円満過ぎる婚約破棄、全ては計画通りです
「ダフニー、すまないが君との婚約を破棄したい」
ダフニーお姉様の婚約者チャールズ・シェークスピア侯爵令息がポツリと漏らします。
公開婚約破棄みたいな派手さはありません。
それでも婚約破棄って独特の空気の重さがありますね。
傍で聞いているだけの私にもまとわりつく見えない闇と言いますか。
あまり経験したいものとは思いません。
チャールズ様は端正なお顔の貴公子として知られています。
が、今日は眉間にしわを寄せ、両の掌で鼻と口を覆っているのです。
苦しそう。
チャールズ様がさらに言います。
「フローラを愛してしまったんだ」
うちワインベルク伯爵家に男児はおらず、子はダフニーお姉様と私フローラの二人です。
ダフニーお姉様がシェークスピア侯爵家の三男であるチャールズ様を婿に迎え、ワインベルク伯爵家を継ぐ予定ではありました。
お姉様はさすがに淑女ですね。
顔色の一つも変えません。
「お続け下さい」
「ダフニー、君を嫌いになったわけじゃない。君の優秀さもよく理解しているつもりだ。それでも俺はフローラに心を奪われてしまった」
チャールズ様はとにかくお優しく凛々しいのです。
シェークスピア侯爵家という高位貴族の令息ということもあり、私達の世代ではナンバーワン貴公子ではないですかね?
特に顔が最高に私好み。
私はダフニーお姉様のように頭がいいというわけではありませんが、それでも一つだけ勝っているところがあります。
圧倒的に令息ウケがいいということです。
抜群にモテます。
私が本気になれば、恋に落とせない殿方はおそらくいません。
もっともワインベルク伯爵家の娘としてはしたないことは許されません。
他の令嬢に恨まれたくもないですから、本当に令息を私の虜にしたことはこれまでなかったですけれど。
その寸前で止めていました。
それくらいの手練手管は持っているのです。
今回初めて私の持つ技を存分に活用し、チャールズ様と両思いにならせていただきました。
「俺は将来フローラを妻としたい」
「チャールズ様……」
「ダフニーには本当に悪いと思っている。しかし俺の願い、聞き届けてはもらえないだろうか?」
チャールズ様がダフニーお姉様に頭を下げています。
あの格好よろしいチャールズ様が。
お姉様は少しも動じることなく、この場の女王のようですね。
お姉様がチラッと私に視線を寄越しましたので、無言で頷きます。
……チャールズ様の考えはわかっているのです。
ワインベルク伯爵家には娘二人なのだから、私を婚約者として家を継ぐという考え方だってあるはずだと。
ワインベルク伯爵家の意向とダフニーお姉様の将来を考えない、身勝手な思いではありますけれどね。
チャールズ様御自身もそれは重々承知でありますので、お姉様に頭を下げていらっしゃるのですが……。
狙い通りなのですよ?
チャールズ様に対して申し訳ないですね。
ダフニーお姉様が声をかけます。
「チャールズ様、顔をお上げくださいな」
「ダフニー……」
「よろしいですよ。フローラの婚約者として、二人でワインベルク伯爵家を盛り立ててください」
「おお、ダフニー! 聞きわけてくれてありがとう! フローラ、俺達の愛が実るぞ!」
興奮気味のチャールズ様に抱きしめられます。
……本当の勝利者はダフニーお姉様ですけれどもね。
「不義理をしてしまった。せめて伯爵様には誠心誠意謝罪させてもらおう」
「いえ、必要ありませんよ。婚約者がわたくしとフローラで交代になっただけではないですか。チャールズ様がワインベルク伯爵家の婿になることに関して変わりありませんから」
「ではダフニーには謝らせてもらう。君の将来を曲げてしまった。本当にすまなかった」
「わたくしだってモテるのですよ? いい殿方にもらわれますから、全く問題ありません」
本来なら成人間際の年齢で婚約破棄なんて大問題ですけれどもね。
チャールズ様、ダフニーお姉様の笑顔が見えています?
