結の巻 なぬっ、闇の軍勢だと……勇者様お願いしまーす! 前編
闇の女神が王都の上空に現れ、人の滅びを予告したあの日から一ヶ月ほどたっていた。
あの闇の女神は王都だけでなく、世界中の都市の上空に現れたらしい。
そしてこの一ヶ月の間に闇の軍勢と呼ばれる魔獣達が各地て暴れ、すでに幾つかの国は滅びたようだった。
この王都は大神殿があり、聖地とも呼ばれる場所。そのため、各地からは様々な人々が難民となり、王都に流れ込んできていた。
幸いな事に、光の加護なのか、この王都にはまだ魔獣の影すら現していなかった。だが、人々の間には不安な影が色濃く漂っていた。
そのため、俺達のいる神授所にも、近所の人達は元より、難民となり王都に流入してきた人々が避難してきている。
この王都には、大聖堂以外にも小さな神殿や、ここと同じような地域に密着した神授所が多数ある。当然大聖堂には王族や貴族達、それに裕福な都民が避難する場所となっている。
俺達のいる三等市民居住区の住人は相手にすらされない。王都から追い出されないだけ増だと思えといった対応だ。
そういうわけで、神授所は近所の人や難民で溢れかえっている。建物内は勿論、チビッ子共が走り回ってた庭も、簡易テントの群れが林立していた。
そのチビッ子達も、いつの間にか人数を増やし、カイルが頭となって王都防衛隊なるものを結成していた。
どこからか、刃物まで持ち出してくる始末。危ないから止めろと言っても、聞きもしない。
カイルのやつは何考えてんだか……遊びじゃないんだぞ。ったく。
肝心のエルクさんは何に忙しいのか、ちょくちょくいなくなる。今も、どこに行ったのか不在だ……ったく、どこでなにやってんだか。
そんなわけで、俺がこの溢れかえった人達の世話役になってしまった。 ったく、世話役なんて小学生の時に、ウサギの世話係りをやって以来だぞ。そんな俺に出来んのかよ。勘弁してくれよな。
闇の女神や軍勢に関して、俺には人より少し楽観的な気持ちがあった。というのも、俺にはダイスのスキルがあったからだ。
この世界の理に左右されない力。光の女神さんの時間すら止めてしまった力。
いざとなれば……まあ、またあのペロがさぼってる可能性もあるがな。
もはや人々の生活の場となった礼拝堂の中で、そんなことを考えていると、誰かの俺を呼ぶ声が聞こえる。
誰だろうと振り返ると、俺のリアル女神たるケイミさんが、少し困ったような顔して俺を呼んでいた。ケイミさんも当然、ここに避難しにきていた。
「うひょ、ケイミたん……おっと、私としたことが失礼。ケイミさん……いえ、知らぬ間柄でもなし、これからはケイちゃんと呼んでも?」
俺の軽妙な問い掛けはガン無視され、少し焦った声音を帯びて話し掛けてくる。
「ショータさん、大変です!」
「大変というと?」
むむ、大変だと、今の俺にはガン無視された方がショックなんだが。
「それが、この地区には食糧の配給をしないと警衛隊の人達が……」
んっ……やっぱりそうなったか。そんな気はしていた。この世界、いやこの国だけかも知らないが、しっかりとした階級制度があり、一般の人まで俺達に差別的な目を向けていた。
王都は今、沢山の人々が流入して、すでに以前の倍以上に人口が膨れあがってると聞く。
そのため、一週間前から配給制になっていた。
これから先どうなるか分からない。食糧事情を考え、この地区を切り捨てたといったところか。
しかし、この国の首脳陣は馬鹿なのか。これから大変な事になるぞ。
配給を止められた人達が黙ってるはずがない。暴動になりかねないぞ。
それとも、そこまでこの国は追い込まれているのか。
俺は元いた世界のニュースで見た映像を思い出す。それは暴動を起こした民衆を、本来はその民衆を守るはずの軍隊が鎮圧という名目で、弾圧していたものだった。
しかし、配給を止めるとか、女神の恩恵にすがろうとしている人のすることかね。元いた世界でもそうだが、この世界に来ても人というのはあさましいものだな。
「どうしましょう。これだけの人数です。蓄えも明日までもつかどうか……」
「……そうですね。取り敢えず、一度配給所まで行ってみましょう」
配給所から馬車で、各地区に食糧が運ばれている。俺とケイミさんはその配給所に、様子を見に行くことにした。
