきりないのです。結晶世界は滅びた文明の残した暴走するシステム群ではないかという説をやけになって唱える人もおりました」

「長いじゃない」

 アレクサンドラがぼそっといったが九十九は気にしなかった。

「彼は崩落した都市で巨大な結晶素子を見つけました。結晶世界人の謎が解けるかもしれない。彼は入滅の前までそれは熱心にそれを研究しました。データの入力、取り出し、あげくに中央世界の基礎技術を応用して自らをこれに接続しようとまで。狂気の沙汰ですね」

「ひとごとなの? 」

「とんでもない。良き事も悪しき事も大きなことをなす時には狂気じみた情熱が必要です。彼の狂気は、結晶素子との接続を劇的に進めています。彼はこれが結晶世界人の体、義体なのではないかと思うようになりました。数学的定義による人格の設定可能な構成が十分以上にそろっていたからです。そうだとしても持ち主はとっくにいなくなっています。彼は最後まで情報を追い求めていましたが、引き継いだ私は結論を得ています。これは未使用だったのです。何も個人情報が出てこなくて当たり前ですね。そして接続していた彼の執着から私が生まれました。つまり、これは私にとっての生身であり、不可分なのです。ほら、手短かだったでしょう」

「そ、そうね」

 イツキはアレクサンドラの顔を見た。あきれた顔をしていた。

「このお話には」

 ひらめくままに彼女は言った。

「今じゃないいつか、続きがありそうね」

「はい」


第四章 島


 さすがに疲れてイツキはゴーグルをはずした。信じられないようなたくさんのもの、たくさんの風景を見てきたが、実際に今、目にしている窓外の風景ほどせまってくるものはない。

 鬱蒼としげる森の中の小さな開豁地、それが彼女の知る世界であったし、それより広いものも知らなかった。だが、この島の風景はどうだ。なだらかな土地に広々と広がった畑、そしてその間に点在する家や小さな森。この島にはもともと広い森はなく、冬場の強い風に吹き倒されない場所にちらほらと木が生えているほかは灌木と草原であったという。なんという自由で心躍る眺めか。ここに移り住んだミドガルド人はどんな気持ちなのだろう。動きやすく、丈夫そうな異世界の上質の服に身をつつんだ彼らが、帷子と肩衣の伝統衣装の彼女にちらっとむける視線に読めるような気がした。

 無関心か、軽侮。巫女と察したものも数名いたが、驚きはあれど村や旧都で受けたような敬意はまるでこもっていない。むしろ別の辺境世界から仕事のためにやってきたいろいろな人間たちの方が強い関心をしめしていた。

 関心をもったのはおたがいさまで、彼女はいまのいままでグレートライブラリにある彼らの出身世界について調べていたのだ。

 巨大な人工天体の出身者もあれば、体の重さがここよりずっと重いところもあるし、慣習と掟の拘束がとんでもなく厳しい世界もあった。美しい風景も、恐ろしい眺めも、何をみているのか理解できないがなぜか圧倒されるものもあった。ここに流れてきた事情はさまざまで、軽々しくわかったふりなどできないということも察する事ができた。

 村でのくらしが、村での巫女としての彼女と少女としての彼女、そして周囲との軋轢がとても小さなことのように思えてきた。あそこに戻らなければいけないのか。イツキは嫌だな、と思った。

 こんこんとドアを叩く音がした。ノックの習慣はミドガルドだけのものではないらしい。どうぞ、というと真っ白な肌に大きな瞳、漆黒のつややかな髪を短く切った若い白衣の女性がはいってきた。彼女を担当する医療技術者だ。とても奇麗なので、おそらくアレクサンドラの仲間だろうと思ったらほぼその通りだった。

 どんなものかわからないが、一人前に生きて行くのは無理な障害を持って生まれ、中央世界と接触がない時代なら苦痛をのばさないために殺されるような体であったのが、技術、文明の恩恵で大半人工物とはいえ、五感もそなえた一人前に生きて行く体を得たのだという。その恩恵に感謝して今は医療の仕事についているし、異性のパートナーと、そして子供も得ているのだとか。人工の体で妊娠出産できるのだろうかと思って調べたイツキはいくつかの方法にたどり着いたが、感覚的にはちょっと受け入れがたいものを感じた。

「きっと、わたしは『古い』人間なんだわ」

 だからといって感覚を軽卒にあらためようとは思わなかった。そうしなければ、あっというまに流されて自分を見失いそうだった。

「予診の結果は軽い疲労くらいだったわ。若いっていいわね」

 見た目は彼女より若くみえなくもない人物がそういうのである。

「ありがとうございます」

「でも、歯はちょっと処置が必要ね。いまはまだいいけど、ひどい虫歯になりそうなのが何本か。もうなったあとが一本。本診のあと処置しますから、どうしたいかを聞かせて」

 何もしない、という選択は許されそうもなかった。

「あの、上にいくってどんな感じなんでしょう」

 いくつかの質疑を重ねて処置を選択し、本診前の注意事項を聞かされた後、彼女はきいてみた。

 これまでも驚かされることばかりだった。これかな、と思う情報で予習もしている。だが自分の体で感じるのは別問題だ。画像の場合、撮影者は平気でも彼女はだめかもしれない。

「不安ならやめとく? 星令様と話すだけならここでもできるし」

「いえ、ちょっと心の準備をしておきたくって」

「んー」

 女性医療技術者は記憶をまさぐっているようだ。

「そうね、初めてのときはお尻がむずむずしたわ」

「お尻ですか」

「そう、お尻。でもいってしまえばそれくらいよ」


 九十九は自分の研究室にこもってしまったし、アレクサンドラは仕事がたまっているとかでこれまた執務室にこもったままになっている。たくさんの知識を得ることは楽しいが、少し疲れた。

 いくばくかの寂しさを覚えてイツキは病院の外に出た。建物は丸みを帯びた巨大な壁だった。棟続きで政庁があり、陳情その他をおえた住人、職員たちがばらばらと帰って行く姿が見える。

「巫女様」

 声をかけられてふりむくと、野良着姿の若者が数人集まって彼女を見ていた。

 見覚えのある顔ばかりだ。

「あなたたち、うちの村の人ね」

 そして代表の若者は隣家の娘の従兄で、同じく禰宜の家の者。こんなところで彼女を巫女と呼ぶのは軽率すぎる。彼女は少し立腹した。

「なぜあんたがここにいるのか教えてほしい」

 彼らの顔には畏れがあった。なんで、と不思議に思ったが、すぐに彼らが疑心暗鬼に陥るのももっともだと思い直す。

「安心して、あなたたちに用はないわ」

「ほんとかい? 」

「くわしいことは言えないけど、本当よ」

「どうしていえないのだい? 」

「そういうおつとめだから。委員長にだって話してないのよ」

「そうやって俺たちをだまそうったってそうはいかないぞ」

 別の若者が激昂するのを最初に話しかけてきた若者が手で制する。

「あんたは関係ないのかも知れない。が、村のほうからは戻ってこいという手紙や時には回線通信までつかっていってくるんだ。よその村だが、葬式くらい戻ってこいと言われてその間だけのつもりで戻ったらそのまま抑留されたという話もあった。彼が機械をつかって面倒を見ている畑の十分の一にも満たない畑を見ている兄貴の手伝いをやらされているらしい。ふざけた話じゃないか」

「ひどい話ね」

「あんな森なんか焼き払って、全部畑にしてしまえばいいんだ」

「それはたぶん中央世界の辺境管理法七条違反よ」

 若者たちはびっくりした。そしてリーダーに視線を集める。彼だけは知ってるようだ。

「なんであんたが中央世界の法律を知ってる」

「質問責めにされるのを面倒だと思ったどこかの学者がグレートライブラリの閲覧権を付与してくれたの。あとは興味のむくままいろいろ調べてまわっただけ」

「九十九博士か」

「そう、その人」

「で、いろいろ知ったけどまだあんな迷信に加担するのかな」

 イツキは心の底から意地悪いものがわいてくるのを感じた。この連中は、そう信じたがっているだけなのだ。同意を求められるだけ迷惑だ。

「そういう話をしにきたんだっけ? 」

 彼女の冷え冷えする声にリーダーははっとして謝罪した。

「いや、違う。よけいなことをいった。あつかましいようだけど、一つお願いされてくれないか」

「お願いによるわ」

「たいしたことじゃない。さっきの例を引き合いにして呼び戻そうとしないよう村の衆に伝えてほしい。応じるとは思わないが、もし俺たちのことを心配してくれているなら、もう無理強いはしないだろう」

「わかった。伝えておくわ」

「ありがとう。よろしくお願いするよ」

 若者たちはやや渋々だが引き上げていった。

 それにしてもとんでもないことをいうものだ。

 自分で『古い人間』と思っているイツキはため息をはいた。あの言葉だけは絶対伝えられない。


 一糸まとわぬ姿でイツキは横たわっていた。周囲はほんのりグリーンの灯りにみたされていたが、いつものおつとめと違ってそれは液体の中でもなかったし、彼女は意識を保っていた。

