『WELCOME to ***DREAMLAND!』
公式で提示されている噂、アトラクションがあまり目立ってないです。
後味悪いがかもしれません……。
観覧車が回っている。
それを見て、ぼくの隣でシュンは顔を真っ青にした。
当然だ。あの観覧車は動かないはずなのだ。
中からは、「助けてぇえ……出してよぅ」と、涙まじりの悲鳴が聞こえてくる。
「ヒロ……この遊園地の名前、なんだか分かるか?」
シュンはぼくの名前を呼んで、こわばった顔を向ける。
「え……確か、『ウラノドリームランド』だったかな」
古びたゲートの看板に掲げられた文字を、なんとか思い出してぼくは答えた。
そういえば、シュンとハジメはこの崩れかけた遊園地跡を発見したことに興奮して、ろくに警戒もせずにゲートをくぐっていた。頭上のはげかけたペンキを確認している様子はなかった。
だけど、今はこの廃遊園地の名前なんてどうでもいいはずだ。
重々しい機械音をたてて、観覧車はマイペースな時計みたいにゆっくりとゴンドラを回している。あの中のどれかに、今まさにハジメが閉じ込められていると思うと、とても冷静ではいられない。
ああ、なんでハジメを止めなかったんだろう。ハジメのやつ、太ってるから体力無いんだ。足も遅いし、すぐに疲れたって文句を言い始めるんだ。
いくらゴンドラの扉が開いていたからって、中で休憩なんてやめさせればよかった。扉の金具は錆びだらけだったし、変な虫がいたっておかしくないほど荒れ果ててたんだから。
まさか観覧車が動き出すなんて思いもしなかったけど……。
「シュンちゃぁん。助けてよぉ……うぅ」
ハジメが叫んでいる。一応、無事ではあるらしい。
「ねえ、どうしよう。シュン」
ぼくは泣きそうになって、シュンを見た。シュンはぼくたち三人のリーダーだから、どんなときだってぼくらを引っ張ってくれる。それなのに、シュンはぼくの声が聞こえなかったように観覧車を見上げ続けている。
目玉が落ちてしまいそうなほど、目を見開いて。
シュンがこんなに取り乱しているなんて!
ぼくにとっては、ハジメが観覧車に閉じ込められたことよりもショックが大きかった。
「裏野ドリームランド……ウソだろ! ただの噂じゃなかったのか……」
シュンはひとりでぶつぶつ呟いている。
「シュン……」
「うるさい! ちょっと黙ってろっ‼︎」
怒鳴られた。シュンがイライラしたように地面を蹴る。
もしかしてシュンも怖いのかな。そう思うと、ぼくは地面が固まりかけのゼリーみたいに頼りないものに感じられた。
地震? 違う、足が震えているんだ。
ようやく、シュンが我に返ったようにぼくを見る。
「……悪かった。ちょっと考え事してたんだ。
ところでお前、知らないのか? 裏野ドリームランドの噂」
「噂? なにそれ。知らないよ、そんなの。それより早くハジメを──」
シュンは言葉を制するように、ぼくの顔の前に手のひらを掲げた。
「いいか? 裏野ドリームランドは実在しない遊園地なんだ。口裂け女とか、人面犬みたいな都市伝説のひとつなんだよ!」
「そ、そんなわけ無いじゃないか! ちゃんとここにあるんだから」
「よく考えてみろ、ヒロ。おれたちはこの裏山に入る前に、坂を登ってきたな。そこからあんな観覧車や、お城のアトラクションが見えたか?」
シュンは目の前の稼働している観覧車と、その後ろの方に見える、これまた大きなお城を指差した。
観覧車の高さは、見た感じだとだいたい三十メートルくらいだろうか。授業で校舎の高さを測った時は十二メートルくらいだったけど、それよりも倍以上大きい。
この辺りは自然が多くて周りは山ばかりだ。けれど、その大半が山とは名ばかりの、言ってしまえば"コブ"みたいなもの。
高さのある観覧車を隠せるほど、ボリュームのある山はない。つまり、ここへ来る途中にどこかしらから、遊園地のアトラクションの一部分が見えたはずなんだ。それなのに、ぼくたちは裏野ドリームランドが目の前に現れるまで、その存在に気がつかなかった。
一気に背中が寒くなる。
「くそっ、なんで気付かなかったんだ……」
シュンは、血管が浮き出るほど拳を握りしめた。
「ぼくたち、どうすればいいの? ここから出ることはできないの? ハジメを助けることはできないの?」
「……入って来た門をくぐれば元の世界に戻れる。
ハジメも大丈夫だ、多分。あの観覧車は中から開けることはできないが、外からは簡単に開くらしいんだ。
裏野ドリームランドには、アトラクションに関するいくつかの噂がある。人を閉じ込める観覧車も、そのうちのひとつだ」
さすがシュンだ。すっかり落ち着いていて、顔色もぐっと良くなっている。
ぼくは、ほっと安心していた。
シュンがいれば、怖いことなんか何も無いんだ。
ぼくの声はいくらか張りを取り戻していた。
「じゃあハジメを助けて、早くこんなところ出ようよ」
「いや……ヒロ、お前は先に帰ってろ。おれはひとりでハジメを助けに行く」
シュンの一言に、「え」と声が溢れてしまった。
なんでそんなことを言うんだ。一人より二人で行動した方が、絶対に良いはずなのに。
何より、こんなよく分からないところで一人になんてなりたくなかった。「なんで。ぼくも一緒に行くよ」と、食い下がる。
「いいや、お前は帰るんだ。
言ったろ、この遊園地には噂がたくさんあるんだ。たとえば、あの城、『ドリームキャッスル』って名前なんだが、あの地下には拷問部屋があるという噂がある」
拷問部屋。そんなの、漫画や映画でしか聞いたことがない。無意識に顔が引きつったのが自分でも分かる。
「おれの知らないだけで、もしかしたらただ歩いているだけで危ない目に合うような噂も、中にはあるかもしれない。ここはそういう危険な場所なんだ。そんなところに、わざわざ長居する必要はないだろ?