配給所に向かう通りを、俺とケイちゃんは並んで歩く。もうケイちゃんと呼んでいいよね……まだ心の中だけですけど。
ちらりと横を見ると、どこか心配そうにうつ向くケイちゃん。犬耳も、しょんぼりと項垂れ、スカートからはみ出す尻尾も力なく垂れ下がる。
いい、良いですぞ。そのしょんぼりとした姿も眼福ですぞ。あーその耳、尻尾をモフモフと慰めたい。
「ショータさん……」
「えっ、は、はい。俺は何もやましい事は……」
「これから先、私達はどうなってしまうのでしょうか」
ぷはっ、怒られるかと焦ったよ。しかしこれから先か……。
「大昔に人は一度、滅びかけたと教えられました……今度こそ本当に滅びてしまうのでしょうか」
滅びかあ……この世界にきてまだ一年もたっていない。女神に魔獣、闇の軍勢など、今ひとつ実感がわかない。魔法や人ならざる者の話など、どこか夢物語のように感じてしまう。この世界ですごした時間より、元いた世界、日本ですごした時間のほうが、圧倒的にながいからだろうな。
だが、ひとつだけ分かった事がある。
この世界の人も元いた世界の人も、なんら変わらないということだ。確かに、外見や魔法やスキルといった違いはあるが、その本質となる根本的な事は何も変わらない。
だから思う。闇の軍勢も恐ろしいが、人の心に潜む闇もまた恐ろしい。
「ショータさん? 着きましたよ」
俺が何と答えてよいものか悩んでいる間に、どうやら配給所へと辿り着いていたようだ。
しかも、配給所前には俺達と同じように様子見の人や文句を言いに来た人など、すでに多数の人が押し掛けちょっとした騒ぎになっていた。
「ちょっと、どういうことなのよ。私達に餓死しろとでも」
「うるさい。黙れ! お前らに渡す食糧なんかない。さっさと帰れ!」
今も目の前で、年配の女性が抗議をしていたが、配給所を守る衛兵に突き飛ばされていた。
「大丈夫ですか」
ケイミさんが慌てて駆け寄り、その女性を助け起こそうとするが、周りの男達は違った。
「やりやがったな! いつも三等市民だと馬鹿にしやがって、これでもくらえ!」
近くにいた男が、足下にあった石塊を拾うと投げつけた。
すると、それを機に他の人達も手近な物を投げ出した。たちまち配給所前は騒乱の坩堝と化す。
衛兵も配給所内から応援を呼ぶと、人々に対して横に列を連ねると盾を掲げる。
「ただちに解散せよ。これ以上続ければ排除する」
隊長らしき男が怒鳴ると、盾を掲げる衛兵達の後ろで弓兵達が矢を番えている。
「皆さん落ち着いてください」
ケイミさんが必死に周りの人達を宥めようとするが、興奮した 人々は更に激しく足下にある石塊などを投げつける。
これはマジにまずいぞ。皆、興奮して雰囲気に酔ってやがる。これは生半可では止まらない。このままだとしゃれにならないぞ。
「ケイミさん、取り敢えず、ここから離れましょう」
「でも……」
躊躇するケイミさんをよそに、興奮した人々の投石は更に激しさを増す。衛兵達は構える盾でガンガンと音をたて弾いているが、中には捌ききれず、まともに石塊が当たり昏倒する者も出始める。そして遂に、痺れを切らした隊長らしき男が弓隊に指示を出す。
「弓隊、構え!」
隊長が号令と共に右手を上げると、弓隊が俺達に向けて弓を構える。
俺もだが、周囲の人達もギョッと驚くが、隊長らしき男は右手を前に降り下ろして、無情にも次の号令を叫ぶ。
「放て!」
弓隊の放った矢が人々の頭上に降り注ぐ。
ま、マジかよ! 何考えてんだよ。
「危ない! ケイミさん!」
くそっ、ダイスのスキルが発動しない。ペロのやつ、また居眠りしてんじゃないだろうな。
周囲の景色は一向に変わる気配がない。
だが、降り注ぐ矢に一陣の風が吹き抜ける。その風が矢の軌道を変え、あらぬ方向へと押しやる。
えっ、何が……。
俺もだが、周り人達や衛兵達も、あっけにとられた顔をしている。
驚く俺達に声が掛けられる。
「どうやら間に合ったようですね」
声がする方に振り向くと、そこにはいつもの爽やかな笑顔を浮かべたエルクさんがいた。
しかも、白銀の鎧を身に付け、背後には数名の騎士らしき人達を従えていた。
今のはエルクさんの魔法?