「退屈」

 このまま装置の中でじっとして一時間というところらしい。緑の光が彼女の体を何度も横切っているのは、皮膚から体の中まで調べて持ち込んでよくない微生物があればこれを消去しているのだという。

 これがすんだら用意された衣服に着替えてそのまま「リフト」とやらに乗り込むことになるらしい。

「ものものしいこと」

 彼女はあくびした。

「でもまぁいいわ」


 その前に歯の治療があることを彼女は忘れていた。


第五勝 軌道


 口の中に違和感が残っている。これまでなかったほどさっぱりもしているのだが、ひどい虫歯で貿易商人から買った薬で治まるまでさんざん苦しんだ末にとうとう腐って落ちたままになっていた歯が今は復活しているのもどうも落ち着かない。取れた歯の根っこをさんざんいじられた末に、何か尖ったものをさしいれ暖かいものが流れ込み続けたかと思うとできあがっていたのである。痛みはなかったが、歯茎に響く振動やなんともいえぬ臭いなど不安をかきたてるものばかりで叫びたくなるのをこらえるのが精一杯だった。暴れたらおさえつけようと医療技術者がかまえているのもあったろう。美しく、凛々しく、そして力の強い女性であった。

「まぁ、これでこっちはしばらく大丈夫だけど、次は本物培養して移植しましょうね」

 にっこりそういわれたときには額に脂汗がびっしりだった。

 次はリフトとやらに乗るはずなのだが、用意された服をきてここで待つ事そろそろ三十分である。

 窓の外を見た彼女は、目を丸くした。

「建物が、うごいている」

 政庁や病院のはいっている建物は円形の壁のようになっていて、その内側にこのようなドーム型の建物が四つある。その一つに案内され、個室をあてがわれて座っていたわけなのだが、外の風景が何もない青空になっていたのだ。

 あわてて調べるとすぐにわかった。これは無索エレベーターというらしい。その原理も説明があったが彼女にはちんぷんかんぷんだった。とにかくこのまま頭上はるかを巡るステーションまでいくらしい。

 部屋を出てみようとしたが鍵がかかっていてあかない。注意書きがあるのでゴーグル経由で翻訳を見ると上昇、下降中は歩き回るなという意味らしい。棚をあけるとひんやりした空気が流れ出し、冷たい飲み物とたぶん食べ物と思われる包みがでてきた。名前を翻訳してもらってもちょっといまひとつわからない。ミドガルドにはないもののようだ。

「おしりはむずむずしなかったなぁ」

 そう思いながら、彼女は飲み物を適当にあけて上昇が終わるのを待った。


 頭痛がひどい。イツキはうめきながら起き上がった。いつのまにか眠ってしまったらしい。

 水音がして、ごとっと何かがおかれた。水のはいったコップだ。

「飲むといい。できるだけたくさん」

 誰かの声がした。いわれるまま彼女はごくごくと飲む。

「もう一杯」

 コップに水がつがれる。やっと少し意識がはっきりしてきた。

「どこ? 」

 眠ってしまったあの部屋ではない。アーチ状の天井が穏やかに光りを放つ広々とした部屋で、そのまんなかに饐えられたふかふかの寝台で彼女は横になっていた。サイドテーブルにはコップと水差し、そして見慣れぬ浅黒い男。

「誰? 」

「今度はこれといっしょにのむといい」

 男は水を注ぎ、それになにか錠剤のようなものを落とした。

「なに? 」

「薬だ。今のような状態には効き目がある」

「ふうん」

 ずきずきするのがなんとかなるなら、と彼女は水をのみほした。

「わたし、どうなっちゃってたの? 」

「酔いつぶれていたのさ。なかなかの酒豪だよ。君は酒を三本飲み干したんだ」

「酒? 」

 あれは酒だったのか。彼女は頭を抱えた。いや、頭痛はどんどんおさまっていく。薬の効き目は相当なものだ。だが、別の意味でまずいことになっていた。

 ミドガルドでは酒は男の飲み物で、女が飲むと病気になるというのである。

「あたし、病気になっちゃったんだ」

「それについては九十九博士から聞いている。病気というのは方便でね、妊娠中や授乳中だと子供に悪影響の恐れがあるからなんだよ。日乗的に飲む人は、自分に言い訳して飲むしね」

「わかります」

 飲んだくれのろくでなしの話なら彼女もよく知っていた。母はそんな実父に堪え兼ねて森にはいったのだ。

「ところで、どちらさまでしょう? 」

「君がわざわざ会いにきた男だよ。五百五十八田中カエサルという。変わった名前だが、私の出自を示す忌まわしく大事な名前だ」

「せ、星令様! 」

「の、本体だ。普段は政庁の分身で君たちに接触しているし、実は旧都にもプロトコルデバイスはおいてある。話をするだけならここまでいつでもできたのだけど、君のおつとめに敬意を評してこうしてご挨拶をもうしあげよう」

 イツキはあわてて立ち上がり、ミドガルド式の最敬礼、ひざまづき、頭を垂れる礼をとった。

「そうとは知らず失礼申し上げました」

「なあに、リフトが到着してみれば酔いつぶれていびきかいてた姿にはむしろほれぼれしたよ」

「やめてください」

 真っ赤になって彼女は顔を覆う。

「はは、ごめんよ。そしてここはどこかというと、ステーションの客室の一つだ。見たまえ」

 星令がそういうと、床が透明になって青い円盤を映し出した。

「これが惑星ミドガルドだ。ここが君たちの住むすべてのエリア。ここが政庁のある島、」

 言葉に応じて画像上に色がつく。自分たちのエリアという領域がほとんど点なのでイツキは疑わしげに思った。

「拡大してみよう」

 ミドガルド人のエリアを四角く線がかこんだ。どんどん大きくなって、最後にかろうじて港とわかるものが見えてきた。あのとき、離着陸機でみた空からの眺めそっくりだった。

「小さい」

 あまりのことに彼女はぺたんと尻餅をついた。

「遠くまでよくきたね」

 五百五十八田中カエサルは手を差し伸べた。

「もうびっくりすることだらけでした」

「よろしければ、伝言をうかがおう」

「はい、それでは」

 助け起こされたイツキは再度最敬礼の姿勢をとる。

「伝言は二つあります。一つはミドガルド人についてのお願いです。これからもいろいろなところに拡散していくのはもう止められませんが、死後はすみやかにどこでもよいから村にて葬るようにご手配ねがいますよう」

「なぜかね」

「私たちは常世に帰らなければなりません。死者の魂を安らがせ、その知識を後世に引きついで行く場が常世です。戻れぬミドガルド人は、その場に森を作ってしまいます」

「どういうことかな? 」

「私も知らなかったのですが、常世に戻れなかった死者はその場で自分のための常世、森を作ってしまうそうです。そして常世につながるために広がっていこうとするそうです」

「ふむ、承知した。して、もう一件は? 」

「それは」

 イツキは確かに何か言葉を預かったはずなのに、思い出せないことに気づいて汗が出てきた。

「思い出せません」

 絞り出すようにそういうと、星令はにっこり微笑んだ。

「それは大丈夫だ。おいで、いろいろ説明してあげよう」


 そこは全面星空の部屋だった。上下の感覚が不意になくなり、イツキは小さな悲鳴をあげた。はじめての、とても不安になる感覚だ。

「手をつかんでいなさい」

 星令が彼女の手を取る。手足を縮めるようにして、彼女はすがった。

「こわい」

「これは無重力、自由落下状態だ。落ちた覚えがあるなら怖くて当然だろう」

 星令はあんまり彼女の体が回転しないようコントロールする。

「みたまえ」

 指差す方向を見ると、何やら大きな塊がうかんでいた。縁が白く光って見えるほかは闇に閉ざされこまかい姿は見えない。

「あれが、君たちの先祖の船だ。休眠状態でずっと軌道上に待機している」

 これが、イツキは信じられない思いだった。彼女が知っているのは白い大きな星で、背景の星々とはあきらかに動きのことなる天体だった。

「船の制御ユニットと交信して情報を得てある。中には入ってない。委員長に約束させられたのでね。君たちの先祖はこれにのって四百年ほど前にミドガルドに達した」

 先祖の船から、白く輝くものがいくつも飛び立つ。いつのまにか頭上に浮かんでいたミドガルドの遠景へと吸い込まれて行く。

「これは記録映像だ。こうやってご先祖たちは降り立ち、船は休眠にはいった」

 無重力状態が解除され、彼女は固い床の上に立った。安心しているその足下に拡大したミドガルドの地表が表示される。

「君たちのご先祖はあらかじめ探査をしてから拠点を複数箇所築いたようだ。旧都と、ここと、ここ」

 地表に何カ所か輝点が現れる。旧都以外の二カ所はかなり奥まった場所だ。

「こんなとこ、誰も住んでない」

「四十年くらいでこの二カ所の拠点は活動をやめている。付帯していた集落も同様だ。我々は数カ所そのような村の跡を見つけているし、旧都と結んでいた道路の痕跡も発見している」