あれは淑女の仮面の上の笑みではなくて、心からの安堵の笑顔です。
常にお姉様の近くにいる私でしか見抜けないかもしれませんけれど。
「侯爵様に報告をよろしくお願いいたします」
「うむ、要するにことを大きくしないという意味だな?」
「さようです。社交シーズンを外れていたのが幸いでありました。わたくしがチャールズ様の婚約者であったこと、知っている者もまだ多くありますまい」
「何人かには話してしまっているのだが」
「勘違いしていた。当然長女のダフニーが婚約者だと思っていたら、ワインベルク伯爵家を継ぐのは次女のフローラだそうだと言っておけば」
「随分間抜けな話ではないか?」
「政略による婚約ですもの。それくらいの齟齬はあり得ますわ。笑い話として流布してくださって構いませんわ」
お姉様は自身の婚約について誰にも話していなかったと思います。
おそらく現在の事態を予測していたから。
ダフニーお姉様の情報網と洞察力は恐るべきものなのですわ。
ですからお姉様には……。
「そうか、それで全てうまくいく。ダフニー、ありがとう!」
「いえいえ、お気になさらず」
「愛するフローラ。今後ともよろしく」
「うふふ、私こそよろしくお願いいたします」
チャールズ様は喜んでお帰りになられました。
ようやくお姉様が表情を崩します。
「ふう、無事ミッション完遂ね。フローラも御苦労様」
「いえ。でもいいのですか?」
「もちろん構いませんわ」
両親とお姉様の了解の下、私はチャールズ様を篭絡しました。
何と言ってもチャールズ様は目の覚めるような美男子です。
婚約が成立して家を継ぐ立場になるなら、私としては願ったりかなったりなのですが……。
「お姉様の将来が不確定ではありませんか」
「大丈夫ですってば。フローラは心配性ねえ」
「私はお姉様のような天才ではないのですもの」
お姉様のように未来を読み切ることができませんもの。
本当に心配しているのです。
「フローラは可愛いだけでなくて優しいわね」
自信に満ちた笑顔です。
お姉様がこの顔をしているからには絶対に大丈夫なのでしょう。
私も信じます。
「数日以内ですよ」
「はい。私も楽しみにしていますね」
◇
――――――――――ミルトレア王国第一王子カーティス視点。
見かけ上平穏な日々に見える。
が、僕の婚約事情がどうもよろしくない。
僕の側近ジェフが言う。
「王子、ちょっと難しくない?」
「わかってるよ。でも僕ではどうにもならない」
僕の婚約者はナヴィエ商業自治区の長の娘ハリエット・オルグレンだ。
ナヴィエ商業自治区というのが難しい地域なんだよな。
ミルトレア王国の一部ではあるけど、自主自立の気風があるというか他者による支配を嫌うというか。
父陛下がハリエットを僕の婚約者とし、ナヴィエを繋ぎとめようとした意図はわかる。
「王子とハリエット嬢との仲が悪いわけではないけど」
「ハリエットも如才ない令嬢だからな。自分から失策は犯さない」
しかしタイミングが悪かった。
ミルトレア王国建国一五〇年祭を派手に行おうということになったのだが、それはつまりナヴィエを屈服させて一五〇年になったことを祝おうというのと同義だから。
ナヴィエの態度を硬化させてしまったのだ。
一方でミルトレア王国の保守派貴族の間では、ナヴィエ人など商人に過ぎないではないかという意識がある。
ハリエットの生家オルグレン家も、ナヴィエナンバーワンの有力者の家系ではあるが平民だしな。
元々僕の婚約者がハリエットではおかしいという意見もあったのだ。
ナヴィエとの関係が悪くなるに連れ、ハリエットを排斥すべきという意見も水面下で強くなってきている。
今のところハリエットが飄々とした態度で躱しているから、問題は表面化していないが……。
「ハリエット嬢個人のファインプレイじゃん。それはそれで大したもんだけどさ。長く続くとは思えない」
「まあな」
「んー? 王子何か隠してるでしょ?」
ジェフは鋭いな。
それだけに頼りになるんだが。
「誰にも言うなよ? 僕とハリエットの婚約は近々解消される。父陛下がそう決めた」
「えっ……ちょっと待って? 王子と年回りの合う高位貴族の令嬢なんて残ってたっけ? ハリエット嬢への補償はどうなるの?」
そう、まさにその二つへの対応が難しいから、婚約解消は現実的ではないと思われていた。
「僕の新しい婚約者はダフニー・ワインベルク伯爵令嬢になる」