「先生!」
ケイミさんが顔を上気させ、エルクさんに駆け寄ると、抱き付かんばかりに喜んでる。
何だか悔しいです。
「エルクさん? これは一体……」
「ははは、この格好ですか。神授所に戻ると、ショータさんがこちら向かったと聞いたので、追い掛けてきたのですが……」
そう言うと、チラリと周りの人や衛兵達を見渡す。
「詳しい話は後にして、今はこの騒ぎをどうにかしましょう」
エルクさんが驚く人達を掻き分け、衛兵達の前まで行く。
俺もエルクさんについて行くが、エルクさんの後ろに続く騎士らしき人達にジロリて睨まれた。
なに、なに、何で俺は睨まれるわけ。俺の後ろにいるケイミさんも居心地悪そうにしている。
この人達誰だよ?
エルクさん、一体全体どうなってんの。ていうかエルクさんってホントに何者なんだよ。
「これは何の騒ぎですか」
エルクさんがにこやかに、隊長らしき男に話し掛けている。
「お、お前らは……誰だ」
隊長が不審気な顔を……いやあれは、不審気というより、騎士達を見て腰が引けてるようだ。
「おや、この騎士達の姿を見ても分かりませんか。それにしても、私の質問には答えて欲しいのですが」
俺の横にいた騎士が、マントに描かれた紋章が見えるように背中を向ける。
この騎士の人達は、どこかエルクさんに遠慮してなのか、何も言わず従っているが、さっきから凄まじい怒気が隊長さんに向けられてる。
側ににいる俺も少しびびってしまうよ。何だろうこの人達は。
そんな事を考えてると、隊長さんが呻くように驚きの声をあげる。
「聖光騎士団……何故このような所に」
聖光騎士団、その言葉に衛兵達だけでなく、周囲の人達も呻く。
何だか凄い人達みたいだけど……聖光っていうぐらいだから、大神殿がらみの偉い騎士団なのだろうな。
「先生、この人達が三等居住区への配給を止めると、だからこの人達が抗議に」
ケイミさんが言うと、周りの人達も、そうだそうだと相づちをうつ。
「私の家には3人の子供が待ってます。騎士様、何とか私達にも配給をお願いします」
先ほど突き飛ばされた女性も、哀願するように言い立てる。
「それはおかしいですね。確かに、そのような話は出ていたようですが、結局は取り止めになったはず。そうですよね」
エルクさんが首を傾げながら、後ろの騎士に問い掛ける。
「はい、私達もそのように聞いております」
騎士達が頷くの見たエルクさんが、隊長に笑顔を向ける。
エルクさんの笑顔が、何だか怖いぞ。
「あなたがここの責任者ですか」
「いえ、私共は……命令されて……」
隊長さんは顔を青くしてしどろもどろになっている。
そんな所に、頭の薄くなったでっぷりと太った中年男性が、配給所内から出てきた。
「おい、一体何の騒ぎだ。煩くて昼寝もできんぞ」
文句を言いつつ出てきたこの男も、騎士達を見てギョッとする。
「ボーモン様、それが……」
隊長が太った男と騎士達を交互に見ながら言い淀む。
「あなたがここの責任者のようですね」
エルクさんの問い掛けに、一瞬躊躇するような気配を見せるが、太った男も顔に笑顔を張り付かせて応じる。
「これはこれは、もしや聖光騎士団の方々ですかな。このような所に何用ですかな」
「配給が滞っている地区があると聞き及びましたが」
ボーモンと呼ばれた男が辺りを見渡し、抗議に集まった人や衛兵達、それに騎士達を眺めてようやく事態がわかったのか、顔をしかめた。
「……どうも手違いがあったようですな。ハハハそうだな、マーカス隊長」
ボーモンは揉み手をしそうなほど低姿勢で、エルクさんに頭を下げる。
