『役立たず』鑑定士が残した三年分の業務日誌に全ギルドが泣いた ~転生社労士、未払い報酬と慰謝料、全額いただきます~
「お前、明日から来なくていいや」
勇者レオンはそれだけ言って、エールの杯を傾けた。
酒場の隅のテーブル。Aランクパーティ『蒼雷』の定席。アキラはその言葉を、三年間ずっと予感していた。
「理由を伺ってもいいですか」
「理由? 戦えない奴をいつまでも食わせておく余裕がないってことだよ」
隣の魔法使いセレナが目を伏せる。盾役のガルドは黙って肉を噛んでいる。
アキラは三年間、このパーティの鑑定士だった。ダンジョンの罠を見抜き、敵の弱点を解析し、戦利品の真贋を判定する。剣は振れない。魔法も使えない。だからレオンにとって、アキラは最初から「戦わない奴」でしかなかった。
報酬の分配比率は、レオン四割、セレナ三割、ガルド二割、アキラ一割。三年間、一度も変わらなかった。
「わかりました」
アキラは静かに立ち上がった。
「ただ、一点だけ」
懐から一枚の羊皮紙を出す。三年前に交わした冒険者雇用契約書。
「即日解雇の場合、ギルド冒険者雇用規約第二十条により、三十日分の報酬相当額を解雇予告手当として支払うことになっています。また、三年間の報酬分配がギルド推奨基準を下回っていた件については、差額を請求します」
レオンの杯が止まった。
「合計、金貨七百二十枚。ギルド労働審判を申し立てますので、十日以内に届く召喚状をご確認ください」
酒場が静まった。
レオンが鼻で笑った。
「はっ。好きにしろ。裁判だろうが何だろうが、お前が役立たずだった事実は変わらないから」
◇
アキラには前世の記憶がある。
日本の社会保険労務士。中小企業の労務管理を一手に引き受け、未払い残業代の回収、不当解雇の撤回、就業規則の整備。十年間で二百件以上の労働紛争を処理した。
そして過労で倒れた。
他人の労働環境を守る仕事を、限界を超えてやり続けた末の結末だった。
この世界に転生して、鑑定のスキルだけがSランク適性だった。戦闘能力はE。冒険者としては最底辺の戦力。だが鑑定士としての腕は確かで、三年前にギルドから『蒼雷』への加入を斡旋された。
最初のクエストで、アキラは第二層の通路に仕掛けられた石化トラップを七つ発見した。全員の命を救った、はずだった。
「ふうん。まあ、使えなくはないか」
それがレオンの反応のすべてだった。
以来、何を鑑定しても評価は変わらなかった。ボスの弱点属性を特定しても。擬態モンスターを事前に見破っても。希少鉱石を鑑定して相場の三倍で売却しても。
「後ろで目を光らせてるだけだろ」
その一言で片づけられた。
だからアキラは記録をつけた。
業務日誌。
前世の習慣だった。毎日、何を鑑定し、それがパーティにどう影響したかを記録する。日付、時刻、鑑定対象、結果、パーティへの影響。一日も欠かさず、三年間。
最初は証拠保全のつもりだった。いつか不当な扱いを訴えるための備え。前世の自分なら、そう割り切れたはずだった。
だが途中から、日誌の性質が変わっていった。
自分でも気づかないうちに。
◇
ギルド労働審判。申し立てから十日後。
審判廷は、ギルド本部の奥にある小さな部屋だった。長机がひとつ。片側にアキラ、反対側にレオンとセレナ。ガルドは欠席した。
審判官席に座ったのは、ギルド労務官リーゼ。銀縁の眼鏡をかけた二十代後半の女性で、冒険者ギルドの中では珍しい法務の専門家だった。
「アキラ対レオン・パーティ、労働審判を開廷します。まず申立人、請求の趣旨を」
アキラは立ち上がった。
「三点あります。第一に、三年間の報酬分配における推奨基準との差額精算、金貨四百八十枚。第二に、即日解雇に伴う予告手当、金貨六十枚。第三に、継続的な侮辱的言動に対する慰謝料、金貨百八十枚」
「根拠資料は?」
「こちらが報酬分配の記録と、雇用契約書の写しです。そして――」
