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新しい年と新たな出会い(後編)

 私と蒼はホールの喧騒から離れてテラスに出た。

 風が山から冷たい空気を運んでくる。

 それでも人が増えてきた室内よりはマシだろうか。

 叶斗だけはテラスには出ず次期当主として挨拶に応じてはいたけれど、こちらが気になっていないわけではないだろう。

 傍らの蒼は蔦をイメージしているらしいレトロな鉄製の柵に腕を掛けてうつむいている。

 そうしてもたれてでもいないと足元がおぼつかないようで、顔色も良くなかった。


「蒼くん?まだ頭がクラクラする?」


「うーん……うっ……吐きそう……」


「うそ!ちょっと待って!どうしよう…」


 ここは人目に付かないけれど流石に吐くのはマズい。

 一生懸命背中をさする。

 場所を移動するべきだろうか。


「……ありがと、だいぶ楽になったよ。はぁ、なんか二日酔いみたいに気持ち悪い……」


 本来子供から出てはいけない発言だ。

 けれどそんな事より気になってしまうのは。


「蒼くん二日酔いになることなんてあるの?」


 いくらお酒を飲んでも二日酔いどころか酔っぱらうところすら見たことがない。


「そいつは日本酒以外には弱いぞ。何故だかビールでもすぐに酔うんだ」


 いつの間にかすぐ側にいた叶斗は私達のやり取りを聞いていたらしく、そう言った。


「かなちゃんなんて一滴も飲めないくせに」


「僕は未成年だから当たり前だろう。これから強くなるからいいんだ」


 今の蒼にはそれ以上言葉を返す気力はなかった。


「二階の部屋を借りられるそうだ。少し休んで来い」


 叶斗は家人に話を付けてあったみたいで、それを言うためにテラスに出てきたようだ。

 その指し示す先にはタキシードを着てサングラスをかけた大柄で強面の男性が立っていた。

 給仕の一人なのだろうけどとても堅気の人間とは思えないし、それ以前に人間なのかも定かではない。

 そのひとがおもむろにこちらに近付いて来たかと思うと、無造作に蒼を抱え上げた。

 最初、足をばたつかせて抵抗していた蒼は、平気なのにと言いつつも観念したようだったから、その実平気ではなかったに違いない。

 きっとその気になればいくら体格差があろうと逃れられたはずだ。

 男性は無表情のまま会釈をし、くるりと向きを変えてなるべく人目を避けつつ足早にホールを出て行った。

 それを見送った叶斗は私を横目で捉える。


「さっき君が巧巳に言った言葉」


「あれは!……つい、腹が立ってえらそうな事。ごめんなさい」


 私が蒼の主人になれたのはたまたまだったのに。

 きっと叶斗だって気を悪くしたに違いない。

 だが、叶斗は堪えきれずという感じで笑い出した。


「いや、実に愉快だった。あいつの悔しそうな顔、見ただろ?」


「でも……本当?本当に式神は主人の命令に何でも従わないといけないの?たとえそれが酷い主人でも?」


 問に対し、笑みは消えて瞳が伏せがちになる。


「主従の契約を結んだ人間が本気で(めい)じれば拒否は出来ない」


 ああ……だから夜稀は追い詰められたんだろう。

 従いたくない命令を受けて憎しみを抱いたんだろう。

 主人だけにではなく、この仕組みの中にある榊河という家全体が憎悪の対象となっても不思議なことじゃない。

 でも巧巳はあの石さえあれば主従の契約を結んでいない妖怪さえ思い通りに出来ると考えているようだった。

 それはたぶん恐怖による支配。

 妖怪との間に信頼関係なんて必要がないと、そう言うのだろうか。


「巧巳さんが持っていた石、何なんでしょうか……」


「あれは−−」


「叶斗、水穂、こんなとこにおったんかいな!おめでとうさん!!」


 新年に相応しい底抜けに明るい関西弁が耳に飛び込んできた。

 朱色に黒と白のストライプというモダンな振り袖で現れたのは伊緒里である。


「伊緒里さん!明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」


「うん、よろしゅうな。水穂、その振り袖よう似合うとるやん。うちの見立てに間違いはなかったわ」


「あの、ありがとうございます。こんなに高価なもの」


「そんなあらたまらんでかまへんねんて。うちのブランドで今度売り出す振袖のサンプル品やさかいにな。あ、でも品質は間違いないから安心してや」


 ウチのもやけど似合ってるかなと自らくるりと回り、それから辺りを見回す。


「あれ?蒼ちゃんは?」


「少し席を外しているだけだ」


 叶斗はごまかそうとしたのだが伊緒里は見逃してくれそうになかった。


「ほんまのこと言わな怒るで。蒼ちゃんは?なあ、教えてってば!おーしーえーてー!教えて教えて教えて教えて教えて」


「……別室で休んでいる」


 肩を捕まれて揺さぶられ、ついに叶斗が根負けしてしまう。


「何かあったんか?」


 伊緒里が急に真剣な表情になった。

 沈黙の間を風が駆け抜ければ空気がいっそう冷たくなった気がして繰り返しくしゃみが出た。


「場所を移そう。石の話もそれからだ」


 