「当然年下の令嬢になるよね。ワインベルクなら伯爵家の中でも力があるからまあ……。あれ? ダフニー嬢って長女だったよね? ちょっと前に、チャールズ・シェークスピア侯爵令息と婚約したって聞いた気がしたがな?」
「よく知ってるな」
ジェフに事情を説明する。
ワインベルク伯爵家は元々長女ダフニー嬢に婿を迎え家を継がせるつもりだった。
しかし次女フローラの婿をチャールズ・シェークスピア侯爵令息とすることですでに調整済み、と。
「じゃあダフニー嬢が王子の婚約者になれば、シェークスピア侯爵家も間接的に後ろ盾になるってことか」
「そうなるな」
「へえ、何でそんな調整が都合よくついたんだろ?」
「ハリエットとダフニー嬢は親友同士だから」
「親友同士? それが……あっ!」
おそらくハリエットが僕達の婚約の継続はムリだと察して、ダフニー嬢に相談した。
そしてダフニー嬢は婚約者を妹に譲ってまで自分をフリーにした。
「ダフニー嬢って、ハリエット嬢が評価するほどの令嬢なのか」
「王立アカデミーの定期考査では、毎回ダフニー嬢かハリエットのどちらかが一位らしいぞ?」
「ほえー、下の学年のことは知らなかったけど」
「僕達もアカデミーを卒業してしまっているしな」
いや、おそらく成績だけのことじゃない。
あの現実的な感覚を持つハリエットが認めるくらいだ。
ダフニー嬢もまた状況が俯瞰で見えている令嬢なのだろう。
「僕の婚約者がダフニー嬢になるのなら、必ずナヴィエを重要視して交易量を大きくしてくれるから都合がいいと。これはハリエットが言っていたことだ」
「ふーん。それがナヴィエへの補償になるという考え方か。商人的な発想だなあ」
「まあナヴィエ交易を大きくすることは父陛下の考えとも一致する。全く問題はない」
「ハリエット嬢の婚約者はどうするのよ?」
「そっちも心配いらないらしい。王都一の老舗や豪農の息子の名が挙がってるとか」
「ハハッ、まだ王子の婚約者なのになあ。しっかりしてるわ」
「本当にな」
僕より年下のしっかりした令嬢二人が事態をリードしている。
新しい時代の予感だな。
いや、僕がもっと存在感を示せということなんだが、変に動けないのも事実。
早くダフニー嬢に会ってみたいものだ。
「何か全てのピースがうまくハマりそうな気がするけどさ。これ発表のタイミングが難しくない? 王子とハリエット嬢の婚約決めたの陛下なんだし、陛下の言葉が軽くなる危険だってあるじゃん」
「その通りだな。しかし父陛下には考えがあるようなのだ。だからジェフも絶対に勇み足なんかするんじゃないぞ」
「オーケー」
◇
――――――――――一ヶ月後王宮にてお茶会。ダフニー視点。
『予は誤った』
先日の陛下のこの演説には驚きました。
要するに第一王子カーティス殿下とハリエットさんの婚約に関してなのですけれども。
一国の王が過ちを認めるなんて、通常では考えられませんからね。
しかしこの演説は好意的に受け取られ、カーティス殿下とハリエットさんとの婚約は解消、同時に殿下とわたくしの婚約も発表されました。
実はまだ正式な婚約には至っていないのですが、陛下の発表なら決まったようなものでして。
……わたくしとハリエットさんが王立アカデミーの同級生で仲がいいという情報を、少しずつリークする予定です。
ナヴィエ商業自治区を軽視するつもりがないというのは陛下が演説の中でも仰っていましたが、これを補強する意味がありますね。
またわたくしもワインベルク伯爵家の出と、カーティス殿下の婚約者としてはやや身分が軽いのです。
ナヴィエの有力者の家系のハリエットさんと親密であることで、影響力の嵩増しを目論みたい。
つまりわたくしとハリエットさんの関係はウィンウィンなのです。
「えっ? ダフニーさんって、チャールズ・シェークスピア侯爵令息のほうから婚約を破棄させたの?」
ハリエットさんが驚いています。
今日は王宮で、カーティス殿下と側近のジェフ様並びにハリエットさんとお茶会なのです。
決して王家はナヴィエとハリエットさんを軽んじているわけではない、というアピールでもありますね。
「だってわたくしがカーティス殿下と婚約すればミルトレア王国のためにベストですから婚約を解消してください、とは言えないではないですか。王家がシェークスピア侯爵家に借りを作る格好になってしまいますし」
「ええ? ダフニー嬢策士だな」
「そういう内情だったとは僕も知らなかったんだが」
「ダフニーさんはやりますね。さすがはわたしのライバル」