「えっ、私は確かに命令されて……」
「煩い、黙れ!」
困惑するマーカスと呼ばれた隊長にボーモンが一喝する。
「ところで、あなた様はどこのどなたで」
問い掛けるボーモンに騎士のひとりが、何やら耳打ちすると、一瞬顔を強張らせると「ひぇ」と一声叫ぶと土下座した。
「それでは、配給を再開してください」
「あっ、はい。直ちに行います」
ボーモンがそう言うと、周囲の人々から喚声があがり、さすがは聖光騎士団の方々だと褒め称えている。
だが、ボーモンがボソッと呟くように言う。
「しかし、よろしいので。たちまち王都の食糧事情は悪化しますが……今の間に三等市民は切り捨てた方が……」
「そのような事はあなたが考えることではありません」
「あっ、はいー」
ボーモンが何度も頭を下げている。
何だか、まるで三文芝居でも見ているようで、思わず笑ってしまうな。
どうやら、このハゲ親父が配給の横流しをしていたようだが……しかし、はたしてこのハゲ親父がひとりでどうこう出来る話ではないと思うのだが。やはり、この国の差別意識は根深そうだ。
“心醜き者よ”か……何故か俺は、あの時王都の上空に現れた闇の女神と名乗った存在が、人に対して言い放った言葉を思い出していた。
「ところでショータさん」
色々と考えていた俺は急に話し掛けられ、ちょっとびっくりして「はい」と、慌てて答えてしまった。
そんな俺をエルクさんが、にこやかに笑って眺めている。
いつもの笑顔を見せるエルクさんを前にすると、どうしても、人として負けた感がハンパないです。
エルクさんは今回のこと……いや、人に対してどのような考えなのだろう。
「私はしばらくの間、神授所から離れなければいけない事情ができました」
エルクさんは一度そこで話を切ると、後ろの騎士達をチラリと見る。そして俺を見つめるとまた話し出した。
「そこで、その間はショータさんに神授所を、子供達も全て、お任せしたいのですが」
今もそんな感じなんですが 、今更ですよ、エルクさん。
まぁ、言わんとすることは分かりますよ。今までのような気楽な気持ちでなく、責任を持って預かれということなのでしょうね。
「先生、どこか行ってしまうのですか」
「大丈夫です。すぐに帰ってきますから」
泣き出しそうになるケイミさんを、宥めるエルクさんを恨めしく眺めがら、頭の片隅では責任感について考えていた。
俺は元いた日本でも、もとより責任を持って何かをしたことなど無い。
学生時代にも真面目に何かに取り組んだことも無ければ、卒業してからもギャンブル三昧でまともに働いたことも無い。
元いた世界、日本では何と周りに甘えて生きていたことかと、俺はこの世界にきて分かった。
そんな俺が、果してこの命の軽い世界で責任を持って、何かを為すことなど出来るのだろうか。
今は、闇の軍勢とやらに攻められようとしている時だ。責任を持つということは……この命をも掛けるということ。
果して俺に……。
そんな事を考えていると、誰かの叫び声がした。何かと思い、皆が指差す方を見ると、上空に多数の黒い影が舞っているのが見えた。
あれは、鳥なのか?
「あれはダークハルピュイア。皆さん落ち着いてください。あの程度の魔獣では、この王都を覆う光の結界を破ることは出来ません」
恐慌をきたす周りの人々をエルクさんや、騎士達が必死に宥めている。
本当に大丈夫なのか?
心配したが、確かにその鳥の魔獣はある程度の高度に達すると、光輝く障壁らしきものに弾かれていた。
あれが魔獣?