 


 

 レトロな長椅子に横になっている蒼に配慮して、声を潜めつつ叶斗がいきさつを説明する。


「巧巳の奴、帰ってきとったんやな」


 私達は叶斗が蒼の為に借りた洋室に場所を移していた。

 話の途中から伊緒里は眉間のしわをどんどん深くし、不快感を露わにしている。

 榊河巧巳。

 彼はよりによって夜稀の主人だった人の弟だった。

 彼は兄を失い、家を失い、日本を離れていたらしい。


「世界を見てきたいうても何も変わってない。ウチが一発ガツンと言うたる」


 拳を握りしめて立ち上がった伊緒里が元々巧巳に対して良い感情を持っていないことは明らかだ。

 拳に小さな稲妻が纏わりついているのが相当に穏やかでない。


「それは止めておけ」


 こうなるから出来れば伏せていたかったんだと叶斗はつぶやいた。

 今は事を荒立てる時じゃないということだ。

 けれど、大人しく叶斗に従う伊緒里でもなく今にも部屋を飛び出しそうだった。


「ダメだよ、伊緒里」


 着物のたもとを小さな手が引っ張る。

 殴り込みにでも行きそうな彼女を止めたのは横になっていたはずの蒼だった。

 ちょっとだけ眠そうに目をこする。


「蒼ちゃん!」


 その仕草が伊緒里にはかなりツボに入ったようで、突然ガバッと抱きしめた。


「はぁ、可愛い……」


「苦しいよ」


 少し迷惑そうな蒼の顔色はかなり良くなっていた。

 伊緒里は彼を解放したと思えば、今度は何やら難しい顔で腕を組んで考えるポーズをとる。


「せやけど、巧巳の持っとった石っていったい何なんや?蒼ちゃんがそないヘロヘロになるやなんて。見るだけで妖が弱る言うんか?」


 そんな物が存在するなら、とても恐ろしい。

 しかも、蒼だったから大丈夫で、もっと弱い妖怪は命を落とす可能性があるって巧巳は言っていた。


「あれはたぶん殺生石(せっしょうせき)だよ」


 蒼の声のトーンがいつもより下がる。


「僕もそうだろうと思っていた」


 叶斗の声も硬い。


「殺生石て!それ本気で言うとるん?」


 驚愕する伊緒里。

 私には意味がわからない。


「どういう物なのか私にも教えてもらえますか?」


「ああ。昔々、榊河家がその名を名乗るより少しばかり前の事だ。中国から日本に渡ってきた一匹の妖がいた」


 お伽話みたいに語り始めた叶斗の表情は神妙だ。


「その妖は時の権力者に取り入って国を意のままに操ろうとした。当然、陰陽師達は阻止しようと躍起になった。激しい戦いの末にやがて陰陽師達に追い詰められた妖は石に姿を変えたんだそうだ。その石には触れる者の命を奪う力があるという。獣鳥ならば近付いただけでも命を落とす。それは今もこの関東の地に奉られているんだ」


 簡潔に語られた話は最早伝説と化しているほどの昔の出来事。


「そんな物騒なもんどこから手に入れれたっちゅーねん。持ち出せるもんなんやろか?」


「日本国内にある殺生石に何かあれば今頃大騒ぎのはずだ。だが世界は広い。同じような物が存在しても不思議はないな。奴は旅をする中でみつけたのだろう」


 顎に手をやって何事か考える叶斗。


「いや、あいつのことだ、目的は最初からそれだったのかもな」


「せやけど、そんなん世に出して大丈夫なもんなんか?なんや、悪いもん引き寄せそうな気ぃするわ」


「そんな、縁起でもないこと止めて下さいって」


「あながち大袈裟でもないだろう」


 叶斗にまで言われては不安が増すというものだ。

 誰もが口を閉ざしてしまう。


「あかん!!」


 突然そう言って伊緒里がガバッと立ち上がる。


「正月早々なんや湿っぽなってしもたわ。これで景気付けしよか!」


 この釈然としない空気を吹き飛ばすべく彼女が取り出したのは羽子板だった。

 どこから取り出したのかは謎だ。


「やるつもりはないが、一応聞いておく。どこでやるつもりなんだ」


「庭やん」


 一口に庭といっても美しく整えられた雅な日本庭園である。


「絶対に怒られるよ」


「えぇーそんなぁー。筆と墨も用意してきたのにー」


 蒼にすかさず指摘され、伊緒里はとても残念そうに肩を落とした。

 おめでたい気分を出そうとしてくれたのにと気の毒には思うけれど、私はこの厳かな雰囲気すら漂う屋敷で羽根突きをする気にはとうていなれそうになかった。

 新しい年を迎え、この出会いがもたらすものが何なのか。

 これから先、巧巳と関わることは避けて通れないんだろう。

 本当に良くないことが起こってしまう前に止めなければならないのだけど。

 巧巳の冷たい瞳を思い出せば、えもいわれぬ不安を感じてしまう私だった。



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