ハジメを助けるのはおれ一人で十分だ」
シュンはにっと歯を見せた。
「シュン……」
やっぱりシュンはすごい。ぼくなんて怖くて怖くて、ほんの一瞬だけどハジメのことなんてどうでもいい、って思ってしまったくらいなのに。
「それに、入ろうって言ったのはおれだしな……お前を巻き込んじまって、悪いとは思ってんだ」
「分かったよ、シュン。ぼく、先に帰ってるから。
二人のこと、待ってるから! だから絶対に帰ってきてよ……」
まるで一生のお別れみたいだ。恥ずかしいことに、ぼくの頰にしょっぱい水がつたった。中学生にもなって泣くなんて。慌ててそれを拭う。
「ああ! さっさと行けって」
シュンはそのことには触れず、観覧車に背を向けてぼくらが入ってきた門を指し示した。崩れた建物が傍に立ち並ぶ、不気味な一本道の向こうにそれはある。
ぼく一人だけ逃げるみたいで、気が進まない。
だけどシュンは、顔の上に黒い糸くずが二つのってる様に見えるくらいに、目を細めていた。その表情には、少しも不安なんかないようにみえる。
シュンは笑うとき、いつもぎゅっと目を細める。そう、こんな風に。
そしてシュンが笑顔を作るのは、もう何も心配がない、問題は解決した、ってときなんだ。
それを見て、ぼくは覚悟を決めた。
こくんと頷き、無言のままゲートに向かって走る。泣き顔なんて見られたくない。それに、また後で会えるんだから。
大げさな別れの挨拶なんていらないんだ。
振り返ることもせず真っ直ぐ行くと、少ししてぼくは大きな門の下に到着する。なんとなく立ち止まって、それを見上げてみた。
入るときに、ぼくらを出迎えた看板には確か『WELCOME to URANO-DREAMLAND!』って書いてあったっけ。簡単な英単語ばかりだったから、ぼくでも読めた。
そして今ぼくが見ている、その看板の裏側に書かれているのは『WELCOME to ***DREAMLAND!』という英文だった。
"DREAMLAND!"の前の部分は掠れていて判別できなかったけど、要するに表側と一緒じゃないか。
これから出ようというのに、WELCOMEだなんて。
裏野ドリームランドを作ったのが誰か知らないけど、ずいぶんいい加減なヤツなんだな。こんなときだけど、そう思ってくすくす笑ってしまった。
それから、ぼくはおそるおそる門の向こう側を覗いてみる。向こうとこちらでは、空気感が違うのが一目でわかった。なんていうんだろう。こっちは少し薄暗いけど普通の景色なのに対して、あっちは霧みたいな白いモヤモヤに覆われているのだ。視界はあまり広くない。
勇気を出して、指を少しだけ門の外に出してみた。指先を、ぬるま湯にちょこんとつけたみたいな感触だった。あったかい感じもそっくりだ。くすぐったさを覚えて、ぼくは手を引っ込めた。
やっぱり、ここは普通の空間じゃないんだ。改めてそのことを実感する。
そんなことを繰り返したあと、ぼくはふぅっと息を吐いて眼を閉じた。さあ、そろそろ行こうか。
帰ったら、まずはシュンたちが帰って来るのを待って、それから三人で山を降りるんだ。今日のことを、クラスのみんなに言いふらすのも良いかもしれない。
最初は誰も信じないだろうけど、真面目に話せばきっと──そんなことを思いながら、ぼくはウラノドリームランドの門をくぐった。
◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇
「ねえねえ知ってる? 裏野ドリームランド」
「なにそれ、デ●ズニーみたいなの?」
丈の長いセーラー服に身を包んだ少女たちが、会話に花を咲かせている。
「ええー! マジで知らないの、サヤカ?