話には聞いていたが、初めて見る魔獣。
まだこの世界にきて日の浅い俺には、この目で見ても現実感が伴わない。まるで映画のワンシーンを見ているようだ。
「これは闇の軍勢の先遣隊。もう時間も残されてないようです。私は行きます。ショータさん、後は頼みますよ」
そう言うと、騎士達と共に走り出そうとするが、途中で踵を返す。
「そうだ。これをショータさんに渡しておきましょう」
エルクさんが、自分のしていた首飾りを俺に渡してくる。
「これは光のアミュレット。あらゆる魔法をはじきます」
えっ、そんなの貰っていいのか。あっ、もしかして……。俺はエルクさんにステータス閲覧を使ってみる。
ステータス
名前 :エルンスト・クレー・アンドロポロトフ
年齢 :31
種族 :ハイ・エルフ
職業 :光の勇者
level :83
HP :1550
MP :2300
筋力 :893
耐久力:760
素早さ:770
知力 :350
魔力 :1200
精神力:1000
器用さ:680
運 :100
スキル
全属性魔法 Lv10
精霊魔法 Lv10
魔力操作
全属性魔法耐性 Lv10
聖剣術 Lv10
成長促進
身体強化
気配察知
光の加護
やはりこれがステータス閲覧を阻害して……えっと、何これ……。スキルはまだまだ沢山あったが、もう途中で読むのを諦めました。もう十分です。
光の勇者って、そのまま本物の勇者ですよ。
それにこの名前……。
「アンドロポロトフって確か……まさか王子」
思わず漏れ出た声にエルクさんが反応する。
「やはり、ショータさんは不思議な力をお持ちのようだ。といっても、私は庶子なのですがね。そういうわけで、認知をされていなかったのですが、最近になって認知されましてね。どうか、この事はどうかご内聞にお願いします」
庶子ってことは愛人の子供ということなのか。でも、王族とかなら側室とかあっても良さそうなものだが。あっ、もしかして身分違いというやつか。これだけ身分制度がはっきりしてる国だ、ありそうだな。
「あなたはどうやら女神に選ばれた人のようだ」
いやいや、女神に選ばれた勇者はあなたですよ。俺は偶然にも、この世界にこぼれ落ちた脇役ですから。
「これで心置き無く後事を託して、私も行けます」
へっ、エルクさんどこへ……まさか。
「それではお願いしますよ」
そう言い残すと、今度は一度も振り返らず、騎士達と一緒駆け出して行った。
いつの間にか、上空で舞っていた鳥の魔獣もいなくなり、いつまでも名残惜しそうにエルクさんが去った方を眺めるケイミさんを引きずるように、俺達は神授所に戻ることにした。
帰り道、王都のあちこちで騒ぎと混乱が起こっていた。あの鳥の魔獣が現れたからだ。
遂に、この王都にも闇の軍勢がやって来たかと嘆く人や、闇の軍勢など蹴散らしてやると、勇ましくも気炎を上げる人などで大騒ぎになっていたのだ。
「神授所が心配です。急ぎましょう」
「先生は大丈夫でしょうか」
エルクさんは多分、闇の軍勢との戦いに赴いたのだろう。最近になって認められたと言っていたが、そういうことなのだろうな。
「心醜き者よか……」
思わず呟くと、ケイミさんが何か言い掛ける。
「人は……」
「えっ、なに」
ケイミさんが真剣な眼差しを俺に向けると、今度ははっきりと話し出した。
「ショータさん、確かに人は醜い心があるのかも知れません。でも同時に清らかな心も持っているのです」
あー、人は悪事を働きながら正義も行うってやつか。
「だからこそ、素晴らしいのです。自分の過ちを認めて正し、努力して成長するのです。これは善なる心と悪なる心を持つ、どちらにも片寄らない中道を歩む人だけが持つ美徳」
まぁ、確かに悪に染まった人ばかりの世界は殺伐として嫌だな。だからといって、善に染まった人ばかりの世界も、詰まらなく退屈そうな世界だな。なるほど、中道を行く者か。