アキラは革表紙の冊子を三冊、テーブルに置いた。
「三年分の業務日誌です。すべての鑑定内容と、パーティへの影響を記録してあります」
リーゼが最初の一冊を開いた。
レオンが腕を組んだまま言った。
「日誌があろうが何だろうが、こいつが戦闘で役に立たなかったのは事実だ。パーティの足を引っ張る鑑定士に二割も払えるか」
「では記録を確認しましょう」
リーゼが頁をめくる。
「一年目、七月十四日。蒼穹の遺跡、第三層。鑑定により通路の崩落トラップを発見。迂回路を提案し、パーティ全員が負傷を回避」
淡々とした読み上げ。アキラ自身が書いた文章が、他人の声で響く。
「同年九月二日。霧の渓谷ボス戦。鑑定によりボスの弱点が雷属性であることを特定。セレナの雷撃魔法が初撃で致命打になり、推定戦闘時間を七割短縮」
セレナが小さく息を呑んだ。
「……あのとき、レオンが『雷で撃て』って言ったから……」
「その指示の根拠がアキラさんの鑑定だったわけですね」
リーゼが三冊目を開いた。二年目の後半。頁をめくる手が、少し遅くなった。
「二年目、十一月三十日。黒翼の迷宮、第五層。鑑定により、ガルドの盾に蓄積疲労による微細亀裂を発見。次の強打で破損する可能性ありと判断。レオンに報告し、盾の交換を進言」
「それ、覚えてるぞ」
レオンが初めて反応した。
「あのとき、俺はお前の進言を却下した」
「はい」
「ガルドの盾は、その三日後に割れた」
沈黙が落ちた。
リーゼが続きを読んだ。
「同日の備考欄。『進言は却下されたが、次回以降は装備の定期鑑定を自主的に行う。ガルドは自分の盾の状態に気づいていない。大きな怪我をする前に、別の形で伝えられないか考える』」
レオンの表情が変わった。
それは怒りでも侮蔑でもなく、アキラがこれまで一度も見たことのない顔だった。
「……アキラ。お前、いつもそんなことを書いていたのか」
「業務日誌ですから」
「いや」
リーゼが眼鏡を外した。指先で目頭を押さえている。
「アキラさん。これは業務日誌ではありません」
「……は?」
「確かに一年目は証拠記録として書かれています。日付、鑑定内容、結果。事務的な記述です。でも二年目の途中から、明らかに文体が変わっている」
リーゼが頁を示した。
「『セレナの詠唱速度が落ちている。睡眠不足の可能性。明日の出発前に、さりげなく休息を提案する』」
「『レオンの剣筋に僅かな乱れ。右肩を庇っている。本人に自覚がない可能性が高い。回復術師への受診を勧めたいが、直接言えば怒るだろう。ギルドの定期健診の案内をテーブルに置いておく』」
「『ガルドの食事量が減っている。家族に仕送りを増やしたと聞いた。次のクエストでは報酬の高い依頼を提案する。ただし、同情だと思われないよう、難度と報酬のバランスがいいという理由で出す』」
審判廷が静まった。
秋の午後の光が、窓から細く差し込んでいた。
セレナが両手で口を覆っていた。
レオンは、テーブルの上の日誌を見つめたまま動かなかった。
「アキラさん」
リーゼの声は、審判官のそれではなくなっていた。
「あなたはこの三年間、毎晩この日誌を書きながら、何を考えていたんですか」
アキラは答えられなかった。
何を考えていたのか。自分でも分からなかった。いや、分かっていたが、言葉にしたことがなかった。
前世で過労で倒れたとき、最後に思ったのは後悔だった。もっと自分を大事にすればよかった、ではない。『担当していた会社の従業員たちは、明日から誰が守るんだろう』だった。
この世界でも同じだった。
レオンに罵倒されても、報酬を削られても、毎晩日誌を書いたのは、訴えるためではなかった。途中からはもう、ただの習慣だった。明日のダンジョンで、誰も怪我をしませんように。レオンが無茶な突撃をしませんように。セレナが魔力切れで倒れませんように。ガルドの盾が、今度こそ持ちますように。
みんなが無事でいられるように。
それを祈りながら、鑑定結果を書き続けた。
