プロローグ
――魔法。
誰もが一度は頭をかすめただろう、決して持つことのない力。
しかしもしも魔法使いが存在したら? そしてその魔法使いには『使命』があるとしたら?
これは遠い未来。地球の時間軸が狂い始めた頃の物語――
◆
とんっ、と背中に何かが当たった。勇導はびくりと振り返ると、モノクロの世界にくっきりと浮かび上がる金髪を目にした。
「だ、誰だお前っ?!」
勇導が叫ぶと同時に目の前の青い目をした少女も、肩までの髪を振りかざして勇導を指さし叫んだ。
「誰よアンタ!?」
互いに距離を取ると睨み合う。これでも彼らは初対面である。
勇導、黒髪黒目、ややつり目の彼はどこにでもいる十七歳の日本人なのだが、明らかに目の前の少女は外国人である。透き通るような肌の白い彼女は一見少し大人びて見えるが、彼女も勇導と同い年である。そんなこととは露知らず、少年も少女もバチバチと火花を散らした。
「ここは俺の家だぞ! 泥棒か!」
「ここのどこが家なのよ! 全部白か黒じゃない! それに泥棒じゃないわよ!」
「じゃあなんだってんだよ!」
「私の名前はデュナミス、正真正銘のギリシア人よ! あなた東洋人でしょ? なんでここにいるのよ! 私に何をしたわけ!?」
お互いに一歩も引かない。
そうここは勇導の部屋……だった場所だ。部屋に飾ってあるカラフルな時計の秒針は完全に止まり、色を失っていた。時計だけではない、ベッドも机も白と黒だけになっている。唯一、パソコンの画面だけが虹色に明るく光り、その部屋を照らしていた。
そこに突如として少女が現れたのだ。このデュナミスと名乗る少女が。
――ことの発端は数分前に遡る。勇導は父親の十回忌に出て帰ってきた後だった。喪服から白のTシャツに黒ぽいジーパンに履き替え終わると、『時計病』という病に冒された父親の写真をパソコンに向かって見ていた。最後に撮られた写真は入院中のベッド上の父親で、力なく、それでもなお笑おうとしていた姿だった。今でこそ予防策は見つかったものの、当時大流行した時計病に未だ苦しめられる患者は多く、亡くなった数も人知れない。日本でパンデミックを起こし、その犠牲の一人になったのが勇導の父親だった。
時計病は世界的に見れば稀な疾患だが、東洋人、特に日本人に罹りやすい性質を持ったウイルス感染だった。初期症状は時間に追われるようになり、イライラが止まらなくなり、精神的に弱っていく。こんな症状のせいか最初はウイルスだとわからず、見逃されることも多かった。だが神経衰弱になったところに漬け込むようにウイルスが神経を貪り、脳を破壊していく恐ろしい病気だと日本人が認知した時には既に多数の死者が出た後だった。
十年の歳月が流れると七歳までの勇導の記憶にある父親は少しずつぼやけていっていた。それに気付いたのは数年前で、その時から父親の写真を時々眺めていた。心のどこかで忘れてはダメだと、そう思っていた。
そんな勇導がパソコンから離れようとしたときだった。突然パソコンの画面は一転し、真っ白になる。するとパソコンから聞いたことのない声が聞こえた。
「選ばれし戦士よ。我の名は外段」
突然のそれに驚いた勇導は何度かマウスをクリックするも、意味をなさない。
「『君達』には使命がある」
一方的に聞こえる声に気味が悪くなるも、ウイルスをどこからか拾ったのかと彼は焦った。
だがそれはウイルスでもなんでもなかった。
「今こそ能力開放の時。開かれよ、道よ!」
声の主がそう放った瞬間だった。画面は七色に光りだし、代わりに部屋の色がどんどん薄くなってしまいには白と黒だけになってしまった。
「な、なんだよこれ……」
呆然とする彼が椅子から立ち上がり、一歩後ずさった。
