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蛇這う跡

 オレが朝目覚めたように当たり前に瞼を上げるとそこには地獄が広がっていた。

 何だ、何が起こっているんだ。どろりとした粘性の液体でも流し込まれたようにちっとも働いてくれない頭を必至に動かそうとするが、思考は状況に一向についていかない。その時、背後から唐突にまだ幼さの残る女の子の声が飛んできた。

「とても必至そうな表情をしてるけど無駄よ。だってあなたもう死んでるんだもの。死んでるのに必死だなんて語義的におかしいでしょ。そうでしょアオクビサン?」

 オレははっと声のした方へ振り返る。するとそこにはオレよりも少しだけ年少であろう見た目の長髪の少女が立っていた。声の印象よりはいく分大人びて見えるけれど、それでもよくて高校に入ったばかりかどう見ても中学生以下だ。ご丁寧に黒のセーラー服まで着て長い黒髪は眉毛の辺りで一直線に切りそろえられている。少女は状況の飲み込めないオレをただじっと見つめている。

 オレは混乱を隠すように少し強い口調で少女に言葉を返す。

「アオクビサンってオレのこと言ってるのか?まず、お前は誰なんだよ。それに、死んでるってどういうことだよ」

 少女はまだ分からないのと少し呆れたような表情をしていたが、すっと笑顔になると黙って自分の首を撫でた。それにつられてオレも手を自分の首に持っていく。瞬間、オレはすべてを悟った。

 そうだ。オレは自殺したのだ。ささくれの目立つ荒縄を首を巻き高所からブラブラと宙吊りとなった。つまり、自ら首を吊ったのだ。その時の青々とした縄の跡がオレの首の周りをまるで蛇のようにぐるりと一周している(正確には首の後ろで途切れているのだが)。だから、彼女はオレのことをアオクビサン、つまり、青首さんと呼ぶのだ。

 合点がいったと同時に絶望に似た空虚な気持ちがオレの心を支配する。やっぱりかと。

 少女はそんなオレの近くまで音もなく歩みよって来る。

「やっと分かってくれたみたいね。だから言ったでしょう。あなたは死んでるって。それとあなたの質問に答えるなら誰っていうのはあまり適当じゃないわね。だってそれは相手が人である場合の尋ね方でしょう。ワタシは鬼だからどちらかと言えば最初に何って聞くのが正しいわ」

少女は速くもなく遅くもない耳にこびり付くような速度で静かにそうまくし立てると今度は人間のものとは思えない凄惨な笑顔でオレを見下ろした。いや、彼女の方がどう見ても背は低いので見下ろせるはずもないのだからオレがそう感じただけなのだ。

 オレは背筋に冷たいものを感じながらも何とか冷静に言葉を返す。

「じゃあお前の言葉にならって何って聞くがそういえば鬼だって今聞いたとこだったな。だが、お前が鬼だって言うならまず何でセーラー服なんて着てるんだよ」

「鬼がセーラー服着たらイケないなんて誰が決めたのかしら。たぶんあなたが想像しているような鬼のカッコウなんてとても前時代的なカビの生えたものなんでしょうけど。今時はちょっと身の回りに気を使う中年男性の鬼ならトラの腰巻じゃなくてトラ柄のボクサーパンツを履いてるわ。わたしももちろんセーラー服の下にはトラ柄を履いているわ。何をまでは言わないけど」

「そんなこと言ったって見た目だけじゃオレと同じただの人じゃないか。鬼だって言うなら何か証拠でもみせてくれよ。例えば角だとか」

「それって遠回しにわたしのセーラー服の下の裸を見せてくれって言ってるの?ああやだ。それに証拠っていうならあなたの目の前にあるじゃない」

 オレはガツンと殴られたような気がした。そうだ、眼前に広がるこの地獄としか言い表せない光景が何よりの証拠じゃないか。呆然とするオレを尻目に少女は続ける。

「それにあなた自分のことも普通の人間みたいに言っていたけど、あなたはもう人間ではないわよ。そうでしょ青首さん」

 そう言って彼女は指のハラでオレの首をなぞった。鈍い痛みとともにオレはいやでも首の跡を意識する。

「ははは、そう言えばオレは死んだんだったな。自分でやったことなのに案外理解出来ないものなんだな。やっぱり行いが悪かった所為で地獄にでも落とされたのか。鬼であるお前は地獄の案内人であり刑罰の執行者でもあるってところかな」

 オレはそう言うと自嘲的に無理矢理笑ってみせる。

「そうだったら…あなたが思う何百倍もよかったのにね…」

 それまで薄気味悪い笑みを浮かべていた少女の表情に一瞬の陰がさす。

「残念だけど、ここは地獄ではないわ…場合によっては地獄よりもよっぽどタチが悪いところだし、もしかしたらここを天国だと錯覚するものもいるかもしれない…」

「つまり…どういうことなんだよ。こんな情景を見せられてここが地獄じゃなく、ましてや天国なんて信じられるわけないだろう。そんな曖昧な言い方じゃなくてオレにも分かるように説明してくれよ」

 少女は少し考えるように人差し指を口元に当てていたがそれを下ろすと不意に話し始めた。

「そうね。あなたにも理解出来るような言葉をあえて使うならここは審判の地ってところかしら。生前の行いによってこれからの行く末を決められる直前の場所。あの世っていうのが一番理解しやすいかもしれないけど。地獄に落ちるような極悪人も天国に永住するような悟り人も再び輪廻して現世に戻っていく大勢の魂もここではすべて平等。ただ一点を除いてね」