「いいのですよ。チャールズ様は妹フローラが真実の愛だそうですから」
チャールズ様とフローラはとてもいい関係ですよ。
あっちもこっちも今の状態がベストなのです。
ジェフ様が聞いてきます。
「ダフニー嬢とチャールズの婚約って、あまり聞こえてこない気がしたんだ。それは?」
「わたくしは他人に言いませんでしたね。チャールズ様との婚約が決まった頃、既にハリエットさんから、カーティス殿下と難しいかもって聞いていましたから。ハリエットさんがそう言うからには、わたくしだって備えを怠れないではないですか」
本格的に相談されたのはもっとあとでしたけれど。
その時にはもう妹フローラを抱き込んでいて、チャールズ様側から婚約を破棄させる計画を発動するだけでした。
最大の功労者はフローラですよ。
「備えって、いつでも婚約を破棄される態勢でいること? ダフニー嬢は完全に王子の婚約者になるつもりだったんだねえ」
「ハリエットさんに期待されていましたしね」
「ナヴィエ商業自治区の立場からすると、ダフニーさん以外の高位貴族令嬢が殿下の婚約者というのはよろしくなかったですよ」
「うむ、ハリエットが僕の婚約者であることが気に入らない者は、ナヴィエの価値を理解していない守旧派貴族どもだ。そんな貴族の令嬢が僕の婚約者になったら、ナヴィエの離反を招きかねなかった」
ナヴィエの離反なんて考えたくもないことです。
今後のミルトレア王国の発展を考えるなら、他国との貿易拡大が欠かせません。
ナヴィエの商業規模と地理的位置は非常に重要ですよ。
「王子と年周りの合う、まだ将来の決まってない高位貴族令嬢というのもちょっと思いつかないよね」
「わたくしにとってはチャンスでございました」
「チャンスと見たのか。ところでダフニー嬢は王子のことどう思う? 婚約まであまり絡みがなかったと思うけど」
もう、ジェフ様もハリエットさんもニヤニヤしているのですから。
でもここは重要な場面ですね。
しっかりとカーティス殿下の目を見つめて一言。
「好きです」
「おお、やるなあ」
「ダフニーさんはやる子だと思っていましたよ」
恥ずかしそうというか、むず痒そうにしているカーティス殿下は可愛いですね。
チャールズ様のようなキラキラしいところはないですが、カーティス殿下からは威厳の前段階のような重みを感じるのです。
きっと立派な王になりますよ。
支え甲斐があります。
「……ありがとう、ダフニー嬢」
「うふふ。わたくしこそ末永くよろしくお願いいたします」
「あーあ、王子はいいなあ」
「ジェフ様とハリエットさんなんてお似合いだと思いますけれどね」
「「えっ?」」
あれ、お二人ともお互いをノーマークですか?
カーティス殿下とハリエットさんが婚約していましたから仕方ないですか。
「お二人とも面白好きのところがあるでしょう? 気が合いますよ、きっと」
「「……」」
「王都とナヴィエ間の交易を活発化しようと思うなら、カーティス殿下の側近というジェフ様の立場はハリエットさんにとって、例えば高位貴族の令息よりも格好のお相手だと思うのですけれども」
「……一理ありますね。さすがダフニーさん」
「ジェフ様はハリエットさんがお嫌ですか?」
「全然。でも急なことなので戸惑ってるよ」
ハリエットさんが獲物を狙う目になってきましたよ。
もっともハリエットさんの親御さんは今王都にいませんから、決定はできないでしょうけれどもね。
カーティス殿下が仰います。
「ともかくこの四人で、時々会おうじゃないか。親睦を深めよう」
「「「賛成です」」」
数日中には殿下とわたくしの婚約も正式に決まるでしょうし。
何よりミルトレア王国の未来を担う四人ですから、ね。
◇
――――――――――チャールズ及びフローラサイド。
「まさかダフニーが……ダフニー嬢がすぐカーティス殿下の婚約者になるとはなあ」
「惜しいことしたと思っていますか?」
「いや、俺はフローラを愛しているからね」
「うふふ、ありがとう存じます。私もチャールズ様をお慕い申しておりますよ」
「タイミングがよかったな。カーティス殿下の婚約がなくなったから、ちょうどダフニー嬢が後釜に入る格好になったろう? ダフニー嬢の才能は王国のために使うべきだと思うし」
「チャールズ様は疑わないところが素敵ですね」
「えっ?」
「いえ、お姉様はお姉様、私達は私達ということです」
幸福時計はそれぞれの針を進める。
最後までお読みいただき大変感謝です。