――とんっ。背中に何かを感じ、心臓が飛び出るほど驚いた勇導は振り返ると、そこに少女デュナミスがいた。
しばらく黙って睨み合っていた二人だったが、少女が目をつむり、攻撃態勢を緩める。
「ちょっと待って。今混乱しているの。落ち着いて話し合いましょう」
それを聞いた勇導もごくりとつばを飲み込み、「そうだな……」と合意する。
普通ではない。それはお互いに感じていたのだ。
「私はデュナミス。さっきも言ったけどギリシア人よ。十七歳。さっきまでパソコンでレポートを書いていたところだったの。そしたら突然気味の悪い声が聞こえてきて、逃げようと思って立ち上がったらここにいたわ」
「デュナミス……。そうかお前も聞いたのか気味の悪い声を」
「あなたも?」
「ああ……。えっと、そうだな。俺は勇導。日本人だ。同じ十七歳。パソコンで写真を見ていたらこんなことになった」
デュナミスは顎に手を沿え、何か考え込む。
「勇導、あなたは今何語を話してるつもり?」
「は? 日本語だけど……って、え? もしかして」
「私は日本語は全くわからないわ。あなたがギリシア語を話しているようにしか聞こえないのよ」
この時代、自動通訳機能のついた機械は沢山開発されていたが、二人は持っていないという。
二人はそれから詳細を話し合い、お互いが聞いた内容が一致したことを確認する。
その声の主『外段』という男性が、どうやら引き金になったことだけはわかった。
異様な声。遠くの者との突然の出会い。通じる言葉。モノクロの世界。止まった時計。
よく考えなくても既におかしな事実がてんこ盛りである。
「何が起きてんだ」
「それは私も知りたいわよ」
二人がそうぼやいた瞬間だ。
「我が教えましょう」
彼らは彼らとは別の声を聞いた。足元を見ると一匹の灰色猫……。
「猫……?」
「喋った……?」
きょとんとした二人と一匹の間に再び沈黙が続く。その間に猫はベッドに飛び乗り、顔を前足でひと拭いすると、
「我の名は外段です。あなた方の案内人兼、付き人……いや、付き猫でしょうか」
と何事もないように自己紹介をした。
「あああああああああああ!!!」
デュナミスが声を上げると、勇導も二歩三歩と後ずさった。
「はあ、本当騒がしい戦士達ですね……」
猫は真ん丸の目を細めてため息を吐くような動作をした。
「これなら黙っていただけますか?」
猫がそう呟くと、辺りは再び眩しい光に包まれる。デュナミスも勇導も目を細め、腕で光を遮ろうとする。光が弱まってくると、その中にぼんやりともう一人の『人』の影を二人は目にする。
「変身はいちいちめんどくさいですからこっちでいきますね」
ベッドに腰掛けて、黒いマントに身を包んだ足を組む男――外段はそう言った。
「あ、あんた一体……」
「先程も申し上げました。外段と申します」
「外段って……あの気味の悪い声の主はお前なのか?」
外段はにこりと笑った。
「だいぶお分かりになってきたようですね。では第二段階の理解に進んでもらいましょうか」
彼はパチンと指を鳴らすと、指先からビュゥ!と強い風が巻き起こった。そしてあっという間にモノクロの世界はパソコンの七色の世界に吸い込まれていった。一方、吸い込まれていくだけでなく、七色の世界が彼らを包み始める。多色で彩られた幾何学的な模様がどこを向いても敷き詰められ、上も下もわかない状態になっていく。
「なにこれ……気持ち悪い……」
デュナミスが呟くと、外段は二人に向き直る。
「今からあちらの世界に向かいます」
「あちらって、なんだよ」
勇導が眉間に皺を寄せる。
「あちらの世界に行くには時間があります。あなた方にはその間、説明致しましょう。あなた方に与えられた使命と、これからの行く末を――」