俺も、いつも不真面目な事を考えながら、真面目な事を考えてるからな。
「そしていつか、清濁併せ持つ人は神をも越える存在へと昇華することが出来ると」
んっ。
「先生が言っていました」
何だ、エルクさん受け売りかよ。ケイミさんがどうしたのかと思っちゃったよ。
しかし、中道を歩む者か……やっぱりエルクさんには敵わないな。
そして、俺達が神授所に帰りつくと案の定、騒ぎになっていた。
騒然とざわつく神授所内に入ると、チビッ子達が駆け寄ってくる。
「ショータ、カイルが大変だ。早く!」
チビッ子達に手を引かれるまま礼拝所に入った。礼拝所には小さいながらも女神像がある。
その前で、カイルと数人の男達が言い争っていた。しかも、どちらも手には剣を持っている。
おいおい、マジかよ。
だから危ないから刃物を持つなと言ったのに。
大方、カイルのやつがまた生意気な事でも言ったのだろうと思って近付くと違うようだった。
「生意気なガキだな。親の顔が見てみたいぜ」
「生憎だが俺には親はいないぜ。この神授所やここに関わる人、近所のひと全てが俺達の親だ。それに俺の言ってる事は間違ってない」
「何だ、ここで養われてるガキか。それなら分かるだろう。俺達は二等市民だ。お前達は三等市民だろ。なら俺達が礼拝所内で過ごす権利がある」
どうやらこの男達は、よその都市から流れてきた人達のようだ。
どういったいきさつなのかチビッ子達に聞いてみると、あの魔獣が上空に現れた時に、礼拝所の中に入れろと暴れたらしい。礼拝所内の方が安全だと思ったのだろう。
ここは小さな礼拝所だ。当然、全ての人が入れるわけがない。
そこでカイルは女子供を優先させたようだったが、よそから流れてきたこいつらは、身分制度を持ち出して暴れたらしい。
何を考えてんだろう。
仮にも女神さんに助けを求めようとする者の考えかね。呆れてものも言えない。
「おいこんなガキじゃ話にならん。ここの責任者を呼んでこいよ」
仕方ない。俺が出るしかないか。エルクさんに任された責任が、俺に重くのし掛かる。
「ここの責任者エルクさんは不在です。一応、その間は俺があずかってます」
「なに、お前が」
男達が胡散臭そうに俺を眺める。
「ふんっ、まあいい。それなら分かるだろう。三等市民は追い出して、俺達みたいな二等市民を礼拝所にいれるんだ。それが秩序というものだ」
男が勝ち誇ったように周りを見渡し、俺を見た。そして、礼拝所内の皆が、いやそればかりか、外にいる者まで固唾を飲んで俺に注目する。
ま、マジですか。
こんな緊張するのは、小学校の発表会以来だよ。何か、皆が納得してこの場が治まるようなよい話をしなきゃ。うーん、どうしよう。よし、これにしよう。
「あーコホン。俺の生まれ育った所では、こんな言葉があります。天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずです。この意味が分かりますか」
俺が得意気に目の前の男を見詰めると、男は凍り付いたように表情を強張らせて俺を見つめ返す。
「……お前、邪教徒か……まさか、闇の信徒……」
ホワーイ、何故? なぜそうなる。
「人は最初から秩序を保つために、身分を持って生まれてくる。それが光神教の教えだ」
えっ、何ですと。
うそー! そんな馬鹿な話があるかよ。
くそっ、きっと長い間に、執政者が自分達の都合のいいように教えを書き換えたんだ。そうに決まっている。
「お前みたいな者の話など聞けるかよ。後はこっちで勝手にやらせてもらう」
その男はそう言うと、俺を突き飛ばした。
こいつら何て乱暴なやつらだ。
突き飛ばされた俺は目の前にある女神像に抱きつくと、女神像ごと転がる。
そして、女神像が粉々に砕け散った。その瞬間、礼拝所内が静寂に包まれる。
「この野郎! 何て罰当たりな。やっぱり邪教徒だな」