 地表の一部を拡大すると、植物の生え方に違いがあってまっすぐの線がうっすら見えている。

「何かあって、旧都と関係のある村だけが残ったのね」

「いや、違うんだ。これを見てくれないか」

 四角く切り取られた光が現れた。よく見ると、それは屋外の風景のようだった。どこまでも広がる畑、楽しげに働く人々。これは政庁のある島の田園風景ではないか。

 だが、何か違う。服装が違うし、使っている機械も違う。この画像のものはずっともっと素朴なものだ。それを大事に使っている。

 風景がぐるりとまわる。視界の外にあったものが映った。

「まさか」

 委員会議事堂が映っていた。今よりずっとぴかぴかで、きらきらしているが間違いはない。

「これは、もしかして村長が見たという記録映像ですか」

「そうだ、それも四十年目の記録だ」

「村長は二十年時間があわないと」

「旧都と、君の村を含むその周辺の村も、同様に一度誰もいなくなったのだ。その間に森がはびこり、君たちがどうやってか戻ってきた時にはわずかに許された土地しかのこっていなかった。そして、君たちは森とともに生きる民となっていた。それまでの時間は二十年ではなく七十年」

 取り替え子? イツキはとっさにそう思った。だがあれは嬰児だけではないのか。

「ではもう少し時代をさかのぼってみようか」

 記録映像は消え、ふたたび足下にミドガルド地表をのせた円が現れる。中心にあった旧都のあたりがどんどんずれて、別の大陸が現れる。

「ミドガルドは中央世界が生まれるよりもずっと昔に送り出されたロボット開拓船によって人の住める世界に改造ざれた」

 星令が指差す部分が拡大され、緑に覆われた廃墟が現れる。

「これは彼らの地上基地の一つ。この他に静止衛星軌道にビーコン衛星が一つ、主星近傍にエネルギー採取用の人工惑星、外惑星には資源採取と送り出し基地が確認できている。大変な時間をかけて、彼らはミドガルドを高温高圧の生きるものなき世界から穏やかな世界にかえてのけた。あとは移り住む人々を待つだけだったが、それはこなかった。ビーコン衛星が壊れたせいだろう」

「でも、先祖の船は」

「ご先祖の生まれた世界は今は中央世界に属している。可住化が破綻して最後にはドーム型都市に数百人しか生き残ってなかった世界だ。廃墟からの記録の発掘、回収がやっと進んで、彼らがロボット船を送り出した人たちの記録を受け継いでいたこと、そこからミドガルドがおそらく無人で、住める世界になっている可能性があることを推察し、一か八かで移民船を送り出したことがわかった」

 眼下の画像がまた遠のいて。ぐるぐる動いたかと思うともう一つの大陸の真上になる。

「だが、彼らより先にきていたものがあった」

 ふたたび拡大された場所には巨大な傾いだ塔があった。表面にはたくさんの植物がまとわりついて元はどんな姿だったかわからない。

「これは不時着した宇宙船だ。人類のものではない」

「あ、」

 九十九の話を不意に思い出してイツキは小さな声をあげた。

「そうだ。これは結晶世界の船だ。だが、この船はもう活動していない。主機は生きて休眠していることは確認できているが、それを操って飛ぶ仕掛けはもう朽ち果てているし、情報系も途絶えている。だが、ただ壊れただけの遺物ではない」

「星令様」

 彼女は疲れた顔で首をふった。

「今は聞きたくありません。少し、休ませてください」

「わかった」

 部屋の風景が一変した。漆黒の内装の何もない円形の部屋だ。

「では、先ほどの部屋で少し休みなさい。もし、グレートライブラリにアクセスしたいのなら、ゴーグルは奥のライティングデスクにおいてあるから」


「結晶世界の船から、休眠中の機関を回収できて幸いでした」

 夢の中で、イツキは何かの映像を見ていた。みなれぬ白いつややかな服装の男たちが話し合っている。

「おかげで移民船の建造が現実的になりました」

「しかし、いった先に誰もいない住める星があるのだろうか」

「他のどの計画より、可能性はあります。二世代の時間を必要としますが、今ならそのための物資も用意できます」

 これは誰かの記憶だ。

 彼女は強烈にそれを自覚した。いつもはおつとめの終わった夜に見るそれをなぜいま見ているのか。

 熱いものが手にぼたりと落ちた。泣いている。この人物はこの映像記録を見て大粒の涙を落としているのだ。

 映像が切り替わった。見覚えのある円盤が映っている。そうだ、これはミドガルドだ。

 まぶたがさがってきた。夢の中で眠気をもよおすなど奇妙なものだ。

 崩折れたところで彼女は目をさました、

 この夢はなぜかはっきりと覚えていた。


 先ほどの投影室には誰もいなかった。

「すごく静か」

 実際はにはステーションの活動を示す仄かな振動音が聞こえているのだが、それがかえって寂寥を感じさせる。さわやかなくらいの湿度、温度に保たれているが寒いと彼女は思った。

 廊下はゆるやかにカーブを描いている、おそらく円になっているのだろう。途中にはドアの固くしまった部屋と、ドアそのものがない部屋がぽつぽつとあるのだが、ぜんぶ円の内側にむいている。

 入れる部屋には用途の見当がつくものとさっぱりわからないものがあったが、一度おっかなびっくり使ったトイレを除いてうかつに触るようなことはしなかった。

 外側が開いていると思った区画にでた。ひらいているのは窓になっているだけで、まばたきもせぬ星空がそこに広がっていた。

「怖い」

 えもいわれぬ寒気に彼女は身をふるわせた。なぜかはわからない。

 その星空の中に他よりも大きな三日月型の星があった。表面に模様が見える。黒く見える部分が何かを囲んでいるようだ。

「海? 」

 ついこのあいだ、生まれて初めて目にし、船酔いに苦しめられた海。それを連想した彼女は事実に気づいた。

「あれ、ミドガルドだ」

 先を急ごう、彼女は貼り付いたように感じる足をひきはがした。このままここにいたら引き込まれて帰れなくなる、そんな恐怖をなぜか覚えていた。

 廊下は再び元のようになり、やはり部屋はぽつぽつ続いた。その一つから歩み去ろうとして、彼女は思わず小さな悲鳴をあげた。

 薄暗い中に、三つの人影がものも言わず、動きもせず向かい合っていたのである。

 一人は星令、一人は地上でみたのと似ているが少し感じの違うアレクサンドラ、一人は人間サイズの猫人形、たぶんワットだ。

 明かりがぱっとついて、三つの人影が動いた。三人の真ん中に光の立方体が出現し、森の中らしい風景が投影される。

「驚かせちゃったみたいね」

 アレクサンドラが言った。地上で見たものとそっくりだが、なんだかちょっと古びた人形のような感じがする。

「やぁ久しぶり」

 聞き覚えのある声に振り向くと、透けて見える九十九の姿があった。

「いま、外部投影に切り替えたのであなたにも見えていると思いますが、ちょっと報告会をしていました」

「外部投影? 」

「中央世界人はあなたが今見てるようなものを頭の中で共有することができるのです。便利ですが、第三者から見るとどうかというのは、今のあなたの反応でよくわかります」

 ワットが説明する。

「よくわからないけど、もしかして概念世界っていうもの? 」

「近いですね。概念世界は一つの広大な開かれた世界ですが、これはプライベートなものです。隠れてこそこそやってるようなものです」

「そうですか」

 よくわからないことは後回しにすることにした。

「それで、何を見ていたんです? 」

 九十九は光の立方体をさした。

「地上の結晶世界船の現地調査の結果ですよ。本当は自分で出向いて接触したいのに、星令殿がゆるさないのです」

「あなたのようにどこにでも本体をほいほいもっていく軽卒な方には許可できませんな」

「こんな感じでねぇ」

「それで、何かわかったの? 」

「さっきまで細かい報告をしていたところです。ものすごく簡単にいうと、この船は軟着陸したこと、船体が想定していなかった空気にふれて腐食崩壊したこと、積み荷は何かわかりませんが、すべて運び出されたこと、そしてどうやってか休眠していた開拓ロボットたちに手伝わせたこと」