「その一点っていうのは何なんだよ?」

「それはここは魂のその後を決める直前の場所であると同時に、人が死んだ後に行きつく直後の場所。だから、ここでは生前のその人の肉体の影響が強く反映されている。分かりやすく言うなら、死ぬ直前のその人の年齢だとか身体の状態、もちろん記憶までがこの場所では保たれてるって感じかしら。でも、死後の世界であることには変わりないからそのまま年をとったり身体が成長したり衰えたり、ましてやまた死んだりなんてことはしないの」

 そこで一つ彼女は息をついた。

「ここからがめんどくさいところでね。人って普通は病気になったりケガをしたりで身体の機能が働くなくなったことによって死に至るでしょう。それなのに、この場所では死の直前の身体の状態が保たれるってことは死に伴う痛み苦しみも感じ続けなきゃいけないってことなの。しかも、ここには死がないからそれをずっとね」

「つまり死ぬほど痛くて苦しいのに死ねないってことか」

 オレは急に息苦しさを感じて喉元に手をやる。しかし、それは一向に改善しない。

「青首さん。あなたみたいなのは信じられないくらいマシな方よ。まあマンションの屋上から地面にダイブなんてしてたら話は別だったでしょうけどね」

 見るといつの間にか彼女の口元にはあの背筋の薄ら寒くなるような笑みが戻っていた。

 気圧されるのを抑えオレは少しでも状況を理解しようと彼女の言葉を反芻する。地獄のような景色。自殺したオレ。青首。鬼と名乗る少女。あの世とでも呼ぶべき審判の地。死ねない身体。そして、永久に続く苦しみ。ん、ちょっと待てよ?

「ちょっと待ってくれ。今までの話だと死んだら永遠に苦しみ続けるみたいに言ってたけど、でもここは審判というか生きてた時にどんな善いことをしたとか悪いことをしただとか判断されるだけの場所だろ。その判断が下った後はどうなるんだ?」

「だから言ったでしょう。地獄に落ちるか天国にでも昇るか、まあ、大概は輪廻してまた現世に生まれ変わるんだけどね。あ、地獄はどんなとこだとか聞かないでね。外部にそのことペラペラ話すと守秘義務に反しちゃうから」

「ってことは普通は死の痛みに永久に苦しみ続けるわけじゃなくて、審判が下ったら取り敢えずその苦しみからは解放されるんだな」

「そうね。新しく生まれ変わるにしても地獄に落ちるにしても古い肉体からは一度切り離されちゃうわけだから普通そうなるわね。そう…普通ならね」

「なんだよ…今は普通じゃないっていうのか」

 彼女はそう言うと再び大きく間をあける。

「今ここは非常事態宣言の真っ最中。じゃなきゃわたしはいきなりあなたの前になんて現れない。取り敢えずわたしに付いてきてくれる。青首さん」

 少女は翻り静かに歩き始めた。オレも置いていかれないよう急ぐが彼女の歩みは思った以上に速い。オレが彼女の横に追い付く頃には首の苦しさも相まって息も大分上がっていた。しかし、いくらオレが苦しもうが目の前に広がる光景に目をやるとそれは屁みたいなものだった。

 横たわる人、人、人。大抵はお年寄りで目を閉じたままじっと動かないものもいるが、ほとんどは体をビクビクと痙攣させ痛い痛いと小さく呻き続けている。中には事故にでもあったのか鼻から下のない血まみれの顔で声にすらならないただ空気が漏れるような音を発して手足をバタバタさせている若い男性もいた。オレはあまりそちらを見ないようにして隣を歩く少女の方へ目を向ける。

「こんなのがいったいどこまで続いているんだ」

 少女は前を向いたまま言葉だけを返す。

「ここは特に酷いのよ。死んだら最初に来る場所がここだから、まともに動けない人がどんどん積み重なっていく。でも、別の場所にはまた別の酷さがあるのよ」

 彼女は皮肉っぽく片頬を上げた。

「ところで、非常事態って結局はどういうことなんだ。だからお前がオレの前に現れたっていうのもオレにはよく分からないんだが」

「まあ、ここではあなたみたいに割と普通に動ける人が珍しいっていうのが第一よ。他にも理由はあるけどそれは実際見てもらった方がいいわ。それと、お前っていうのはやめて」

 そこで、少女は久しぶりにこちらを向いた。

「アマリ、袖長アマリ。こっちの名前なら尋ねるときは何じゃなくて誰でいいから」

 そう言って彼女は初めてかわいらしく微笑んだ。

 オレは少し照れくさくなってアマリから顔をそらしてしまう。

「あ、もうすぐよ。あの丘を越えたところ」

 彼女が小走りで駆けだしたので、オレも後に付いていく。

 丘と呼ぶにはあまりにも足場の悪いゴツゴツとした岩の上を彼女は滑るように進んで行く。オレは何度もこけそうになりながらも何とか先に立つアマリの横まで追い付いた。すると、そこには信じられないものが待っていた。

「あれがこの場所がこんなことになったのも、わたしがあなたの前にあらわれたこともその全ての元凶」

 そこには首から上の存在しない半裸の大男が立っていた。

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