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余命十年の異世界生活 ~ただし、簡単に死ぬ気はない~  作者: セキムラ
第一章 一年目 イケメンでデカ〇ンだからってモテる訳じゃない
3/12

2 命を粗末にするものじゃない

「イノシシ……?」


 目の前で猛る獣――砲弾型の身体をこげ茶色の毛皮で覆っていて、突き出た鼻、口中から生えた天を衝く二本の牙、短い四本の足には二股に分かれた特徴的な蹄。と、ここまではイノシシに似ていると言える。


 ごふッ!! ふーッ!!


 しかし、大きすぎる。体高三メートルはあるだろう。立ち上がればその倍ということだ。牙の付け根の太さは、直径三十センチはありそうだ。あれで突かれたらまずい。胴体に風穴が開く。さらにまずいのは、目の前の獣が明らかに怒っており、敵意をもって構えているということだ。血走った眼がそれを物語っているし、さっきから地面に叩きつけている前足の音が突撃へのカウントダウンに聞こえる。

 襲ってくる。

 なぜかそれが分かった。

 なぜわかったのかを考察する前に、目の前の獣が動いた。


「うおわあああっ!?」


 間一髪だった。

 頭を下げ、一気に間合いを詰めてきた。正面で受ければ巨大な頭部の激突によって、圧死は免れなかっただろう。左右に避ければ、鋭く尖った牙による串刺しか。

 俺は地を蹴り、跳躍していた。

 助走もなしで、三メートルはありそうな獣の背中よりも高く。

 身体が自然に反応した、としか言いようがない。

 以前の俺には――どう考えても不可能な動きだった。

 俺は、爆発的な跳躍力を発揮した両足に目をやった。

 大腿部に力を入れる。そこには逞しくもしなやかな四頭筋の高まりが起こった。金色の恥毛の下にぶらついているモノから目を逸らし、その上の見事に割れた腹筋を撫でた。厚い胸板を構成する大胸筋に不釣合いなニップルを眺めるのはやめて、右腕を持ち上げて力こぶを作ってみる。硬く、ラグビーボールのように膨らんだ二頭筋。二の腕にはわずかな脂肪も見られない。


「悪魔め……」


 生き抜く力は十分に与えた。

 奴は確かにそう言った。

 出会った十字路でもそんなことを言っていたが、魔法がどうとかも言っていなかったか?


「まさか……いや」


 攻撃目標を見失っても五十メートルは疾駆した獣が、方向転換して再度突撃姿勢を取った。咆哮と地響きを立てて突っ込んでくる。

 奴の眉間に向けて手の平をかざして叫んだ。


「ふぁ、ファイヤー! うおおおっ!?」


 手の平から紅蓮の炎が突如吐き出されるようなことはなく、まっすぐに突っ込んでくる獣をまたしても跳躍して避けた。だが奴も馬鹿じゃないらしい、俺の軌道を読んで、思い切り牙を突き上げてきたのだ。身体を捻ってそれを躱すのが一瞬でも遅れていたら、胴体に大穴が開いていた。

 寿命十年を捧げて手に入れた身体能力は確かに凄い。

 凄いが、避けるばかりが能では生き残れない。

 魔法を使うには何かコツがあったり、呪文が必要だったりするのだろう。まさか「ファイヤー」と叫ぶときに、ちょっと照れが入ったせいということはないはずだ。その辺りの説明を省いているあたり、さすがは悪魔というべきだろうか。

 とにかく今は、余計なことを考えている時間はない。なぜなら、俺の下を通過していった獣は、先ほどの半分以下の距離で急停止し、すでにこちらへ向かって突進を再開している。身体のでかい奴の方が体力も上だろう。ずっと闘牛士ごっこを続けていては、いずれ奴の牙にやられる。

 獣はすぐ近くに迫っている。あくまで闘争を望むか。

 ならばとるべき道は一つ。

 逃走だ。

 

 ごふッ!? 


 悪いな、獣。だが理由もなく襲われるこっちの身にもなれ。俺は、どうやら契約に従って生き延びなければならないんだ。

 俺は踵を返し、森へ向かって全力で駆け出した。垂直跳び三メートル越えの脚力だ。きっと逃げ切れる。あれだけの体躯を持つ獣なら、木々が密集した森の奥までは追ってこられまい。

 速い。

 信じられないほどに速い。

 足が連続して地面を踏み、蹴る感触が、デブだった頃とは全く違った。どれだけ走っても、膝が痛くなることはない。息も苦しくない。あっという間に森との距離が縮まる。


 ふぅごああああッ!!


 しかし獣の方も負けてはいなかった。全力で疾走する俺と奴の距離は、残念ながら徐々に縮まっている。

 草原の切れ目まであと五百メートル。

 獣の足音が近づいてくる。

 あと三百メートル。

 獣の鼻息がはっきりと聞こえる。さすがに、そろそろ息が上がってきたか。

 あと百メートル。

 獣はすぐ後ろだ。腿がピキンと痛みを発した。


「ま、に、あええええ!!」


 ラスト十メートル。

 獣との距離はごくわずかのはずだ。振り返ったらやられる!!

予想通り、森の木々は密集して生えていた。俺の肩幅でもぎりぎり通れるくらいの隙間しかない。獣の奴は絶対に通れない。


 ごふああっ!!!!


「ぐあっ!」


 木々の間に飛び込んだ。

 枝葉が肌を刺す。

 衝撃を受けて声を上げたが痛みは感じなかった。これも耐久力が上昇している証拠だろう。だが、奴の牙を受けても無事な保証は――

 ない。そう思って振り返ると、眼前に奴の牙が迫っていた。


「……危なかっ……た」


 ギリギリセーフ。

 そう思っていいのだろうか。

 奴が入り込むには、この森は木が多すぎる。奴は、衝突を避けるために急停止した。


 ごふぅぅ……


 息を吐き、獣が後退していく。鼻先まで迫っていた牙も離れていった。


「諦めた……のか」


 助かった。

 大きな安堵が心を満たしていく。

 こんなに安心したのはいつ以来だろう。

 小学校でいじめが始まってから、毎日毎日不安だった。中学も、高校も、大学も。社会人になっても、俺は常に不安を感じていた。

 いつからだろう。道行く人の目が怖くなったのは。

 いつからだろう。それら全てが、俺を嫌っていると思い込んでしまったのは。

 いつから俺は、周りの全てを嫌って生きていたのだろう。

 いつから俺は、死んでもいいなんて思い込んでいたんだ。

 死ぬのは怖い。

 獣に追いかけられている時、俺は夢中だった。夢中で生きようと思った。命が助かったときに訪れた感情。

 助かったのは、悪魔と取引した身体のおかげだ。そのおかげで、俺は命の大切さを思い出した。

 ああ、なんてこった。

 俺は、死にたくなんてなかったんだ。

 



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