 立方体の中にいろいろな姿勢で動かなくなった人の形の何かが映った。苔に覆われ、蔓植物にまきつかれ、動かなくなって長い長い年月が経過していることがわかった。

「許可があれば一体もって帰ってワット補佐官に調査を依頼したいのですが」

「許可しよう」

「ああ、それと、例の中継器はできたのでどこかでテストしたいのですが」

「データは受け取っている。許可については確認してから決めよう」

「早めにねがいますよ。待ちきれない」

 九十九の姿が消えた。中央の光る立方体も消えている。

「中央世界ってすごいのね。ワット補佐官、あなたが前にいったことがようやくわかりました」

「本体に直接会うのは困難だとかいいましたね」

 猫人形が優雅にお辞儀をする。

「ここに来る途中、ミドガルドを見ました。あんな遠いところにいる九十九さんと簡単にお話ができるというのは本当に驚きです。わたしたちは、隣村との会話すら大変なのに」

「これはこれで悩ましいこともあるのですよ。しかし、総じて中央世界の風通しのよさはよいことのほうが多いでしょう」

 元通りの生活に戻れるのだろうか。政庁の島で出会った村の若者たちの気持ちは今ではよく理解できる。そして巫女である彼女が帰らないことは許されない。

 ただ、なぜか覚えていない最後の伝言をまだ伝えられていない。

 まだ帰れない。彼女は少し安心した。


第六章 夢


「…みこ、イツキ媛の巫女」

 イツキは目をぱちりとあけた。夢だったのか。彼女は大きくのびとあくびをした。

「また夢ですか」

 年の頃は同じくらい、つまり髪上げからそうたってもいない少女が敬語で端座していた。

 隣家の娘で幼なじみ、そしてイツキの役割を知る限られた人物の一人である。

「ええ、遠い遠い場所にいく夢、そこでさえ、もっと広い世界の入り口にすぎない場所。わたし、星令にあってきたのよ」

 隣家の少女は苦笑いを浮かべた。

「それ、夢じゃないから。あなた、本当にいってきたのよ」

「ああ、そうだったかも。でも、本当に見たものなのか、夢に見たものなのかわからないくらいとんでもないもの見てきたからやっぱり夢って考えることにするわ」

「ご飯の支度ができてますよ」

 少女は傍らのバスケットをあけた。麦粥と干し肉のあぶったもの少々、それに摘菜のあえものがはいっていた。イツキのおなかがなリ、少女は微笑む。

「ね、星令ってどんな人だった? あなた、直にあったのよね」

「まぁ、ちょっと風変わりだったけど男前だったわ。嫁にいけといわれたらいやじゃない程度にね」

 もぐもぐ食べながらイツキは答えた。おいしいが、なんと祖末な食べ物だろうと思っていることはおくびにも出すまいと思いながら。

「あら、そのままものにしちゃえばよかったのに」

「だめよ。おつとめだったんだから。それに補佐官のアレクサンドラさんがすっごい美人でなけなしの自信もずたずたよ」

「へぇ、どんな人なの? 」

「聞いてよ。これがもうずるいとしかいいようがなくってさ」

 彼女たちは、イツキの食事がおわるまで和気藹々とすごした。

「ごちそうさま」

「あのさ、こうやってご飯もってくるの、これで最後だから」

「そっか、あさってが婚礼」

「あすからはいろいろ支度があってもうこれないの」

「おめでとう」

 イツキは少女の手をとった。

「本当におめでとう。今夜のおつとめでもしあえたら、あんたのおばあちゃんにも伝えておく」

「ありがとう」

 少女ふたりはぎゅっと抱き合った。小さいころのように何のわだかまりもない関係に戻っていることに、二人それぞれ少し驚きながらも喜ばしく思っていた。


 夢でも見ていたような気分であったのは本当だ。第二の伝言の件があるからもうしばらく、あの不思議なところにいると思っていた彼女は、いきなり星令より帰るように言われた。

「しかし、伝言がまだ」

「いや、もう受け取りました」

「でも、何ももうしあげてませんよ」

「言葉ではないのです。それがなんだったか、あなたに伝言を託した人も知らなかったかも知れません」

「いったい、それはなんなんです」

「いずれ、時がきたらお話します。あと少し確認を行ったら、まずは委員会にはかることになるでしょう」

 渋々従うほかなかった。帰りは酔っぱらうこともなく「リフト」の窓からだんだんに近づく地表を眺めることができたし、政庁の島から旧都までは直行の離着陸機を利用できた。九十九はどこかに出かけているらしく、会う事はできなかった。旧都までのフライトはアレクサンドラ、旧都から村までは村長がエスコートしてくれた。その間に、報告もすませ、あの若者たちの言葉も伝えることができた。

「つまり、連中が帰らないとしても、遺体は適切に葬儀に付されるということだな」

 村長は安心したように見えた。

「ならば、大婆様も納得されよう」

 そんなものだったのか。イツキは世の中がちょっとしたすれ違いでこじれるのを見たと思った。時にはそれは取り返しのつかないほどにこじれることもあるのだろう。そうと思える事例をいくつか、今までの調べものでみたように思う。

 村に戻ると、何もかもが違って見えていることにまず驚かされた。これがあの村だろうか。何もかもが祖末に見える。だが、少したつと、今まではなんとも思わなかった小物や細工の一部にひどく心をひかれるようになってきた。それらを作った人はもういなくなっていたりしたが、その子供や孫が見よう見まねをしているのを見ると、少し歯がゆくも思えるのである。

 自分がすっかり変わってしまったことに彼女は戸惑っていた。それとともに、村の生活で小さなとげのように気になっていたことがまるで気にならなくもなっていた。

「疲れているようだな。一日休め。婆様がたには説明しとく」

 村長のありがたい思し召しで彼女は家でゆっくりやすんだ。その日の諸々は養父がやってくれた。彼は彼女が寝付くと、最近はだいたいそちらで過ごしている彼の鉄道官舎へと戻って行った。

 その夜、イツキは夢は見たようだが、覚えてはいなかった。


 隣家の娘を送り出すと彼女はこっそりゴーグルをかけて地下鉄道についての知識を拾い集めた。

 今夜のおつとめは、委員長に依頼された件だ。地下鉄道の話。しかし祖先たちがそれをちゃんと理解するように思えない。ただ許可を求めるのでは駄目といわれるに決まっている。

 許可が欲しいわけではないが、知りうることはきちんと伝えて判断をあおぐべきだ。

 ゴーグルはちゃんとグレートライブラリに接続できた。これをもらったときに聞いた通りだ、あのときはこんな変なもの、早々に返そうと思っていたが、今は手放せなくなっている。村の他の者に見つかっては面倒な気がしたので隠しておくことにしたが、養父には説明するべきかどうかは迷っていた。

「あんた、なんだか変わったね」

 その夜、いつものように準備しながら、元巫女に彼女はそう言われた。 

「いろいろ見てきちゃったから」

「そうかい。村を出て行った連中にはあったかね? 」

「ええ、島に農園をもっていたわ」

「元気にやってるかね」

「機嫌良くすごしているわ。村に戻る気はまるでないみたい」

「まぁ、そうだろうね」

 元巫女は苦笑一つ見せてから顔つきをあらためた。

「媛巫女殿、お支度がととのいましてございます」

「あいわかった」

 暖かい樹液に沈みながら、イツキはいったい自分はどこにいるのだろうと不思議に思った。


 いつもの通り、彼女の家、娘時代の母の部屋だ。母は既にそこにいて彼女を見つめていた。

「いらっしゃい。今日は何の御用」

「こんにちは。母さん。今日は工事の是非について、賢者のみなさまに相談にのっていただきたいことがあるの」

「わかったわ。ところでその格好はなに? 」

 言われて彼女は自分がいつもの巫女衣装ではなく、ステーションで着ていた動きやすくひっかかるところの少ないズボンとシャツをきて、丈夫そうなジャケットをはおっていることに気づいた。

「こういう服をきるところから帰ってきたばかりだからかな」

「そう」

 母は悲しそうな顔をした。憂いを帯びて、同性でも娘でもぐっとくる美しさだった。だが、この人がはかないだけの人ではないことを彼女はよく知っていた。

「じゃあ、ちょっと聞いてくるからまっててね」

 母がここでどんなコネクションを作っているのかわからないが、こういうときは時代、距離関係なく適切な人を呼んできてくれるのが常だった。イツキは待つ事にした。

「ところで」

 ドアに手をかけたところで母はふりむいた。

「もし、巫女の身分があなたを束縛するなら、やめちゃっていいんだよ」

 身勝手な言い草に聞こえた。イツキは察していた。母が自分を道連れにした意図を。

 リスクの大きさを思えば、複雑な気持ちしか残らない。自分が母ならどうすると自問した。おそらく同じことをするだろう。

 母がつれてきたのはラダ三世だった。子孫の七世と似ているのは眉の形くらい。あちらが頭脳派のイメージなら、こちらは肉体派という感じだ。

「久しいな。伝言は届けてくれたか」

「一つ目は確かに。二つ目は受け取ったとだけ聞かされていません」

「二つ目はわしもよくわからんやつでな。なんでそなたに託すことになったのかよくわからん。あちらが受け取ったというなら気にするな」

「はい」

「それで、何について聞きたいのか」

 イツキは地下鉄工事について説明した。どこを通るのか、どんな工法を使って地上への影響は殿程度なのか。そういったものを石盤に図にかきながら。

 ラダ三世はところどころ鋭く質問を入れてくる。幸い、調べて答えは用意していたものばかりだった。

 説明が終わるころにはイツキは額にうっすら汗をかいていた。いや、そんな気がしただけかも知れない。

「あいわかった」

 ラダ三世は膝をうった。

「これから申す条件が満たされるなら許可するとしよう。二つくらいだ」

 無断で計画を変えないこと、それと途中何カ所か設置する吸排気口についての条件で、妥当で無理でもない条件だった。

「心得ました」

 イツキは深々と頭を下げた。

 いつもならここで退室となるのだが、ラダ三世はまだなにか用事があるようだ。

「すまんが、ちとついてきてくれ」

 手招きされるがままついていくと、がやがやと大勢が車座になって一人語り合っている。常世でこれだけの人数を見るのも、騒がしさを耳にするのも初めてだった。

 大きな羽飾りの帽子が目を引いた。見慣れない派手な衣装、ピンと固めた派手な口ひげのこれまた派手な顔立ちの男が常世の人たちと楽しげに話している。

「誰です? あれ」

「村の者でもミドガルドの者でもない。ふらっと現れたかと思うと話を収集しているとかいって、気がついたらあの有様だ。巫女よ、そなたにもわからんか」

 ひっかかるものがあったが、イツキはかぶりをふった。常世に侵入者なんて。

「わたしのような巫女の類でしょうか」

「いや、そう言う感じでもない。まるで昔からいたような変な錯覚もある」

「由々しきことではありませんか? 」

「そうは思うのだが、なぜか彼を受け入れてしまっている不思議な感覚もある。何者かと聞いたら、常世のことを知りたい学者で名前を九十九と」

 イツキは思わず変な叫び声をあげた。


 イツキのゴーグルにはいくつも機能があるが全部は教わっていなかった。グレートライブラリの漁り方を覚えてきた彼女は、その取扱説明書を読んで手入れの仕方、充電、自分でもできる修繕を知り、そしてその機能を知っていた。