何でそうなる。突き飛ばしたのはお前だろうが。
「アッハハハ、相変わらず、あんたの所は騒がしいね」
どこかから聞いた事のある声が聞こえた。
あれっ、この声は。
周りの人を掻き分け現れたのは、この王都の暗黒街を取り仕切る、ゴッドファーザーならぬゴッドマザーのサキさんだった。
ウサギ耳の姐さんは、いつものように長煙管を燻らせて、妖艶に笑っている。
「何だお前は、女の出る……」
そこまで言って男は言葉に詰まった。
姐さんの後ろに、ズラリと強面の男達が並んでいたからだ。
「あたしの事を知らないとは、あんたらよそもんだね。ここは、三等市民居住区のど真ん中。よくそんな口が叩けるもんだね。周りをよく見てごらん」
男達が周りを見渡すと、カイルをはじめ近所の者達が男達を睨み付けていた。
「分かったなら、とっとと、自分ら二等市民の居住区にでも行きな!」
姐さんが怒鳴り付けると、男達は「ヒィ」と短い悲鳴を上げると逃げて行った。
「サキさん、助かりました」
「ふふふ、ガストンがいなくなったからね。ちょっと覗きにきたらこの騒ぎさ。相変わらず、あんたの周りは面白そうだね」
俺がサキさんに礼を言っていると、カイルが砕け散った女神像の所でブツブツ呟いている。
「あーあ、どうすんだよ。女神像がこんなになって先生に……あれっ、これは……ショータ、こっちに」
「んっ、どうしたカイル」
カイルの側に行くと、女神像の台座の下、床に嵌め込まれた扉が姿を現していた。
「何故こんな所に扉が」
「開けてみようぜ。もしかしたらお宝があるかも」
カイルの言葉に周囲の人達も色めきたつ。
それは、金属製の重い扉であったが、数人係りで開ける事ができた。
だが、それは直径十メートルほどの丸い立て坑だった。扉は、どこまで続いているのか分からぬほどの立て坑の、その壁際にある螺旋をえがく階段への扉だった。
「こいつは……あの話は本当だったのかね」
「あの話とは何ですか」
「あんた光と闇の女神様の話。あれの最後を知ってるかい」
「確か、力を使い果たした二人の女神は眠りについたとか、エルクさんに聞きましたけど」
「その眠りについた地がこの王都なのさ」
「えっ、そうなのですか」
「ここからは、あたしの亡くなった旦那に聞いたのだけど、最初にこの地に建てた神殿は闇の女神に赦しを請うため、闇の信徒と名乗る者達が建てたらしいよ。そこにやって来た光の信徒が、どういった争いがあったのか、闇の信徒もろとも神殿を地の底に封印したらしい」
「えっ、それって……これが」
サキさんの亡くなった旦那って確か、俺と同じようにこの異世界にやって来た人だったよな。
どうしてその人は、そんな事を知ってたのだろう。
「まさかとは思うけどねえ」
俺達は何処までも続く立て坑を、覗き込んでいた。
◆
その頃、王都の城壁の上では、白銀の鎧を身に付けた騎士達が鋭い目付きで外を眺めていた。
「エルンスト様、やはり行きますか」
「あれを見よ。とてもではないが、王都の障壁が耐えれるとは思えぬ」
エルクが彼方を指差す。そこには地平線上に雲霞のごとく押し寄せる黒い魔獣達がいた。
その中央には、一際大きな黒い巨人の姿があった。
「すでに、迎撃に出た王国第一軍は敗走しました。王都の防衛に兵を残せと命にて、我らが動かせる兵はさほど残されておりませぬ」
「……防ぎきれるものでもなかろう。あの巨人、あれが知恵ある巨人。地の魔王ダークサイクロプスだ。もはや残された策は、あれを倒すしかない」
「では我ら、光の女神様に忠誠を誓う聖光騎士団がお供致します」
そう言うと、騎士達が膝をつき頭を垂れた。
「うむ、皆よく聞いてくれ。この戦いにこの国の、いや、人の運命が世界の運命が掛かっている! 命を惜しむな! 目指すは地の魔王ダークサイクロプスのみ、行くぞ!」
「応!」
騎士達の鬨の声が城壁に響き渡った。