退屈しのぎ
一人息子が二泊三日の修学旅行に出かけて二日目。夜にもなると、妻と二人きりの時間を持て余してしまっている。話題はとっくの昔に尽きた。仕方なくネットやテレビで暇を潰してはいるのだが、あまり没頭できない。日頃甘えん坊で何かと手の掛かる息子と関わっている時間が多いためか、息子がいないと何をすればいいのかよくわからない状態である。
それは妻も同じようだ。いつもは夕食におかずを最低5品は作る妻が、今日は素うどんを面倒くさそうに作っていた。しかもノビまくっていてボソボソ切れる。妻自身は菓子パンを半分食べてそれでおしまいだった。息子が巣立った後のことを考えると非常に恐ろしい。息子には是が非でも家に残ってもらわねば……。
いや、そんな後ろ向きなことを考えていてはダメだ。この際、せっかくできた暇を有意義に使って、少しでも妻との仲を親密にしておかないと。将来の自分の飯のために。
というわけで、ない知恵を絞ってみた。──とにかく二人で楽しい時間を過ごそう。
俺は部屋のハンディ掃除機を手に取り、財布から十円玉を取り出して妻に見せた。
「何ですか?」
不思議そうにする妻に、俺は十円玉を持った手で、でっぷりと盛り上がった太鼓腹をさすりながらこう言った。
「掃除機言って、俺、肥満持て余してるんだ。君は銅貨な?」
その一言で、妻は新婚当時のたわいもない遊びを思い出してくれたらしい。化粧ポーチを持ってきて、中から櫛とコットンを取り出した。
「綿、櫛もです」
俺は電気ポットとオルゴールを指差し、
「ジャー、賭けをしようか。こんな会話をうまく続けられなくなった方が、今度レストランで食事をオルゴールってことで」
と畳みかける。すると妻はさっそくキッチンへ行き、ところてんを持ち帰ってきた。そして自信ありげにこう言ったのである。
「望むところてんですわ」
さて、そうと決まれば何かこちらから言わねばならない。俺から見て、妻はかなりよくできた女だが、興奮すると失敗しやすくなる傾向がある。まずは軽く挑発してみるとしよう。
俺は、道具箱からカッターを取り出した。
「そういや、君はこういう遊び、昔からとっても弱カッターな」
「あら、私は……」
妻が玄関に行き、草履を持ってくる。
「──負けず嫌いのあなたに、鼻緒持たせてあげていただけですわ」
そして、色とりどりの花が生けられた花瓶を見遣った。
「今日はあなたに『カビーン!』と言わせてみせますからね」
おお、なかなか面白いことを言うなあ。では俺も花瓶を使うとしよう。
俺は花瓶を指差して言った。
「君の思い通りに生け花」
会心のセリフである。妻が大声で笑い始めた。よほどツボにはまったのか。──いや、あの笑い方は妙だ。そこまで大笑いするネタではないはずだが……。
怪訝に思っていると、妻が笑いながらキッチンへ走っていき、牛乳パックを持って戻ってきた。
「その花瓶の花をよくミルク! それは造花よ。よって今のあなたのセリフは四角!」
妻が牛乳パックの四角い底を見せつけ、勝ち誇ったように笑いながら俺に失格の烙印を押した。まさか、この俺が、こんなに早く負けてしまうなんて……。そんなバカな……。
「カビーン!」
思わずそう叫ぶと、妻はケタケタと笑い転げた。
「引っ掛かったわね。一旦、花瓶に目が向けば、花に無頓着で視力の良くないあなたのことだから、そんな失敗もしてくれるんじゃないかと思ってたわ」
妻は手に何も持たずに普通に喋った。ゲームはもうおしまい、ということか。
それにしても、あんなに笑った妻の顔を久しぶりに見たなあ。他人行儀な丁寧語じゃない素の言葉を聞いたのもいつ以来だろう?
うん。やってよかったじゃないか、このゲーム。
「いやあ、負けた負けた。約束通り、今度奢るよ」
「ちょっとだけ格式の高い、和食のお店がいいわね」
「え? 君、洋食の方が好きじゃなかったっけ?」
「だって、そこならちゃんとした生け花が置いてあると思うから」
妻がクスリと笑う。俺は思わず窓際に駆け寄り、こう言った。
「ホント、君にはカーテンよ!」
続く