 中央世界人またはそれに準じるもの(彼女のようにアクセス可能な器具を持つものなど)、相手に簡単なメッセージを送ることができるし、聴覚と視覚だけだが合意の上で拡張現実を展開して面会することもできる。

 そういうわけで、いつもおつとめのあとはくたくたで、さらに村長への簡単でない報告とへとへとだったのだが、彼女は九十九を呼び出そうとした。

 眠気にあらがいながら呼び出しをかけること数度、いきなり拡張現実が展開して半透明の九十九と研究室らしい風景があらわれた。実のところ、この機能を使うのは初めてなので一瞬とはいえ眠気が飛ぶほど彼女は驚いた。

「中では知らんふりされましたね」

 この卵男はあいかわらずとぼけている。いや、九十九に肉体的な性別はないと思うのだが彼女はそのメンタリティを男性と判断していた。

「知ってるかと聞かれたけどわからないとしか答えられないじゃない。姿がまるで違ったし、不確実なことを言って面倒なことにしたくしたくなかったし」

「あれ、概念世界で使ってるペルソナなんですよ。姿はこうでも心はああです」

「派手好きなのね」

 いや、そうじゃなく。と彼女は思い直して語気を荒げた。

「そんなことよりなんであなたがあそこにいたのか説明をお願いするわ」

「あなたは賢い。もう、見当がついているんじゃありませんか? 」

 結晶世界の研究者がここで研究をしている。おつとめに関心をもった。彼女としばらく旅をした。イツキはとうに察していた。

「もしかして、私たちは人間じゃないの? 」

「難しい質問ですね。あなたがたは確かにカスタマイズされた遺伝構造をもっています。でも、その程度の遺伝子改変なら珍しくもありません。もっと思い切った改変だってあります。しかし、それが何ほどのことがありましょう。あなたがたに手を加えたものが異文明の産物であっても、やはり問題にはならんのです」

「結晶世界」

「の、無差別情報収集装置です。彼らはある程度複雑な原住生物に記録用素子を埋めこみ、そのライフサイクルを記録しようとするようです。最初に共生の的となったのは植物でした。広大な森はそうやって生まれたのでしょう」

「何か、先例が? 」

「いえ、ここが最初です、ですが、痕跡はあちこちにありました。これまで、いろいろ推測するしかなかったパズルのピースが、ようやくきちんとはまったのです。これは私ひとりの見解ではありません。概念世界で何度も学会を開き、討論を重ねて出た結論です」

「その装置は何をしたのですか。そしていまどこにあるのですか」

「この森の世界に展開されたすべての結晶素子がその装置です。あなたの体にも多数はいっています。いや、あなたのものは他の人よりずっと多い。意識的に多数埋め込まれたのでしょう。結晶素子の自己複製機能は大分わかっていますが、やはり時間がかかるのです。これらの素子はその個体の記録をもっています。死者を森に葬るのはその記録を常世に移し、記録として保管するためです」

「では、わたしは」

「常世的な死と蘇生を繰り返しているのでしょう。記録されたあなたはあちらにありますよ。私はみました」

「私がむこうに? 」

「少し話もしました。とても孤独そうで、寂しそうでした」

「あなたは、どうやってあそこに? 」

「わたしは偽とはいえ結晶世界人ですよ? アクセス可能でなにが不思議でしょう。集めた情報が閲覧できないのでは意味がありません。とはいえ、あの世界と中央世界をいきなりつなげるのは避けて間接的なアクセス装置を用意しました。あなたのゴーグルのようなものです」

「わかったわ。ところでこれは委員会の許可は得ているの? 」

「いいえ、それはさすがにおりるわけがありません。だから『独断』です」

「勝手な…」

 イツキは直感した。公式な許可はおりてないが、非公式の黙認はあったのだ。

 村長はなんといったろう。知りたいといってなかったか。それは彼女も同感だった。

「わかりました。あなたが見たものを私も見たい。きっと見せるための準備をしているのでしょう? あさって、旧都に詳細説明のために村長といきます。もしそこで会えたら見せてください」

「はい」

 会見はおわった。イツキはゴーグルを寝台の下に隠すと、倒れ込むようにして眠りに落ちた。


 翌々日、イツキは朝一番の列車にのって旧都へ出発した。予定では明日戻ることになっている。村長はしばらく旧都に滞在していくつか用件をすませる予定なので、エスコートを誰か探さなければならない。たぶん養父だ。

「昨日の結婚式はよかったな」

 村長は威厳もだいなしなあくびをする。

「両人、幸せそうでなによりであった」

 この人はどちらかが、あるいは両方ともが嬉しそうではない結婚式をいくつ見たのだろう。

「あの二人、ずいぶん前から割って入れない仲でした」

「よいことだ」

「母と父の時はどうでしたか」

「あれはおぬしの父の村でやったからなぁ。わしもまだ村長ではなかったし招かれておらん」

 村長は思い出をまさぐりながらぽりぽり髭の生え際をかく。

「だが、花嫁衣装で送り出したときのそなたの母は美しかった。少なくともあのときは幸せだったのだろうよ」

「そうですか」

「父親のこと、許せぬか? 」

「どうでもよいです。いないも同然の人です」

「まだあれは生きてはおるが、いずれ常世で再会するかもしれんぞ」

「そのときは、そのときです」

 そこで彼らは無言になり、旧都まで特に話すこともなかった。九十九の件、この人はどのくらい知っているのだろう。イツキは聞きたいような、聞くのが怖いような気持ちをずっともてあそんでいた。


第七章 現


 会議室にはいま旧都にいる委員、つまり村長たちが四人と、ラダ七世、ワット補佐官のプロトコルデバイス、これは子供くらいの大きさの熊のぬいぐるみ、そしてイツキが出席していた。