ほら、最近あったでしょ。中学生が三人山で行方不明になって、結局無事に帰ってきたのは一人だけだった、っていうの。
あれね、裏野ドリームランドに迷い込んだんだ、って今ネットで騒がれてんだよ」
黒い髪を一つに結んだ少女が、大声を張り上げ驚いてみせた。ちょうど、彼女の目の前の座席に腰掛けていた老人が、わざとらしく咳払いをする。少女はきまり悪そうに目を伏せた。持て余した右手を吊革に引っ掛けたあと、彼女は声を潜めて言った。
「知らないってんなら教えてあげる。
裏野ドリームランドはね、幻の遊園地なの。それも、見た目はボロっちくて、廃墟みたいなんだって。
どこどこにある、って決まってるわけじゃなくて、いつの間にか"ある"らしいよ」
「"いつの間にかある"?」
サヤカと呼ばれた少女は目を瞬かせる。
「そう──いつの間にか、どこかに出現してるらしいの。で、今度は近くの山のふもとに現れたってワケ」
ポニーテールを揺らしながら、彼女はここからすぐ近くの駅名を口にした。サヤカはうんうん、と頷いてみせる。聞き覚えがある名前だった。
少女は続ける。
「裏野ドリームランドにはね、噂があるの。
園の中にあるアクアツアーってアトラクションには、謎の生物が紛れ込んでるとか。ミラーハウスに入ると、鏡の中のナニかと人格が入れ替わっちゃうとか。
でもね、一番ヤバい噂が……裏野ドリームランドに二人とか三人とかで迷い込んでも、たった一人しか帰って来れないんだって」
「ええ? ミク、それって……」
サヤカが身を乗り出すように、友人のミクに顔を寄せた。
その時、電車内が大きく揺れ、二人の会話は一時中断となる。駅に到着したのだ。多くの客が下車すると同時に、乗客がなだれ込んで来た。しかし運悪く、彼女らの周囲に並んだ空席は出来ない。一瞬だけ空いた座席はすぐさま埋まり、サヤカの隣には中学生くらいにみえる少年が立った。
先ほどより人口密度の上がった車内で、ミクはさらに声を弱めて話を再開し始める。
「ほら、あの事件も同じじゃない。三人で山に入ったのに、たった一人だけ帰って来れて、一人は行方すら分からないまま。だってあんな小さな山で、捜索隊が何日も捜し続けてるのにだよ? 普通じゃありえないって」
「でも、あれって確かもう一人の子は見つかってるんだよね。意識不明でずっと入院してるみたいだけど」
「そう! それなの。裏野ドリームランドにはね、一番重要な噂というか、ルールがあって……聞きたい?」
ミクは勿体ぶるように口の端を上げた。
サヤカは小さく首を縦に振った。日本人形のように切り揃えられた前髪が、ふわんと宙を舞う。
「まずね、裏野ドリームランドには二つの門があるらしいの。入る時にくぐる正門と、園内の奥の方にあるっていう裏門が」
「誰か、それを見たことある人はいるの?」
サヤカの疑問に、ミクはふくれっ面をする。
「いーのっ! 噂なんだから。ネットでは有名な話なんだからね!
……でもって、裏野ドリームランドを出る為には、裏門の方を通らなきゃいけないの。
『裏』野ドリームランドなだけに、ね。
いーい? 裏門だよ、裏門。それも、たった一人で。そもそも、一人にならないと裏門がでてこないって話も聞いたことあるし」
だからね、裏野ドリームランドは別名、"裏切りの遊園地"って呼ばれてたりするんだよ。友達をアトラクションに置き去りにしたり、騙してたり。そうしないと現実世界に帰れないから──。ミクは好きなアイドルの話をするのと一緒のトーンで、サヤカにそう言い聞かせた。
「……もし、正門の方をくぐったらどうなるの?」
サヤカは生唾を飲み込んで、恐る恐る尋ねる。
「もし正門の方を通っちゃったら、今度は"夢の世界"に行っちゃうんだって。
そうなると、身体は現実に帰ってきても、意識は夢の中なの。
ほら。ちょうど、見つかったけど意識不明になってる子みたいに。なんかね、夢の中で裏野ドリームランドを延々と彷徨い続けるんだって」
悲惨だよねえ、とミクは甲高い悲鳴をあげた。
「裏野『ドリーム』ランドなだけに、ね」
ミクの言うであろう台詞を先回りするように、サヤカが言った。すると、隣からくすりと笑い声がひとつ。
サヤカは思わずそちらを見やる。
サヤカの横に立っていた男の子が、口元を押さえ、俯きがちに吊革を掴んでいた。が、サヤカの視線に気づくとすぐに顔を上げ、隣の車両へ移動していった。
今の会話を聞かれていたらしい。くだらない噂で大騒ぎしていたのを。居心地の悪い恥ずかしさを覚える。
バカっぽいって思われたかな。
サヤカは、少年の縮れた毛糸を思わせる細目の笑みを思いだし、顔を微かに赤らめた。