誰にも読まれないと分かっていた。
でも書いた。書くことしかできなかったから。
「……ただの、職業病です」
声が震えた。
自分で気づいて、唇を噛んだ。こんなはずではなかった。冷静に審判を進めて、正当な報酬を回収して、それで終わりのはずだった。
「なるほど。職業病、ですか」
リーゼが日誌を閉じた。
「では裁定を述べます」
◇
裁定は明快だった。
未払い報酬差額、金貨四百八十枚。解雇予告手当、金貨六十枚。慰謝料、金貨百八十枚。合計七百二十枚、全額認容。
加えて、レオン・パーティに対するギルドの是正勧告。
レオンは裁定書にサインをして、立ち上がった。
出口で一度だけ振り返った。
「……あの日誌って、返してもらえるのか」
「証拠として提出されたものですので、原本はギルドで保管します」
「そうか」
それだけ言って、出ていった。謝罪はなかった。だがアキラは、レオンの声が初めて怒りを含んでいなかったことに気づいていた。
セレナが最後に残った。
「ありがとう。……ずっと、守ってくれてたんだね」
「仕事ですから」
「嘘つき」
セレナは泣き笑いのような顔をして、審判廷を出ていった。
◇
廊下で、リーゼが待っていた。
「アキラさん。ひとつ提案があります」
窓の外では、夕陽がギルドの中庭を照らしていた。訓練場で若い冒険者たちが素振りをしている。
「ギルドの労務官を、やりませんか」
「……労務官?」
「冒険者の雇用環境は問題だらけです。報酬の中抜き、契約書なしの口約束、怪我の自己負担。制度はできたのに、使える人が少ない。あなたのように法の言葉で戦える鑑定士は、この国に一人もいません」
アキラは窓の外を見た。
前世で最後に見た景色は、事務所の天井だった。積み上がった書類の山と、鳴り続ける電話と、誰にも気づかれずに崩れ落ちた自分の体。
「……また同じことになりませんか」
思わず口をついた言葉だった。
リーゼは首を振らなかった。
「なるかもしれません。だから今度は、あなたを見ている人がいる場所で働いてください」
アキラの手が震えた。
前世で、誰かにそう言ってもらえていたら。あの事務所で倒れる前に、誰かが日誌を読んでくれていたら。
「あなたの日誌を読んで思いました。この人は、認められたくて書いていたんじゃない。でも、認められるべき人だって」
夕陽が、廊下を深い橙色に染めていた。
アキラは長い息を吐いた。
涙は出なかった。代わりに、胸の奥で三年分の何かが、静かにほどけていく感覚があった。
「やらせてください」
その声は小さかったが、もう震えてはいなかった。
◇
二ヵ月後。
ギルドの掲示板に、一枚の告知が貼り出された。
『冒険者雇用契約に関する無料相談窓口を開設します ――担当:労務官アキラ』
最初の週は、誰も来なかった。
翌週、報酬を不当に削られていた回復術師が、おずおずと窓口を訪ねてきた。
「あの……本当に、相談していいんですか。私、戦えないから、文句を言う資格がないって言われて……」
アキラは、かつて自分が座っていた側の椅子を引いた。
「大丈夫です。まず、契約書を見せてください」
一ヵ月後には、毎朝行列ができるようになった。
窓口の壁に、アキラは一枚の紙を貼った。前世の事務所にも貼っていた、自分だけの標語。
『見えない仕事にも、正当な対価を』
今度は、それを読んでくれる人がいる。
この短編が面白いと思った方へ。
同じ「追放×法律ざまぁ」のテーマで、もっと深い企業バトルが読める長期連載をやっています。
★連載中・月〜金・毎日19時更新★
『【リーガルざまぁ】現行法でタコ殴り!異世界テンプレに泣く、どん底令嬢を救います〜魔王お嬢様弁護士の事件簿〜』
https://ncode.syosetu.com/n4144lz/
→第1章は「会社の利益の8割を稼いでいた令嬢を辺境に左遷」。この短編が好きな方にはド直球で刺さります。