「まず、常世でラダ三世様にしたのと同じ説明をします」

 緊張しながらイツキは地下鉄についての説明をした。村長たちがほんの少し目を丸くするのがわかった。ラダ七世は面白そうににやにやしている。

「ワット補佐官、ここまでの説明で問題はありませんでしたか? 」

「驚きました」

 くまのぬいぐるみが両手をあげてそういった。ミドガルドに熊はいないので一同それがなんなのかはわからないが、ちょっとかわいいとイツキは思った。

「微妙な齟齬はありましたが正確です。十分な説明でしょう」

「ラダ三世様は条件つきで許可をくだされました」

 村長たちがざわめいた。信じられん、そう反応するのはわかる。

「して、その条件は? 」

「計画を無断でかえないこと。それと、吸排気口の位置です」

 イツキの示す条件を聞いたぬいぐるみは今度は腕組みをした。

「現地調査が必要ですが、図面上は問題ないと思います。明日にでも現地に調査デバイスを派遣します」

 ラダ七世がマイクに向かって宣言した。

「お聞きになったかな、委員がた。巫女殿はお許しの返事をもってもどられた。ご意見はあるかな」

 通信機でこの説明を聞いていた委員たちがどう思ったのかはわからない。快くない者もいたはずである。だが、抗議の声はあがらなかった。

「では、調査の結果を待って着工の準備をおねがいする」

「心得ました」

「そして巫女殿、どこであれだけの知識を? 」

 ゴーグルのことは言わないほうがいいかもしれない。彼女は半分だけ嘘をいうことにした。

「ステーションのほうで、中央世界の本のようなものを調べましたの。お話はもううかがっていましたし、わからないものについて聞いても聞かれたほうも困るでしょう」

「よい心がけだ」

 委員長はたちあがった。全員続いてたちあがる。

「では散会」

 委員長が退出し、村長たちが退出した。ワットとイツキだけが残った。

「九十九博士はいまどこ? 」

「このあと集合ということになってる」

 何の集合なのかわからないが、くまのぬいぐるみがひょいと飛び降りて両手を広げた。

「これ、歩幅がせまくて遅いので運んでもらえませんか。指示しますので」

「う、うん」

 その仕草にくすぐられるものをなんと呼べばいいのか、彼女は知らなかった。偉いさんのくせに、戦う宇宙船のくせに、なんだかずるい。それがやっとの感想だった。

 そこを右とか左とか、くまのぬいぐるみに指図されながら裏通りの目立たない建物につく。

「ここは? 」

「九十九博士の研究所、の出張所です。地下鉄の工事事務所に直したあと、運行管理センターになる予定ですけどね」

 ぬいぐるみが腕をふると、がちゃっと音がしてドアが開いた。

「中へ」

 吹き抜けの広々としたホールにたくさんの棚がならんでいる。保護ガラスの向こうにはどうやってかきらきらした大小の結晶が等間隔で宙に固定されていた。

「これってもしかして」

「ええ、結晶素子です。ミドガルドではなく他の世界で発掘されたサンプルですよ」

 あんなものがみんなの体の中に、そして森の樹々の中に。イツキはあまりそれを現実とは思えなかった。とがっていたそうではないか。

 ホールを工場だとすれば事務所にあたる部屋に九十九が待っていた。たぶん投影機と思われる機械を器用に調整している。

「やぁ、しばらくぶりです」

 九十九は手をふった。相変わらずすっとぼけている。

 なんといってやろうか。今は適切な言葉がでないイツキは睨みつけながらワットのぬいぐるみをおき、その横に座った。

 ドアがきしんで開いた。

「待たせたね」

 入ってきたのはイツキの予想した通りラダ七世だった。

「やはり閣下でしたか」

「さよう、わしは知っておかねばならんのだ」

「適切な判断のためですか」

「そうだ。そして禁忌をおかした責めを受けるならその覚悟もある」

「そうですか」

 イツキは巫女として言わなければいけないことはないか考えた。何をやっても無意味に思う。それよりことのなりゆきをまずは見届けたかった。

「そろいましたので、はじめてください」

 ぬいぐるみがそう宣言した。 


 見渡す限り緑色の大地だった。神職されているのk、深い谷が割れ目のように走っている。

「アクセスして最初に見えた風景です」

 これは録音らしい。九十九の声が解説する。

「近づいてみます」

 割れ目の一つに近づくと、崖のすぐ上に何か書いた板がうちつけてある。イツキの知らない字だ。

「開拓者とかいています。入ってみます」

 視点は崖にそっておりていく。ふっと霧がかかって晴れたかと思うと、機械とも生物ともつかぬ三本足の何かが静かにならんでいた。

「これはテラフォーミング用の作業ドローンたちだ」

 録音の声が驚いたように説明した。

「そなたたちはなぜここにおる」

「本体を失ったため、待機している」

 一体が抑揚のない声で答えた。

「何を待っておるのか」

「ふたたび体と任務を得る日をまっている」

「そなたたちの任務はもう終わったのではないか」

「そうだ。だから待機している」

「彼らは中央世界よりもずっと古いテクノロジーの産物で、これ以上は答える能力がないようでした」

 現実の九十九が説明した。

「次の割れ目にいってみる」

 録音がそう宣言すると視点があがっていき、また緑の大地をわたって次の大き行く。

 今度は銀色の森があった。その中をクリスタルでできたかのような虫がはいまわっている。

「既に絶滅した生物らしい。痕跡しか発見できていない。これを見て狂喜乱舞する教授は何人か心当たりがある」

 そんな時と空間のかなたの眺めをいくつも見た後。

「あ」

 イツキは声をあげた。

 空からみたあの眺めによくにた町があった。人の気配がない。

「旧都だ」

「ここらへん、ちょっとはしょります。人をみつけるのに時間ばかりかかりましたので」

 切り替わって、委員会議事堂で二人の人物とむかいあっている映像になる。議事堂はいまの薄暗い感じではなく、ずいぶん明るく照明されていた。

「このころは電力が普及していたんですね」

「新都にパワープラントもありましたし、送電線もありました」

 答える一人はもう若者といえない年齢に達したばかりの感じ。イツキはどこかで見た覚えがあった。たぶん夢に出てきたのだろう。

「残念ながら新都は再建されなかったし、新しいルールでは使える資源も限られていたのだ」

 もう一人の壮年の人物にははっきり見覚えがあった。

「あの方、ラダ三世様です」

「なんと」

 ラダ七世が声をあげた。くいいるように見ている。

 でもなんか違う、と思ったけれど、イツキは声に出さなかった。そうか、いつも会うのより若い。そのせいか雰囲気も違う。

「新しいルールをもたらしたのはなんでしょう」

 映像の中で九十九がたずねる。

「常世だ。それと、最初の巫女」

「最初の巫女と常世? 」

「われわれは知らずに森に斧をいれていたのだ。そこに広大な常世があり、ミドガルドよりも広い世界の、ミドガルドの歴史など一瞬にしか見えないほどの歳月が保管されていることをな」

「ここですか」

「新しいルールは最初の巫女が考えました。彼女が何者かわかりませんが、取り替え子だった可能性があります。彼女と話をしたければ、ここにはいませんとしか言えません」

「何が起きたのです」

「眠り病にむしばまれ、全滅したのです。猛烈な眠気で眠ってしまったままになる病気です。わたしは抑止薬を開発しましたが、結局倒れました」

「伝染病ですか? 」

「病原体は発見できませんでした。伝染病にしても空気感染なのか接触感染なのか」

「診療記録は残っていますか? 」

「新都のわたしの研究所においてありますが、紙に手書きですからもうさすがに残っていないとおもいます。私は戻らなかった組ですから取りに行くこともできませんでした」

「戻らなかった? 」

「私たちは新しいルールに従う条件でもどったのですよ」

 ラダ三世が説明してくれる。

「しかし、それができない者はここにとどまりました。そっちのほうが多かったのです」

「そうですか」

「ところで途中で申し訳ないのですが」

「どうしました? 」

「どうやら呼ばれたようだ。いってきます」

「巫女の来訪ですか」

「はい」

 ラダ三世はみるみる年齢があがってイツキの知る姿に変わった。

「ついていってよろしいか? 邪魔はしません」

「ご随意に」

 そして場面は切り替わり、こちらを指差して唖然としているイツキの姿が映った。

「あとはイツキさんがよくご存知でしょう」

 映像は終わった。

 沈黙が落ちた。誰も何も言わない。

「巫女殿」

 ようやく口を開いたのはラダ七世だった。

「おつとめで見る常世はミドガルドだけと考えてよいかな」

「ええ、あんなへんてこなものは見た事がないわ」

「そうか、わかった」

 七世はよろよろと立ち上がった。

「九十九博士、今日はこれを見せてくれてありがとう」

 退出しようとして振り向き、イツキに怖い顔を見せる。

「巫女殿、ここでみたことは絶対に他言無用ですぞ」

「はい」

 気圧された彼女にくれぐれも、くれぐれも、おまじないのようにぶつぶついいながらラダ七世は出て行った。

「知らなければよかった」

 残ったイツキは九十九を睨んだ。

「知らずにおれましたか? 」

 九十九は問い返す。

「だからよ」

 もう、巫女は続けられない。それは確信だった。


第八章 白昼夢


 隣家の少女はもう少女ではなかった。七人の子供を産み、育てた立派な母親である。一番上の子はとうに成人し、弱ってきた夫を助けて働いている。みな彼女のことをおかみさんと呼んだ。

 村はすっかり変わっていた。かつては二百戸を数えていたが、いまは十数戸しかのこっておらず、畑は家庭菜園程度になり、かわりに老人や病で死に行く者たちが余生を過ごす快適な集合住宅がたっている。

 ほとんどの者は村を去った。

 かつて少女であったおかみは回想する。

 あの日、イツキ媛巫女が失踪して村は大騒ぎになった。陳情しにいくもの、過激な昔日反動にはしるもの。暴力もあって数人が大けがもした。村長もその一人だった。嫌気がさして少なくない村人が島嶼世界へと去って行った。昔日反動派は数年、村を占拠していたし、その中には彼女の実家もはいっていた。夫と彼女は旧都でくらした。

 反動の日々は長く続かなかった。巫女はいないし、生活物資に困窮するし、ただ閉鎖的にくらしてくこともできなかった。村を出たものも死ねば伝統的な樹上葬に付すことになっていたし、彼らがそれを拒むこともできない。謝礼の食料などをあてにするようになり、村はいつしか墓苑となる。

 夫ともども村に戻ったのは、彼女の両親を手伝うためだった。そのころには過激な反動はすっかりなりをひそめ、夫の手腕で今日にいたっている。

 いろいろあったが、おかみに不満はなかった。ただ、イツキ媛巫女はどこへいったのか、それが気になっていた。

 その日は朝からさわがしかった。終わりの家に入渠していた若い死病の青年の姿が消えたというのだ。ときおり、こういうことはある。森から離れたところで生まれ、育った人がなぜか森に入る事を知るのだ。そして森に入った事がわかればそれ以上探さない。探しても遺留品がいくつか見つかるだけで遺体が見つかることはないのだ。

「お母さん」

 彼女を呼ぶのは一番下の娘、まだ七つほどの愛らしい子で配膳や洗濯などの手伝いをいやがらずにやる終わりの家の人気者だった。髪上げまでの仮名はソダ。おかみの幼名と同じだ。

「あたし見たの」

「何を見たの? 」

「お兄ちゃん、奇麗な女の人と話してた。昨日の夜だよ」

 誰? と聞いても知らない人としか言わない。そんな人がいるとすれば入居者の面会人や新参の付き添い。食材などを納品する業者は夜を待たずに帰る。

「どこで? 」

「こっち」

 手を引かれて連れてこられたのは少し森にはいったあたり。誰かが落ち葉の堆積を踏み荒らしているのが見つかった。

「ここ? 」

「うん」

 誰もいない。母娘はそれ以上できることもなく、施設に戻った。

 手のあいたものはみな探しに行っているので、がらんとした玄関ホールに少し年齢の離れた姉妹のように見える若い女性と十ほどの少女が旅行鞄に腰掛けて呆然としていた。今朝の列車でついたらしい。

「ご面会の方ですか」

「いいえ、でも二泊ほど滞在する予定できました 」

 肌の色は白く、髪は漆黒。浅黒く、麦わらのような髪の多いミドガルド人ではない。中央世界人か、他の辺境世界の人間に見える。であれば若く見えても年齢は不明。今、目の前にいるのが本当の体とは限らないのが中央世界人だ。似てる、となぜ思ったのだろう。そう思うとなんだか少し腹ただしくもなる。

「ここは墓所です。物見遊山に来る場所ではありませんよ」

 すこしきつかったかも知れない。怒らせたり傷つけたかも知れないとおかみは心配するが、それは無用だった。

「ここはこの子の祖母の出た村で、彼女がどうしても来たがったのです」

 肩に手をおかれた少女はぺこりと頭を下げた。こちらは典型的なミドガルド人だ。

「コズエといいます。大好きなおばあちゃんの生まれた村にどうしても来てみたくて」

 こちらははっきりしている。幼なじみそっくりだ。

 頭の中でいくつもの情報がつながり、おかみは目を見開いて女を見た。

「あなた、もしかしてイツキ媛巫女? 」

「いいえ」

 女はかぶりをふった。

「彼女はずいぶん昔に死にました。ここよりももっと森の深いところに孤独に葬られています」

「でも、この子はイツキ媛巫女そっくり」

「ええ、彼女の忘れ形見です」

「そうですか」

 おかみは腰をかがめ、少女と目線をあわせた。

「お母さんの事、覚えている? 」

「ここにいるよ」

 彼女は女を見上げてはにかんだ。

「そうじゃなくて、産んでくれたひと」

「それなら昨日もあったよ」

 どういうこと、きっと女を見上げたその瞬間、おかみは悟った。

「まさか、この子」

 唇に指があてられた。

「それ以上はだめよ」

「あとで、くわしくうかがったほうがよさそうね。どうぞ、お部屋へ案内します」

 掟を知っているこの女が、本当に別人とは彼女には思えなかった。


 夜、入所者たちの集まる食堂に弦楽器のものがなしいメロディと、幾分の衰えはあるものの力強さを感じる歌声が流れていた。

 演奏しながら歌っているのはずいぶん高齢の老人で、髪は真っ白、刻まれた深い皺には澱となった歳月がふきだまっているかのようであった。この老人も死を待つ入所者の一人であった。

 長めのバラッドが終わると入所者たちと、お相伴していた村のものたちから拍手がばらばらと起きた。医療スタッフが歩みでて老人の車いすにつけてあるモニターをチェックし、うなずく。

「短い歌ならもう一曲くらい大丈夫ですよ」

「だ、そうです。あたしゃ一杯もらえればいくらでもいけそうなんですが仕方ない。リクエストはございますかな」

「じゃあ、帰らざる巫女、なんかどうですか」

 リクエストを出したのは別の村の出身者。

「いやぁ、あれはあんまりできがよくないので、ひとつ新作をご披露することにしましょう。題して常世の使者」

 帰らざる巫女、は老人がまだ壮健だったころに列車で出会い、その後再会した巫女から聞いた話をもとに作った歌である。もちろんイツキのことであり、この村で演奏するのははばかられたものだった。変わりゆく時代と失われるものへの郷愁を込めてここ以外での演奏旅行では定番であった。

 常世の使者、は森でであった不思議な少年との会話をうたったもので、人生の終わりに失われた時に回帰し、心を鎮めて人生の終わりを穏やかにむかえられるという歌。いずれ同じ理由でここにいる入所者たちはしんとなって聞き入っていた。声なく泣くものもいたし、まだまだ騒ぐ心に戸惑うものもいた。

「皆様も、彼にあうようなことがあるかもしれませんね」

「あなたはあったのか? 」

 老人は微笑むだけで答えなかった。うながされ、医療スタッフに車いすを押されて自室に引き下がる。入所者たちは三々五々、付き添いと談笑したり部屋にもどっていく。

「最後の遍歴詩人、か」

 そうつぶやいて席をたった老婆は高齢ながら入所者ではない。付き添いでもないし、施設のスタッフでもない。おかみがその姿を目にとめて近づき、丁寧に頭を下げた。

「おばば様、こちらでしたか」

 今や村の長老であるこの老婆はかつてはイツキの「おつとめ」の介添えをやっていた女だった。伝統的なあれこれに通じ、今では墓所の町となったこの村で重きをおかれる相談役となっている。彼女も反動の日々は村を離れ、その後もどってきた一人だった。

「他は誰がおるのかい? 」

「夫と、わたしです」

「あれを直に知るものはそれくらいか。では行こうかの」

 訪問者を迎えて中央世界の女は唇に指をあてた。

「娘は寝てしまいましたのでお静かに。どこか別のお部屋でお話ししましょう」

「よく似ておるな」

 老婆がその寝顔をうかがう。

「そうですね」

 おかみの夫、施設長で村長が同意する。きりっとした男前はすっかりひげ面の少しくたびれた面体になっているが、目の輝きはさほど衰えていない。

「隣へ。今日はあいてます」

 おかみの誘導にしたがって、彼らはぞろぞろ移動した。

「ご存知と思うが、この村の者はイツキ媛巫女の失踪をきっかけとしていろいろなことがあった。彼女に何があったのか、まずはそれを教えてほしい。あなたとの関係も差し障りなければ」

 村長がまず質問をした。 

「先ほど、遍歴詩人が歌っているのが聞こえました」

 中央世界の女はまずそう言った。

「彼が遠慮した曲があると思いますが、聞いた事はありますか」

 ない、と答えたものはいなかった。

「では、その後のことを話しましょう。それでよいですね? 」

「ああ」

「彼女は三つの世界を行き来してくらしました。一つは政庁のある島。村に帰らないことにした彼女がすめるところはここしかありませんでした。取り決めにより、ミドガルドから出ることが許されなかったからです。一つは中央世界の知識の海。自らはどこにもいけないけれど、心は遠く未知の世界に遊ぶ。彼女が一番好きだったのはここです」

「中央世界にたぶらかされよったな」

「そして最後は常世です」

 一堂、えっという顔になった。

「いくらなんでも委員長の承認なしには、というわけで、中央世界の常世研究に協力かたがた頻繁に常世にはいり、時に託宣を持ち帰っていたのです」

「それなら村を出ることもあるまいに」

「中央世界側から、より安全に、簡単にはいることができるようになっていたのです」

「古くさいやり方は嫌だと? 」

「従来の方法は制限が多すぎます」

「そういえばよいものを」

「それで理解を得られたと思いますか? 」

 老婆はちょっと考えて首をふった。

「無理じゃな」

「そうですね。常世のことなど中央世界にわかるわけがない、きっとそういうと彼女は思ったのでしょう。でも彼女は二つの視点から常世を見て、それがどういうものか知ってしまったのです。それは彼女の生まれた村ではきっと間違いなく受け入れられるわけのないことでした」

 三人の村人はじっと彼女を見ている。

 それはなんだ、とその目は問うていた。

「娘は、おばあちゃんが好きだといいます。彼女が常世であうイツキの母親は、イツキが常世であっていた人とはどこか違います」

「子供と孫で態度が違うのはよくあることではないですか」

 村長がしみじみそういう。何か覚えがあるのだろう。

「イツキは常世で既に他界していた彼女の実父にもあっています。とても心の弱い、常に罪の意識にさいなまれている人でした」

「ありえぬ」

 老婆はかぶりをふった。

「あれはそんな男ではないぞ」

「常世に嘘はありません。彼女の実父には確かにそのような側面があったのだと思います。ただ、そういう実父の姿は彼女の望んだものでもありました」

 女は一堂を見回した。

「これが、彼女が村に戻れなかった理由です」

「それが本当だとしたら、確かに言えることではないな」

 村長は飄々としたものだ。

「彼女にはちと融通のきかないところがあった。隠し通すのは無理だろう」

「死んだというのは本当? 」

 おかみはまだ信じられないようだ。

「島の若者にイツキに懸想する者がいました。少々しつこいので遠くに引っ越したのですが、どうやってか彼女が子供を産んだと聞いて激昂し、探し出して手をくだしたのです」

「夫ある婦人に横恋慕もいいところじゃな」

「彼女にミドガルド的な夫はいませんでした」

 三人は顔を見合わせた。

「あの娘の父親は中央世界人です。子供を望んだイツキがその父親に見込んだ人でした」

「なんという」

 後の言葉はいうまでもなかった。恥知らずなことだろう、とこういうわけだ。愚かな若者の激昂もわかるというものだ。

「お二人、とても仲が良いですね」

 女はおかみと村長に微笑みを向けた。二人してどう反応しようか戸惑っているのを見てさらににこにことする。

「でも、ミドガルドでの夫婦でそれは珍しいほうです。イツキがその若者を受け入れなかったのは、彼の弱さとその裏返しである支配的暴力的性向に気づいたからです。愚かな若者は、イツキに手を下したその場で自らの命を断ちました」

「なんてこと」

 おかみが絶句した。複雑な思いはあったが、総じて彼女はイツキを愛していた。村長もよく知った女性の不幸な最期に言葉もない。

 老婆だけが冷ややかな目で女を観察していた。

「幸薄い一生であったのう。さて、中央世界の方、一つお尋ねしてよいかの」

「なんでしょう」

「そなたとイツキ媛巫女はどのような関係であったのか」

「なにも」

「なにもないわけはなかろう」

「生前の彼女にあったことはありません。常世ではよく会います」

「いずれわしらがいくところに、縁もゆかりもないよそ者が入っていくというのはなんともおもしろうないのう」

「ご不快と思います。中央世界は常世とどう向き合えばいいか、まだわからず手探りなのです。わかっていることはミドガルド人のようにはできないことだけです」

「ほうっておいてくれればいいのに」

「それは、無理でしょう」

「そうかもしれんな」

「話がそれたと思います」

 おかみがまっすぐ見据えて戻した。

「トレントさん、無関係なあなたがなぜあの娘を引き取ったのです? 養ってくれるミドガルド人なら誰か見つかったと思いますが」

「なつかれたのです」

「なつかれた? 」

「ええ、あの嬰児は私になにを感じてたのでしょう。わたしは中央世界人です。これはかりそめの体。別の体にかえてもあのときの嬰児はわたしをもとめてはってきたのです。これはもう縁とでも思うしかないでしょう」

 そんな言葉が中央世界人の口から出るとは思わなかった。

「最後に一つだけ確かめさせておくれ」

 老婆がじっと彼女をみながら口を開いた。

「中央世界には生まれもった体がだめになると、人工の体に乗り移らせる技術があると聞く。そなたはそうやって生まれ変わったイツキではないのだね」

「たとえそうだとしても、わたしはあなたがたの知るイツキさんとは違いますよ。考え方も、価値観もまるで違うよそものです」

「しかし、私たちも、きっとあの子もあなたにイツキに通じるものを感じている」

 おかみのすがるような目を女は無視した。

「彼女は常世に鎮まっています。わたしはあの娘のために知らず彼女のまねをしているだけなのでしょう」


「今日の話は他言無用ぞ」

 三人はラウンジの片隅でお茶を手にしていた。老婆の家人が迎えにくるのを待っているのだ。

「そうですね」

 何もいいことはない。特にあの詩人の創作意欲を刺激するのは嬉しくない。

「事実はなんであれ、そっとしておいてあげるのがよさそうだ」

 と、村長。

「イツキちゃんは遠くにあこがれている子だった。もし、彼女がイツキちゃんだったとしても、彼女は自分を葬って自由になれたんだ。死者を呼び戻すのはよそう」

 ドアがぎいとあいてランタンをさげた熊のような男と、ほっそりした妖精のような女が入ってきた。二人とも若くはない。だが女には茶目っ気たっぷりの愛嬌がある。

「母さん、むかえにきたぞ」

「やれやれ、帰るとするか」

 老婆がよいしょと立ち上がるのを二人は両脇から気遣う。

「では」

 老婆と息子夫婦はぺこりと頭を下げて扉をくぐった。

「ねえ、お義母さん、やっぱりイツキ姉さんでした?」 

「違ったよ」

 そんな会話が最後に聞こえた。

「人気者だな」

 夫の言葉におかみはうなずいた。

「あの娘、私と違って下の娘の面倒見はとてもよかったから」

 村長は妻に何かいおうと思ったが、やめておくことにした。


 アレクサンドラはいまはミドガルドの星令の立場にある。ワットと田中カエサルは離任し、今はそれぞれ失われた歴史の発掘と、遠宇宙の探査とことなる道を遠く歩んでいた。

 補佐官はワットのかわりに暴力装置の専門家を任命してある。任命というが、コンサルタントのようなもので犯罪、暴動の抑止と早期対処可能な状態を定期的にメンテナンスしてもらっているだけだ。新補佐官いわく、ワットの残して行ったシステムは完成度が高く時々少し手直しをするくらいですむらしい。かつての同僚が賞賛されたことは彼女には嬉しいことだった。

 もう一人の民事補佐官は空席だ。いや、実質いるのだが正式に着任してもらうにはやや問題があるため、臨時職を一つ作って代行してもらっているのだ。それも二人。

 正式に就任してもらえない理由は、彼らとの関係にある。一人は彼女の息子であり、もう一人は彼をもうけたときの相方である昔の愛人。二人とも、中央世界の執行部が正式な補佐官を派遣してきたら辞任すると宣言している。

 アレクサンドラは、生物学的な由来をもたない自分にそういうことがあるとは思わなかったので驚き、職務にさしさわるほど溺れた。驚くほど刺激的なミームの対合が起こり、概念世界に四人の子供、新人格を生み出した。それほど愛人のミームは荒々しく、しなやかで彼女のなりたらぬところを激しく埋めてくれたのだ。アレクサンドラ自身にも変化があり、おかげで星令の地位につくことができた。

 かつての同僚、上司にも変化はあった。田中カエサルは悟り澄ましたようなところが消え、若者のように何かの情熱を取り戻した。何があったのかはわからないし、探るべきでもないだろう。ワットは変な性癖に目覚めたらしい。ぬいぐるみのプロトコルデバイスで女性にぎゅっと抱かれたがるようになった。何がきっかけかはわからない。今はアレクサンドラの娘の一人と未踏の宇宙の探査の旅だ。彼女の少女型ボディの膝にぬいぐるみ姿で抱きかかえられてご満悦であったが、できれば見たくはなかったと親として元同僚として思う。

 まったく変わってない人物もいる。九十九博士だ。常世を、結晶世界の残した自動データ収集装置とそのストックの研究に余念がなく、もう何本論文を出したかわからない。それがかつて宇宙船であったころの航路の解明を共同研究者に託し、広大で複雑なそのすべてを解明しようとしている。

 もしかすると、彼もまた変化の風の中にいるのかわからないが、それを知る事はできない。

 そして彼を手伝い、彼女を手伝い、中央世界のもっとも関心をよせていることに従事している息子。彼は目的を達成すればどうなるのだろうか。幸か不幸か、その目標はなかなかに達成できそうにない。すなわち、今日のミドガルド人を生み出すために意志と計画をもって実行した伝説の存在。当時の住人が最初の巫女とよんだものの探索である。それはどこからどうやって現れたのか。

 中央世界は寂しがりやなので、常世をただのデータベースとは考えたくないのらしい。

「遅くなりました」

 トレントとなのって村に滞在している女のペルソナが現れた。これが彼女の元愛人で、補佐官の代行のもう一人である。

「騒がしくなるのは予想の内です。思ったより早くこれましたね」

「あちらも騒ぎは嫌ったようです。イツキの縁者に詰問されたくらいですみました」

「イツキはあなたでしょうに」

「閣下もそういうのですね。確かにわたしは彼女の人格式を引き継ぎましたが、彼女をイツキたらしめていたものは肉体とともに滅び、常世に格納されました」

「それを読み込めばあなたは従前同様に戻れるのに」

「とんでもない話です。イツキは解放を願っていましたが、彼女自身がその枷になっていることにも気づいていたんです。彼女が死ぬことでやっと自由なわたしになれた。その思いだけは引き継いであげなければ、今度はわたしが消えてしまいます。せっかく生まれ変わったのに冗談ではありません」

「そう。ではこの話はおしまいにして、村落社会の変動数値についてのレポートをお願い」

「はい、それでは」

 事務的な報告を聞きながら、寂しい、とアレクサンドラは思った。それは中央世界に回収されるまでの長い年月に一度だけ感じた理解不能の概念だった。


 コズエは外の忙しげな様子に眠い目をあけた。大きくのびをしてここはどこだろう、という顔をする。母親はまだ体のメンテナンスがおわってないらしく、あてがわれた寝台の上で姿勢良く、死んだように眠っている。

「そうか」

 思い出して彼女は窓をあけてみた。森の香りが朝日とともにふわっとはいってくる。胸いっぱいにすいこんで彼女はぱっちり目を開いた。

「すてき」

 下ではいそがしげに朝ご飯の支度に右往左往する人の姿がある。少女は窓辺にもたれて少しの間幸せそうにしていた。

「おはよう」

 後ろから母親の声。

 いつまでも一緒にいられないことは知っている。自分のためにいてくれていることも知っている。だからこそ、この一瞬一瞬を大事にしないともったいない。

「おはよう、お母さん。いい朝よ」

 彼女はとびっきりの笑顔でそう答えた。


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